2019年6月17日月曜日

多文化共生社会の創造を推進する、人として人とつながって暮らすための日本語の習得とつながりながらの日本語習得支援(教育) ─ つながる日本語の習得と習得支援

多文化共生社会の創造を推進する、人として人とつながって暮らすための日本語の習得とつながりながらの日本語習得支援(教育)
─ つながる日本語の習得と習得支援

1.就労者・生活者にとっての「日本語の課題」への対応の現状
1−1 ニーズという視点の落とし穴
・仕事のための日本語、生活のための日本語
・仕事が日本語で運営できるるようになる?、生活を日本語で運営できるようになる?
・ニーズの調査によって、「実用的な」必要性を知ることができ、「実用的な日本語のゴールの一覧表」は得られる。※介護・看護の試験対策などは当面議論対象外とする。
・(1)実用的でない日本語は見落とされている。
 (2)日本語習得のルートという視点がない。

2-1 作られた 「喫緊の課題」
・仕事のための日本語、生活のための日本語
・でも、それって、基礎日本語力の保障のための制度と実践が行われている上で、言うことでしょ!
・その第一段階ができていないのに、自分たち(産業界とそれと関係した政治家?)が作った状況・都合の中の顕在的な課題を喧伝して、「これが喫緊の課題だ!」と言うのは、いかにもご都合主義?でしょう!
・そして、それ(第一段階も第二段階も)を、公的にやらないで、「ボランティア」に委せているというのはどうでしょう?

・一方で、そのように捉えられた「喫緊の課題」は、パウロ・フレイレの言う「機能的識字」獲得の要求でしょう。(その獲得が、本人にとって一定の「有益さ」はあるわけだが。)

☆産業界のご都合主義の機能的日本語に振り回されていないか!?

2.代替的な視点
2−1 さまざまなモチベーションで日本に来る外国出身者
・外国出身者にとって入管法やそれに基づくビザ制度などは、まさに「制度」でしかない。
・外国出身者は「さまざまなモチベーション」で、制度に準じて(あるいは利用して)日本に来る。
・また、明確に一時滞在希望の人(出稼ぎやワーキングホリデー感覚者)もいるし、永住志望の人もいるし、両者が混ざっている人もいるし、途中で変わる人もいる。
・在住外国人の一部?は、地域の日本語教室を「上手に」利用している。
※中国からの帰国者や、国際結婚の人や、定住志向の日系人などの本当の生活者は別。

2−2 人としての視点
・人は「実用」のみに生きるにあらず。人は人として人とつながって毎日を暮らす!
・人とのつながりは、創造である。無(今までなかった!)から有(今はある!)が生まれる。
・つまり、人との人との関係は、創造であり、それは当事者(たち)が当事者として自ら創造するもの。
・創造しなければ、ない。

・「社会」というのは「そこにある」という様相を一方で見せながらも、実際には人々が日々の実践を通じて生産し維持し、そして徐々に改変しているものである。
・社会は、局在的な社会(local circle)を寄せ集めた総体という側面もあり、局在的な社会は相互に直接・間接に影響し合っている。

・「人として人とつながって暮らすための」という視点から見ると、就労者・生活者のための日本語の課題は違って見えてくる。

2−3 日本語の習得の第一歩
・就労者や生活(運営)者の前に「人として暮らすこと」があるのではないか。そのための日本語。
・「人として暮らすための日本語」が(長い)日本語習得の行程の第一歩ではないか。

2−4 声の獲得としての日本語の習得と習得支援

3.地域の日本語教室で何をする?
3−1 外国出身者にとっての日本語
・2−1の観点から言うと、「ニーズ」はあらかじめ決められないし、わかったとしても、変わるかもしれない。
・「N4がないと特定技能1で日本で就労できない!」というのは、「ニーズ」ではなく、その人の「都合」
・そもそも「ニーズ」などと言っているのが、日本(人)サイドの「一人よがり」
・そのような「ニーズ」に基づいた「生活のための日本語」や「就労のための日本語」などは、本当にかれらの日本語に関するモチベーションと合致しているか。→たいてい合致していないのでは?※技能実習生などにおける日本語能力試験のための勉強希望
・2−1の中の「軽快派」と、2−2、2−3、2−4の視点を考えると、「人として人とつながって暮らすための日本語」や「声の獲得としての日本語」を中心に据えて、同時に(1)日本語の基礎力の養成をして、その先の日本語能力試験や(2)より進んだ日本語力につなげてあげるのが、かれらの「関心」に合致しているのではないか。

3−2 市民ボランティアにとっての外国出身者と日本語
・市民ボランティアは、制度が作った「日本語の課題」を引き受ける必要はない。
・市民ボランティアは、何にせよ、日本語を教える「責務」を負う筋合いはない。
 ※市民ボランティアも「国民」として、産業界や政府が「作った」制度の「シワ」の部分を担う?
・市民ボランティアにとって、外国出身者は「好奇心」や「興味」の対象。
・ それでいい! だって、これまであまり「縁」がなかったし、日本に来ている外国出身者の当事者からあれこれ話を聞くのは「視野」を深め、局所的な共生社会創造の前進となる。
・「市民ボランティアは日本語を教える専門的な知識と技能をもっていない!」。だからどうなの?

3−3 日本語交流活動
・日本語教室は、さまざまな外国出身者と「日本人」が週に1回集まって、主として!日本語でワイワイする場所。
・お互いのいろいろな諸側面・テーマについて、毎週、主として日本語でワイワイすることを通して、交流を深め、日本語習得を促進する。=日本語交流活動
・そのためのリソースとして、NEJ、「日本語おしゃべりのたね」
─ ふつーの市民ボランティアが「活動」できる。
─ 継続的にやれば、日本語習得の成果が得られる。
─ 特にNEJは「体系的に」ワイワイできて、基礎日本語力を身につけて、(2)や(1)につなげることができる。
─ 局域的な社会からより広い多文化共生社会の創造へとつながる「化学反応」を起こすことができる。

4.結論
・つながる日本語の習得と習得支援
・多文化共生社会の創造の推進

0 件のコメント:

コメントを投稿