2019年6月24日月曜日

現象学から人間科学へ①

現象学から人間科学へ①

 実は、今回、羅針盤を書くにあたっては「一苦労」がありました。従来は、お仕事をしているうちに「想」が湧いてほぼ一気に羅針盤を書いていました。まあ、これまでの内容はそれはそれで「羅針盤」らしくていいのですが、どうも「お説教じみて」いたり、「愚痴っぽい」感じがしていました。で、「それ系」のお話はもう一通りはした感じがありますので、今号から(当分は)ちょっと趣向を変えて、その時々に読んだ「含蓄・洞察のある」一節を紹介して、それにぼくなりの解説を加えるというふうにしたいと思います。で、この数回?は、表題のように「現象学から人間科学へ」ということで書きたいと思います。
 これには、2つの文脈があります。一つは、2年ほど前にこのメルマガで12回連載した「哲学のタネ明かしと対話原理」です(現在はここにhttps://koichimikaryo.blogspot.com/search/label/哲学のタネ明かしと対話原理
 あります)。そこでは、古代ギリシア哲学からスタートして、デカルトとカントを経て、フッサールに至る話をしました。そして、結論として「人文科学の研究者として重要なのはフッサールです」と述べて、最後に「フッサールの現象学」を1ページ弱で「解説」しています。もう一つの文脈は、4月6日(土)に開催した臨時NJ研究会での「現象学と対話原理 ─ 試論」です。実は、この2月・3月は木田元の『現象学』(岩波新書)を精読していました。そして、木田先生のおかげで現象学の「首根っこをつかんだ」気になっています。ただし、「首根っこをつかんだ」おかげで、次の「知りたいこと」が出てきてしまいました。いずれも現象学の流れのメルロー=ポンティとハイデガーです。そして、今は、ハイデガーの(晩年の名著!)『「ヒューマニズム」について』を読んでいます。『ハイデガー『存在と時間』の構築』も読み始めました。そして、メルロー=ポンティの『知覚の現象学』も。ラングドリッジの『現象学的心理学への招待』は引き続き「水先案内」として座右に置いています。そんなこんなで「現象学から人間科学へ」を思いついたわけです。そして、実は、これらすべての背景には、質的研究というヤツの「首根っこをつかもう」というプランがあります。
 今回は、メルロー=ポンティの『知覚の現象学』の最初のページからの引用です。木田先生はこの一節が現象学というヤツの「変幻自在さ」「得たいの知れなさ」をうまく表現していると言いますが、ぼくとしては、取りあえずはうまく「腑分けしてくれている」気がします。【 】で「a」と「b」を書き入れたのはぼくです。

 現象学とは本質(essense)の研究であって、一切の問題は、現象学によれば、結局は本質を定義することに帰着する。たとえば、知覚の本質とか、意識の本質とか、といった具合である。ところが、現象学とは、また同時に、本質を存在(existence)へとつれ戻す哲学でもあり、人間と世界とはその<事実性>(facticité)から出発するのでなければ了解できないものだ、と考える哲学でもある。それは〔一方では〕、【a】人間と世界とを了解するために自然的態度(l’attitude naturelle)の諸定立を中止しておくような超越論的〔先験的〕哲学であるが、しかしまた〔他方では〕、【b】世界は反省以前に、廃棄できない現前としていつも<すでにそこに>在るとする哲学でもあり、その努力の一切は、世界とのあの素朴な接触をとり戻すことによって、最後にそれに一つの哲学的規約をあたえようとするものである。それは〔一方では〕【a】一つの<厳密学>としての哲学たろうとする野心でもあるが、しかしまた〔他方では〕、【b】<生きられた>空間や時間や世界についての一つの報告書でもある。〔一方では〕【b】それは現に在るままでのわれわれの経験の直接的記述の試みであって、その経験の心理的発生過程とか、自然科学者や歴史家または社会学者がこの経験について提供し得る因果論的説明とかにたいしては、何の顧慮も払わないものだ。にもかかわらず〔他方では〕フッサールは、その後期の諸著作のなかで、【a】<発生的現象学>だとか、さらには、<構成的現象学>だとかをさえ云々しているのである。(メルロー=ポンティ, p.Ⅰ)

 超簡潔に言うと、【a】は哲学・思想そのものに関わる部分で、【b】は「科学的な心理学」を克服してその後の人間科学の確立へと繋がる部分です。そして、われわれ(日本語教育学をしようとする者)に必要なのは、【b】だけです。【a】は【b】に関する理解を助けるためのみに読めばいいのだと思います。
 「なぞかけ」ようですが、上のメルロー=ポンティの一節を、質的研究というものと一定程度照らし合わせながら、ぜひじっくりと読んでみてください。何が見えますか? ちなみに、次回がどのような展開になるか、ぼくにもわかりません。

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