2019年6月22日土曜日

「つながる日本語」の提案

日本語教育推進法の成立を受けて ─ さまざまな言語的文化的背景の人が共に暮らす共生社会を促進する日本語活動を広げる『つながる日本語』の提案
※新たな『つながる日本語』を提案し普及しないと、従来的な日本語を教えることをボランタリーな市民のところにまで広げるだけ! そして、それは、共生社会の促進という精神に逆行する!
※ここでは、当面、子どもの日本語支援や学力保障についてはテーマとしない。

0.はじめに

・第1条 この法律は、日本語教育の推進が、我が国に居住する外国人が日常生活及び社会生活を国民と共に円滑に営むことができる環境の整備に資するとともに、我が国に対する諸外国の理解と関心を深める上で重要であることに鑑み、日本語教育の推進に関し、基本理念を定め、並びに国、地方公共団体及び事業主の責務を明らかにするとともに、基本方針の策定その他日本語教育の推進に関する施策の基本となる事項を定めることにより、日本語教育の推進に関する施策を総合的かつ効果的に推進し、もって多様な文化を尊重した活力ある共生社会の実現に資するとともに、諸外国との交流の促進並びに友好関係の維持及び発展に寄与することを目的とする。」
・第2条 2 この法律において「日本語教育」とは、外国人等が日本語を習得するために行われる教育その他の活動(外国人等に対して行われる日本語の普及を図るための活動を含む。)をいう。
・第3条 日本語教育の推進は、日本語教育を受けることを希望する外国人等に対し、その希望、置かれている状況及び能力に応じた日本語教育を受ける機会が最大限に確保されるよう行われなければならない。

・上のように、現在の日本の社会の状況を反映し、日本語教育・日本語支援活動の現状を把握した、すばらしくよく練られた適切な法律であると思う。(現状において、「理念法」となることはやむを得ない。)

・本稿では、第2条にある「その他の活動」のうちの、ボランタリーな市民が参画する地域における日本語活動、一般に地域日本語教育と呼ばれている活動について論じる。本稿では、これを地域日本語活動と呼ぶ。

1.地域日本語活動に関わる「課題」

1−1 関連する言語活動の領域 ─ 「日常生活及び社会生活」
・「日常生活」は「生活者のための…」の領域。これは、安心・安全のための方策としていずれは公的に保障するべき部分。
・「社会生活」という言葉は、あいまいだが、(a)「仕事場のこと」と、(b)「職場でのインフォーマルなつながりを含めた人とつながって暮らす生活」と理解できる。
・そして、(a)は企業の責務、(b)は「職場でのインフォーマルなつながり」の部分は企業で、社会的な広がりを含む一般的なつながりの部分は地域日本語活動に負うところが大きい(負わせてしまっている!!)。
・「つながって暮らす生活」のための日本語に関しては、外国出身者においてつながる日本語の育成をするとともに、日本人参加者においてやさしい日本語の話し方の態度と技量を涵養するのが有効であろう

1−2 社会変容の方向 ─ 「多様な文化を尊重した活力ある共生社会」
 ⇔ 多様な文化を尊重しない、(それを続けていると)社会の活力が減退する、自文化中心社会
(1)「多様な文化を尊重した共生社会」
・「多様な文化を尊重しない」という態度・姿勢をもっているのは誰か?!←→多様な文化を尊重できる態度の涵養
(2)「…活力のある共生社会」
・文化的な多様性がある社会は(単一文化の社会よりも)活力を生み出すという認識←→社会の安全・安心の維持ということが前提となるが…。
・「活力」とそれを生み出すメカニズムには、(現在「マジョリティ」を形成するホスト側における)具体的な多様性の受容と一定の寛容さと、対話することの耐性・態度・姿勢と対話技量が含まれる。(外国出身者でも、自文化中心主義が強く、強い自己主張に基づく対話の態度を有する者には、「穏やかに対話する」態度と姿勢と技量を身につけることが求められるだろう。)

1−3 「活動」主体 ─ 「その他の活動」
・教育は、教育主体が専門職として目標を設定して意図的に行う活動である。「その他の活動」は「(そのような意味での)教育とは分類されない活動」となる。
・そして、「その他の活動」は日本語教育の専門家が担当する活動ではなく、日本語教育の専門家でない人(ボランタリーな市民)が参画する活動そして、ボランタリーな市民が、外国出身者(学習者)とともに参画する活動である。
⇒ボランタリーな市民は、日本語ボランティアではなく、日本語パートナー
⇒日本語パートナーのボランティア性は、多様な文化を尊重した活力在る共生社会の実現ということに関心をもって、その具体的なボランタリーな行動として地域日本語活動に参加するということ。「ボランティアで日本語を教える」という利他的な日本語ボランティアではなく、より広範な共生社会の実現ということに関心をおいたボランタリーな行動であり活動であるということ。

1−4 ○○に応じた日本語教育の現実 ─ 「希望、置かれている状況及び能力に応じた日本語教育」
・「○○に応じた日本語」をあらかじめ、あるいは学習当初に明確に把握することはできない。また、「時間とともに」や「気まぐれ」で変わる。
・いわゆるニーズ分析主義に見られる、「○○に応じた日本語」を把握して、それを「教える」というのは、繰り返し同じ種類の学習者が来るという意味での制度的な日本語教育では一定程度可能であろう。しかし、地域日本語活動の場には、さまざまな背景、希望、将来像の学習者が訪れてくる。そういう状況では、「○○に応じた日本語」は無理。
・しかし、お互いのことを知り合うという活動の中で、相手(外国出身の学習者)のことや相手の状況をよりよく知ることで、そのような状況に合った日本語の支援を展開するということはできる。

1−5 まとめ
・今、わたしたちの前に置かれている「課題」は、共生社会の実現という課題「日本語」の課題という複合的な課題である。日本語教育的な課題ではない!
・にもかかわらず、この複合的な課題が日本語教育的な課題に歪曲されようとしている感がある。
・つまり、日本語教育の専門家にこの複合的な課題の解決が委ねられようとしているし、日本語教育の専門家もこの複合的な課題を日本語教育的に歪曲して解決策を提案しかねない状況にある。

・今、求められていることは、(α)特定の成果を生み出す活動を、(β)ボランタリーな市民と外国出身者(学習者)との接触・交流の中で、引き起こすこと。

2.今求められていること
2−1 特定の成果
(1)つながる日本語力の育成と、やさしい日本語の態度・技量(1−1)
(2)多様な文化を尊重できる態度の涵養(と「穏やかに対話する」態度・姿勢・技量)(1−2)
(3)「変幻する」希望・状況・能力に対応した(習得)内容と支援(1−4)

2−2 (日本語教育の?)専門家に期待されていること
・「教え方を容易にして『教えること』を普及すること」ではなく、2−1のような成果が出るようなスキームを提案すること

2−3 共生社会の実現を促進する地域日本語活動のスキーム
 2−1の成果を生み出せるように、
(1) ボランタリーな市民による
(2)「学習者(その人)をよりよく知る」という過程も活動の行程の中に組み込んで、
(3) 多様な文化・言語背景をもつ人との実際のつながりを通した、
(3)(「つながるための日本語」を教えるのではなく)実際のつながりを基盤として、具体的なつながりを形成しつつ「つながりの形成」の経路をそのまま日本語促進活動の行程(カリキュラム)として
 さまざまな言語的文化的背景の人が共に暮らす共生社会を促進する日本語活動 を進める。

2−4 つながる日本語
・共生社会の実現を促進する日本語活動のための枢要概念がつながる日本語
つながりを作りながら、つながる日本語を習得しようというスキーム。日本語教室で日本語パートナーとの交流を通して、つながる日本語を習得した人は、また教室の外で他の人とつながることができるというスキーム。そして、そのようにつながりを広げることができれば、これまで知り合うことがなかった人々と知り合うことができるし、そうした人々とも調和的に暮らしていける態度や社会的技能や日本語の話し方を身につけることができる。

3 (日本語教育の?)専門家に突きつけられている「宿題」
 共生社会を促進する「つながる日本語」の活動が繰り広げられるような仕組みを作る!

・代替的な活動内容・活動様態である「つながる日本語」活動というスキームの提案
・その活動を具体化するのための企画と必要なリソースの開発
・「つながる日本語」の普及者の育成
・日本語パートナーの普及

4.法の課題
4−1 第16条(地域における日本語教育)
・上で論じたようなスキームがない。
・「ボランタリーな市民の皆さん、どうぞよろしくお願いします。支援はします。」と言っているだけ。
・これでは、既存の日本語教育(のまねごと)の活動が広がるだけ。

4−2 第22条(教育課程の編成に係る指針の策定等)
・この条文は、上の「その他の活動」にも関わるものなのか。
・上の「その他の活動」は、2−1のような成果を生む、ボランタリーな市民による外国出身者とともに従事する活動であり、それに関して「教育課程の編成」云々するのは的外れであり、共生社会を促進しようとするボランタリーな市民による活動を阻み、歪める


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