英語教育関係の友人といっしょに、「英語が苦手であまり好きじゃない」という大学1年生向けの英語教材(English World in Japan、略してEWJ)というのを制作中です。今、キャンパスを歩いていて、ふと高3のときの発想を思い出しました。
受験勉強のために、『試験に出る英単語』(森一郎)で英語の単語を勉強していました。現在の版はどのようになっているかわかりませんが、当時の版は、(1)語を構成する形態素の意味が提示されている、そして、(2)その形態素から派生した関連語が挙げられている、(3)(1)をいろいろな語で学ぶことで結局いろいろな形態素を意味とともに覚えることができる、(4)(3)の結果語彙ヂカラが身につく、というようなものでした。で、「森先生」(当時はもちろん存じ上げませんが)に言いたかったのは、「『出る単』は間違いなくすばらしい本です。でも、その見出し語(2000語弱)を全部(or大部分)を含む、内容がおもしろくて読みやすいパッセージを作ってよ!」でした。簡単に言うと、「試験に出る英単語」の全部(or大部分)が入っているええ文章を作ってよ。そうしたら、その文章を覚えたら「試験に出る英単語」を全部(or大部分)カバーできるし、各語の意味や(典型的な?)用法もわかるでしょ、ということです。
英語教材EWJでは、文法と語彙に関してそのようなことをしようとしています。だから、ふと「高3のときの発想」を思い出したのでしょう。そして、考えてみると、NEJもそのような発想に基づくものだし、現在編集作業中のNIJも同じような発想です。
「三つ子の魂、100まで」といいますが、「高3の発想、100まで」でしょうか!?