2019年12月15日日曜日

日本語教育学って何だろう?

 「日本語教育能力の判定に関する報告(案)に対するパブコメが一昨日(12月13日(金)に締切となりました。一方、来年5月の日本語教育学会の総合テーマは「日本語教育学の輪郭を描く」です。
 この間、日本語教育学って何なのだろう? 日本語教育学は過去40年の間に発展したのだろうか? これから発展するのだろうか? どのように発展する必要があるのだろうか? などについて考えました。そんな話をします。

1.現行の検定試験の内容は何か
 現行の検討試験や教員養成・教師養成課程の内容は、平成12年度の「日本語教育のための教員養成について」(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/nihongokyoiku_suishin/nihongokyoiku_yosei/pdf/nihongokyoiku_yosei.pdf)を基本として引き継いでいます。つまり、約20年前のままです。
 この内容は、約20年前の日本語教育学の状況を参考にして教員として必要と考えられる事項が「社会・文化・地域」「言語と社会」「言語と心理」「言語と教育」「言語」の5つの分野、16の下位区分にわたって列挙されたものです。それらの事項の後ろにはさらにキーワードというものが列挙されています。上掲「教員養成について」のpp.11−12。(その後文化庁では、そうした事項の列挙では養成課程にバラツキがあるということで、2018年3月に必須の50項目というものを絞り込んで、現在はその50項目と教育実習が含まれることが養成課程の「基準」となっています。)

2.20年前に日本語教育学の体系はあったか
 平成12年の「教員養成について」が出たときに、日本語教育学の体系はあったでしょうか。残念ながらありませんでした。逆に、その「教員養成について」を検討するときに、日本語教育学の体系のようなものがいわばはじめて意識されたと言わなければなりません。しかし、上記のような状況で、日本語教育学を体系づけることはできませんでした。

3.日本語教育学と「教員養成について」の内容との関係
 20年前の「教員養成について」に盛り込まれている内容は、当時の日本語教育関係の研究者の(a)「守備範囲」と、(b)「守備範囲」ではないが目に届いていた」部分です。逆に言うと、当時の日本語教育関係の研究者の目に届いていない」内容や領域はそこには入っていません。

4.日本語教育学の輪郭について
 新たに日本語教育学の輪郭を描くにあたっては、これまでの(a)「守備範囲」と(b)「守備範囲」ではないが「目に届いている」部分を参考にしながら、(c)として、(c)現在発展中の重要分野も含めながら、研究分野と研究テーマを包括できる体系を構築しなければなりません。そして、学の体系というのであるから、(ア)研究領域、(イ)研究系、(ウ)研究分野、(エ)研究テーマというような階層構造での全体の整理が必要です。

5.日本語教育学の体系の構築をめぐる観点
 4のような認識の下にいくつかの観点を提示したいと思います。
(1) 日本語教育は第二言語教育の一分野である。ゆえに、個別の目標言語を超越した応用言語学や第二言語習得研究は、日本語学や社会言語学や特殊目的日本語教育論などとは独立した、そして第一の研究領域として第二言語教育学領域が設定されなければならない。
(2) 日本語教育は「日本語×教育」なので、第二の研究領域として、「日本語教育基礎領域」を設定し、その下に、日本語学系、教育学系、心理学系などの関連の系を配置するのが適当である。
(3) 上のように第二言語教育学領域と日本語教育基礎領域を設定した上で、日本語教育という現象をめぐる研究分野として日本語教育事情領域を、また、日本語教育の実践を研究する分野として日本語教育実践領域を、それぞれ設定するのが適当である。
(4) 4で(c)として言及した現在発展中の重要分野として、言語理論学が必要である。これまでの日本語教育学は、そもそも言語とはどのようなものであるか、つまり、言語と人間、言語と社会・文化、言語と認知、言語と知性等のそもそもの関係を考究することなしに日本語教育の学や日本語教育の実践に臨んできた。そのために、言語は単に実体として捉えられ、シンボルとして厳密に記号学的に把握されることがなかった。このことが、これまでの日本語学等への偏った依拠と相俟って、日本語教育を即物としての言語事項を扱う営みに矮小化してしまっている。教育実践に追従するのではなく、教育実践により広く深遠な視野を提供すべき日本語教育学としては、そうした言語理論学がぜひとも必要である。

 以上のような観点を踏まえて、日本語教育学の体系(私案)を作成しました。コメントなどお寄せいただければ。
https://www.dropbox.com/s/pm1kbv87p0kngge/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E6%95%99%E8%82%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E4%BD%93%E7%B3%BB.pdf?dl=0
 


「日本語教師」国家資格は既定の路線!?

 「日本語教育能力の判定に関する報告(案)に対するパブコメが一昨日(12月13日(金)に締切となりました。「ぜひパブコメをしてください。パブコメの数が本件についての国民の関心のバロメーターになります」と喧伝していた文化庁のほうにはかなりの数のコメントが寄せられたことと思います。(しかし、「パブコメの数が国民の関心のバロメーターになる」なんて、まじめにコメントするモチベーションが下がりますね。「コメントの内容を文化庁はちゃんと読んでその後の小委員会での議論に反映してくれるのかよー?」との疑問が湧きます。)
 この記事では、今回の「騒動」のタネ明かし!?をしたいと思います。

1.日本語教育に従事する人の「資格」について
 文化庁の報告(案)ではわかりにくいですが、今回の報告(案)の主眼は、

(1)従来の日本語教育能力検定試験に代わって「新試験」を設置する。※「新試験」の内容は2018年3月に出た「在り方について」の50項目を反映したものと報告(案)では説明されています。これって、これまでの検定試験といっしょです。どうなっているのでしょうね!?
(2)その新試験合格と、実習修了と、大卒(学士)の3点をもって、「公認日本語教師」という国家資格(名称独占)として認定する。※「名称独占」というのは、「その資格を持っている人だけがその名を名乗ることができる」ということです。他の国家資格として「業務独占」というのがあって、こちらの制度だとその資格がなかったらその仕事ができないこととなります。「公認日本語教師」の資格は「名称独占」です。ちなみに、「公認日本語教師」という名称はいかにも不細工なので、わたしはパブコメで「日本語インストラクター」という名称を提案しました。さてさて、どのような名称になるでしょうか!?
(3)検定合格者あるいは養成課程・養成講座修了者という従来の日本語学校での教員採用基準を上の「公認日本語教師」変えるよー!ということです。現在の日本語学校設置の「規制」となっている法務省の告示基準がそのように変更されることが予定されているようです。

 「規制」という観点から見るのが話が早いと思います。(2)の「名称独占」の国家資格は、それ自体は日本語を教える仕事をすることに関して何の「規制」にもなりません。しかし、(3)のように法務省の告示基準が変更されることで、「規制」となります。つまり、新しい資格がスタートし法務省の告示基準が変更されると、(a)日本語学校は「公認日本語教師」でないと採用することができなくなる、(b)「公認日本語教師」でないと日本語学校で教師の仕事ができなくなる、ということです。そんなわけで、今回の報告(案)の中心的な趣旨は、「日本語学校の先生はみんな『公認日本語教師』にしよう!」ということです。

2.新制度で日本語学校の教育はよくなるのか、日本語学校の教師の待遇は改善されるのか
 まじめな「論点」としては、検定試験というのがいわば国家資格に置き換わること、及び、日本語学校の先生はやがてみんな「公認日本語教師」となるというこの新制度が、果たして、(ア)より優秀な人を日本語教育に呼び込んで優れた教師として養成され、(イ)日本語学校の教育の質が向上し、また、(ウ)その人たちも国家資格にふさわしい待遇がされるか、という問題です。報告(案)はこの部分について「楽観」しているように見受けられます。というか、…。

3.「日本語教師」国家資格は既定の路線
 報告(案)には明記されていませんが、「日本語教師」国家資格は、日本語教育推進法第21条で「日本語教師の資格に関する仕組みの整備」ということが謳われていて、今回の報告(案)の内容は、その具体化という話です。そして、現在、日本語教育能力検定試験があるにもかかわらず「日本語教師の資格に関する仕組みの整備」と言われると、検定試験よりもう一段上の国家資格(の中で軽いほうの名称独占)となるのは、いわば当然の帰結です。文化庁の担当者や同小委員会の先生方の判断は、「日本語教育に追い風が吹いている今のこのチャンスを逃したら当分は「格上げ」などできなくなる。だから、「格上げ」はぜひ実現したい!」というとても「戦略的な」判断をされているのだと推察します。

ということで国家資格は早晩実現されるだろうと思います。

4.今回の制度改革で日本語学校の教育の質は向上するのか、日本語学校の教師の待遇は改善されるのか
 日本語教育に関わる当事者としての関心はこの2点です。今回の制度改革でこのあたりがよくなっていくのか、わたし自身は、楽観していいのか、悲観的にならざるを得ないのか、何とも言うことができません。ただ、言えることは、日本語学校の教育の質の問題は、教師の質の問題ではなく、むしろ、教育内容と教育方法のパラダイムの問題だということです。現状のカリキュラムと教材でやっていては、誰が教育の実施にかかわっても、大きな質の改善は望めないと思います。今回の制度改革で、「おもしろい!」人が日本語学校に入ってきて、日本語学校の教育を抜本的に革新するというような流れになれば、おもしろいなあとは「期待」しています。


 逆に、日本語学校以外では、企業であれ自治体等であれ、「公認日本語教師」でなくても採用することができます。しかし、日本は「忖度」の社会なので、もしかしたら、企業や自治体


2019年12月8日日曜日

Krashenと第二言語教育

 この週末(2019年12月6-7日の金土)はとてもおもしろい経験をしました。一つは、入力仮説とナチュラル・アプローチのKrashenが久々に来日。同志社で公演いや講演があって聞きに行ったこと。もう一つは、ぼく自身が講演者でひょうご日本語教師連絡会議主催の教師セミナーをしたこと。この2つ、関連させて話します。
 Krashenの来日は数年ぶりなのではないかと思います。ぼく自身がかれの話をはじめて聞いたのは1984年のJALT大会(@東京新宿の文化女子大学)でした。これがたぶんかれの初来日だと思います。そして、2015年の秋にサンディエゴであったTESOLの年次大会で30何年ぶりにかれの話を2度目として聞きました。そして、今回が3度目です。1984年のKrashenの話は皆さんご存じの入力仮説のことが中心です。かれが講演中に"comprehensible input!"とお題目のように何度も繰り返していたのを今でも覚えています。当時のKrashenは多分40歳代(前半?)だったのだろうと思いますが、ものすごい自信・確信とエネルギーに溢れていてまるで新興宗教の教祖さまのようでした。そして、かれは「入力仮説は、否定しようのない科学的事実だ!」ということも何度も言っていました。かれは、本当に自身の入力仮説を「葵のご紋」にして第二言語教育の革新を進めようと思っていたのでしょう。そしてその革新運動は必ず成功すると思っていたと思います。
 2015年に30数年ぶりに会ったKrashenは往年のエネルギッシュさはかなり薄れていました。でも、自信・確信はあいかわらずでまあまあ元気に見えました。そして、いつのことからか分かりませんが、かれはcomprehensible inputよりもextensive self-selected readingのほうを強く推奨するようになっていました。おそらく、カリフォルニアを中心として北米におけるヒスパニックの子どもたちなどや家庭の教育環境のせいなどでリテラシーが低くなってしまっている子どもたちの読解能力を中心とした知的な言語能力の養成と認知的な発達の両方を促進するために、第二言語教育よりもむしろリーディングのほうに行ったのではないかと想像します。
 で、今回のKrashenの様子と話です。サンディエゴ以来4年ぶりのKrashenは「けっこうおじいちゃんになったかなあ」という印象があります。話し方も4年前と比べてもとても穏やかでした。でも、自信・確信は変わりませんでした。内容は、extensive self-selected readingでした。ぼくにとって鮮烈に印象的だったのはかれが講演のマクラで話したことです。Krashenは、第二言語教育で一般に普及している方法をスキル学習と言いました。つまり、文型・文法事項や語彙などの言語事項を学習してそれを組み合わせて言語を産出する操作(あるいは発話やディスコースをそうした知識を使って分解して理解する操作)という技能を養成するということです。認知心理学で言われているスキル学習理論(Anderson)です。Krashenによるとそうした第二言語の教育法・学習法が一般の人だけでなく第二言語教師の間でも公理(Krashenはaxiomと言った)になっている。そして、かれの子どもの学校でも、カリフォルニア州や全米を見ても、こうした教育法・学習法が今でも「公理」として普及していると言います。「入力仮説が正しいのが科学的事実であると40年前からこんなにあちこちで紹介しそれに基づく教育・学習を推奨しているのに、現状40年前も今も何も変わっていない!」という悲観的な言い方は自信家のかれの口からは出てきませんでしたが、そういうメッセージは十分に発せられていました。かれのこの部分の話を聞いて、ぼくは、かれと自分自身を重ね合わせて、何だかものすごく共感というか同志意識というか、そういうものを感じました。「Krashenがこんな勢いでこんなに広範に過去40年間入力仮説等を『宣伝』したのに、現状はちっとも変わっていないのか! Krashenさんもさぞ落胆しているだろう。そして、ぼくも同じように落胆している!」と。
 さて、ぼく自身の話です。ぼくはKrashenよりも一歩進めて、(自己)表現活動中心の日本語教育という具体的な教育企画と資材(教材)を提案しています。(自己)表現活動中心の日本語教育では、各ユニットで特定のテーマについて言語活動ができるようになるという「日本語上達のエスカレータ」の日本語教育企画を提案しています。そして、その企画に沿った日本語の学習と教育の実践を支える資材として2012年にNEJ(2012年)を公刊し、昨年の2018年にはNIJを公刊しました。同企画では、「日本語上達のエスカレータ」に沿う形で文型・文法事項が系統的に習得でき語彙も体系的に習得できるように仕組んでいます。表現活動中心の日本語教育の企画は、(1)バフチンのことばのジャンルの考え方と(2)Krashenの入力仮説と(3)インストラクショナル・デザインの三者の融合でできたものです。そして、同教育の背景にある理論(バフチンの対話原理が中心ですが)や習得の原理や具体的な実践方法なども西口(2015)の本で解説しています。
 Krashenの主張は「科学的事実」なのだと思います。しかし、Krashenは、言語事項の習得に関心を置く教師たちに一定の配慮をしたインストラクショナル・デザインをしていません。インストラクショナル・デザインをしていないということは、端的に言うと、正式な教育課程の中の1つの教科にすることができないということです。ぼくのほうは、従来の文型・文法事項や語彙の代わりに(バフチンのことばのジャンルから敷衍した)言葉遣いという観点を提示し、テーマ中心のカリキュラムで言葉遣いを配慮して資材を用意しています。そして、その資材を主要なリソースとして活用して学習と教授を進めることで、文型・文法事項や語彙などを含めた言葉の習得の側面にも対応できるようにインストラクショナル・デザインと教材制作と学習と教授のデザインをしています。つまり、ぼくのほうは、採用可能なコースの提案をしているということです。にもかかわらず…。NEJが出てすでに7年経っています。そして、昨日、教師セミナーで、「文型・文法事項ではなく、実用的なコミュニケーションでもなく、表現活動という言語活動領域に注目しましょう。そして、NEJとNIJは表現活動の部分に注目して、テーマ中心で編まれている教材です」という話をしました。しかし、…。まず、NEJ(NIJ)を知っている人はそこそこいらっしゃったようです。しかし、詳しく見た人や、指導参考書を手にして読んだ人となるとうんと少なくなると思います。今年の5月から6月にかけて大阪、東京、福岡で教師セミナーをしたときは「NEJを使っている。学校で採用している」という人が何人かいらっしゃいましたが、今回はいらっしゃらなかったような。というわけで、ぼくとしては「こんなに丁寧に準備万端整えているのに、あまり知られていないなあ、広まっていないなあ」という感を持ちました。そして、改めて、前日のKrashenと自分自身を重ねてしまいました。
 1年ほど前になりますが、早稲田(元筑波)の今井さんが「教えない教え方」ということで割合注目され「物議をかもし」ました。表現活動中心の日本語教育は、いわば「(言語事項を)教えないが、(言語事項等の習得も含めて)日本語上達という結果を出す」教育方法の提案です。昨日のセミナーでもそのような話をしましたが、うまく伝えられたかなあ…。
 結論です。Krashenは、スキル学習という学習法・教育法が、言語教師たちの公理になっていると言いました。その通りだと思います。(従来から思っていました。「公理」とは言いませんでしたが) つまり、文型・文法事項など即物的な教えるモノがあって、それを教えるてこそ、教師としての仕事をしたことになるという考え方です。しかし、言語事項などを取り立てて教えなくても、日本語が上達して、その日本語を見てみたらちゃんと文型・文法事項や語彙などを適切に使っているという結果を出すことができたらそれで教師として「Good job!」をしたことになるんじゃない! 「教える」という行為をして結果が出ないのと、「教える」という行為をしないけど結果が出るのと、どちらが本当に学習者のためで、教師の職責を果たしている? 皆さん、よく考えてね!
 Krashenは当初から"Speaking is a result of acquisition and not its cause."と言っていました。金曜日の講演でも最後に言うチャンスがあったのに、直截にはこの言葉は言いませんでした。今は、"Language capacity and intelligence is the result of development through extensive self-directed reading."と言うのでしょうか? このあたりは、日本語教育では、子ども向けであれ、成人向けであれ、楽しくハマって読める、それでいて知的な興味に応え、知的な発達をも引き起こす教材が必要だというsuggestionがあるように思います。

2019年12月2日月曜日

現象学から人間科学へ⑧ ─ 「世界内存在」の端緒

このエッセイは、NJ研究会フォーラム・マンスリーの2019年12月号(https://www.mag2.com/m/0001672602.html)に羅針盤として掲載されたものです。 

現象学から人間科学へ⑧ ─ 「世界内存在」の端緒

 これまでの7回で、現象学とは何かを概観しました。今回から、3回ほどは、現象学の中の世界内存在という視点について話し、そのあとの人間科学への話につなげたいと思います。
 今回は、現象学そのものとともに、世界内存在という物の見方がどのような経緯で浮上してきたかを見ていきたいと思います。
 
1.近代哲学から現代哲学へ
 世界内存在という視点が浮上してきた経緯を見るためには、近代哲学から現代哲学への移行の経緯とその内容を見なければなりません。木田の引用から始めます。

 かれ(デカルト、筆者注)の「思う我れ」は、世界のうちに何が存在し何が存在しないかを決定するものであり、そのかぎりそれ自身(デカルトの「我れ」、筆者注)は<世界のうちに存在する>とは言えない、つまり<超越論的>transzendentalな主観なのであり、他方、世界とはこの理性的主観によって認識されるかぎりで存在する、したがって合理的な構造をそなえた、存在者の全体なのである。…ニュートン物理学を基盤にして発展した近代科学は、たしかに方法の上では17世紀の形而上学(デカルトのこと、筆者注)とかなり違った立場になっていたが、やはりこの近代科学にとっても<世界、つまり存在するものの全体は、絶対的な空間・時間のなかで、それ自体において明確に規定された構造をもって存在する>ということは自明の前提であった。こうした前提に立てば、科学的認識とは、この客観的世界のそれ自体における規定性、つまり自然法則を、漸進的にではあれ明確に記述してゆくことにほかならず、しかもその可能性は当然保障されている、と考えられることになる。近代の科学や技術の発達は、こうした絶対に真なる世界、つまり自然の理性的秩序への素朴な信頼に支えられていたわけであり、その意味で近代理性主義(デカルト以降の近代の思想、筆者注)の嫡子と見ることができるわけである。(木田『現代の哲学』、pp.17-18)

 以下も木田からですが、19世紀の後半から20世紀の初頭にかけて、ヨーロッパ文化はその諸領域において深刻な危機ないし変革を経験しました。それがやがて近代的な世界観の転回を引き起こすことになるのですが、それがもっとも明確な形で現れたのが、自然科学の領域、それも最も基礎的な部門である数学と物理学の領域でした。それは、一般に「数学の危機」とか「物理学の危機」と呼ばれています。その概要は、木田の『現代の哲学』のpp.24-29を参照してください。そして、こうした「数学の危機」と「物理学の危機」の結果、「世界」というものについての見方が大きく変わりました。

 実験によって自然の存在として測定される内容は実験装置と相関的であり、さらに実験装置は観察者としての人間の身体の構造や大きさと無関係ではありえぬ以上、自然の存在は人間の存在を参照せずには語られえないわけである。かくて、物理学的に測定された結果を、自然それ自体の規定として絶対化しえないだけでなはなく、そうした即自的自然の存在そのものが疑わしくなるのである。このような数学や物理学における変革が、科学的認識の真理性、つまりは理性の権威や、それを支え、それによって精密化されてきた<客観的世界> ─ の想定にどれほど厳しい打撃を与えたかは、想像に難くないところであろう。(木田『現代の哲学』、p.29)

 木田よると、20世紀の初頭にはすでに、科学の理論体系もその概念もすべて主観的な性質のものであり、それらは「真でもなければ偽でもなく」、経験を整理するのに便利な道具に過ぎないという科学の相対主義的・実用主義的な見方が提唱されました。例えば、ポアンカレ、デュエム、ル・ロアなどです。

 客観的な即自的世界を否認する同じような変革は、科学の他の領域においても並行して進み、たとえば生物学においてはユクスキュル(1864-1944)の環世界論Umweltenlehreが、すべての有機体にはそれぞれ特有の空間性や時間性、内容的性質をそなえた環境構造があって、それ自体において規定されている客観的世界を論じることの無意味であることを教え、また心理学の領域においてもゲシタルト学説が、それまでの要素主義的心理学の恒常仮説 ─ 物理的刺激と感覚との一対一の対応関係の想定 ─ を批判して、われわれの経験に与えられているものが、いわゆる客観的世界ではないことを明らかにした。こうして絶対的な真理の領域としての理性や、その具象化としてのニュートン物理学的世界像への信頼が根底からゆるがされるような事態が、まず科学(哲学に対する科学、筆者注)そのものの内部で現れてきたのである。(木田『現代の哲学』、p.30)

 やはり木田によることになりますが、19世紀中には、一方で、科学の進歩によっていつかは客観的世界の完全な認識が達成されるだろうという19世紀の楽観的な科学的道理主義が生まれ、他方では、人間理性がいっさいの制約から解き放たれて、もはや認識主観であるにとどまらず、その実践的性格を強め、歴史や社会を合理的に形成していくヘーゲル流の絶対精神にまで高まっていきました(ヘーゲルの『精神現象学』は1807年)。しかし、このように近代の理性主義が完成されようとしたそのときに、一方で、上で論じたように、科学そのものの内部でその基本的前提となっていた客観的世界の想定が打ち破られることになりました。そして、他方では、マルクス(初期マルクス)やキルケゴールなどによって、絶対的理性主義が否定される考え方が提示されました。マルクスもキルケゴールもともに、ヘーゲル流の抽象的な理性主義に対して具体的な人間存在を回復しようとする試みでした。

2.生活世界と世界内存在
 世界内存在に接近するために、マルクスが提示した新しい人間把握の方向を見てみましょう。1845年頃のいわば覚え書です。

 従来のあらゆる唯物論 ─ フォイエルバッハのそれも含めて ─ の主要な欠陥は、対象が、つまり現実、感性が、ただ客体ないし直感の形式のみで捉えられ、人間的・感性的な活動、実践として、主体的に捉えられないことである。それゆえ、活動的側面は唯物論とは反対に観念論によって展開される ─ とはいえ、観念論はもちろん現実的・感性的な活動そのものを知らないので、ただ抽象的に展開されたにすぎないが ─ ということになった。
(「フォイエルバッハに関するテーゼ」廣松訳、2002年、p.231)

 その1年後の『経済学・哲学草稿』のヘーゲル哲学批判の部分で議論の中間総括として、マルクスは「ここに見てとれるのは、考えぬかれた自然主義ないし人間主義が、観念論とも唯物論とも異なるものであること、同時に、その両者を統一する真理だということだ。とともに、世界史の行為を把握できるのは自然主義だけだ、ということも見てとれる。(マルクス『経済学・哲学草稿』、長谷川訳、p.185)

 詳細な議論は割愛しますが、マルクスは従来の主観か客観か、精神か物質かという二者択一を越えたところで人間を捉えようとしていることがわかります。
 1で論じたように、近代から現代への移行の中で、この世界が即自的な(それ自体で完結した)事物の総体、つまりわたしたちの前に繰り広げられた対象的な物理的世界でないことが明らかになってきました。それに代わって出てきたのが、世界内存在(In-der-Welt-sein)という人間(と世界)の在り方についての見方です。
 わたしたちが生きる世界、つまり生活世界は、「ただ客体ないし直感の形式でのみ」捉えられる世界ではなく、「人間的・感性的な活動、実践」の場面として「主体的に」捉えられている世界です。そして、主体とは、これもマルクスの言うように、「現実的・感性的活動」に従事する主体であって、その身体によって世界の内に深く挿し込まれ、投げ込まれた存在となります。ここにわたしたちは、世界と人間の特有の絡み合いを見ることができます。このような物でもないし、純粋意識でもない人間の在り方を現象学では、そして具体的にはハイデガーは、世界内存在と呼んでいます。ちなみに、現象学そのものも、同じような時代背景と問題意識を端緒として提唱されたものです。