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2020年4月1日水曜日

現象学から人間科学へ⑫ — 地平と自己

 「現象学から人間科学へ」と題した連続エッセイも今回で最後となります。最後の「結び」で、現象学的に人間科学を遂行する際の留意事項が論じられることになります。

地平的図式あるいは地平
 世界内存在の存在様態等について『存在と時間』の第1部第1編で論じたハイデガーは、第2編の第4章で、同書の要所となる現存在の実存と時間性との関わりを投企とも関連させながら論じています。このあたりは前節で焦点化して論じた第1部第1編の第5章を再論しているような様子です。
 同部分でハイデガーは、時間性と現存在の実存について以下のように総括しています。

 現存在は、おのれ自身の存在可能を主旨として実存している。現存在は実存しつつ投げられており、投げられているゆえにもろもろの存在者へ引き渡されている。すなわち、現存在は現存在として ─ おのれ自身を主旨として ─ 存在することができるためには、かような存在者を必要とするのである。(ハイデガー、『存在と時間』下、p.287

 趣旨は3-1の最初の引用と同様で、現存在は世界内存在として「そこ」に存在するという様態で「そこ」に投げ入れられ引き渡されていると言っています。しかし、3-1の引用との違いは、「もろもろの存在者」や「かような存在者(を必要とする)」ということに言及している点です。では、この「もろもろの存在者」とは何なのでしょう。続きを見てみましょう。

 現存在は事実的に実存しているかぎり、おのれ自身が《主旨とするもの》と、そのつどの《……するためにあるもの》とのこのような連結においておのれを了解しているのである。実存する現存在のこのような自己了解がおこなわれる場面は、現存在の事実的実存とともに《現に》存在している。第一義的な自己了解がそこでおこなわれる場面は、現存在とおなじ存在様相をもっている。現存在は実存しつつおのれの世界を存在しているのである。(ハイデガー、『存在と時間』下、p.287

 先の引用での「もろもろの存在者」とは、上記引用の中の「おのれ自身が《主旨とするもの》と、そのつどの《……するためにあるもの》とのこのような連結」らしい。そして、それは、現存在が自己了解を行う「場面」であり、それは「現存在の事実的実存とともに《現に》存在している」と言います。そのような事態をハイデガーは「現存在は実存しつつおのれの世界を存在している」と表現しています。現存在は実存しつつ、自らが存在する世界を在らしめそこに存在しているということです。そして、その次のパラグラフで以下のような論述に行きつきます。

 現の開示態のうちには、世界も、あわせて開示されている。してみれば、有意義性の統一態、すなわち世界の実存論的構成も、やはり時間性にもとづいているはずである。世界の実存的=時間的可能条件は、時間性が脱自的統一態として、ある地平のようなものを備えていることにある。このような脱自態の行く手を、われわれは地平的図式となづけておく。(ハイデガー、『存在と時間』下、p.287

 ここでは、第1文で、現存在が投げ入れられる「そこ」あるいは「それ」の開示においては世界も開示されていると言っています。そして、ハイデガーの論においては時間性が存在の起源としてあるわけですが、その時間性が脱自態的統一態として「ある地平のようなものを備えている」と論じています。そして、時間性に基づく脱自態的な産物を地平的図式と呼んでいるのです。

地平的図式と現存在
 地平的図式あるいは地平という視点はハイデガーの議論を理解するための梃子になるでしょう。すなわち、世界内存在として実存する現存在は、世界内存在として存在するために自らが実存するための地平を自ら開示します。そして同時に、その開示した地平の要の部分に自らも投げ入れられ引き渡されるということです。
 つまり、世界内存在として存在する現存在は、自ら地平という領野を開示して、そして自らもその地平に属するという形で実存するということです。
  
まとめ 
 本連続エッセイでの考察をまとめると以下のようになります。

1.   一般に自己(self)として扱われ論じられているものを原点に差し戻してハイデガーは現存在と呼ぶ。
2.   現存在は、世界内存在という形で存在する。つまり、世界内存在として存在する現存在は、自ら地平という領野を開示して、自らもその地平に属するという形で実存する。
3.   気持ちの中で現存在はいつもすでに気分的に開示されている。つまり、その都度に地平という領野を開示して、その地平に属するという形で実存している。
4.   世界内存在の了解可能性は、自らをディスコースとして語り明かす。あるいは、思考は現存在の存在への関わりを仕上げ、存在は思考の内にディスコースとなって現れる。現存在の実存は、思考の内にディスコースとして印される。そして、人間はそのようなディスコースという棲み処に住みついている。
5.   そうしたディスコースには、現存在の持続的な存在と当該の契機での存在の総体が示されている。つまり、そうしたディスコースは広く深く存在に立脚している。

 さらに、実践や労働の概念をも織り込んで本稿での議論と考察を敷衍すると以下のような点を指摘することができるでしょう。

6.    地平とは、生きることの各々の契機で現存在がその中に自らを見出す世界の景観である。したがって、地平には、広範な地平と局域的な地平、時間的な広がりをもつ歴史的な地平と空間的な広がりの地理的な地平、身体的活動の地平と知的活動の地平、公的な地平と私的な地平など多種多様な地平があり、その多様性は列挙し尽くせない。
7.    世界内存在という現存在の実存は社会文化史的な現象である。そして、現存在の実存の場として立ち現れる地平は文化特殊的なものとなる。
8.    文明の発展と地平の歴史的更新との関係は、それまでの生産・生活様式を基盤とした地平の上に、新たに築き上げられた生産・生活様式を基盤とした新しい地平を重ね上げるという関係になる。

結び 
 単にインタビューデータに基づいて研究するということではなく、現象学的に人間科学を遂行するということを考えると、以下のような諸点への留意が必要でしょう。

 1.そもそも地平は社会文化史的な産物、つまりは人工の産物であり、その地平において実存するわれわれも人工の産物である。
 2.現代の高度で複雑な技術文明社会に生きるわれわれは、行動を高次にシンボル的に統合し組織化した地平に生きる「現代的な世界内存在」として実存している。そして、われわれは、個人として実存しており、そのように実存していることと、自己が多地平的に実存していることを多かれ少なかれ自覚している。
 3.質的研究においてしばしばインタビュアーの要因ということが指摘されるが、それは取りも直さず、調査協力者がインタビュアーとのインタビューという実際の相互行為で「わたし」が内属するどのような地平を開示するかという問題である。
 4.インタビュアーの要因だけでなくその他のさまざまな要因も働いて、そこで語られるナラティブは開示される特定の地平によって、「腹を割らない」建前的な話、「腹を割った」打ち明け話、自己を「英雄」に仕立てるサクセスストーリー、自己を「悲劇のヒーロー」に仕立てる被害者ストーリー、楽観的な話、悲観的な話などになることがある。
 5.観察者/研究者はいずれが真実であるかはわからない。

 以上のようなことを考えると、観察者/研究者はむしろ、特定の地平に立った単純な特定のストーリーを追い求めるのではなく、調査協力者の複合的な心理の機微を描き出すことにこそ質的研究の意義があるのだと思います。もちろん、インタビュー時点において、調査協力者が自身についての特定の単純なストーリーに「傾倒している」場合は、それをその人のストーリーとして受け取るほかありませんが。
 地平こそが「わたし」のストーリーを規定します。そして、地平は多くの場合実際には複合的で、また変わりやすいものです。地平がそのようなものなので、そもそもの「わたし」(自己)の真実というものがあるのかどうかも本源的には疑わしくなります。そうしたことも十分に自覚した上で、人間についての質的な研究は行われなければなりません。

2020年3月2日月曜日

現象学から人間科学へ⑪ ─ 世界内存在と話

現象学から人間科学へ⑪ ─ 世界内存在と話
 
第9回からここまで、フッサール現象学の根本のモチーフ、メルロ=ポンティの構造の哲学、そしてハイデガーの世界内存在と、フッサールからハイデガーに至る経緯をたどってきました。今回は、ようやく、世界内存在と言葉(言語)の話になります。
心境Befindlichkeit
 ハイデガーは、現存在の実存論的構成の議論の中で、基本的な実存範疇の第一として心境(Befindlichkeit)を挙げています。実存範疇としての心境は気分や気持ちとも呼び替えられます。ハイデガーは、心境に基づいて世界の事実が開示されて同時にその事実の中に投げ入れられるものとして現存在の実存の様態を描いています。以下の引用の通りです。
  気持ちのなかで現存在はいつもすでに気分的に開示されている。それは、現存在がおのれの存在においてそれへと引き渡されているところの存在者として開示されている。そしてこのことは、とりもなおさず、現存在が実存しつつみずからそれであるべき存在へ引き渡されているということなのである。…この≪とにかくある≫という事実を、われわれはこの存在者の、その現のなかへの被投性(Geworfenheit)となづける。すなわち、現存在は、みずから世界==存在としておのれの現を存在するというありさまで、おのれの現のなかへ投げられているのである。…心境のなかで開示された「事実」(Dass)は、世界==存在というありさまで存在する存在者の実存論的性格として捉えられなければならない。…現存在という性格をそなえた存在者がおのれの現を存在するのは、それが  あからさまであるにせよ、ないにせよ  被投性の心境においておのれを見いだすというありさまにおいてである。心境において、現存在はいつもすでにおのれ自身の前へ連れだされている。(ハイデガー、『存在と時間』上、pp.293-295 
 つまり、自身をその発現源として世界を投企する現存在は、翻ってそうした世界内存在として「そこ」に存在するという様態で「そこ」に投げ入れられるということです
 では、こうした現存在と言語はどのように関わっているのでしょうか。ハイデガーは、心境了解Verstehen)を世界内存在の開示態を構成している基礎的な実存範疇と位置づけ、さらに了解の中には解意Auslegung)、つまりその意を解する可能性、ハイデガーの言葉では領得する可能性が含意されていると言っています。そして、言語を主題として採り上げる議論を以下のように始めています。
  われわれは言明によって、解意の究極的な派生態をあきらかにした。ここではじめて言語を主題として取りあげるのは、この現象がその根を現存在の開示態という実存論的構成のうちにもつものであることを示唆しようとするためである。言語の実存論的=存在論的基礎は話である。(ハイデガー、『存在と時間』上、p.345
  こうした文脈で話(ドイツ語でRede、日本語では話や話すこと)が登場します。ハイデガーは以下のように続けています。
  話(Rede)は、心境および了解と、実存論的には同根源的である。了解可能性は、それを領得する解意がおこなわれる以前にも、いつもすでに分節されている。話は了解可能性の分節である。したがって、それはすでに解意や言明の基礎になっているわけである。(ハイデガー、『存在と時間』上、p.345
 そして、話をめぐるそのような事情をさらに以下のように説明しています。
  話が  現の了解可能性の分節が  開示態の根源的実存範疇であって、この開示態が第一義的には世界==存在によって構成されるのだとすると、話もまた本質上、特有の世界的な存在様相をもっているはずである。すなわち、世界==存在の心境的な了解可能性は、おのれを話として語り明かす。了解可能性の意義全体は、発言して言葉(Wort)となる。(ハイデガー、『存在と時間』上、p.346
  こうした存在と話や言葉と思考の関係は第二次大戦後に刊行され、ハイデガーのもう一つの重要著作として注目された『「ヒューマニズム」について』の冒頭部で改めて定式化されることとなります。ここでは、出版されている翻訳ではなく、より意を汲んで訳出していると見られる木田の訳を紹介します。英語訳も参照しました。
 すべてに先だってまず<ある>のは、存在である。思考は、人間の本質へのこの存在の関わりを仕上げるのである。思考がこの関わりをつくりだしたり惹き起こしたりするわけではない。思考はこの関わりを、存在からゆだねられたものとして、存在に捧げるだけのことである。この捧げるということの意味は、思考のうちで存在が言葉となって現れるということにほかならない。言葉こそ存在の住居である。言葉というこの宿りに住みつくのが人間なのである。(『「ヒューマニズム」について』の冒頭部、邦訳ではpp.17-18、ただしここでは木田(1993)のp.202の訳を使用、太字強調は筆者で以下同様)
 こうしてハイデガーにおける存在と思考と言葉の関係が明らかになります。「言葉」の部分は、ドイツ語では“Sprache”、英訳では“language”となっているが、“Rede”をも合わせて、ディスコースという用語を用いるのがより適切だろうと思います。思考は現存在の存在への関わりを存在から委ねられたものとして仕上げます。そして、存在は思考の内でディスコースとなって現れます。つまり、現存在の実存はディスコースとして印されるのです。そして、人間はそのようなディスコースという棲み処に住みついている、ということです。ここに言うディスコースには、外に出された発話やディスコースとともに、外には出されていない内的な発話も含まれていることは容易に理解できるでしょう。
 世界内存在の受動性
 木田は、世界内存在のもう一方の特性として受動性を指摘しています。世界内存在の受動性を木田は2つの観点で捉えていますが、ここではその内の一つを採り上げます。
 木田によると、ハイデガーの論では、存在という意味での世界は、さしあたっては各自の世界として与えられるものとなります。しかし、そこに含蓄されている意味を遡っていくと、その世界は決して各自の世界に尽きるものではなく、常にその当事者が世界の内で共存している他人への指示を含んでいると言います。以下、木田の文を直接に引用します。
  たとえばすべての文化的対象は、その製作者を指示しているし、言語といったシンボルの体系は、それによって意志を伝達し合う他人を予想する。というよりも、道具連関にせよ社会構造にせよ言語体系にせよ、すべてある程度までは既成のシンボルの体系としてわれわれに与えられるわけであり、それを構成した他の主観への指示を含んでいる。したがって、世界は、われわれに<成りきたった共同的な世界>として与えられているわけであり、われわれはそこに入りこんで、その共同的な経験を摂取し、それについて自分なりの新しい経験を重ねていくほかない。まずはこういった意味で、世界はつねにすでにそこにあるものとして受動的に与えられる。(木田, 1991, pp.86-87
  ここで言われている「〜を指示している」や「〜への指示を含んでいる」というのは、「〜の存在を含意している」という意味です。そして、上の一節で言われていることは、世界内存在という現存在の実存というのは、取りも直さず社会文化史的な現象だということです。
 次回の第12回がいよいよ最後となります。フッサール現象学の系譜に位置づけられるハイデガー哲学の帰結と、同哲学からの 人間科学への示唆について論じる予定です。

2020年2月1日土曜日

現象学から人間科学へ⑩ ─ 人間的秩序と世界内存在

 前回のところまでで、カッシーラーの「シンボルを操る動物」というところまで来ました。今回は、2つの議論をします。一つは、人間的秩序である行動のシンボル形態について。もう一つは、いよいよハイデガーに突入で、かれの実存哲学の中核的視点である世界内存在(In-der-Welt-sein)について説明します。

人間的秩序 ─ 行動のシンボル的形態
 人間的な意味の世界をめぐって、カッシーラーはシグナルとシンボルについて以下のように論じています。 
 シグナルとシンボルは理論上、2つの異なった世界に属するのである。すなわちシグナルは物質的な「存在」の世界の一部であり、シンボルは人間的な「意味」の世界の一部である。シグナルは、オペレーター(操作者)であり、シンボルはデジグネーター(指示者)である。シグナルは、たとえシグナルとして了解され、用いられたとしても、一種の物理的または実体的存在である。シンボルはただ機能的価値のみもっているのである。…要するに、動物は実際的想像及び知性をもっているのに対し、人間のみが新しい形式のもの ─ シンボル的想像およびシンボル的知性 ─ を発展させたということができる。(カッシーラー、『人間』、pp.76-78) 
 メルロ=ポンティは、心理学研究の古典とされるケーラーの『類人猿の知恵試験』で紹介されている実験例を手がかりとしてチンパンジーの行動の構造を探究しています。これも木田(1991)が要領よく説明してくれているので、『行動の構造』の当該部分も参照しつつ、木田に依拠して要約します。ケーラーのチンパンジーは、竹竿をつなぎ合わせて遠くにあるエサを引き寄せたり、箱を積み重ねて高いところにあるエサを取ったりすることができました。しかし、実際には、チンパンジーが棒を道具として使用するのはあらかじめ棒がエサの手前の適当なところに置かれているか、少なくとも棒とエサとが一目で見渡せる場合に限られていました。また、箱を踏み台にしてエサを取る操作を習得したはずのチンパンジーも、その箱に他のチンパンジーが座っているとそれを踏み台にして利用しようとはしませんでした。つまり、チンパンジーにとって、エサの手前にある棒と離れたところにある棒や、踏み台としての箱と腰掛けとしての箱は、それぞれ違った意味をもった2種類の対象なのであって、同一の事物の二面、つまり同一の対象の異なる現れ方ではないのです。すなわち、チンパンジーは一定の意味を捉えているとは言えますが、その意味は、その時々の場の実際的な構成によって与えられる機能値にすぎないということです。対象を単なる機能値から解放して常に道具として使うことができるためには、現に与えられている状況の構造とそこから浮かび上がる可能的な状況の構造を関係づけるような高次の構造化の能力が必要なのです。
 人間はそうした高次の構造化ができます。そして、人間にあってはそうした高次の構造化ができるだけでなく、それを歴史的に幾重にも積み重ね上げて重層的にシンボル的知性の世界を構築することができるのです。メルロ=ポンティはそのような人間の行動形態を行動のシンボル形態と呼んでいます。
 メルロ=ポンティは、物理的・生物的自然を変容し、そこに新たな構造を実現するこの人間活動を、ヘーゲルにならって「労働」と呼んでいます。労働という見方は、直接的環境の「向こう側」に多くの局面から見ることができる「対象の世界」を認める見方で、マルクスの実践に直截に通じる視点です。
 メルロ=ポンティの構造の哲学から始まった人間の行動形態についての議論を木田は以下のように結んでいます。哲学・思想でしばしば用いられ、以下の引用中にもある「存在者」というのは、「存在していると認められるものやこと」です。 
 シンボル的行動によって、人間は直接的自然的環境を越え、いわば、<世界>に開かれることになる。人間存在が<世界内存在>という基本構造をもつといわれるのも、実はこの意味にほかならない。したがって、ここで言われる<世界>とは、決して存在者の全体を指すのではない。それは、物理的・生物的自然の構造を超出して、そこに創出された人間的な<構造>であり、しかも、この構造が人間によってつくり出されたシンボルの体系である以上、それはむしろ人間そのものの存在構造だと言ってもよいであろう。(木田, 1991, pp.68-69) 
 このような人間の存在についての世界内存在という見方は、本節の冒頭で紹介したカッシーラーのシンボルについての見解と照応しています。

ハイデガーの『存在と時間』
 ハイデガーの実存論に入る前に、ハイデガーの実存哲学の位置について述べておきたいと思います。周知のように、ハイデガーの『存在と時間』は当初は上巻と下巻の2巻の予定でした。1927年に刊行された『存在と時間』の上巻は、発表されるやいなや圧倒的な評価を受け、ハイデガーはそれ一冊で哲学界における地位を確立しました。そして、瞬く間にドイツ思想界の形勢を変えたと言われています(木田, 1970, p.87)。一方で、下巻の刊行は長い間引き延ばされたあげく、結局1953年に断念されました(同前、p.89)。
 木田よると、ハイデガーは『存在と時間』の2巻でソクラテス以前の古代ギリシア哲学者にまで遡って存在そのものの意味を探究することを目論んでいましたが、結局その入口として発表された人間存在の実存の分析を扱った上巻だけが一人歩きしました。その結果、上巻だけの『存在と時間』はハイデガーのもともとの目論見に反して、実存哲学の書として広く一般に受け入れられることとなったのです。本稿でも、ハイデガーの本来の関心や目論見は顧慮することなく、現存の『存在と時間』で展開されている世界内存在の議論に注目することとします。ちなみに、本稿内で、『存在と時間』の「上」や「下」として出されているのは、この上巻の邦訳の「上」と「下」です。

世界内存在(In-der-Welt-sein)
 先にも言ったように、存在者とは「存在していると認められるものやこと」であり、ごくわかりやすく言うとわたしたちが認めている世界や現実です。存在者とは何か、そもそも存在するとはどういうことかに根本的な関心を置くハイデガーは、人間存在を手がかりとして存在の分析を始めます。人間だけが自己以外の存在者と関わっているだけでなく、自身の存在を存在しなくてはならないという形で自己自身の存在と関わりあいながら、同時に存在とは何かと問うこともできる特殊な存在だからです。そのような人間存在をハイデガーは一旦“Dasein”と呼びます。ドイツ語の“Dasein”はもともとは“da”(そこに)“sein”(ある)という意味で、ハイデガーは「存在が立ち現れる現場」というような意味で“Dasein”を使っています。通常は現存在と訳されています。現存在という見方には、いっさいの存在者の存在を意識の志向性に立ち返って問おうとしたフッサールの発想が受け継がれていると見ていいのですが、ハイデガーは意識という概念を注意深く避けていることになります。
 ハイデガーは、まずわたしたちが何気なくそこで生きている日常性(Alltäglichkeit)の分析から存在の探究を始めます。日常性とは、フッサールの言う自然的態度(die natürliche Einstellung)に基づく生き方です。そして、自然的態度に基づくフッサールの言う世界定立(Weltthesis)ということを世界内存在(In-der-Welt-sein)として捉え直したのです。
 フッサールにおける自然的態度でもわたしたちは世界を定立しつつ逃れがたくその事実的世界に繋がれているという事態が含まれていますが、ハイデガーにおいてもそれは投企(Entwurf)と被投性(Geworfenheit)が分かちがたく結びついているという事態として捉えられています。わたしたちは世界の内に否応なく投げ出されているのですが、そうした世界内存在をどのように生きて自己をどのように存在させるかを委ねられ、そして自身の責任において存在の投げ企てを絶えることなく続けなければならないのです。
ひと(das Man)と本来的実存
 本エッセイの関心は世界内存在とことばの関係ですが、ここでひと(das Man)と本来的実存についてのハイデガーの議論を見ておかなければなりません。この部分では、ハイデガーの議論は幾分道徳的な議論に傾きます。 
 現存在は日常的相互存在としては、ほかの人びとの司令下にあるということを意味する。現存在がみずから存在しているのではなく、ほかの人びとが彼から存在を取りあげてしまったのである。ほかの人びとの思惑が、現存在のさまざまな日常的存在様式を操っている。(ハイデガー、『存在と時間』上、p.276) 
 これがハイデガーの言う、非本来的な生き方であるひとです。木田によると、そこでハイデガーは存在の真の意味を捉えるためには存在の開示の場である現存在そのものが本来性(Eigentlichkeit)を取り戻さなければならないと考えて、フッサールの現象学的還元の操作を援用します。そして、そこに「死」ということを導入します。つまり、日常性に生きているひとは、死の不安に襲われることによって、自然的態度によって装われた自己充足性を打ち破られ、かけがえのない自己に目覚め、自身の存在を自身の存在として引き受けるようになります。その結果、主体的に投企しようという本来的実存を回復するというわけです(木田, 1991, pp.80-81)。こうしたハイデガーの道徳的とも言える議論を木田は以下のようにまとめています。 
 もともと実存Eksistenzとは外に抜け出、超え出ることであった。つまり、本来的実存、真の人間存在の在り方とは、日常的に物との交渉に明け暮れしている<ひと>として自己を超え出る、その自己超越の運動なのだと考えてよいだろう。…われわれはこの自己超越の運動のなかで、むしろ世界へと超出し、われわれの事実的な被投性、われわれの有限性をますます深く自覚し、それを意識的に引き受けることになるのである。(木田, 1991, p.81
 現存在の実存の在り方にこうした視点を採り入れることによって、ハイデガーは現存在の実存を時間性(Zeitlichkeit)として捉えていく『存在と時間』の第2編の議論を展開していくのです。
 次回は、こうした世界内存在と言語の話になります。

2020年1月5日日曜日

現象学から人間科学へ⑨ ─ 世界内存在とメルロ=ポンティの構造の哲学

NJ研究会フォーラム・マンスリー(https://www.mag2.com/m/0001672602.html)に羅針盤として以下のような記事を書きました。

 冒頭で前回の内容を少し再論したり敷衍したりしながら、いよいよ世界内存在の話を始めます。今回の中心はメルロ=ポンティの構造の哲学です。

根源的な生活世界に立ち返る
 現象学を提唱し展開したのは言うまでもなくフッサールです。後期の著書からの引用となりますが、現象学の根本の問題意識をフッサールは以下のように表明しています。

「数学的と数学的自然科学」という理念の衣 ─ あるいはその代わりに、記号の衣、記号的、数学的理論の衣と言ってもよいが ─ は、科学者と教養人にとっては、「客観的に現実的で真の」自然として、生活世界の代理をし、それを蔽い隠すようなすべてのものを包含することになる。この理念の衣は、一つの方法にすぎないものを真の存在だとわれわれに思い込ませる。(フッサール、『危機』、p.94

  17世紀のデカルトによって主体(subject)が見出されカントによって主体が規定することができる認識のカテゴリーの提案がなされました。そうした流れで、自立的な主体とその主体の外にある客体あるいは客観的世界という近代の二元論が成立しました。こうして神の桎梏から解放された人間主体は客体となった世界を解明することに邁進することになります。
 産業革命とも連携しながら急速に発展した近代科学は当初は自然を対象にして物理学や化学を発展させましたが、19世紀になると社会や心理などの人間的な現象も自然科学と同様のスタンスで研究されるようになりました。それが後に実証主義として批判されることになるヴントの心理学やデュルケームの社会学です。しかしながら、こうした「科学的」な物の見方は19世紀後半の一般的な知的傾向で、そうした世界への視線とそれに基づく科学的認識は科学者にとどまらず教養人一般にも広まり、客観的な世界というものがあらかじめそこにあるかのように見られるようになりました。フッサールが「理念の衣」と呼んで問題にしているのは、そのような認識のことです。そして、現象学は、そのような「理念の衣」を取り払ってわれわれの経験に立ち返って、本源の生きられてた世界からわれわれの存在や認識を見直そうという運動なのです。
 そうしたフッサールの現象学を正統的に引き継ぐメルロ=ポンティは「知覚とは端緒における科学とは言わないで、逆に、古典的科学は、己れの起源を忘れてみずからを完結したものと思い込んでいる知覚のことだ」(メルロ=ポンティ, 1967, p.110)と言って、この理念の衣を拭い去ってその手前にある生きられた世界に立ち返ってその哲学的探究を始めています。以下の一節の最後の文では、次項で論じるかれの哲学的探究の中心的なモチーフが示されています。 

 したがって、最初の哲学的行為とは、客観的世界の手前にある生きられた世界にまでたち戻ることだ、ということになるだろう。それというのも、この生きられた世界においてこそ、われわれは客観的世界の権利もその諸限界も、了解することができるであろうからだ。また、最初の哲学的行為は、事物にはその具体的表情を、有機体には世界に対処するその固有の仕方を、主観性にはその歴史的内属を返すことだ、ということになるだろう。(メルロ=ポンティ、『知覚の現象学1』、p.110

 一方で、マルクスは、ヘーゲルの労働というモチーフを人間的で感性的な活動である実践(Übe)として捉え直して、具体的な人間に立ち返って唯物論と観念論のいずれをも超克した人間論と存在論を試みています。以下の引用は、そうしたマルクスの企ての方向性を示すものです。 

 従来のあらゆる唯物論 ─ フォイエルバッハのそれも含めて ─ の主要な欠陥は、対象が、つまり現実、感性が、ただ客体ないし直感の形式のみで捉えられ、人間的・感性的な活動、実践として、主体的に捉えられないことである。それゆえ、活動的側面は唯物論とは反対に観念論によって展開される ─ とはいえ、観念論はもちろん現実的・感性的な活動そのものを知らないので、ただ抽象的に展開されたにすぎないが ─ ということになった。(マルクス、「フォイエルバッハ」、p.231、傍点強調は原著、以下同様) 

 近代から現代への移行の中で、この世界が即自的な(それ自体で完結した)事物の総体、つまりわたしたちの前に繰り広げられた対象的な物理的世界でないことが明らかになってきました。世界は、わたしたちによって知覚され、働きかけられ、生きられている場面であり、物理的過程には還元することができないその都度張り巡らされ更新される世界です。わたしたちが生きる世界つまり生活世界Lebenswelt)は、マルクスの言うように、「ただ客体ないし直感の形式でのみ」捉えられる世界ではなく、「人間的・感性的な活動、実践」の場面として「主体的に」捉えられている世界です。そして、主体とは、これもマルクスの言うように、「現実的・感性的活動」に従事する主体であって、その身体によって世界の内に深く挿し込まれ、投げ込まれた存在となります。ここにわたしたちは、世界と人間の特有の絡み合いを見ることができます。このような物でもなく、純粋な意識でもない人間の在り方をハイデガーは世界内存在In-der-Welt-sein)と呼んでいます。

 メルロ=ポンティの構造の哲学
 木田も同様に引き合いに出しているところですが、世界内存在という人間特有の在り方を理解するための入口として、メルロ=ポンティの構造の哲学のアイデアを知るのが有効でしょう。
 『行動の構造』の第3章で、メルロ=ポンティは、物質、生命、精神のそれぞれをそれぞれにおける独自の秩序として捉えています。そして、それを、物理的秩序、生命的秩序、人間的秩序と呼んでいます。物質、生命、精神を異なる3つの実体として捉えるのではなく、それらを構造の統合度の異なる3つの段階として捉えているのです。つまり、それぞれが先行の秩序を捉え直し、それをより高次の全体に組み込むことによって一層統合度の高い新しい秩序を実現していく3つの階梯をなしていると見ます。ここで詳しく論じることはできませんが、メルロ=ポンティは、存在論と認識論の両者にまたがる議論として構造の哲学を展開しています。
 木田(1991)の解説に依拠しつつ『行動と構造』も参照しながらこの3つの秩序を説明すると以下のようになります。まず、物質的秩序について言うと、物理的構造は、ある与えられた外的諸条件との関係において得られた一つの平衡状態と考えることができます。外部から課された作用は、それによる緊張状態を減少して系を静止させるというふうに働きます。つまり、物理的構造とは、現存する現実的諸条件に関して得られた平衡状態だということになります。これに対して、生命的秩序、つまり有機的構造である生命においては、その平衡状態が単に現存の諸条件との関係においてだけでなく、その有機体それ自身によって現実化される可能的諸条件との関係においても実現されることになります。つまり、有機的構造の場合には、構造が外力の強制に屈してただ自らをたわめるというのではなく、自己本来の境界を越えて外に働きかけ、自分の固有の環境を自分で作り上げるのです。したがって、生物の行動は、与えられた外的条件の関数ではありません。むしろ、生物が反応する環境のほうがその生物の活動のある内的規範、例えば知覚の閾や基本的活動の形態などによって区画されていくのです。例えば、ミミズの運動は決して物理的な平衡状態を達成する運動ではなく、一つの有機的な生命体として環境に差し向けられた動作として見なければ正当に理解することはできません。つまり、有機的構造の運動や行動は、食べるものを摂取する、目標に向かって移動する、生命の危険を回避するなどの意味をもった運動や行動なのです。したがって、有機体と環境との関係は、物理的系とその場との関係とは比較できないような、ある生命的な意味を媒介とする弁証法的関係と見なければなりません。

 次は、下等な動物から人間のような高等な動物への秩序の再編成の話です。下等な動物にあっては、自然的状況の内に見出される特定の刺激の複合体にのみ結びつく、本能的と呼ばれる行動の形態が支配的です。ところが、高等な動物になると、環境の変化によって課せられる新しい問題にも対処しうるように行動の構造を組み替えることができるようになります。つまり、学習が可能になります。このレベルにあっては、環境の変化とともに、本来無関係ないくつかの刺激が隣接して与えられると、先行の刺激が条件刺激となり、続いて現れる無条件刺激の信号(シグナル)の役を果たします。ただし、そこで信号となるのは、条件刺激そのものではなく、条件刺激を一つの契機としてもち、それに意味を与えている場の全体の構造です。パブロフの犬で言うと、反応が唾液を出すことで、無条件刺激がエサで、条件刺激がエサを与える前に鳴らされるメトロノームの音となります。チンパンジーの行動は、このレベルでの統合(秩序)の最も進んだ段階に位置します。そして、そうした秩序を超えて行動を統合しているのが「シンボルを操る動物」である人間なのです(カッシーラー、『人間』、p.66)。

2019年12月2日月曜日

現象学から人間科学へ⑧ ─ 「世界内存在」の端緒

このエッセイは、NJ研究会フォーラム・マンスリーの2019年12月号(https://www.mag2.com/m/0001672602.html)に羅針盤として掲載されたものです。 

現象学から人間科学へ⑧ ─ 「世界内存在」の端緒

 これまでの7回で、現象学とは何かを概観しました。今回から、3回ほどは、現象学の中の世界内存在という視点について話し、そのあとの人間科学への話につなげたいと思います。
 今回は、現象学そのものとともに、世界内存在という物の見方がどのような経緯で浮上してきたかを見ていきたいと思います。
 
1.近代哲学から現代哲学へ
 世界内存在という視点が浮上してきた経緯を見るためには、近代哲学から現代哲学への移行の経緯とその内容を見なければなりません。木田の引用から始めます。

 かれ(デカルト、筆者注)の「思う我れ」は、世界のうちに何が存在し何が存在しないかを決定するものであり、そのかぎりそれ自身(デカルトの「我れ」、筆者注)は<世界のうちに存在する>とは言えない、つまり<超越論的>transzendentalな主観なのであり、他方、世界とはこの理性的主観によって認識されるかぎりで存在する、したがって合理的な構造をそなえた、存在者の全体なのである。…ニュートン物理学を基盤にして発展した近代科学は、たしかに方法の上では17世紀の形而上学(デカルトのこと、筆者注)とかなり違った立場になっていたが、やはりこの近代科学にとっても<世界、つまり存在するものの全体は、絶対的な空間・時間のなかで、それ自体において明確に規定された構造をもって存在する>ということは自明の前提であった。こうした前提に立てば、科学的認識とは、この客観的世界のそれ自体における規定性、つまり自然法則を、漸進的にではあれ明確に記述してゆくことにほかならず、しかもその可能性は当然保障されている、と考えられることになる。近代の科学や技術の発達は、こうした絶対に真なる世界、つまり自然の理性的秩序への素朴な信頼に支えられていたわけであり、その意味で近代理性主義(デカルト以降の近代の思想、筆者注)の嫡子と見ることができるわけである。(木田『現代の哲学』、pp.17-18)

 以下も木田からですが、19世紀の後半から20世紀の初頭にかけて、ヨーロッパ文化はその諸領域において深刻な危機ないし変革を経験しました。それがやがて近代的な世界観の転回を引き起こすことになるのですが、それがもっとも明確な形で現れたのが、自然科学の領域、それも最も基礎的な部門である数学と物理学の領域でした。それは、一般に「数学の危機」とか「物理学の危機」と呼ばれています。その概要は、木田の『現代の哲学』のpp.24-29を参照してください。そして、こうした「数学の危機」と「物理学の危機」の結果、「世界」というものについての見方が大きく変わりました。

 実験によって自然の存在として測定される内容は実験装置と相関的であり、さらに実験装置は観察者としての人間の身体の構造や大きさと無関係ではありえぬ以上、自然の存在は人間の存在を参照せずには語られえないわけである。かくて、物理学的に測定された結果を、自然それ自体の規定として絶対化しえないだけでなはなく、そうした即自的自然の存在そのものが疑わしくなるのである。このような数学や物理学における変革が、科学的認識の真理性、つまりは理性の権威や、それを支え、それによって精密化されてきた<客観的世界> ─ の想定にどれほど厳しい打撃を与えたかは、想像に難くないところであろう。(木田『現代の哲学』、p.29)

 木田よると、20世紀の初頭にはすでに、科学の理論体系もその概念もすべて主観的な性質のものであり、それらは「真でもなければ偽でもなく」、経験を整理するのに便利な道具に過ぎないという科学の相対主義的・実用主義的な見方が提唱されました。例えば、ポアンカレ、デュエム、ル・ロアなどです。

 客観的な即自的世界を否認する同じような変革は、科学の他の領域においても並行して進み、たとえば生物学においてはユクスキュル(1864-1944)の環世界論Umweltenlehreが、すべての有機体にはそれぞれ特有の空間性や時間性、内容的性質をそなえた環境構造があって、それ自体において規定されている客観的世界を論じることの無意味であることを教え、また心理学の領域においてもゲシタルト学説が、それまでの要素主義的心理学の恒常仮説 ─ 物理的刺激と感覚との一対一の対応関係の想定 ─ を批判して、われわれの経験に与えられているものが、いわゆる客観的世界ではないことを明らかにした。こうして絶対的な真理の領域としての理性や、その具象化としてのニュートン物理学的世界像への信頼が根底からゆるがされるような事態が、まず科学(哲学に対する科学、筆者注)そのものの内部で現れてきたのである。(木田『現代の哲学』、p.30)

 やはり木田によることになりますが、19世紀中には、一方で、科学の進歩によっていつかは客観的世界の完全な認識が達成されるだろうという19世紀の楽観的な科学的道理主義が生まれ、他方では、人間理性がいっさいの制約から解き放たれて、もはや認識主観であるにとどまらず、その実践的性格を強め、歴史や社会を合理的に形成していくヘーゲル流の絶対精神にまで高まっていきました(ヘーゲルの『精神現象学』は1807年)。しかし、このように近代の理性主義が完成されようとしたそのときに、一方で、上で論じたように、科学そのものの内部でその基本的前提となっていた客観的世界の想定が打ち破られることになりました。そして、他方では、マルクス(初期マルクス)やキルケゴールなどによって、絶対的理性主義が否定される考え方が提示されました。マルクスもキルケゴールもともに、ヘーゲル流の抽象的な理性主義に対して具体的な人間存在を回復しようとする試みでした。

2.生活世界と世界内存在
 世界内存在に接近するために、マルクスが提示した新しい人間把握の方向を見てみましょう。1845年頃のいわば覚え書です。

 従来のあらゆる唯物論 ─ フォイエルバッハのそれも含めて ─ の主要な欠陥は、対象が、つまり現実、感性が、ただ客体ないし直感の形式のみで捉えられ、人間的・感性的な活動、実践として、主体的に捉えられないことである。それゆえ、活動的側面は唯物論とは反対に観念論によって展開される ─ とはいえ、観念論はもちろん現実的・感性的な活動そのものを知らないので、ただ抽象的に展開されたにすぎないが ─ ということになった。
(「フォイエルバッハに関するテーゼ」廣松訳、2002年、p.231)

 その1年後の『経済学・哲学草稿』のヘーゲル哲学批判の部分で議論の中間総括として、マルクスは「ここに見てとれるのは、考えぬかれた自然主義ないし人間主義が、観念論とも唯物論とも異なるものであること、同時に、その両者を統一する真理だということだ。とともに、世界史の行為を把握できるのは自然主義だけだ、ということも見てとれる。(マルクス『経済学・哲学草稿』、長谷川訳、p.185)

 詳細な議論は割愛しますが、マルクスは従来の主観か客観か、精神か物質かという二者択一を越えたところで人間を捉えようとしていることがわかります。
 1で論じたように、近代から現代への移行の中で、この世界が即自的な(それ自体で完結した)事物の総体、つまりわたしたちの前に繰り広げられた対象的な物理的世界でないことが明らかになってきました。それに代わって出てきたのが、世界内存在(In-der-Welt-sein)という人間(と世界)の在り方についての見方です。
 わたしたちが生きる世界、つまり生活世界は、「ただ客体ないし直感の形式でのみ」捉えられる世界ではなく、「人間的・感性的な活動、実践」の場面として「主体的に」捉えられている世界です。そして、主体とは、これもマルクスの言うように、「現実的・感性的活動」に従事する主体であって、その身体によって世界の内に深く挿し込まれ、投げ込まれた存在となります。ここにわたしたちは、世界と人間の特有の絡み合いを見ることができます。このような物でもないし、純粋意識でもない人間の在り方を現象学では、そして具体的にはハイデガーは、世界内存在と呼んでいます。ちなみに、現象学そのものも、同じような時代背景と問題意識を端緒として提唱されたものです。

2019年11月3日日曜日

現象学から人間科学へ⑦ ─ 『イデーン2』におけるフッサール

以下の記事は、NJフォーラム・マンスリーの2019年11月号(https://www.mag2.com/m/0001672602.html)に掲載された記事の再掲です。  

 前回最後に予告した、言葉や言語の登場は少し先延ばしにしたいと思います。すみません。
 前々回は、間奏的に、現象学のその後の展開の概略図として、実存主義と解釈学と現象学的社会学への展開を概観しました。今回は、現象学に立ち返って話をします。『イデーン2』におけるフッサールの話をします。焦点は、自然的態度と自然主義的態度の対比と生活世界です。(『イデーン』は『純粋現象学と現象学的哲学の諸構想(イデーン)』の略称)

 一般に中期フッサールと言われる『イデーン1』を中心とした第4回の内容は、「厳密学としての哲学」あるいは「すべての科学の基礎学」としての現象学の構想の展開でした。これに対し、『イデーン2』はフッサールの後期思想の萌芽に位置づけられています。

1.自然的態度と自然主義的態度と生活世界
 『イデーン2』で、フッサールは、『イデーン1』で重要概念として論じられていた自然的態度を再考します。そして、それを改めて、自然的態度自然主義的態度に区別しました。そして、還元によって超えられるべきであったのは、自然科学のように自然を客体化して見る自然主義的態度だったのだと考えるようになります。こうなると、現象学的還元は、客体的なものの意味の生成を主体の構成作用に遡って明らかにするという一般的な認識論的操作ではなく、むしろいっさいの事象を主体-客体の相関関係において見ようとする客体化的な意識の態度(自然主義的態度が滲みついた態度)を排除するものと考えられるようになります。そして、この還元によって、本来の自然的態度が根源的なものとして姿を現してくるようになるわけです。フッサールの用語では、「態度」は習慣によって生じるある特定の世界定立作用の連関ですが、(本来の)自然的態度はその意味では他の態度と並ぶ一つの態度ではありません。むしろ、自然科学の基礎となる自然主義的態度や精神科学の基礎となる人格主義的態度などの他の態度に先立って、基底としてそれらを可能にするものとなります。
 このように現象学的還元によって客体化された自然主義的世界が排除されます。しかし、だからと言って、わたしたちは動物的な自然の世界に生きるのでもなく、主観性だけが作用する領海に生きるわけでもありません。むしろ、自然主義的な客体化に先立つ本来の自然な世界経験が回復されるのです。そして、その自然な世界経験もやはり世界内存在としての世界経験となります。フッサールはこうした自然な日常的経験において生きられる世界を生活世界(Lebenswelt)と呼んでいます。

 木田は、ここでフッサールの考え方は大きな転回を示していると見ています。すなわち、それ以前は哲学的反省(超越論的還元)とは無世界的な純粋意識つまりすべての意味を根源的に産出する超越論的主観性の立場に身を置くことだったのですが、今や、哲学的反省(哲学の課題)は、わたしたちの素朴な日常的経験、つまり普段は反省されることのない自然的態度を振り返り生活世界を回復することになったのです。そして、メルロ=ポンティがこのようなフッサールの志向性を継承しています。以下は、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』からの一節です。

 したがって、最初の哲学的行為は、客観的世界(上に言う客体化された自然主義的世界、筆者注)の手前にある生きられる世界にまで立ちもどることだということになるだろう。それというのも、この生きられる世界においてこそ、われわれは客観的世界の権利もその諸限界も、了解しうるようになるだろうからだ。また、最初の哲学的行為は、事物にはその具体的表情を、有機体には世界に対処するその固有の仕方を、主観性にはその歴史への内属性を返してやることだ、ということになるだろう。(メルロ=ポンティ『知覚の現象学』、pp.110-111)

2.フッサールのクリティカルなモチーフ
 以下、少し大仰な話をします。
 プラトン以来ヨーロッパ的学問の真の理想は、それ以上遡り得ない絶対的な洞察、それ以上ということがもはや無意味であるような第一原理によってすべての認識を理性的に根拠づけ諸学問の普遍的な統一体を実現するところにありました。この理想は近代初頭にデカルトの普遍学の構想によって復活されました。ところが、デカルト以後の近代科学は、こうした根拠づけよりも実用的な効果を追いました。その結果、確かに現実の実用的支配の目的は達成され、わたしたちにとって現実は「より有益」になりましたが、現実がよりよく理解されるようになったかと言うと、そうなったわけではありません。
 ところで、学の理想に含まれていた理性的な根拠づけの努力は、決して理論的認識にのみ関わるものではなく、同時に生きることの実践や価値評価にも関わるものでした。古代ギリシャ以来の形而上学(哲学と同義、筆者注)という理性の追究の企てにはそのような趣旨が含まれており、デカルトによる普遍学の構想にも当然含まれていました。しかし、近代にめざましい発展を遂げた実証主義は、形而上学を独断的で非学問的だとして切り捨ててしまいました。そして、このように近代の実証主義が理性の問題を切り捨てそこから逃避したということは、人間が理性への信頼を失ったということであり、それはまた、理性的存在者であることを自らの本質としてきたヨーロッパ的人間が自己への信頼を失ったことを意味します。このような脈絡で、フッサールは、当時の学問の危機を、ヨーロッパ的人間の根本的な生活の危機、その全実存の危機の表現と見ます。そして、自身の超越論的現象学こそがこの危機を克服する手段だと考えたのです。これがフッサール最晩年の『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(1936年)で展開された議論です。

3.根源的な生活世界への回帰
 フッサールによると、わたしたちが通常、それ自体で存在し、真であり、客体的であると信じている世界は、実はすでに歴史的に沈殿した客体化的認識作業による理念化の成果であり、わたしたちの生活世界の上に構築された主観的形象です。つまり、日常的な常識の枠内においても存在者の全体は、すべてすでに「合理性によって支配されている」という理念の下に捉えられている、とフッサールは主張します。このように近代科学の成果に基づいて着せられた「理念の衣」によって、わたしたちの直接的経験の世界である生活世界が蔽われ見失われることになりました。科学による客体的世界の発見が、そのまま生活世界の隠ぺいになってしまったということです。
 フッサールによると、この「理念の衣」こそが近代的意識にとって最も根深い先入見です。そして、超越論的現象学は、この先入見を還元によって一旦保留することによって根源的な生活世界に立ち還り、そこから逆にこの理念の生成を解明し諸学問の全体を根拠づけようとする企てなのです。これがいわば、フッサール現象学の「野望」です。

2019年10月1日火曜日

現象学から人間科学へ⑥ ─ 現象学とは何か? そして、現象学的心理学へ

この時期は、NJ研究会フォーラム・マンスリーの2019年10月号(https://www.mag2.com/m/0001672602.html)に掲載されたものです。

現象学から人間科学へ⑥ ─ 現象学とは何か? そして、現象学的心理学へ

 今回は、現象学とは何かをできるだけ簡明に説明し、さらに現象学と現象学的心理学を架橋する議論を紹介したいと思います。
 メルロ=ポンティは、自然的態度、エポケー、現象学的還元について以下のようにうまく説明しています。(木田からの孫引きで、原著はまだ確認していません。) すなわち、自然的態度に生きるかぎりでのわたしたちは、環境や外的諸条件によってさまざまに条件づけられています。メルロ=ポンティはこれを「負わされた条件」と呼んでいます。そして、現象学的還元は、この「負わされた条件」を、エポケー(判断留保)という操作をすることによって、「意識された条件」あるいは「自覚された条件」に変えようとすることです。決して条件づけられていることを否定しようと試みることではありません。(第4回の末尾のメルロ=ポンティの引用ももう一度見てください。)

1.『イデーン1』における志向性の再考
 初期の『論理学研究』で、フッサールは、意識の志向性という視点を中心に据えて主として心理学主義を批判しました。そして、中期の『イデーン1』においてはより包括的に自然主義批判を行います。そのために、志向性の問題も考え直されることとなります。『論理学研究』で問題になっていたのは広い意味での心理というイデア的対象の構成に関心が置かれていました。しかし、『イデーン1』においては、イデア的か実在かを問わずすべての対象の構成が関心の対象となりました。すなわち、すべての志向的対象の存在が、それを構成する意識の志向作用に遡って明らかにされなければないこととなりました。そして、一般的に、存在と意識とは厳密な相関関係をなしているのであって、いかなる存在もそれが意味をもつかぎりは必ずそれに対応する意識の構成作業があり、その作業においてそれがそのような意味をもつものとして所与となるのです。
 ここで間奏として、『イデーン1』におけるフッサールのねらいを見ておきたいと思います。上のように、世界の存在とその意味に関するあらゆる仮定や先入見が還元によって排除(一旦、判断保留)され、世界や世界の内部で経験され得るすべての存在者(存在者というのは、実際には「者」ではなく、対象として存在する「もの」、筆者注)の本質的な区別と構造は、それら存在者が与えられるさまざまな意識の作業にまで遡って問い直されることになります。例えば、自然科学や精神科学の用いる基本的な概念やカテゴリーは、たいていの場合素朴な世界革新の上に立つわたしたちの日常的経験から汲み取られたものです。それが、それらの諸科学が究極の根拠づけをもち得ない理由です。ですから、それら科学の基本的概念やカテゴリーは、現象学によって根本的に検討し直さなければならないのです。そして、フッサールによると、超越論的現象学こそ、かつてのデカルトの試みと同様に、自己と世界とを意識している者としてのわたしたち自身の確実性に立ち返っていっさいの諸科学を基礎づけなおすべき基礎学だとなります。

2.ノエシスとノエマ
 さて、議論をわたしたちの関心に近づけていきたいと思います。
 端的に、上に言う存在者がノエマで、それに与えられる意識あるいは志向作用がノエシスとなります。ラングドリッジはこれをわかりやすく、ノエマ=経験されることノエシス=経験される仕方、と説明しています。つまり、意識あるいは経験の一般的構造は、志向作用であるノエシス的契機と、そこで志向される対象であるノエマ的契機との相関関係として捉えられるわけです。
 ラングドリッジは、それ以前の意識についての考え方の「自己中心的袋小路」問題について論じ、現象学から現象学的心理学への橋渡しをしています。

 過去200〜300年にわたって哲学では、とりわけ17世紀のデカルトの哲学に従って、私たちは自己自身と自分の考えや感情に気づくのであって、そのようなものとして意識は、そうした考えや感情を導く外部の事象に向かうというより、内部に向かうというように、きわめて特別なしかたで理解されてきたのだった。この、意識についてのデカルト主義的な考え方では、私たちの意識は「何かについての」意識ではなくなってしまう。代わりに、哲学者たちが「自己中心的袋小路」(egocentric predicament)と称したものにとらえられてしまう。神経科学の研究成果は、一見したところ、意識についてのそのような見解を支持しているように思われる。…もし気づきが内面に向かっているのであれば、私たちはどのようにして外部世界に触れることができるのか、という難問(自己中心的袋小路)に直面することになる。さらなる問題として、私たちは、どのようにして、同じように自分自身の主観性の囚われとなっている他人の世界を知ることができるのであろうか。(Langdridge, 2007, p.13、邦訳p.16)

 ラングドリッジは、明快に指摘します。

 志向性はここでは、…何かをしようと意図する(intention)という普通の意味で使われているのではない。そうではなくて、私たちが意識している(conscious)時は ─ 気づいているときは、と言ってもよいが ─ いつでも何かを意識している(または何かに気づいている)、という事実のことを言うのである。…現象学者にとっては、…意識が世界に向かうそのしかたが、焦点となる。なぜなら意識は、志向的に世界のなかの諸対象に関わるからである。(Langdridge, 2007, p.13、邦訳p.16)

 そして、現象学的心理学の研究対象を以下のように規定します。
 
 現象学的心理学の研究対象となるのは、世界についてのこの意識であり、具体的に言えば、人間の意識と世界との関係である。それは経験の公共的な(public、筆者注)領域である。…(現象学的心理学では、筆者捕捉)志向的な相関関係において事象が現れるがままの経験とそれが私たちに現れるしかたに取り組むことになる。…これによって心理学という企ては、脳の中の思考のパターンを探究するというよりは、ある人物とその住まっている世界に起こっていることを基にしたものになる。このような構想の結果として、現象学的心理学にとって、経験を理解すること、そしてその人がその住まっている世界をどのように知覚しているかが、中心的な関心事となる。(Langdridge, 2007, pp.13-14、邦訳pp.16-17、一部改訳)

 ここに言う志向的な相関関係が、ノエシス的契機(事象が現れるままの経験)とノエマ的契機(それが私たちに現れる仕方)の相関関係であることは言うまでもありません。

3.環境と世界と、体験と経験
 現象学では志向性が働く以前の生のままの世界のことをしばしば(世界の代わりに)環境と呼びます。つまり、わたしたち一人ひとりは、ある時空間にいて、そこで原初的に環境と接し交わるわけです。そして、わたしたちが覚醒しているかぎり、志向性が自ずと働いて、「何か」としてこの環境を知り、それと交わって生きることを営みます。その「何か」が世界やその中の対象(両者を合わせて存在者)となります。
 実は、日本語とドイツ語は便利で、前者の原初的な環境との交わりと後者の世界との交わりをそれぞれ別の言葉で言うことができます。前者が体験、ドイツ語ではErlebnisで、後者が経験、ドイツ語ではErfahrungとなります。つまり、経験として捉えられる以前の生のままの体験(Erlebnis)というものがあって、それがノエシス的な契機とノエマ的な契機の相関関係として止揚されて経験(Erfahrung)になるのです。
 そして、ここでいよいよ言葉、言語が登場することになります。それは次回に。

2019年9月1日日曜日

現象学から人間科学へ⑤

以下の記事は、NJ研究会フォーラム・マンスリーの2019年9月号(https://www.mag2.com/m/0001672602.html)に掲載されたものです。

2019年9月号羅針盤 現象学から人間科学へ⑤

 前回は、「志向性、ノエシスとノエマなどの概念もからめながら現象学というものが何なのかを改めて考えたいと思います」と言って終えました。今回は、多くの人を惑わしている現象学のその後の展開の概略図を示したいと思います。この話は、このような形で語られたことはたぶん今まで一度もなかったと思います。

1.現象学の実存主義的展開
 現象学の展開は、ヨーロッパにおける実存主義的な展開と、北米に移って発展した社会学理論への展開という2つに分けて見なければなりません。まずは、ヨーロッパにおける展開の話をします。
 ヨーロッパにおいて、フッサール(1859−1938)の現象学は、弟子であったハイデガー(1889−1976)によって実存主義的な展開を見せます。そして、その実存主義的展開は、隣国フランスでサルトルやボーヴォワールによって実存主義運動として花開きます。だいたい1940年代の後半から70年代です。『存在と無 ─ 現象学的存在論の試み』(1943年)以降、実存主義の旗手で当代一の知識人としてサルトルの名声は不動のものとなります。(ちなみに、ハイデガーは、その後の哲学・思想に強く広範な影響を及ぼした20世紀最大の哲学書と言われる『存在と時間』で一般に実存主義の哲学者と言われていますが、ハイデガー自身は実存主義の哲学者と見られることをきっぱりと拒否していました。ハイデガーが実存主義の哲学者と見られるのは、一般に流通している『存在と時間』が実はハイデガーが構想していた上下2巻の本の上巻だけであり、そして、それは上下2巻の本でハイデガーが意図していた「存在一般の意味の追究」の準備作業としての人間存在の分析でしかなかったのですが、その後下巻が出ることなく、上巻のみが『存在と時間』として一人歩きしたという事情によります。その上巻のみの『存在と時間』が出るや否やドイツの思想界に巨大な衝撃を与え一挙に思想界の形成を変えたために、同書で展開された人間存在の分析によってハイデガーは実存主義の哲学者と見られるようになった、というような次第です。しかし、ハイデガーの思想的営為の全体の中に『存在と時間』を位置づけようとする諸研究を見れば、かれの仕事の中心は実存主義の部分にはないことが分かります。)
 フッサールの現象学的な観点を継承したハイデガーの思想は、ヨーロッパにおいてもう一つの展開を見せます。解釈学への展開です。主な担い手はガダマーです。こちらの展開については次回や次々回でもう一度論じます。
 哲学的な背景を踏まえて現象学的な心理学について論じているラングドリッジは、現象学におけるこれら2つの実存主義的な展開を、実存的転回解釈学的転回と呼んでいます。

2.現象学の社会学理論への展開
 第一次大戦前のオーストリアのウィーン生まれのアルフレッド・シュッツ(1899−1959)は、ウィーン大学卒業後、銀行の法律業務に従事する傍ら研究を続け、1932年にはウェーバーの理解社会学とフッサールの現象学を融合した『社会的世界の意味構成』を出版し、同書をフッサールに捧げました。それ以来フッサールとの交流が始まり、それは1938年のフッサールの死去まで続きました。やがて、ナチスの台頭によりユダヤ系であるシュッツは母国を出ざるを得ない状況となり、1939年にはアメリカに亡命しました。そして、アメリカに移ってからも銀行での仕事と研究を並行して行い、社会学理論の発展に大きな功績を残しました。著名な社会学者であるピーター・バーガーやトーマス・ルックマンはシュッツの弟子です。
 シュッツの研究は現象学的社会学と呼ばれています。現象学の物の見方に基づいて社会というものの正体を究明しようとする研究です。

3.実存主義と現象学的社会学が現象学的である点
 ハイデガーの実存主義と現象学的社会学の重要な現象学的な重複点は、いずれも「そもそも○○とは何か」を追究している点です。ハイデガーは『存在と時間』で現存在という独自の用語を軸として「そもそも人間という存在とは何か」を追究しています。現存在=Daseinというのは、「da」(そこ)と「sein」(ある/いる)の組み合わせで、人間という存在を前提なしのデフォルトで捉えて追究するためにハイデガーが作った造語です。そして、『存在と時間』以後のハイデガーは、人間という存在と世界という存在の両者を含めて「そもそも存在するとは何か」を追究しています。
 一方、社会学に関心を置くシュッツは、現象学の視点に基づいて「そもそも社会とは何か」を追究しました。銀行家と研究者という「二足のわらじ」のシュッツは、少数の著作しか残していませんが、いずれもひじょうに重厚なものです。そして、晩年のシュッツの遺稿はルックマンによって『生活世界の構造』としてまとめ上げられ、バーガーとルックマンの共著になる『現実の社会的構成』は社会学理論の名著として現在も読み継がれています。バーガーは、『現実の社会的構成』の一年後に宗教を社会学的に分析しようという試みの『聖なる天蓋』を上梓し、その第1章で自身の社会学の立場をコンパクトながら明瞭に提示しています。これらはいずれも、日常的世界に生きるわたしたちにとって、また社会学の対象として、「そもそも社会とは何か」を考究したものです。
 実存主義と現象学的社会学がいずれも現象学的である重要点は、人間的実存を志向的であるというふうに捉えている点です。そして、それだけでなく、両者ではいずれにおいても、実存の重要な立脚点として言語を置いています。この点が、現象学的心理学においても、またわたしたちの関心である第二言語の習得と習得支援を考える第二言語教育理論においても重要な視点となります。

4.むすび
 このあたりが区切りになりますので、これで今回は終わりたいと思います。後期ハイデガーの重要書である『「ヒューマニズム」について』からの有名な「言葉は、存在の家である」の一節を紹介して次節への繋ぎとしたいと思います。

 行為することの本質は、実らせ達成することなのである。…本来的にはただ、すでに存在しているもののみが、実らせ達成されうるものなのである。ところで、あらゆるものに先だって「存在している」ものは、存在である。思索というものは、その存在の、人間の本質に対する関わりを、実らせ達成するのである。…思索は、この関わりを、ただ、存在から思索自身へと委ねられた事柄として、存在に対して、捧げ提供するだけなのである。この差し出し提供する働きの大切な点は、思索において、存在が言葉となってくる、ということのうちに存している。言葉は、存在の家である。言葉による住まいのうちに、人間は住むのである。(『「ヒューマニズム」について』pp.17−18)

2019年8月2日金曜日

現象学から人間科学へ④

現象学から人間科学へ④
※NJ研究会マンスリー(まぐまぐメルマガ)第57号に掲載された記事です。

『論理学研究』(1900−1901)に代表される初期フッサールと『イデーン』(原題は『純粋現象学および現象学的哲学の構想』、1913)を中心とする中期フッサールの間の1910年に、フッサールは『厳密学としての哲学』という論文を発表しています。この論文は、成熟した中期の思想の出発点を告げるフッサールの「現象学宣言」だと言われています。木田からの孫引きとなりますが、同論文へと繋がる問題意識と当時の悲壮な心境がフッサールの1906年の覚え書によく表れています。

 かりに自分を哲学者と言いうるとした場合、わたしが自分自身のためにぜひとも解決しなければならない普遍的な課題をまず第一にあげてみたい。それは理性の批判である。論理的理性と実践理性と価値判断理性一般の批判である。概括的にもせよ理性批判の意味、本質、方法、主要観点を明晰に自覚しなければ、また理性批判の普遍的構想を十分に考え、企画し、論定し、そして基礎づけなかったならば、わたしは真の意味で生きることはできない。(フッサールの1906年9月25日の覚え書)

 当時は自然主義と歴史主義が哲学的認識の学的性格に疑いを差し挟んでいたのだが、『厳密学としての哲学』は、現象学による厳密な学的哲学の確立を説くプロパガンダだったと木田は言っています。同論文でフッサールは、自然以外のものは何ものをも認めない自然主義、すべての思想を歴史的状況の所産と見る歴史主義を批判しているそうです。
 こうした経験的事実についての一定の仮定の上に立って学の理念を変造したり弱体化したりするこれらの誤った実証主義に対し、いっさいの仮定を排して絶対に明確な端緒から出発する自身の現象学を真の実証主義と呼び、これによってのみ「厳密学としての哲学」の建設が可能になるとフッサールは主張しています。フッサールの大きな自信の根源は「現象学的還元」の発見にあると木田は見ています。現象学的還元についての木田の説明を箇条書きにしてみます。ここで、有名なエポケー(判断停止、あるいは判断保留)も出てきます。

□ 自然的態度の一般的定立
1.「超越論的」という概念は「世界内部的」という概念と対をなす。
2.われわれは、日常的な自然的態度においては、世界の内にさまざまな仕方で表れてくるあらゆる可能な存在者とのかかわりに生きている。そこでは「世界」の存在は素朴に仮定されている。
3.世界は、事情だけでなくさまざまな価値をも含みながら統一的な連関をなすただ一つの世界であり、われわれが出会うすべての事象、さらにはわれわれ自身もこの世界に属するものとして経験されている。
4.このように世界を「あり」と素朴に断定して、「世界内部的」に生きるということが自然的態度の基本的性質である。
5.フッサールは、世界についてのこうした素朴な断定を「自然的態度の一般的定立」と呼んでいる。

□ 自然科学や精神科学と自然的態度の一般的定立
1.自然科学も精神科学も世界内部的存在者を研究対象にし、この一般的定立を共にしている。
2.ゆえに、それらも自然的態度の延長線上にある。

□ 現象学的還元
1.自然的態度は、絶えず積み上げられる日常的経験から生じた一種の習慣に過ぎない。
2.つまり、自然的態度は、世界を「あり」とするあらかじめの仮定を前提にしている。
3.無仮定的であろうとする哲学はこうした仮定に甘んじることはできない。
4.そこで、自然的態度の一般的定立つまり世界の存在についての確信・遂行にストップをかけ、逆に、われわれに直接に与えられる意識体験からいかにしてそのような確信が生じてきたかを見ようとする。
5.それが、エポケー(判断停止あるいは判断保留)による現象学的還元である。

最後にこうした現象学的還元の趣旨・目的を確認しておきます。

□ 現象学的還元の目的
1.エポケーは自然的態度の一般的定立を否定するのではない。単に「括弧にいれ」たり、「スイッチを切っ」たりするのである。
2.だから、エポケーによって主体と世界の間に敷設されている「配線」が消えてなくなるわけではない。ただ、日頃無意識に行っている定立作用の電流を一旦切って、敷設されている配線の具合を反省しようということである。
3.つまり、意識の志向的校正作業の錯綜を解きほぐし、そこからいかにして世界といった意味が形成されてくるかを見きわめようというのが、現象学的還元の目的である。

 今回は、大いに木田に依拠して議論をしました。最後に、自身でも確認したメルロ=ポンティによる現象学的還元についての説明を紹介して、今回の結びにしたいと思います。

 われわれは徹頭徹尾世界と関係していればこそ、われわれがこのことに気づく唯一の方法は、このように世界と関係する運動を中止することであり、あるいはこの運動とのわれわれの共犯関係を拒否すること(フッサールがしばしば語っているように、この運動に参加しないでそれを眺めること)であり、あるいはまた、この運動を作用の外に置くことである。それは常識や自然的態度のもっている諸確信を放棄することではなくて ─ それどころか逆に、これらの確信こそ哲学の恒常的なテーマなのだ ─ むしろ、これらの確信がまさにあらゆる思惟の前提として<自明なものになっており>、それと気づかれないで通用しているからこそそうするのであり、したがって、それらを喚起してそれをして出現させるためには、われわれはそれらを一次さし控えなければならないからこそ、そうするのである。

 次回は、志向性、ノエシスとノエマなどの概念もからめながら現象学というものが何なのかを改めて考えたいと思います。

2019年7月1日月曜日

現象学から人間科学へ③ ─ ギリシア人の驚き(タウマツエイン)と、「偉大なる始まりの開始」と「偉大なる始まりの終焉」

現象学から人間科学へ③ ─ ギリシア人の驚き(タウマツエイン)と、「偉大なる始まりの開始」と「偉大なる始まりの終焉」

 今回は、現象学のコンテクストであまり言及されることではありませんが、実は現象学を理解するための決定的なカギとして捉えておかなければならないことについて話します。それは、古代ギリシャ人の驚き(タウマツエイン)と、それに関連する「偉大なる始まりの開始」と「偉大なる始まりの終焉」(いずれもハイデガーの用語)です。このポイントは、一般に哲学を指す形而上学という用語の起源を見ると、現象学理解が開ける部分です。

 形而上学(英語で言うとmetaphysics)はもとはアリストテレスの講義録を編纂した際の「整理のためにつけた名称」でした。師匠のプラトンのアカデミアの向こうをはって、アリストテレスが設立した学校がリュケイオンです。そのリュケイオンでの膨大な講義ノートがあったのですが、それがマケドニア王家に没収されるのを恐れて、小アジアのスケプシスという町に2世紀も隠匿されていました。それが、紀元1世紀頃に発見されて、ローマに運び込まれました。そして、そこで整理編纂され刊行されました。アリストテレスの著作としては、かれの生前に刊行された本もあったのですが、現在は散逸してしまっているということで、われわれが現在の『アリストテレス全集』などで読むことができる彼の著作は、ほとんどがこの講義ノートを編纂した講義録集です。
 編纂にあたったアンドロニコスは、アリストテレスが「第一哲学」と呼んでいた学科の講義ノートを「自然学(タ・フィシカ)」のノートの後に配列して、それに「タ・メタ・タ・フィシカ」という名前をつけました。後半の「タ・フィシカ」は「自然学」で、「メタ」は「後」という意味で、最初の「タ」はギリシア語の冠詞です。つまり、「タ・メタ・タ・フィシカ」というのは、当初は「自然学の後ろの物」という意味だったわけです。それが古代ローマ末期に「自然」を「超えた」(メタ)事柄についての学問である「超自然学」という意味に読み替えられて、その「メタ・フィシカ」(英語ではmetaphysics)がアリストテレスの「第一哲学」の内容を指す呼称として使われるようになったそうです。では、このアリストテレスの「第一哲学」とはどのような学問なのでしょうか。以下、アリストテレスの『形而上学』(=第一哲学)からの引用です。

 存在者であるかぎりでの存在者を研究し、またこれに本質的に属する事がらをも研究する一つの学問がある。この学問は、いわゆる特殊的な諸学のいずれとも同じではない。というのも、他の諸学問はいずれも、存在者であるかぎりでの存在者を全体として考察したりはせず、ただそのある部分を抽出し、これについて、それに付帯する属性を研究するだけだからである。
 哲学者の学は、存在者をそれが存在者であるかぎりで、部分的にではなく全体として扱うものである。

 この部分について木田は以下のように解説しています。

 個別的な諸科学、たとえば物理学なり経済学なりは、ありとしあらゆるもの、<在るとされるあらゆるもの>、つまり存在者の全体のうちから、物理現象なり経済現象なり特定の領域を切りとってきて、部分的に、つまりその領域的特性に限って研究する。存在者をそれが物理現象であるかぎりで、経済現象であるかぎりで研究するのである。ところが、アリストテレスが「哲学者の学」とか、「第一哲学」と呼ぶ学問、つまり狭い意味での哲学は、存在者を、それがさまざまな領域に切り分けられるに先だって、それが存在者であるかぎりで、全体として研究しようというものである。(木田元『ハイデガーの思想』p.75)

 この部分を木田は以下のように結んでいます。

 したがって、この学問は、結局のところ、すべての存在者をそのように存在者たらしめている<存在>とは何かを問うことになるのである。(木田、前掲書、p.75−76)

 そして、プラトンやアリストテレス以降の哲学的営み及びかれら以前のアナクシマンドロスやヘラクレイトスやパルメニデスなどのいわゆる自然哲学者の哲学的営みのいずれも、存在への驚き(タウマツエン)から始まっていると、ハイデガーを引いて木田は指摘しています。

 ハイデガーは、「存在者が存在のうちに集められているということ、存在の輝きのうちに存在者が現れ出ているということ、まさしくこのことがギリシア人を驚かせた(タウマツエイン)」のであり、この驚きがギリシア人を思索に駆り立てた。そして、当初(自然哲学者の時代、筆者注)その思索は、おのれのうちで生起しているその出来事をひたすら畏敬し、それに調和し随順するということでしかなかった、と言うのである。(木田、前掲書、p.150)

 そして、自然哲学者たちが、驚き(タウマツエイン)に駆り立てられて開始されたそのような思索(おのれのうちで生起しているその出来事をひたすら畏敬し、それに調和し随順するような思索)をハイデガーは「偉大な始まりの開始」と呼びます。やがて、何にでももっともらしい説明を与えようとするソフィスト的知性に抗して、この驚くべき事をあくまで驚くべきこととして保持しつづけようとする少数の人々が現れます。かれらは、「叡智」を意識的に探し求め、存在者の統一を可能にしているものは「何であるか」と問おうとします。それが奇人ソクラテスや、その弟子であるプラトン、さらにはアリストテレスらの哲学です。しかし、ハイデガーは、存在に随順し、それと調和し、そこに包まれて生きるということと、この存在をことさらに「それは何であるか」と問うこととは、まったく別のことだと指摘します。そのように問うとき、すでに始原の調和は破れ、問う者はもはや始原の統一のうちに包み込まれたままでいることはできません。そうした事態をその後の哲学の宿命だと言うようにややペシミスティックに、ハイデガーは、「偉大な始まりの終焉」と言うのです。自然主義哲学者によって「偉大な始まり」が開始されたのに、数世紀のうちにその「偉大な始まり」は終焉を告げてしまったと言うのです。

 ハイデガーのこのパースペクティブは、かれの晩年の「存在の追想」という視線と直接に関連しています。そのことについては、また、後に論じます。

 次回は、現象学の自然的態度を中心に。そして、次々回は現象学の超越論的還元を中心に書くことになると思います。

2019年6月24日月曜日

現象学から人間科学へ②

現象学から人間科学へ②

 第1回では、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』の最初のページから引用をして、現象学には、(a)哲学・思想そのものに関わる側面と、(b)「科学的な心理学」を克服してその後の人間科学の確立へと繋がる部分があると指摘しました。今回も現象学というものを捉える試みです。
 木田によると、現象学というのはフッサールによって創唱された哲学的立場ですが、フッサール本人及びその後継者であるハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティによって何度も「脱皮」を繰り返したし、今も「脱皮」は続いていると言います。ですから、現象学を捉えようとする場合に、フッサールの現象学として捉える方法と、「脱皮」を続ける現象学運動として捉える方法という2つの方法があります。そして、わたしたち人間科学に関心を置く者としては人間科学に関係がある部分やその部分における「脱皮」が重要なわけですから、現象学運動として捉えたほうが有用だということになります。次は、木田からの引用です。

 これらの哲学者の努力は、諸科学の領域で進行中の方法論的革新 ─ さまざまな科学の領域でそれぞれの置かれた問題状況に迫られて起こった、従来の機械論的、要素主義的方法に対するかなり徹底した方法論的反省 ─ をいわば集約し、主題歌することに向けられていたと見るべきであろう。そしてまた、こうして現象学者によって主題化された方法論的反省が、比較的遅れた諸科学に直接間接に影響を及ぼすことにもなる。したがって、現象学的運動は…今世紀の科学、ことに人間科学の諸領域をおおう包括的な運動と見るべきものなのである。(木田元『現象学』pp.7−8)

 方法(論的革新)とはいっても、新たな特定の研究方法の提案ということではなく、むしろ現象学的方法というのは、開かれた方法論的態度、思考のスタイル、研究対象に立ち向かう態度のことです。そして、そこに流れている一貫したモチーフは、当時の実証主義的風潮に対する批判です。フッサールに限定して実証主義的風潮批判の中での「脱皮」について言うと、所期の『論理学研究』は当時の心理学主義批判、中期の『イデーン』はより包括的な自然主義批判、そして後期の『危機』は近代の実証主義全体に対する批判となります。
 現象学というもののこうした性質を確認した上で、いよいよ現象学とは何かという中身に入っていきたいと思います。で、ここで、しばしば、いきなり「躓き」が生じます。一般に現象学を説明するときには、最初にエポケー(判断停止)の話がきます。これが「躓き」となるように思います。むしろ、志向性(intentionality)から始めたほうがわかりやすいと思いますので、ここでは、志向性から始めます。
 フッサールは志向性の概念を師であるブレンターノから学びました。木田によると、志向性に関わる見方でブレンターノは次のように言っています。(残念ながら出典不明)

 いかなる心的現象も、同じ仕方でではないにしても、とにかく何かを客観としてそれ自身のうちにふくんでいる。表象においては何かが表象され、判断においては何かが承認あるいは否認され、愛においては愛され、憎しみにおいては憎まれ、欲求においては欲求されているのである。このような志向的内在はもっぱら心的現象に固有のものであって、物的現象には見られない。したがって、心的現象は志向的に対象をそれ自身のうちにふくむ現象であるという言い方で、心的現象を定義してよいであろう。

 こうした考えに立って、ブレンターノは、その志向性に関係する仕方の違いに応じて心的現象を、表象、判断、情動の3群に分類した。しかし、それ以上は突っ込んで論じようとはしなかった。それはブレンターノの関心が記述的心理学の域を出なかったからだろう、と木田は推測しています。それに対して、学問的な認識の基礎づけという認識論的な課題の前に立ったフッサールは、日常的なものだけでなく、学問的なものも含めて、意識はすべて何ものかについての意識であると言ったのです。(これで、上の(a)と(b)を架橋しています。)そして、それを志向性という概念で捉えようとしたのです。そして、志向性を梃子として、認識作用の主観性(主観的な性質、つまり当事者において起こるという性質)と認識内容の客観性(当事者の「外」にある何かという性質、物としては外在で当面はいいし、物以外では社会的に共有されている概念や思想などでも)とを橋渡ししようとしたのです。
 そして、この志向性という視点を軸として、エポケーや、ノエシス・ノエマ関係などの議論が展開されるのです。先に言った、「まずは志向性!」と言ったのはそのため

現象学から人間科学へ①

現象学から人間科学へ①

 実は、今回、羅針盤を書くにあたっては「一苦労」がありました。従来は、お仕事をしているうちに「想」が湧いてほぼ一気に羅針盤を書いていました。まあ、これまでの内容はそれはそれで「羅針盤」らしくていいのですが、どうも「お説教じみて」いたり、「愚痴っぽい」感じがしていました。で、「それ系」のお話はもう一通りはした感じがありますので、今号から(当分は)ちょっと趣向を変えて、その時々に読んだ「含蓄・洞察のある」一節を紹介して、それにぼくなりの解説を加えるというふうにしたいと思います。で、この数回?は、表題のように「現象学から人間科学へ」ということで書きたいと思います。
 これには、2つの文脈があります。一つは、2年ほど前にこのメルマガで12回連載した「哲学のタネ明かしと対話原理」です(現在はここにhttps://koichimikaryo.blogspot.com/search/label/哲学のタネ明かしと対話原理
 あります)。そこでは、古代ギリシア哲学からスタートして、デカルトとカントを経て、フッサールに至る話をしました。そして、結論として「人文科学の研究者として重要なのはフッサールです」と述べて、最後に「フッサールの現象学」を1ページ弱で「解説」しています。もう一つの文脈は、4月6日(土)に開催した臨時NJ研究会での「現象学と対話原理 ─ 試論」です。実は、この2月・3月は木田元の『現象学』(岩波新書)を精読していました。そして、木田先生のおかげで現象学の「首根っこをつかんだ」気になっています。ただし、「首根っこをつかんだ」おかげで、次の「知りたいこと」が出てきてしまいました。いずれも現象学の流れのメルロー=ポンティとハイデガーです。そして、今は、ハイデガーの(晩年の名著!)『「ヒューマニズム」について』を読んでいます。『ハイデガー『存在と時間』の構築』も読み始めました。そして、メルロー=ポンティの『知覚の現象学』も。ラングドリッジの『現象学的心理学への招待』は引き続き「水先案内」として座右に置いています。そんなこんなで「現象学から人間科学へ」を思いついたわけです。そして、実は、これらすべての背景には、質的研究というヤツの「首根っこをつかもう」というプランがあります。
 今回は、メルロー=ポンティの『知覚の現象学』の最初のページからの引用です。木田先生はこの一節が現象学というヤツの「変幻自在さ」「得たいの知れなさ」をうまく表現していると言いますが、ぼくとしては、取りあえずはうまく「腑分けしてくれている」気がします。【 】で「a」と「b」を書き入れたのはぼくです。

 現象学とは本質(essense)の研究であって、一切の問題は、現象学によれば、結局は本質を定義することに帰着する。たとえば、知覚の本質とか、意識の本質とか、といった具合である。ところが、現象学とは、また同時に、本質を存在(existence)へとつれ戻す哲学でもあり、人間と世界とはその<事実性>(facticité)から出発するのでなければ了解できないものだ、と考える哲学でもある。それは〔一方では〕、【a】人間と世界とを了解するために自然的態度(l’attitude naturelle)の諸定立を中止しておくような超越論的〔先験的〕哲学であるが、しかしまた〔他方では〕、【b】世界は反省以前に、廃棄できない現前としていつも<すでにそこに>在るとする哲学でもあり、その努力の一切は、世界とのあの素朴な接触をとり戻すことによって、最後にそれに一つの哲学的規約をあたえようとするものである。それは〔一方では〕【a】一つの<厳密学>としての哲学たろうとする野心でもあるが、しかしまた〔他方では〕、【b】<生きられた>空間や時間や世界についての一つの報告書でもある。〔一方では〕【b】それは現に在るままでのわれわれの経験の直接的記述の試みであって、その経験の心理的発生過程とか、自然科学者や歴史家または社会学者がこの経験について提供し得る因果論的説明とかにたいしては、何の顧慮も払わないものだ。にもかかわらず〔他方では〕フッサールは、その後期の諸著作のなかで、【a】<発生的現象学>だとか、さらには、<構成的現象学>だとかをさえ云々しているのである。(メルロー=ポンティ, p.Ⅰ)

 超簡潔に言うと、【a】は哲学・思想そのものに関わる部分で、【b】は「科学的な心理学」を克服してその後の人間科学の確立へと繋がる部分です。そして、われわれ(日本語教育学をしようとする者)に必要なのは、【b】だけです。【a】は【b】に関する理解を助けるためのみに読めばいいのだと思います。
 「なぞかけ」ようですが、上のメルロー=ポンティの一節を、質的研究というものと一定程度照らし合わせながら、ぜひじっくりと読んでみてください。何が見えますか? ちなみに、次回がどのような展開になるか、ぼくにもわかりません。