2019年7月1日月曜日

現象学から人間科学へ③ ─ ギリシア人の驚き(タウマツエイン)と、「偉大なる始まりの開始」と「偉大なる始まりの終焉」

現象学から人間科学へ③ ─ ギリシア人の驚き(タウマツエイン)と、「偉大なる始まりの開始」と「偉大なる始まりの終焉」

 今回は、現象学のコンテクストであまり言及されることではありませんが、実は現象学を理解するための決定的なカギとして捉えておかなければならないことについて話します。それは、古代ギリシャ人の驚き(タウマツエイン)と、それに関連する「偉大なる始まりの開始」と「偉大なる始まりの終焉」(いずれもハイデガーの用語)です。このポイントは、一般に哲学を指す形而上学という用語の起源を見ると、現象学理解が開ける部分です。

 形而上学(英語で言うとmetaphysics)はもとはアリストテレスの講義録を編纂した際の「整理のためにつけた名称」でした。師匠のプラトンのアカデミアの向こうをはって、アリストテレスが設立した学校がリュケイオンです。そのリュケイオンでの膨大な講義ノートがあったのですが、それがマケドニア王家に没収されるのを恐れて、小アジアのスケプシスという町に2世紀も隠匿されていました。それが、紀元1世紀頃に発見されて、ローマに運び込まれました。そして、そこで整理編纂され刊行されました。アリストテレスの著作としては、かれの生前に刊行された本もあったのですが、現在は散逸してしまっているということで、われわれが現在の『アリストテレス全集』などで読むことができる彼の著作は、ほとんどがこの講義ノートを編纂した講義録集です。
 編纂にあたったアンドロニコスは、アリストテレスが「第一哲学」と呼んでいた学科の講義ノートを「自然学(タ・フィシカ)」のノートの後に配列して、それに「タ・メタ・タ・フィシカ」という名前をつけました。後半の「タ・フィシカ」は「自然学」で、「メタ」は「後」という意味で、最初の「タ」はギリシア語の冠詞です。つまり、「タ・メタ・タ・フィシカ」というのは、当初は「自然学の後ろの物」という意味だったわけです。それが古代ローマ末期に「自然」を「超えた」(メタ)事柄についての学問である「超自然学」という意味に読み替えられて、その「メタ・フィシカ」(英語ではmetaphysics)がアリストテレスの「第一哲学」の内容を指す呼称として使われるようになったそうです。では、このアリストテレスの「第一哲学」とはどのような学問なのでしょうか。以下、アリストテレスの『形而上学』(=第一哲学)からの引用です。

 存在者であるかぎりでの存在者を研究し、またこれに本質的に属する事がらをも研究する一つの学問がある。この学問は、いわゆる特殊的な諸学のいずれとも同じではない。というのも、他の諸学問はいずれも、存在者であるかぎりでの存在者を全体として考察したりはせず、ただそのある部分を抽出し、これについて、それに付帯する属性を研究するだけだからである。
 哲学者の学は、存在者をそれが存在者であるかぎりで、部分的にではなく全体として扱うものである。

 この部分について木田は以下のように解説しています。

 個別的な諸科学、たとえば物理学なり経済学なりは、ありとしあらゆるもの、<在るとされるあらゆるもの>、つまり存在者の全体のうちから、物理現象なり経済現象なり特定の領域を切りとってきて、部分的に、つまりその領域的特性に限って研究する。存在者をそれが物理現象であるかぎりで、経済現象であるかぎりで研究するのである。ところが、アリストテレスが「哲学者の学」とか、「第一哲学」と呼ぶ学問、つまり狭い意味での哲学は、存在者を、それがさまざまな領域に切り分けられるに先だって、それが存在者であるかぎりで、全体として研究しようというものである。(木田元『ハイデガーの思想』p.75)

 この部分を木田は以下のように結んでいます。

 したがって、この学問は、結局のところ、すべての存在者をそのように存在者たらしめている<存在>とは何かを問うことになるのである。(木田、前掲書、p.75−76)

 そして、プラトンやアリストテレス以降の哲学的営み及びかれら以前のアナクシマンドロスやヘラクレイトスやパルメニデスなどのいわゆる自然哲学者の哲学的営みのいずれも、存在への驚き(タウマツエン)から始まっていると、ハイデガーを引いて木田は指摘しています。

 ハイデガーは、「存在者が存在のうちに集められているということ、存在の輝きのうちに存在者が現れ出ているということ、まさしくこのことがギリシア人を驚かせた(タウマツエイン)」のであり、この驚きがギリシア人を思索に駆り立てた。そして、当初(自然哲学者の時代、筆者注)その思索は、おのれのうちで生起しているその出来事をひたすら畏敬し、それに調和し随順するということでしかなかった、と言うのである。(木田、前掲書、p.150)

 そして、自然哲学者たちが、驚き(タウマツエイン)に駆り立てられて開始されたそのような思索(おのれのうちで生起しているその出来事をひたすら畏敬し、それに調和し随順するような思索)をハイデガーは「偉大な始まりの開始」と呼びます。やがて、何にでももっともらしい説明を与えようとするソフィスト的知性に抗して、この驚くべき事をあくまで驚くべきこととして保持しつづけようとする少数の人々が現れます。かれらは、「叡智」を意識的に探し求め、存在者の統一を可能にしているものは「何であるか」と問おうとします。それが奇人ソクラテスや、その弟子であるプラトン、さらにはアリストテレスらの哲学です。しかし、ハイデガーは、存在に随順し、それと調和し、そこに包まれて生きるということと、この存在をことさらに「それは何であるか」と問うこととは、まったく別のことだと指摘します。そのように問うとき、すでに始原の調和は破れ、問う者はもはや始原の統一のうちに包み込まれたままでいることはできません。そうした事態をその後の哲学の宿命だと言うようにややペシミスティックに、ハイデガーは、「偉大な始まりの終焉」と言うのです。自然主義哲学者によって「偉大な始まり」が開始されたのに、数世紀のうちにその「偉大な始まり」は終焉を告げてしまったと言うのです。

 ハイデガーのこのパースペクティブは、かれの晩年の「存在の追想」という視線と直接に関連しています。そのことについては、また、後に論じます。

 次回は、現象学の自然的態度を中心に。そして、次々回は現象学の超越論的還元を中心に書くことになると思います。

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