2019年7月29日月曜日

基幹部の「切り取り」、言語活動従事を可能にする言語技量、言語活動従事を基底として支える知識(基底的な知識)、段階化、習得支援、ユニットの目標達成と領域特定的な言語技量の育成と基底的な知識の形成、コース目標としての総合的な言語技量と総体的な基底的知識


 この3か月(2019年5月から7月)の間に、教師セミナー(出版社等主催の一般向けの会)や教師研修会(特定の機関が主催する所属教師向けの会)を5・6回しました。内容は、教育の企画・教材の制作・教育の実践についての一般的原理、自己表現活動中心の日本語教育の企画と教材の教育実践についての原理、教材(リソース)を活用した授業実践の例、などを話し、紹介しました。そんなことをした上で、考えたこと。
 ⅠとⅡとⅢの8は教育の企画について、Ⅲの9と10は教材の制作について、ⅣとⅤは教育の実践=習得支援について、です。

Ⅰ.重要な核の「切り取り」と言語活動従事を基底として支える知識(underlying knowledge)
1.言語活動の「大海」から、重要で核になると思われる部分を「切り取って」きて、総体的な目標・内容とすること。
2.そして、総体的な目標とした各種の言語活動の従事を基底として支える知識(underlying knowledge)をイメージする。
※「切り取る」わけなので、「切り捨てられる」部分があることに注意。
Ⅱ.基底的な知識(underlying knowledge)の性質・特性
3.基底的な知識の総体は、離散的な知識ではなく、凝集的な知識である。
4.基底的な知識の総体には、言語事項の知識が当然含まれるが。それは言語事項そのものの構造化された知識(体系的な「文法的」知識)ではない。
5.各種の言語活動の従事との関係を考えると、基底的な知識の要素となるのはむしろ、言語活動従事に直接に奉仕する言葉遣いである。
6.言語事項の知識は言葉遣いに織り込まれた形で基底的な知識に含まれる。まさに。そのような知識が「言語事項の知識を内包した言葉遣いの凝集的な知識」。
7.その上で、言語事項の知識は反省に基づく自覚的な知識として保有される場合もある。言語事項の自覚的な知識が総体としてなくてはいかなる言語活動に従事することもできないと考えるのは誤り。
Ⅲ.段階化(gradation)
8.一方で特定の言語活動に特化した基底的な知識を想定しつつ、もう一方で文型の系統的な習得と語彙の体系的な習得も考慮しながら、達成可能な言語活動を段階的に企画する。それが各ユニットとなる。
9.上のような観点の下に中心的なリソースとなるマスターテクストを制作する。(※個々のマスターテクストは、各登場人物各々の総体的なストーリーとして「文脈化」されている。)
10.言語事項を内包した言葉遣いはこのマスターテクストで学習者に示し、提供される。
Ⅳ.教育の実践=習得支援
11.教育の実践は、ユニットで特定された言語活動に(豊かに)従事できるようになるという方向で日本語習得の支援をする。
12.マスターテクストを学習し何らかの習得支援を受けることができれば、学習者は間違いなく、ユニット開始時よりもユニット終了時のほうが当該の言語活動により豊かに従事できるようになる。※例えば、ユニット開始時にユニットのテーマでエッセイを書かせて、それとユニット終了時のエッセイを比較せよ。もちろん、オーラルのパフォーマンスでもよい。
13.実際を言うと、この教育の企画の下での(マスターテクストを中心とする)教材の学習だけでも、つまり、学習者が自学自習したとしても、学習者の事前(ユニット開始時)と事後(ユニット終了時)のパフォーマンスには向上が見られる(はず!)。
14.ゆえに、教師による教育実践あるいは習得支援は、伸びを一層大きくすることに貢献する要因となる。そして、そういう意味での教師の教育実践技量が問われることになる。
15.習得の基本原理は「盗み取り」あるいは「マネ」。理論的に言うと、テクスト相互連関性(クリステヴァ)である。cf.10
Ⅴ.ユニットの目標達成と基底的な知識の総体の形成
16.教師は10のような方向で教育実践に臨めばよいが、ユニットの目標は首尾よく達成しながら、基底的な知識の総体(cf.Ⅱ)の形成についても貢献できる授業を心がける必要がある。

N3あるいはCEFRのB2.1までに至る表現活動中心の日本語教育はこんなことを考えて構想されているということです。

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