2018年6月22日金曜日

グローバル時代の庶民の教養②:大学のセンセのあり方

 大学のセンセのあり方について、今のぼくの考えを少し書きたいと思います。まずは、大学のセンセに関する2つのエピソードから。

 江戸川柳に「先生と言われるほどのバカでなし」というのがあります。大辞林の説明は以下の通り。「先生と言われて気分をよくするほど、馬鹿ではない。また、そう呼ばれていい気になっている者をあざけって言う言葉。」 あれっ? 実は、今日の今日までぼくは、「学校の先生という人たちは、社会経験がなくて世間知らず。わたしはそんな世間知らずの人間ではない」というような意味で理解していたし、使っていました。こんなふうに使っている人、多いですよね。
 もう一つのエピソード。これは、昔読んだ金田一春彦の本にあった話。著名な万葉集学者犬養孝は、大学の講義で朗々と万葉集の中の歌を詠むそうです。そして、最後に「ええですなあー」と感慨を込めて叫ぶそうです。その後で、何が、どう、いいのかの説明がふつーはあるのだろうと思いますが、金田一さんの話では、「ええですなー」で「はい、次の歌」という風情でした。とにかく、金田一さんは、この「ええですなー」と叫ぶという部分を「微笑ましく」強調されていました。この本を読んだのはもう40年くらい前のことですが、本の内容はすっかり忘れましたが、このエピソードだけは今も感慨深く覚えています。感慨としては、「そんな先生がいたら楽しいなあ! 素敵だなあ!」です。今のぼくの目線でそのときのぼくの感慨を解説すると、「大学のセンセというのは、研究対象の作品や、思想や、テーマに心底惚れているんだ。好きで好きで、もっと追究したくてたまらない、他の人にもそのおもしろさや楽しさを話さないではいられない、そいういう人種なんだ」ということです。現在のぼくの身近にもそんな先生方がけっこういらしゃいます。(でも、残念ながら「おもしろさや楽しさを話す」の部分は、「ええですなあー」ではいけませんので、抑制されているように思われます) その一方で、シンドそうに?義務的に?研究活動をしている先生もいらっしゃいます。端的に、前者の先生が「本来の大学のセンセ」なのだと思います。つまり、本来、大学のセンセというのは「世間知らず」でよくて、「好きが昂じて、好きなことがそのまま仕事になった」という人がいいと思います。後者のセンセは、「本来」でない感じがします。ああ、このあたり、社会科学系のセンセはあまりに世間知らずなのは困りますね。社会科学系を除く人文系のセンセの話です。
 
 で、次は、前回ご紹介した與那覇さんの2つの本から。かれは、従来大学のセンセたちがやってきた、上の「ええですなー」のスタイルや、自分の弟子を育てることだけに関心をおいた教育では、これからの大学が期待されている役割は果たせない。これから、大学でやらないといけないのは、教養教育と知性教育であると主張しています。
 一つ目の「なぜ日本人は存在するのか」では、前回のblogで紹介したように、教養について論じられています。彼の「大学で教養を身につける」という場合の教養は、「人間とはどのような存在か、社会はどのように形成され成り立っているのか、人類はこれまでどのような文化形成・自己形成の歩みをしてきたのか、現在科学技術の進歩も含めてどういう段階に至っているのかなどについて、哲学、人文科学、社会科学、自然科学横断的に俯瞰する視線を養うこと」という感じです。同感です。
 二つ目の「知性は死なない」では、知性が論じられています。彼が言う知性のキモは、(1)自身の考えを持ちそれを(書物や他者との対話を通して)更新し続けること、(2)自身の考えをしっかりと言語化(理路整然とした言葉の形で他者に伝えること)できること、です。これも納得。

 はい、結論に行きます。
1.大学のセンセは、「ええですなー」系の先生と、教養教育・知性教育をやる先生のミックスがいい。前者は、本来の大学としてやはり重要。後者は、まさに21世紀を生きる若者たちのための教育として重要。
2.教養教育と知性教育に関して重要なことは、内容が歴史であれ、経済学であれ、心理学であれ、文学であれ、どんな分野の先生でも、それぞれの分野を「舞台」としながら教養教育や知性教育ができること。

 はい、こんな感じです。
 で、次の課題は、外国語教育(学)を担当する大学のセンセのことです。外国語教育(学)担当のセンセは、(a)1と2のどっちをするのか、両方するのか、(b)外国語の技量というのは「現金」なものです。その「現金」な技量の養成をどうするのか、これまでと同じくらい重視するのか、教養教育や知性教育の要素が入るから少し重みを減じるのか、あるいは言語的な技量の養成と教養・知性教育はうまくやると「両立」するので重みを減じる必要はないのか、などを知性的かつ教養的にクリティカルに検討する必要があります。もちろん、一元的に「みんなこうするべきだ!」と主張する必要はないのですが、21世紀の現代において、何が期待されているかを検討することが大事だと思います。

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