2020年1月2日木曜日

優れた日本語教育を創造するために

 こういうことが日本語教育者の間で共有されていれば…。(中級くらいまでの話です。)
Ⅰ. 日本語教育とは何か
1.日本語教育を「日本語」を「教えること」と思っている人が多すぎる。(←ハズキルーペのCMのように!)
2.日本語教育は、「学習者における日本語の上達」を「支援する」計画的で組織的な営みである。
3.「計画的」というのは、「企画(planning)」の部分と「実施・実践」の部分があるということ。
4.「組織的」というのは、教材を中心としたさまざまなリソースを有機的に組み合わせて、学習者(たち)と教師(たち)が協働してで、「学習者における日本語の上達」という目標を達成する営みを行うということ。
5.有効な企画とそれとかみ合った優れた実施・実践という形になっていない状況で、優れた教育実践を創造することは決してできない。
Ⅱ. 計画あるいは企画について
1.企画においては、どのような言語活動領域に関心を置くかの判断が根本的に重要。
2.どのような言語活動領域に関心を置くかは、「なぜ日本語教育をするのか」という根幹的な問いに基づく。
3.「なぜ日本語教育をするのか」と問われたら、わたし自身は「学習者一人ひとりが自身の声を獲得して、しっかりと自己(self)を表現できるようになってほしいから」と応える。
4.ゆえに、わたしが関心を置く言語活動領域は、「正しく適切に日本語が話せるようになる」や「実用的なコミュニケーションが効果的にできるようになる」というような言語活動領域ではなく、(自己)表現活動という言語活動領域となる。
5.文型・文法事項であれ、実用的なコミュニケーション表現であれ、言語事項を内容として教育を企画すると、その教育実践は避けがたく、「日本語」(言語事項)を「教える」実践となる。(これが、Ⅰの1で言ったこと。)
6.言語活動領域が決まったら、次は、学習者における日本語上達の経路を想定した具体的な教育企画を立案する。
7.(自己)表現活動中心の教育では、それは、やさしいものからむずかしいものに徐々に進んでいく、テーマの言語活動の一連のユニットとなる。
Ⅲ. 企画の一部としての基本教材
1.ユニットとしてテーマだけ提示されても、教師はどのようなことをどこまで指導すればいいのかわからない。
2.ゆえに、(1)当該のテーマについて何をどのくらい話す(書く、理解する)ことが求められているのかを示すために、また、(2)テーマをめぐる各種の言葉遣いを盗み取るために、モデル・ディスコースを用意するのが適当である。
 以上のような教育企画(と教材)は、日本語上達の経路に沿って、学習者自身が自分の力でかなりの程度学習を進めることができて、教師のコーディネーションとサポートがあれば一層有効に上達が進む教育企画となっている。
Ⅳ. 実施・実践
1.上のような企画と教材を提供されたところから、学習者の仕事と教師の仕事は始まる。
2.学習者と教師は、各ユニットで、モデル・ディスコースとして例示されているような言語パフォーマンスができるように学習と指導を展開する。その目標を達成するために学習者(たち)と教師(たち)は有効に協働しなければならない。
3.教師は、ユニットのテーマを超えた総集的な日本語の上達を促進する習得援助もしなければならない。
4.第二言語の習得においては、学習者の能動的な学習と、教師の強力な支援が求められる。
Ⅴ.第二言語習得の原理
1.成人の第二言語学習者は、習得と学習という2種類の方法で第二言語を伸ばすことができる。
2.学習された知識は習得を支える知識となり得る。
3.第二言語の学習はスキルの学習ではない。
4.“Speaking is a result of acquisition and not its cause.”(話すことは習得の結果であって、習得の原因ではない。Krashen)。つまり、「学習者にできるだけ話させる(と、日本語が上達する)!」との考えは間違いである。
5.しかし、ユニットなどの一定の区切りで「話せる(書ける)ようになっていること」を確かめることは、学習者のモチベーションを高く維持するために重要な方略である。(自己効力感)
 つまり、優れた日本語教育を創造するためには、(1)適切な言語活動領域の選択、(2)有効な企画と適切な基本教材、(3)優れた実践、(4)優れた実践を支える習得の原理、という4本の柱が必要ということです。

1 件のコメント:

  1. 素人解説で一番気になるのは、やはり「女性は/男性はあまり使いません」発言ですね。
    「日本語には女言葉が…」を言い訳にして、ジェンダーバイアス野放し状態はよろしくない。
    自己を表現できるようになってほしいなら、なおさらね。

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