2019年3月1日金曜日

「あいつ、年下のくせに、なまいきだね」は日本語ネイティブにはわかる!?

この記事は、NJ研究会フォーラム・マンスリー2019年3月号(https://archives.mag2.com/0001672602/)に掲載されたものです。 

 わたしはFM京都αステーションのファンで、車に乗ったときはいつも聞いています。そして、朝の番組は素敵な低音の素晴らしく落ち着いた話しぶりの佐藤弘樹さんがDJをしています。佐藤さんは英語が素晴らしくできるようで、京都外国語大学の講師もしていらっしゃって、同番組でワンポイント・イングリッシュというコーナーをいつもやっていらっしゃいます。「こんなの英語で何と言うのだろう?」というような話です。ワンポイント・イングリッシュで取り上げられる表現はいずれも英語で表現するのはむずかしいです。そして、自分たちの(1)生活習慣に基づいた上で、(2)日本語で考えて、そして(3)日本語にした上でそれを英語にしようとする、(悪い!)習慣がある「英語が苦手な」英語学習者たちには「なるほど、だからそれを英語で言うのがむずかしいのかあ」と手を打って思わせるものばかりです。しかし!! これってどうなの? そういう「悪い習慣」をもっている人の「悪い習慣」に基づく「ご質問」に答えて(応えて?)いていいのでしょうか、英語の習得を支援しようとする者として。佐藤さんの番組は佐藤さんのトークもそこで流される音楽も大好きなのですが、このワンポイント・イングリッシュだけはいつも「引っかかり」ます。
 そのワンポイント・イングリッシュで先日(実は2月10日)「『あいつ、年下のくせに、生意気だね』は英語でどういうんでしょうね?」というのが出てきました。佐藤さん曰く「 うーん。これは、英語にならないでしょうね。これは、日本語ネイティブならわかりますが、英語話者の人には何を言ってんだかさっぱりわからないでしょうね」。ワンポイント・イングリッシュにはそもそも「引っかかって」いるのですが、この「日本語ネイティブならわかりますが」には大いに引っかかりました。日本語ネイティブと言われるには、この水準までどっぷり『日本』に浸かっていないといけないの? そもそも「あいつ、年下のくせに…」というのはほとんど差別発言です。「あいつ、女のくせに…」とか「あいつ、男のくせに…」というふうにすれば差別発言であることがすぐにわかります。差別発言は、差別発言だからだめ、というものではありません。そのように言われた当事者が不快になることと、そのような不当な「線引き」を維持し助長するから、いけないのです。その根本は、人に対するやさしさや人を一人の人として尊重する態度です。そのようなことを考えると、「あいつ、〜なのに…」という発言は、そもそも人へのやさしさや尊重する態度のない発言となります。それを「これって、英語でどう言うんだろう?」というネタにするというのはどうなんでしょう? そして、実はワンポイント・イングリッシュで取り上げられているネタの多くは、ここまでひどくはないにしても、「土着的な」生活習慣に基づいた発想の日本語がとても多いです。
 「外国語を学ぶときは、その言語が話されているところ/人々の文化や習慣も理解しなければならない」とよく言われます。それは、一応その通りではありますが、その基本は、(a)人へのやさしさと尊重する態度と、(b)自身が身につけていることの中で自文化に特殊的な部分を認識し意識化すること、です。(a)のほうは、言語や文化を超えた普遍性のあるものです。そして、(b)の「自身が身につけているもの」には、自文化に特殊な部分と(a)に通じる部分の両方が含まれています。そんなふうに考えると、外国語学習を通してめざすべきは、他者を尊重しよりやさしい器量の広い人間になることであって、相手の文化の特殊性を知っておもしろがることではありません。そして、そうして身につけた態度や器量は、自身の第一言語で外国出身の人と話す場合においても発揮されるものです。
 こんなふうに考えると外国語の学習は人格の陶冶ということに大いに資するものなのだと思われます。外国語を勉強しているのにあいかわらず「あいつ、〜なのに…」というような考えをもっている人は、一体、何をその外国語で話し、どのようにその言語の話者と交わろうとしているのでしょうか? 何だか、そんな人は、そもそもの外国語学習の入口にも立っていないのではないかという気がします。
 ああ、ちなみに、佐藤弘樹さんのために「弁護」をすると、佐藤さん自身は英語教育の人でもあるわけですが、このワンポイント・イングリッシュについては、教育的な観点ではなく、娯楽的な観点でやっていらっしゃるということだと思います。そして、いわゆる英会話を勉強しているという人のかなりの部分は、真剣に英語ができるようになって何かをしたいということなのではなく、英会話の勉強そのものがそもそも娯楽なのではないかとしばしば思ってしまいます。もちろん、そういうのも「あり」ですが。

0 件のコメント:

コメントを投稿