2019年3月17日日曜日

コースデザインと教育企画

 NEJやNIJの教育企画について論考を書くことはありますが、NEJやNIJのコースデザインと言ったことは(たぶん!)ないと思います。「デザイン」という響きがイヤなのかなあ…。
 まずは、教育活動というもののステップを明らかにします。
 1.教育の構想
 2.教育の企画
 3.教材の制作
 4.教育の実践
という4つのステップになるかと思います。で、教育の構想はスキップして、教育の企画の話に行きます。
 教育を企画するというのは、汎用性のある新しい教育を作って提案するというようなニュアンスです。もちろん企画されたものが新たな教育企画となります。
 教育を企画することには、(1)一定の調査と理論的な考究をかけ合わせた検討の結果として特定のゴールを設定すること、(2)そのゴールに至るまでのステップを策定すること、が含まれます。ですから、教育企画の産物は、(1)特定のゴールと、(2)そのゴールに至る行程となる諸ステップ、となります。
 本来的に言うと、教育の企画は一つのことで、教材の制作はもう一つの別のことです。しかし、学習者が諸ステップを経て育成される言語技量と、その言語技量に関わる言葉遣いと、その言葉遣いの要素となる言語事項は密接に関連しているし、その3者連関について一定の方向付けをしたい場合は、教育の企画と教材の制作は連動して作業をしたほうがいいです。NJでは、そのようにしました。
 このような結果として、一つの汎用性のある教育企画と、一定の汎用性のあるプラットホーム的な教材(学習と教授のためのリソース)ができました。自己表現の基礎日本語教育の企画とNEJ、テーマ表現の中級日本語教育の企画とNIJです。あわせて、表現活動中心の日本語教育の企画となります。
 これまで、「表現活動中心の」という言い方をしてきましたが、主体を中心に据えて、「表現主体を育成する」日本語教育と言ってもいいと思います。

 ということで、特定の文脈にある特定の学習者に対するコースを作ったのではなく、新たな種類の汎用的な教育のプランを作って提案したので、コースデザインではなく、教育企画となります。
 冒頭で言ったように、「デザイン」という響きがどうも好きではありません。「デザイン」と言った場合に、即興の世界である教育実践を実際にする教師が「デザイン」に従属するような感じがするのがイヤなのでしょう。教育企画の場合は、教師とそして学習者も上の(1)と(2)には「拘束」されます。教材のほうは基本のプラットホームとして有用であろうと教材制作者は考えていて、一応それを最初の踏み台にして学習と教育の活動を展開するのが「表現活動中心」あるいは「表現主体育成」の日本語教育が有効に展開できると思います。

 結論として、
 学習者と教師が協働して、(2)の各ステップをクリアしてください、そして、順調に(1)を達成してください、というのが教育企画の根幹です。

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