2019年5月5日日曜日

映画: 12か月の未来図(20190504)

いわおちゃん家が帰省で帰ってきて、心斎橋まで送った帰りに。with みか。
梅田スカイビル下のウィラーズ・カフェでお茶をしてから、テアトル梅田へ。

オリヴィエ・アヤシュ=ヴィダル監督、2017年フランス映画

フランスが誇る名門アンリ4世高校で国語(フランス語)を教えるベテラン教師フランソワ・フーコー(ドゥニ・ポダリデス)。優秀な教師だが、生徒には厳しく授業の口調もひどく辛辣。父は国民的作家で、妹は彫金作家として活躍する知的なブルジョア一家に育ち、家庭も職場もブルジョアばかりという環境に疑問を感じることなく生きてきた。ある夜、フランソワは父の新刊サイン会でゲストに「パリの学校とパリ郊外の学校の教育格差を解決するには問題校へベテラン教師を派遣して新米教師を支援すればよい」と教育改革論を語っていた。それを国民教育省で教育困難校に取り組む素敵な女性アガットが聞いて、フランソワをランチに誘う。アガットから連絡があり、教育省で再会。そこで、フランソワは、同席した国民教育省の官房長とアガットから、教育優先地域にあるバルバラ中学校への1年間の派遣を依頼される。

映画のメッセージと感想をいくつか書くと。
1.学校教育のメニューは「優秀な」生徒だけが十分に「消化」できるようにできている。「優秀な」には「学校に行って、先生の言うことをよく聞いて、真面目に勉強することを何の疑問もなく当然と思っているお育ちのいい」の意味が入っている。
2.「お育ちがよくない」子どもは「勉強して『社会の階段を上って』行って、『あいつら』(ブルジョア?)みたいな豊かな生活をぼく/わたしもするぞ!」という気持ちと気概を持てれば、勉強に身が入る。
3.1と2では、同じように一生懸命勉強するのでも、根底にある「推進力」がまったく違う。
4.フランソワ先生は、アンリ4世高校で1のような生徒を教えていた。(学力低下を嘆いていたが) そして、バルバラ中学校で、自身の人生の将来を描くことができないで喘ぐ移民の子どもたちや貧困層の子どもたちを目の当たりにする。
5.そんな中で生徒の一人セドゥに2のような気持ちと気概が芽生えてくる。

わたしたち一人ひとりは、自分自身の「地点」からスタートして自分自身で自分自身の人生に「取り組む」しかない。一人ひとりのスタート地点な、どうしようもなく違っている。しかし、せめて社会が差別のない平等で公平な社会であれば、人生を切り拓いていける!

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