2019年5月13日月曜日

活動中心と表現活動とニホンゴ

 表現活動中心の日本語教育の教育企画のキモは、言語を直接に扱わないが、言語の上達が自ずとついてくる、ということです。「活動中心」の部分です。そして、表現活動中心の日本語教育のもう一つのキモは、「表現活動」です。基礎では「自己表現活動」、中級では「テーマ表現活動」です。「表現活動」でぼくが意図していることは、「日本語を日本文化の土着性やしがらみから解放する」ということ、そして、個人における複言語の一つに位置づけるということです。日本語学校などでも同じような状況が見られると思いますが、大阪大学にいると、さまざまな国出身、さまざまな民族・母語・宗教の人たちが、日本語を共通語とした話している状況をよく見ます。かれらは、自身の中の複言語の一つとしての日本語で話しているわけで、土着的な日本語で話しているわけではありません。そして、「日本人と話す」というのは、かれらの複言語的な言語生活の中のワンシーンでしかないと思います。 ぼくはどうも「日本文化」というのがあまり好きではないこともあって、昔から土着的な日本語ではなく、文化のしがらみを免れたニホンゴを教えたいと思っています。 NEJやNIJの本文を見てください。日本文化の土着性を免れていると思います。 ただ、一方で、経験の言語化の過程で、その言語の「習慣」がどうしても関わってしまうことがあります。例えば、家族の話をするときは、一つの典型で、日本語では、「I have two brothers and two sisters.」とは言えません。以下省略。また、「休みの日に友だちといっしょにショッピングモールに行きました。I found so many people and variety of shops and restaurant.」のこの英語部分は、「人がたくさんいました。そして、いろいろな店がありました。」(NEJのユニット6)と言わざるをえません。このように、言語の話し方が経験の仕方をしばしば左右します。しかし、現代語の間では、「よく似た経験の仕方」が多いです。 いずれにせよ、「日本語」「日本文化」と並置するのは、ぼく的には「小耳ではない」です。しかし、学習者の多くがそのような「ニコイチ」で、日本語&日本に関心をもっているとも言えます。しかし、その場合でも今の若い学生たちにとっての「日本文化」は「入り口」としては、トトロや、ポケモンや、ドラゴンボールなどです。

0 件のコメント:

コメントを投稿