従来の日本語教科書を主教材とする日本語コースで仕事をしている人は、常に「教科書のこの部分をやってください!」というノルマを課されます。例えば、『みんなの日本語』で言うと、「練習Aと練習Bをお願いします!」、「練習Cと問題をお願いします!」などです。そして、最近では、「練習Aと練習Bの授業を赫々然々の手順で実施してください!」と丁寧に(お節介に!!)指定してくる学校もあるようです。
そんな中で、自身の授業ができるだけ学生の日本語習得や日本語の上達に資するようにと考える真摯な教師は、「練習Aと練習Bをカバーしながらどのように授業を組み立てれば有効な授業になるか?」、「練習Cと問題というノルマを果たした上で、他にどのような活動を計画し実施すれば学生における日本語の上達に資することができるか?」などと日々考えます。そして、その途上でしばしば、「この練習は 教師に授業実践として何を期待しているのだろう?」とか、「うーん、この練習はそもそも有効・有益なのかなあ?」とか、「そもそも『一つの課で一つ文型に集中』というデザインはそれでいいのだろうか?」などとあれこれ悩みながらも、とにかくあすの授業を何とか有効・有益なものにするべく、もがきます。
多くの日本語学校や大学でフツーの(従来的な)コースを担当している日本語教師の悩みやもがきをこのように記述してみましたが、だいたい当たっているでしょうか?
さて、この悩みやもがき、一体何なのでしょうか。また、この悩みやもがきはやがて解消されて、有効・有益な授業ができるようになる「途上」の悩みやもがきなのでしょうか。「途上」の悩みやもがきなのであれば、しっかり悩みもがいていただくのがいいと思います。しかし、ぼくにはそれは「途上」の悩みやもがきとは見えません。それは、そもそもの教育企画(と教材)が抱える問題や矛盾を現場教師に丸投げされているという根本的な悩みやもがきなのだと思います。そして、その悩みやもがきは根本的な悩みやもがきなので、悩んでももがいてもほとんど甲斐がなく、現行の教育企画(と教材)が続く限り続く悩みやもがきであり、後輩たちにも引き継がれる悩みやもがきです。結論として言うと、現行の日本語教育企画(と教材)を続けている限り、この詮ない悩みやもがきは続きます。
この記事を「そうだそうだ!」と思いながら読んでくださっている方は、現行のフツーの日本語コースで日々悩みもがいている真摯な方であろうと思います。しかし、もう一歩!! 十分に悩みもがいた上で、「やはりこの現行の教育企画(と教材)では教育成果は得られない!」と思ったら、「この教育企画(と教材)はやめよう!」「もっと『有望な』教育企画(と教材)に置き換えよう!」という声を大にしてあげてください。そうでないとこの詮ない悩みともがきが続く、いい仕事ができない業界(現行の日本語教育とその実践)が続きます。
いい仕事ができない教育業界というのは、そのために犠牲になる学生をずっと再生産しているんですよ! あなたは真摯な人なのかもしれませんが、「まじめ」(きまじめ?)な人でもあるのかもしれません。そして、「まじめ」(きまじめ?)な人はしばしば「先輩」や「伝統」に反旗を翻すことを躊躇します。
改革・革新の気運というのは、民衆の中からじわじわと発生し広がり膨らんでいくものです。現行の体制が続いている間はその中で何とか創意工夫して実践を続けるとしても、一方で、「これって、本来じゃないよねえ!」という声を(ひそかに? 燎原の火のように!)上げ、改革・革新の気運を醸成していってください。そうでないと、学生の犠牲が続きます。
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