現象学から人間科学へ⑧ ─ 「世界内存在」の端緒
これまでの7回で、現象学とは何かを概観しました。今回から、3回ほどは、現象学の中の世界内存在という視点について話し、そのあとの人間科学への話につなげたいと思います。
今回は、現象学そのものとともに、世界内存在という物の見方がどのような経緯で浮上してきたかを見ていきたいと思います。
1.近代哲学から現代哲学へ
世界内存在という視点が浮上してきた経緯を見るためには、近代哲学から現代哲学への移行の経緯とその内容を見なければなりません。木田の引用から始めます。
かれ(デカルト、筆者注)の「思う我れ」は、世界のうちに何が存在し何が存在しないかを決定するものであり、そのかぎりそれ自身(デカルトの「我れ」、筆者注)は<世界のうちに存在する>とは言えない、つまり<超越論的>transzendentalな主観なのであり、他方、世界とはこの理性的主観によって認識されるかぎりで存在する、したがって合理的な構造をそなえた、存在者の全体なのである。…ニュートン物理学を基盤にして発展した近代科学は、たしかに方法の上では17世紀の形而上学(デカルトのこと、筆者注)とかなり違った立場になっていたが、やはりこの近代科学にとっても<世界、つまり存在するものの全体は、絶対的な空間・時間のなかで、それ自体において明確に規定された構造をもって存在する>ということは自明の前提であった。こうした前提に立てば、科学的認識とは、この客観的世界のそれ自体における規定性、つまり自然法則を、漸進的にではあれ明確に記述してゆくことにほかならず、しかもその可能性は当然保障されている、と考えられることになる。近代の科学や技術の発達は、こうした絶対に真なる世界、つまり自然の理性的秩序への素朴な信頼に支えられていたわけであり、その意味で近代理性主義(デカルト以降の近代の思想、筆者注)の嫡子と見ることができるわけである。(木田『現代の哲学』、pp.17-18)
以下も木田からですが、19世紀の後半から20世紀の初頭にかけて、ヨーロッパ文化はその諸領域において深刻な危機ないし変革を経験しました。それがやがて近代的な世界観の転回を引き起こすことになるのですが、それがもっとも明確な形で現れたのが、自然科学の領域、それも最も基礎的な部門である数学と物理学の領域でした。それは、一般に「数学の危機」とか「物理学の危機」と呼ばれています。その概要は、木田の『現代の哲学』のpp.24-29を参照してください。そして、こうした「数学の危機」と「物理学の危機」の結果、「世界」というものについての見方が大きく変わりました。
実験によって自然の存在として測定される内容は実験装置と相関的であり、さらに実験装置は観察者としての人間の身体の構造や大きさと無関係ではありえぬ以上、自然の存在は人間の存在を参照せずには語られえないわけである。かくて、物理学的に測定された結果を、自然それ自体の規定として絶対化しえないだけでなはなく、そうした即自的自然の存在そのものが疑わしくなるのである。このような数学や物理学における変革が、科学的認識の真理性、つまりは理性の権威や、それを支え、それによって精密化されてきた<客観的世界> ─ の想定にどれほど厳しい打撃を与えたかは、想像に難くないところであろう。(木田『現代の哲学』、p.29)
木田よると、20世紀の初頭にはすでに、科学の理論体系もその概念もすべて主観的な性質のものであり、それらは「真でもなければ偽でもなく」、経験を整理するのに便利な道具に過ぎないという科学の相対主義的・実用主義的な見方が提唱されました。例えば、ポアンカレ、デュエム、ル・ロアなどです。
客観的な即自的世界を否認する同じような変革は、科学の他の領域においても並行して進み、たとえば生物学においてはユクスキュル(1864-1944)の環世界論Umweltenlehreが、すべての有機体にはそれぞれ特有の空間性や時間性、内容的性質をそなえた環境構造があって、それ自体において規定されている客観的世界を論じることの無意味であることを教え、また心理学の領域においてもゲシタルト学説が、それまでの要素主義的心理学の恒常仮説 ─ 物理的刺激と感覚との一対一の対応関係の想定 ─ を批判して、われわれの経験に与えられているものが、いわゆる客観的世界ではないことを明らかにした。こうして絶対的な真理の領域としての理性や、その具象化としてのニュートン物理学的世界像への信頼が根底からゆるがされるような事態が、まず科学(哲学に対する科学、筆者注)そのものの内部で現れてきたのである。(木田『現代の哲学』、p.30)
やはり木田によることになりますが、19世紀中には、一方で、科学の進歩によっていつかは客観的世界の完全な認識が達成されるだろうという19世紀の楽観的な科学的道理主義が生まれ、他方では、人間理性がいっさいの制約から解き放たれて、もはや認識主観であるにとどまらず、その実践的性格を強め、歴史や社会を合理的に形成していくヘーゲル流の絶対精神にまで高まっていきました(ヘーゲルの『精神現象学』は1807年)。しかし、このように近代の理性主義が完成されようとしたそのときに、一方で、上で論じたように、科学そのものの内部でその基本的前提となっていた客観的世界の想定が打ち破られることになりました。そして、他方では、マルクス(初期マルクス)やキルケゴールなどによって、絶対的理性主義が否定される考え方が提示されました。マルクスもキルケゴールもともに、ヘーゲル流の抽象的な理性主義に対して具体的な人間存在を回復しようとする試みでした。
2.生活世界と世界内存在
世界内存在に接近するために、マルクスが提示した新しい人間把握の方向を見てみましょう。1845年頃のいわば覚え書です。
従来のあらゆる唯物論 ─ フォイエルバッハのそれも含めて ─ の主要な欠陥は、対象が、つまり現実、感性が、ただ客体ないし直感の形式のみで捉えられ、人間的・感性的な活動、実践として、主体的に捉えられないことである。それゆえ、活動的側面は唯物論とは反対に観念論によって展開される ─ とはいえ、観念論はもちろん現実的・感性的な活動そのものを知らないので、ただ抽象的に展開されたにすぎないが ─ ということになった。
(「フォイエルバッハに関するテーゼ」廣松訳、2002年、p.231)
その1年後の『経済学・哲学草稿』のヘーゲル哲学批判の部分で議論の中間総括として、マルクスは「ここに見てとれるのは、考えぬかれた自然主義ないし人間主義が、観念論とも唯物論とも異なるものであること、同時に、その両者を統一する真理だということだ。とともに、世界史の行為を把握できるのは自然主義だけだ、ということも見てとれる。(マルクス『経済学・哲学草稿』、長谷川訳、p.185)
詳細な議論は割愛しますが、マルクスは従来の主観か客観か、精神か物質かという二者択一を越えたところで人間を捉えようとしていることがわかります。
1で論じたように、近代から現代への移行の中で、この世界が即自的な(それ自体で完結した)事物の総体、つまりわたしたちの前に繰り広げられた対象的な物理的世界でないことが明らかになってきました。それに代わって出てきたのが、世界内存在(In-der-Welt-sein)という人間(と世界)の在り方についての見方です。
わたしたちが生きる世界、つまり生活世界は、「ただ客体ないし直感の形式でのみ」捉えられる世界ではなく、「人間的・感性的な活動、実践」の場面として「主体的に」捉えられている世界です。そして、主体とは、これもマルクスの言うように、「現実的・感性的活動」に従事する主体であって、その身体によって世界の内に深く挿し込まれ、投げ込まれた存在となります。ここにわたしたちは、世界と人間の特有の絡み合いを見ることができます。このような物でもないし、純粋意識でもない人間の在り方を現象学では、そして具体的にはハイデガーは、世界内存在と呼んでいます。ちなみに、現象学そのものも、同じような時代背景と問題意識を端緒として提唱されたものです。
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