2020年5月1日金曜日

言語についてのオートポイエーシスの視点① ─ オートポイエーシスの衝撃


この記事は、https://www.mag2.com/m/0001672602.htmlの2020年5月号に掲載されたものです。

言語についてのオートポイエーシスの視点─ オートポイエーシスの衝撃

 12回の連載にしたいと思います。タイトルは上のように、「言語についてのオートポイエーシスの視点」です。今回は、イントロダクションです。

 ハイデガーにおける言語の論考を3月に出すことができました。その原稿は12月には完成していました。これで、「西洋系」は取りあえず、終わりです。その後しばらく少し「休憩」していましたが、年が明けたら、また「始動」しました。そこで出会ったのが、更なる「巨人」、井筒俊彦とマトゥラーナ&バレーラです。井筒は「ジャパン」、マトゥラーナ&バレーラは「南米チリ」です。
 井筒は、イスラム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者などと呼ばれています。まあ、ぼくが勉強した範囲で言うと、洋の東西を問わず、あらゆる哲学、思想、宗教、そして関連の人文学に精通していて、あのデリダに「巨匠」と言わしめた巨大な知性です。井筒の思想的営為を簡単に言うことなどとてもとてもできないわけですが、ぼく(たち)の関心で言うと、(1)井筒は人間の存在や精神の探究において言語に大いに注目している、そして、(2)最後に到達した深層存在のことを「言語アラヤ識」と言っている、ということで、言語に抜き差しならない関心を向けています。ですから、今年度の連載は、井筒にしようかなあと考えていました。しかし、井筒に入るとそこはほとんど「魔宮」になってしまいますので、躊躇していました。そして、そんな井筒と並行して見ていたのはマトゥラーナ&バレーラです。※井筒のことは、『井筒俊彦 ─ 叡知の哲学』( https://www.amazon.co.jp/井筒俊彦―叡知の哲学-若松-英輔/dp/4766418115/ref=sr_1_3?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=井筒俊彦&qid=1587352567&s=books&sr=1-3)をご覧ください。この本はわかりやすく論旨明快。
 マトゥラーナ&バレーラは、聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、オートポイエーシス理論の提唱者です。マトゥラーナが「師匠」でバレーラは「弟子」だそうです。お二人とも生物学のバックグランドがあり、マトゥラーナのほうは医学も修めているそうです。
 マトゥラーナ&バレーラがオートポイエーシス理論で何をしたかというと、ごく端的に言うと、(a)生物の環境への適応は閉じられた環の中で起こる、そして、(b)言語的な活動を伴った人間の活動の総体も生物の場合と同じく閉じられた環の中で起こる環境への適応である、と見るということです。よく言われる「言語は行為である」とか「言語は記号(code)ではなく、象徴である」などの言説からはるかにぶっ飛んで、「言語活動は人間による環境への適応(活動)の一部である」ということになります。
 これまでやってきた、バフチンらと同じように、マトゥラーナ&バレーラもまた「難物」です。しかし、ぼくが受ける「興奮度」はバフチンと同等あるいはそれ以上です。でも、難易度もバフチンと同等あるいはそれ以上です。これから12回にわたって、マトゥラーナ&バレーラと対話してみたいと思います。対話する相手は主に『知恵の樹』(https://www.amazon.co.jp/知恵の樹―生きている世界はどのようにして生まれるのか-ちくま学芸文庫-ウンベルト-マトゥラーナ/dp/4480083898/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=知恵の樹&qid=1587354663&s=books&sr=1-1。原著は、https://www.amazon.co.jp/Tree-Knowledge-Biological-Roots-Understanding/dp/0877736421/ref=sr_1_59?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=the+tree+of+knowledge&qid=1587354829&s=english-books&sr=1-59&swrs=E8EF52F0DDFC08C2F1C5087F5C1EBF7B)です。
 今回は、かれらがコラムで言語について述べている部分を紹介して、第1回の締めとしたいと思います。日本語訳と英語の両方を出します。日本語訳の[ ]内は訳者の補足です。

言語 ぼくらがおこなう言語的識別の対象物が、ぼくらの<言語域>の要素であることが観察者にわかるとき、ぼくらは言語の中で作動している。言語とは<言語すること>としてのみ存在する進行的プロセスであり、行動の孤立したひとつのアイテムなのではない[ひとつの行動、として数えさししめすことのできるものではない]。

Language  We operate in language when an observer sees that the objects of our linguistic distinctions are elements of our linguistic domain. Language is an ongoing process that only exists as languaging, not as isolated items of behavior.

 マトゥラーナ&バレーラのフレイバー(香り、雰囲気)が伝わったでしょうか。連載に付き合おうと思っている人は、ぜひ上記の『知恵の樹』を入手してください。文庫ですが、写真、イラスト、図なども豊富で何とも、「豪華な」本です。

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