2020年4月26日日曜日

オンライン授業狂想曲 ─ 「ちゃんと」は本質をダメにする

 今朝(2020年4月26日)の毎日新聞第3面にクローズアップとして「芽吹くオンライン授業」という記事がありました。教育関係、まさにオンライン授業狂想曲です。
 いつでもそうですが、事態が「狂想曲」状態や「灰神楽」(司馬遼太郎の好きな言葉)になったとき/なりそうなときは、ぼくはいつも「この活動のそもそもの『価値』は何だったのか」と自ずと振り返ります。
 この「価値」という言葉は、ぼくにはとても印象的に残っています。ぼくは人文系の大学のセンセで日本語教育関係のjobもしているのですが、学部時代の専門は経済学です。そして、大学1年生のときの経済学原論の授業だったと思いますが、最初の授業で先生が、「物」と「サービス」とかいう話をしたあとで、「経済活動というのはそうした『価値』を生み出す活動です!」とおっしゃったのをよく覚えています。そう! 経済活動というのは人の暮らしに「価値」があるものを生み出す活動なのです! だから、経済活動に従事する人はとても偉い!のです。ここに言う「価値」というのは、ただ単に貨幣的な価値を増やす活動は入りません。ですから、バブル経済期のような土地の投機によって金を増やそうというような活動は、ぼくの先生がおっしゃった(まっとうな!)経済活動には入りません。人の暮らしをより快適にしハッピーにすることに貢献する物やサービスを生み出し提供することが(まっとうな)経済活動です。(ここに「豊か」と「安心」を入れることには躊躇があります。「豊か」は経済発展主義につながり、「安心」はどうかすると人間による人間の過剰防衛になるからです。)
 経済活動がそのように価値を創造する活動なのですから、教育活動は「より崇高な価値」の創造・維持・発展をめざして行われなければならないと思います。その活動には「『価値』は何か」を教育者自身が考え、学生にも考えさせる/考える態度を身につけさせるということも含まれると思います。第2パラグラフで言った「価値」というのはそういうことです。なのに、、、
 今のオンライン授業狂想曲は、「オンラインを使って『ちゃんと』授業を実施する! 提供する!」という部分に片寄りがちだと思います。小中高の場合は、受験と学習指導要領と教科書(つまりタイトな制度!)があるので、そのように傾いてしまうのはやむを得ない部分があると思います。しかし、大学の教育はそうした制度の縛りがひじょうに緩いわけで、教師は、自身の担当科目の(学科等の全体のカリキュラムの中での)位置づけや趣旨を適切に(再)把握して、その上で自由な発想と「価値」判断で、この状況下での教育を企画し実践すればいい。
 大学における言語教育(外国語教育、外国出身学生対象の日本語教育を含む)を単に言語スキルの教育と考えている人には、上の「価値」についての議論は何も響かないかもしれません。しかし、言語教育を単に言語スキルの教育と考えている先生の場合でも、現下の状況は「そもそも学生が『何ができるようになる』ことがわたしの教育実践のねらい/目的なのか」を改めて根本のところから再考するよい機会なのだと思います。
 実際の仕事を着実にこなしつつも、その一方でわたしのこの活動の「価値」は何なのだろうといつも振り返る姿勢が教育に従事する者、特に大学教育に従事する者には、求められていると思います。大学教育に、特に大学の人文系の教育に!?、制度的な縛りが緩いのはそのためでしょう。ただ単にメディアを活用してオンラインで「ちゃんと」授業をしようとする「『価値』忘却的な」姿勢は、教育の本質をダメにする!

2 件のコメント:

  1. 学生時代に受けた経済学の授業は、国家悪と生命再生産の理論を主張する先生のものでした。経済は、戦争の原因となり、大量破壊と人命の喪失をもたらしました。本来、社会の安定・安全を作り出し、人を幸福にする経済でなければなりません。利益も不可欠ですが、利益のみになれば、悪と不幸を生み出します。
    言語教育も同様でしょう。経済原理に基づく英語支配の強化ではいけません。日本語教育も、社会的視野に立って取り組まなければならないと考えます。
    善を生み出す力があるかどうか、それが課題となるでしょう。

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  2. 【価値】と【オンライン授業でできること】について最近思ったことを書きます。

    ・【価値】
    「経済活動が価値を生み出す」というふうに経済学従事者たちはスローガンを掲げる一方で、理工系の人も物作り(CSならコードですかね)こそ本当の価値を有すると主張することが多くあります。その結果、理工系>ビジネス>人文社会、のような「価値」に基づいた極めて差別的、実利的なランキングの構造が作られました。確かに、人文系は目に見える形としての「価値」を扱ってません。その代わりに、今世の中に存在している様々な「価値」の中身を吟味し、1人1人の行きていく上でのその人の「価値」を大切にします。先生が指摘した「狂想曲」という言葉もそうですし、世の中で、何らかに基準に基づいたカテゴリー化が出てくる時は、謹んで自らにとっての「価値」を振り返ってみることが結構重要だと大学院に入ってから思うようになりました。

    ・【オンライン授業でできること】
    最近Zoomで行われているオンライン授業に学生やTAとして参加することは数少なくありませんでした。そこで、私の観察と内省から、いくつかの発想がありました。

    ① 学びは対話的プロセスだ、というのはオンライン上でも変わらないこと。オンラインのゼミ参加の感想です。むしろ、チャットで一人一人が書き込んだ方が、順番とキーワードに基づいたディスカッションの方が論理性がよかったかもしれません。重要なめももチャットで保存され、後で振り返ってみることができるので、助かります。

    ②「関係性」の欲求を強く感じました。TAで日本語の授業に参加した時、先生からみなさんに、zoomで会って授業するのか、会わず自らの課題を自分でするのか、の選択をしてもらう時に、90%以上の学生がzoomを選びました。その理由としては、自粛期間中だからこそ、みなさんとコミュニケーションしたい、1人では寂しい、などがありました。面白いと思いながら、言語はコミュニケーション、使用の中で学ぶだという学習・教育観を身を以て、オンラインで体験しました。

                                      Dゼミの陳

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