日本語教育、日本語教育学、第二言語教育学、言語心理学などについて書いています。 □以下のラベルは連載記事です。→ ・基礎日本語教育の授業実践を考える ・言語についてのオートポイエーシスの視点 ・現象学から人間科学へ ・哲学のタネ明かしと対話原理 ・日本語教育実践の再生 ─ NEJとNIJ
2020年4月23日木曜日
言語教育者の社会グループ、言語教育学という(生物学的・)文化的伝統
ある社会グループのカップリングに特有のいろいろな規則性がぎっしりつめこまれた、あの鞄、その名は、生物学的・文化的<伝統>だ。伝統とは見たり行動したりする仕方であるだけでなく、またひとつの隠蔽の仕方でもある。伝統とは、社会システムの歴史において、あきらかで、規則的で、受入れられるものになった、すべての行動(ふるまい)からなっている。それらの行動が実行されるためには反省的思考[=反映]は必要とされないので、それらは失敗しないかぎり目に見えないものだ。<伝統>をなす行動が失敗したときに、はじめて反省的思考が登場する。
これは、マトゥラーナ&ヴァレラの『知恵の樹』pp.292-293にある言葉です。
この「ある社会グループ」に「言語教育者の社会グループ」を、そして「生物学的・文化的<伝統>」の部分に「言語教育学という(生物学的・)文化的伝統」を入れてみるとおもしろい! この入れ替えからあなたは何を読み取る? ヒントは、そのような脈絡で、「過去の<伝統>」、「現在の<伝統>」、「近未来の<伝統>」、「大未来の<伝統>」とは何か! です。「伝統」というと普通は「『現在』が過去から受け継ぎ引き継いでいるもの」となるので、この4つの<伝統>は少し変です。しかし、マトゥラーナ&ヴァレラが言っている意味での「伝統」であれば、OKです。
あなたは「近未来の<伝統>」を担いたい? それとも「大未来の<伝統>」を築きたい?
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