序章 SALへの道のタネ明かし
ぼくはバフチニアン(だけ)ではない
過去2冊のぼくの本(『第二言語教育におけるバフチン的視点』(2013)と『対話原理と第二言語の習得と教育』(2015))を読んで、皆さん何か気づいたでしょうか。この2つの本は、本当にタイトル通りの本なのです。「第二言語習得研究(接触場面相互行為研究)への言及は少しありますが、Krashenへの言及がほとんどない!のです。1冊目は『…バフチン的視点』だし、2冊目は『対話原理と…』ですから、Krashenが入ってくる余地はありません。(1冊目の第11章結論の中でヴィゴツキーの第二言語習得についてのモノロジズム的な見方を批判する文脈で補足的に5行ほどKrashenに言及しているだけです。西口(2013)pp.208)
過去10年くらいのぼくのパブリックな発信だけを見ていると、ぼくはバフチニアン(やヴィゴツキアン)に見えるでしょうね。でも、そのイメージはぼくの「正体」ではありません。ぼくの「正体」は「クラシェニアン×バフチニアン」です。そして、時系列でどっちが先かというと、クラシェニアンが先です。1980年の始めにクラシェニアンになっています。ただし、正統的なクラシェニアンではなく、修正派のクラシェニアンです。
クラシェニアン×バフチニアン
ぼくの「履歴」をざっくり言うと、1980年始めがクラシェニアンの時代(「熱狂的」ではありませんが)、その後ヴィゴツキーに出会うまでは模索の時代。そして、1990年代がヴィゴツキアンの時代、2000年代がバフチニアンの時代、となります。(模索の時代には、認知心理学、生態心理学、いろいろな「応用言語学」の理論などを勉強しました。)
上で言った過去2冊の本は、バフチニアン(&ヴィゴツキアン)としてのぼくが書きました。そして、第二言語教育のこともそのバフチニアンな理論との関係でのみ論じています。そこにKrashenは介入させていません。
日本語教育者としての射程とSAL(supported autonomous learning)
上の話の中心は、ぼくの理論家としての履歴です。その話と、ぼくの日本語教育者としての射程と履歴は別の話になります。本章の「タネ明かし」というのは、あえてぼくの日本語教育者としての射程を明かそうという趣旨です。
まず、日本語教育者としての(過去10年ほどの)履歴の話をすると、過去10年ほどの表現活動中心の日本語教育の構想と企画と教材制作・出版と、表現活動中心の日本語教育の構想を説明し、その「根拠」を示す本(西口, 2015)の出版です。(そして、その本を出すためには、その前に西口(2013)が必要でした。)
しかし、ここまでの履歴は、実は、ぼくがやりたいこと(射程)の「基礎(工事)」です。この後のことは、(1)広く日本語教育一般向けへの表現活動中心の日本語教育の普及とそのための本の出版(2020年5月か6月に出版予定)、と、(2)表現活動中心の日本語教育に基づくIT技術を十分に活用したSAL(supported autonomous learning)の制作と実践の創造、です。
SALへの道
というようなことで、SALの制作とその実践の創造は、日本語教育者としてのぼくの射程に、言ってみれば、当初から入っていました。そして「基礎」部分は、最初からSALに移行できるように作っています。つまり、最初からSALの「A」を強調していますし、SALの「S」も「A」とは密接に関わりながらも自立的な要素であることを強調しています。また、これまでの「基礎(工事)」の仕事は、いわばSALに載る「ネタ」「リソース」などを用意することでした。
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