「これだけ教えているのに、学生たちは会話ができない!」
「これだけ教えているのに、学生たちは会話ができない」という日本語の先生の嘆きの声をよく耳にします。おそらく、学生たちも「これだけ勉強しているのに、会話ができない」と嘆いているでしょう。これはなぜでしょう。
会話やコミュニケーションを教えるとして、教科書制作者や授業をする先生たちは、「道を尋ねる」「買い物をする」「料理の作り方を教える」「レストランで注文をする」「友だちを誘う」「ものを頼む」などの言語活動を扱ってきたのではないでしょうか。しかし、よく考えてみてください。
社交的なコミュニケーション
わたしたちは実用的な用を足すためだけに言語活動をしているのではありません。用を足す言語活動のほかに、話すことそのものを目的としたおしゃべりという言語活動をとても豊かに行っています。わたしたちは、最近の自分の経験や、友人のことや家族のこと、また自分自身のことなどいろいろなことについて、友だちや最近知り合った人などに話しています。また、そういう会話をしています。そして、一定程度親しくなった相手には、より深く経験や自身のことや家族のことや趣味のことなどについて話しますし、そういう会話をします。そして、時には特定のテーマについてお互いの考えを交換したりします。実用的なコミュニケーションに対して、これらは社交的な言語活動と呼ぶのが適当でしょう。つまり、わたしたちの言語活動の重要な部分は社交的な言語活動であり、「日本語で会話ができる」ということの実際は実はそういう言語活動ができることなのです。
そんなふうに考えると学生たちが会話ができるようにならないのは当然です。従来の日本語教育では教育企画として社交的な言語活動を組織的に扱っていないからです。
文型・文法と語彙、及び実用的なコミュニケーション能力の位置
社交的な言語活動の中心部分は表現活動、つまりさまざまなテーマについて話す(話したり、聞いたり、やり取りしたり、書いたり、読んだりすること)ことです。表現活動の日本語教育では、その名の通り、そのような表現活動を日本語教育の中心に据えて教育を企画しています。そうすると、文型・文法と語彙や、実用的なコミュニケーションはどうなるのでしょう。
先ずは、文型・文法と語いなどについて。表現活動を実際に運営するのは言葉遣いです。そして、言葉遣いでは文型・文法や語彙などの言語事項が動員されています。つまり、表現活動を行うためには、当然相応の言語事項が必要になるということです。ですから、表現活動の日本語教育の中に当然文型・文法や語彙の教育が組み込まれることとなります。そして、表現活動の日本語教育の学習と教育を巧みに企画し、着実に実践すれば、文型・文法は自ずと身につきます。(ただし、その教育企画と教材制作は簡単なことではありません。表現活動ができる領域を徐々の拡大しながらそれに伴う形で文型・文法や語いを拡充できるようにうまく表現活動のテーマとそれに伴う言語事項を調整しなければならないからです。NEJとNIJでは、そのような作業を慎重に行いました。)
他方、実用的なコミュニケーション能力はどうなるでしょう。手短に結論を言うと、実用的なコミュニケーション能力は表現活動の言語技量を基礎としています。表現活動の言語技量を身につければ、それを基盤として、実用的なコミュニケーション能力をはじめとしてさまざまな種類の言語技量を容易に発達させることができます。つまり、表現活動の言語技量こそが他のすべての言語活動に関わる基幹的な言語能力だということです。
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