2018年12月8日土曜日

日本語教育実践の再生:表現活動中心の日本語教育を創造するNEJとNIJ ⑩

♢1 教育実践① ─ 主体的に学ぶ学生と学生を強力に支援する教師、そして日本語学習者のコミュニティ

学習者主体の学びを実現する自己表現の日本語教育
 日本語を習得するというのは、第一義的には学生に課された巨大なチャレンジ(挑戦)です。そして、教育企画というのは本来、この巨大なチャレンジを、取り扱い可能な小チャレンジの系列に仕立て直すことです。そして、教材というのは本来、そのように取り扱い可能に設定された小チャレンジに立ち向かう学生に何をどのように学ぶのがいいかを知らせるべきものです。そして、授業や教師は本来、そのように教材に導かれ援助を受けながらチャレンジに立ち向かう学生を支援するべきものです。ここに表明された基本的な思想は、(1)第二言語の習得においては学生が主体的に学ぶべきであり、(2)教育企画と教材と授業・教師は主体的に学ぶ学生を導き援助し支援するべきものである、という学習者主体の学びの思想です。自己表現の日本語教育はこのような思想の下に構想されています。

獅子奮迅に授業をする教師、やる気のない学生
 従来の教科書や教育企画には、そのような思想がありません。従来の方法では、(1)教科書は学生が習得し教師が教えるべき言語事項を会話や練習の形で提示するもの、(2)教師は教科書で指定された言語事項を独自に研究して教科書を適宜に活用して授業を計画し実施する者、というような位置づけで、それはあまりにも即物的で単純直接で、練られた企画になっていません。そして、学習者主体の学びというような観点もなく、いかなる第二言語習得の原理もありません。学生は日本語習得のためのロードマップを与えられることもなく、教師が計画して実施する授業にただただ従って勉強する者となってしまいます。その一方で、教師は、教科書で指定された文型・文法等を習得させる責任を全面的に押しつけられ、その責任をなんとか全うしようとして、文型・文法等の教え方を懸命に研究し、熱心に授業準備をして、熱血的に授業を実施します。そして、学生にも文型・文法等を中心とした学習に奮励することを要求します。そして、そのような状況の結末が、獅子奮迅に授業をする教師と、がんばって勉強しても結果が出ないことに落胆してモチベーションをなくして熱心に勉強しなくなった学生という構図です。
 このような構図ができあがってしまうのは、学習者が自身の進むべき道を示されていないで、主体的に学ぶことができる状況が実現されていないからです。それができていない状況では、本来進むべき道を示すはずの教育企画や教材に代わって、教師が教育全般の主導権を握るほかなくなります。その結果、そのように全面的に責任と権限を委譲された教師は、獅子奮迅になるわけです。そして、そういう教師の姿を見て学生は、「気の毒に…」と思いながらも、ますますしらけていきます。これが、学習者の主体的な学びを実現しない教育の末路です。

日本語習得という仕事の主役を教師から学生に
 表現活動の日本語教育の構想は、日本語習得という仕事の主役を教師から学生に移行させるという考えから始まっています。この部分を転換しないと、日本語教育にある根本的な構造的課題を克服することはできません。そして、そうした構想の具体化が、「はじめに」や教育企画(♠)や教材(♣)で説明したような教育企画と教材です。表現活動の日本語教育では、そうした仕掛けによって、学生が歩んでいくべき道をはっきりと示し、語や言葉遣いの参照先となる補助(ルビや注釈)付きの「透明なディスコース」(♣2)となっているリソースを提供することで、学習者が主体的に日本語を学習し習得を進めていくことができる環境と条件を整えています。そして、そのように主役の座を学生に譲ってこそ、教師は主体的に学ぶ学生を強力に支援するという本来的な立場を確保することができて、安心してその役割を果たすことができるのです。

 獅子奮迅になって教えるのはやめましょう。獅子奮迅になるべきは、先生ではなく学生のほうです。日本語を身につけたいという気持ちがある学生なら、「歩んでいけば『登っていける』日本語習得の経路」が示され、「なるほど、これなら無理なく『登っていける』」と知れば、がんばるでしょう。先生は、そんな学生たちをやさしく励まし、しっかり支援すればいいのです。それが表現活動の日本語教育の流儀です。

日本語学習者のコミュニティ
 授業を実践する教師のもう一つの重要な役割は、学習者たちを各々で孤立させないで、「みんなで協働して励まし合い支え合い協力しながらいっしょに日本語がじょうずになろう」という集団へと形成ことです。学生同士で励まし合うこと、学生同士で支え合い協力することは、クラスというような集団で学ぶ際の大きなメリットです。そのメリットが働いてこそクラスでいっしょに学ぶ意味も意義があると言ってもいいでしょう。クラス作り、つまり学生たちを日本語学習者のコミュニティとして形成することが教育を成功に導く重要な要因です。

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