2018年12月14日金曜日

就労外国人の受入れに関わる日本語教育について

就労外国人の受入れに関わる日本語教育について

 ぼくのこの苛立ちは何なのでしょう? たぶん、「また、日本語教育界は知恵と洞察を発揮しないで仕事をしようとしている!」という苛立ちでしょう。あるいは、さらに非難がましく?言うと、「また、日本語教育界はつまらない日本語教育を再生産しようとしている!」という苛立ちでしょう。
 ここでは就労を主な目的として日本に来て居住する外国出身者のことを就労外国人と呼びます。まず、提案を箇条書きにします。その後に、そうした提案が出てきた背景を書きます。

□ 提 案
1.就労外国人に対する日本語教育プログラムについて
(1) 人として人と関わって暮らすための日本語
 就労のための日本語だけでなく、「人として人と関わって暮らすための日本語」(以降では、「人と関わる日本語」と略す)もプログラムのもう一つの柱として設定する。
(2) プログラム当初はオーラル日本語に集中
 プログラムの当初はオーラル日本語(口頭日本語)の習得に集中する。つまり、日本語学習当初は、オーラル-オーラル(オーディオの利用ももちろん可能)による学習活動を通したオーラル日本語の習得をめざす。日本語学習当初にひらがな、カタカナなどを要求しない。テクストや板書などでは、メモとしてローマ字表記を使用する。
(3) (2)をサポートする教材を制作する。
 就労のための日本語の部分についても、「人と関わる日本語」の部分についても、日本語独自の文字を使用しないローマ字表記による教材を制作する。

2.就労外国人の日本語能力の試験について
(1) 文字に依存しない日本語能力の試験
 「人と関わる日本語」を中心として、文字に依存しない試験を作成する。基本の形は、オーディオを聞いてそれに対応する絵を選ぶという形の試験となる。(解答用紙は適宜に工夫する。) 
(2) 試験あるいは模擬試験のウェブ公開
 (1)のような試験をいつでもどこでも実施できるように、試験あるいは模擬試験をウェブ公開する。

 これくらいの「工夫」をしないといろいろなことが決してうまくいきません。この提案は、以下の2つの提案に集約することができます。

A.「人として人と関わって暮らすための日本語」を就労外国人が身につけるべき日本語としてしっかりと位置づける。
B.日本語学習当初にひらがな等を教えることや、日本語学習でひらがな等を使用することをやめる。※就労外国人が必要な日本語の重要部分はオーラル日本語である。日本語独自の文字の学習と日本語学習でのその使用は、オーラル日本語の習得を大きく阻む。

 Bは、日本語習得の基本的な企画に関わることで、すぐれて日本語教育学的な問題です。この提案については、ご同輩の日本語教育の専門の皆さんがどう考えるか、ご意見をうかがいたいと思います。
 Aは、就労外国人に対する日本語教育に関するいわば倫理的な観点から導き出されることです。以下では、この点について論じます。

□ 「人と関わる日本語」という提案が出てきた背景 
 以下、移民か外国人労働者かという議論からスタートして、このイシュー(問題、検討課題)を日本語教育学のイシューとして正確に位置づけたいと思います。
 政府の見解ではかれらは移民ではないそうです。「移民」という場合は「定住のために」という修飾語がつく(IOM、国際移住機関)ので、確かに移民ではありません。
 ならば、彼らは外国人労働者か? 産業界(とそれに追従する政府)の目線では、かれらは外国人労働者でしょう。だって、この大騒ぎは、人手が足りない! 労働力がほしい! というところから始まっているわけですから。
 良識派の論者は、当初は「きちんと移民として受け入れるべきだ」と主張していましたが、現在はトーンが変わって、「現在の経済水準を維持したければいずれは移民を大量に受け入れざるを得ない状況になるだろうから、そこまでのロードマップを描き出しつつ現在の就労外国人の受入れに関する制度や態勢の整備を行うべき。」(例えば、http://www.canon-igs.org/column/security/20181203_5386.html)つまり、移民なのか就労外国人なのかという二元論的な議論を乗り超えて、就労外国人から移民へとうまくバランスを取りながら徐々に移行していきましょう、ということです。バランス感覚のとれた、もっともな議論だと思います。
 一方で、人権派からは「就労外国人の受入れの制度や態勢の整備にあたっては、かれらの人権を守ることが肝要!」と叫ばれています。しかし、改正入管法の特定技能1では、「滞在期間中は結婚が不可。既婚者は家族同伴禁止」となっていて、問題ありだと思います。また、他にもさまざまな側面で人権保障・人権侵害防止のための制度・態勢整備が必要になると思います。現在、政府のほうで「鋭意検討中」のようです。
 他方、日本語教育界では、以前から「外国人労働者が来るのではなく、『人』が来るのだ!」という声が上がっています。つまり、働くばかりの労働者ではなく、人として人と関わりながら人生を生きる「人」が来る、ということです。この観点は、先に触れたような、人権的な観点ではありません。いわば、倫理的な観点です。そして、人文系の一分野である日本語教育学からそうした観点が提起されるのはひじょういふさわしいことだと思います。そうした観点の提示そのものがひじょうに重要なことだと思います。そして、その上で、次に日本語教育学として重要なことは、就労外国人のための日本語教育のプログラムにそのような観点に基づく教育内容を設定ことです。しかし、…。
 文化庁で「日本語教育人材の養成・研修の在り方について(二次報告案)」の日本語教師【初任】(活動分野:就労者,難民等,海外)が作成され、現在パブリックコメントが求められています。(http://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kyoiku/ikenboshu/nihongoiken_kyoshi/index.html
) その中の就労者や難民等の部分に上のような「人として人と関わりながら…」というような観点がまったく含まれていません。ですから、就労者に対する日本語教育の内容は、就労のための日本語だけになってしまいます。日本語教育学の関係者は、そんなことでいいの? 
 そして、「そんなことでいいの?」という疑問が多々ありますので、それをきっかけにあれこれ考えて、上記のような提案が出てきました。

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