2018年12月8日土曜日

日本語教育実践の再生:表現活動中心の日本語教育を創造するNEJとNIJ ⑤

♠2 教育企画②  ─ 表現活動のテーマを設定することの言語教育的意義:生気のある言語活動と言語促進的な言語活動従事

表現活動のための一連のテーマを企画すること
 文型・文法ではなく、また実用的なコミュニケーションでもなく、表現活動を主要な教育内容として設定すると、教育企画の基本は、表現活動のための妥当な一連のテーマを企画することとなります。そのようにテーマを中心として教育を企画することには、重要な言語教育的意義があります。

意義① ─ 生きた生気のある言語活動を促す
 これまでの基礎(初級)日本語教育では、一連の文型・文法事項を配列するという形で教育が企画されました。しかし、そのように文型・文法事項を中心としてユニット(単元)を企画すると、学習者は各ユニットで何かについて話すことができるというような目標を持つことができません。つまり、文型・文法事項中心で教育を企画した瞬間に、教室は、学習事項の文型・文法事項を教える/学ぶだけの「お勉強の空間」になってしまいます。そして、教室で生きた生気のある言語活動を実践する道を閉ざしてしまいます。
 教室あるいは授業というのは、数ヶ月にわたって週に何時間も同じ顔ぶれの人たちが定期的に寄り合う場です。そんなふうに考えると、教室の「自然状態」は、学生と学生、そして先生と学生が出会って交わる場であることがわかります。ですから、出会いや交わりに関わる言語活動が行われるように誘導してこそ、そこで生きた生気のある言語活動が営まれるようになります。適切に選ばれた表現活動のためのテーマは、そのような言語活動を促します。

意義② ─ 産出の契機で生きたことばを学ぶ
 テーマが設定されて、「さあ、このテーマで話しましょう!」と言われて、学生たちはすぐに話せるわけではありません。ユニットの学習を通して学生たちは、「テーマについてうまく話せない/会話ができない」から「テーマについてうまく話せる/会話ができる」へと導かれなければなりません。そして、教師は、その立場での重要な役割として、授業の中で学習者が日本語の日本語習得が促進されるように積極的に行為しなければなりません。では、教師はそのために何ができるでしょうか。
 教師の積極的な行為で学生の日本語習得を促進する最も分かりやすい形は、テーマについて学生が話をしていて、誤りがあったりうまく言えないことがあったりしたときに、教師が援助の手を差し伸べてそれを学生が採り入れる瞬間です。言いたいことを言おうとしているがうまく言えないまさにそのときに教師がその言い方を教えて学生がそれを採り入れるということです。そのような契機が生きたことばを学ぶ重要な契機となることは十分に推測できるでしょう。
 生きたことがを学ぶ重要な契機となりそうな瞬間がしばしば生じるような言語活動従事の様態をここでは言語促進的言語活動従事と呼ぶことにしましょう。より一般的に言うと、学生自身の力で概ね従事することができるが、より有能な他者の支援があることで言語活動が促進されるような言語活動従事の様態です。それは、学生の立場から言うと、援助のある言語活動従事となり、教師の立場あるいは指導の観点から言うと、言語促進的言語活動従事となります。上のような「うまく言えない」ということが生じて教師の支援を得てそれを採り入れるという契機がしばしば生じるような言語活動従事は、一つの重要な言語促進的言語活動従事となります。

意義③ ─ 受容の契機で生きたことばを学ぶ
 言語促進的言語活動従事は、そのような援助のある言語活動従事だけではありません。上のような産出補充摂取的な諸契機、つまり学生が「産出」しようとしているその現場で先生がうまく言えない部分を「補充」してくれてその部分の語や言葉遣いを学生が「摂取」する諸契機は、実は、当該の語や言葉遣いの習得のいわば仕上げ段階です。つまり、「もうすぐ言えるようになる言葉」が「実際に言えるようになる」へと移行する仕上げの段階です。そして、言語の習得のためには、それに先だって、それよりももっと重要で時間のかかる工程があります。それは、さまざまな未習熟の語や言葉遣いを何度も実際の行使の中で経験してそれらを摂取するという、表面には現れないで潜在的に進行する言語習得の工程です。その工程での言語活動従事では、未習熟の語や言葉遣いが含まれる言語行使が内容が捕捉可能な形で行われて、学習者がそれらを「受容」して「経験」して「摂取」するということがさまざまな部分で生じます。そのような言語活動従事の様態は、先の産出補充摂取的な言語促進的言語活動従事に対して、受容経験摂取的な言語促進的言語活動従事となります。
 そのような受容経験摂取的な言語促進的言語活動従事では端的に言語活動従事の経験が蓄積されると言っていいでしょう。そして、そのように捕捉可能な言語活動従事経験が蓄積されることが言語の育成のために不可欠の要因です。にもかかわらず、そのような機会を豊富に与えることが、日本語教育に限らず一般的な言語教育の実践でほとんど行われてきませんでした。学生たちが口頭日本語力を伸ばすことができない根本の原因はここにあります。
 表現活動の日本語教育では、その教育企画の自然な流れとしてそのような機会を豊富に与えることができます。例えば、テーマ表現の日本語教育では、ユニットのテーマについてもっぱら先生が話をし学生は聞くという活動です。あるいは、自己表現の日本語教育では、ナラティブのリさんやあきおさんや西山先生の話を先生が代弁して、最初は「かみくだいて」話し、徐々に発話の形に拡張して話すというような、学生としては受容的な言語活動従事をじっくりとすることができます。そうした教師によるコントロールされた話し方は、聴解と言うことではなく、受容経験摂取的な言語促進的言語活動従事です。また、そうした後にリさんらの声(ナラティブのオーディオ)で同じ話を繰り返し聞くというのも、やはり受容経験摂取的な言語促進的言語活動従事の機会となります。こうした活動は、ユニットで設定されている特定のテーマの下に先生が積極的に話すのを聞くとか、先生が話を代弁するのを聞くとか、リさんらの声を聞いて経験するということで、そのテーマについての生きた生気のある言語活動従事の経験となります。そして、そうした経験を通して学生は生きたことばを豊かに摂取することができます。
 表現活動の日本語教育の各ユニットではユニットの最後に、ペアやグループでユニットのテーマについて自分のことを話す活動や、そのテーマでエッセイを書く活動や、書いたエッセイをクラスメイトとシェアする活動などが設定されています。そして、学生は、そのような活動が毎ユニットの終わりにあることを認識しています。そうすると、学生たちは、上のように受容的な活動に従事している間でも、後で自分が自分のことや自分の考えを話すことを意識しており、その意識が受容活動で出会った語や言葉遣いを摂取することを一層促進していると見られます。例えば、次の教育企画③で紹介するリさんのナラティブの冒頭の「わたしの家族は、7人です」を朗唱練習しているときに、家族が5人の学生はすでにそれと並行して「わたしの家族は、5人です」と内的にあるいは外的につぶやいています。テーマを設定して、後で自身が話すために受容活動をしながらも語や言葉遣いを積極的に盗み取ることが推奨されている点が、捕捉可能な言語入力(comprehensible input)を単に大量に与えるというKrashen流の方法とは大きく異なる点です。これは次の教育企画③(♠3)での議論とも関連する点です。

 言語促進的言語活動や受容経験摂取的な言語促進的言語活動や産出補充摂取的な言語促進的言語活動というのはいかにも長ったらしいので、以降では、それぞれ以下のように省略して言います。

 言語促進的言語活動   → 言語促進活動
 受容経験摂取的な言語促進的言語活動 → 受容摂取言語促進活動
 産出補充摂取的な言語促進的言語活動 → 産出摂取言語促進活動

 受容摂取言語促進活動と産出摂取言語促進活動はもっぱらそれとして実施することもできますが、言うまでもなくそれらを複合させた形で実施することもできます。しかし、そうは言っても、受容摂取言語促進活動の重要性は再度強調しておかなければなりません。

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