2018年4月22日日曜日

哲学のタネ明かしと対話原理 11

第11回 啓蒙主義の父 カント  (2017年12月)

理性を重視したという意味では、デカルトの哲学は間違いなく理性主義の哲学でした。理
性主義のrationalismの語幹になっているのは、ラテン語のratioです。木田によると、
ratioは人間の認識能力だけでなく、世界創造の設計図になった神の理性=Ratioも、その
設計図に従って世界に仕込まれた摂理、つまり理性的法則としてのratioも指します。神
のRatioを中心にして、一方に世界を貫く理性法則としてのratioがあって、もう一方に、
神によって神の理性の似姿として植え付けられた人間のratioがあって、この3つの理性
が織り上げる秩序を重視するのが17世紀前半のデカルトを中心とした理性主義です。古
典的理性主義とも呼ばれるそうです。そして、そこでは、神の理性を論じる「神学」と、
世界の理性法則を論じる「科学」と、人間理性を論じる「哲学」とが互いに調和しつつあ
る種の統一を保っていました。ですので、調和の時代とも呼ばれるそうです。しかし、注
意してください。この古典的理性主義においては、統一も調和も、すべて神の理性の後見
の下に成り立っていたのです。

しかし、18世紀に入ると、事情は一変します。18世紀は啓蒙の時代になります。啓蒙=
enlightenmentというのは「照らし出す」という意味です。つまり、理性の光によって「照
らし出す」ということです。しかも、ここでの理性は、17世紀の神の後見を受けた理性で
はなく、啓蒙的あるいは批判的理性なのです。以下、カントの言葉。「啓蒙とはなにか。そ
れは人間が自ら招いた未成年状態を抜け出すことである。未成年とは、他人の指導がなけ
れば自分の理性を使うことができない状態である。」(木田からの二次引用)。ここに言う
「他人」というのは、つまりは神や宗教です。カントが言っているのは、神の理性の後見
を廃して、自立した人間理性が、これまで自分を支えてくれると思っていた宗教や形而上
学なども迷蒙と断じて、その蒙(もう)を啓(ひら)き、それを批判する理性になるとい
うことです。

ところで、神の理性の後見を脱すると、重大な困難が生じます。つまり、これまでは神の
理性に保証されているからこそ、人間理性は自分が明晰に見て取ることができる生得観念
の客観的妥当性、つまりその観念の対象が真に存在することを信じ、それを頼りにして世
界の存在構造についての確実な認識を手に入れることができたのですが、神の理性のそう
した媒介がなければ、人間の理性的認識と世界の合理的存在構造との一致は簡単には成り
立たないことになります。そのような困難を背景として、ロック、バークリー、ヒューム
などのイギリスの啓蒙家たちは、生得観念やそれを使った理性的認識の効力をも否定して、
われわれの認識はすべて感覚経験に基づく経験的認識だと主張しました。イギリスの経験
主義です。しかし、こうすると、彼らは数学や物理学の認識の確実性をも否定することに
なってしまうのです。

イギリス経験主義に対する反省を踏まえて、カントが登場します。カントは、ある範囲内
でのわれわれの理性的認識の効力を認めること、つまり神の理性の媒介なしにもある範囲
内ではわれわれの理性的認識と世界の理性的存在構造とは一致しうることを主張しようと
しました。具体的な内容は省略しますが、カントは、われわれの純粋な理性的認識の有効
範囲を理性そのものの自己批判によって明らかにしようとし、その課題に見事に応えるこ
とができた、と言われています。
 カントはこの問題を解決するのに12年かかりました。その解決に達して書いたのが『純
粋理性批判』です。同書の中で、カントは「理論的認識の問題を考える場面に神や神の理
性を持ち出すのはおかしい」と主張したので、「カントは神様の首を切り落とした」(ハイ
ネ)と言われています。

前回のデカルトの話や今回のカントの話をこのようにたどってみると、西洋においては、
キリスト教が人々の心にひじょうに深く根付いており、神の恩寵から離脱すること、ある
いは哲学者が神の恩寵からの離脱を宣言することがひじょうにむずかしいことだったとい
う様子が見えてきます。実際、デカルトの沈潜な反省から出た「我思う、ゆえに我あり」
からカントの『純粋理性批判』に至るのに、約150年かかっています。

次回は、本連続エッセイの最後として、カントから一足飛びにフッサールに行く予定です。

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