2018年4月22日日曜日

羅針盤:仕事と価値(201802)

昨日(1月30日)は、早稲田で竹田青嗣氏の講演があり、細川さんといっしょにディスカ
ッサントとして参加しました。会場は40人くらい参加の満員御礼でなかなかおもしろい
議論ができました。で、この機会をきっかけに考えたこと。

わたしたちは、日本語教育(学)の仕事をしています。わたしたちの「お客さん」あるい
は受益者は、日本語教育の場合は日本語科目を履修してくれている学生、日本語教育学の
場合は、学部や大学院の授業を履修してくれている学生及び研究指導学生です。このあた
りは、教育領域のお仕事となります。この上に、日本語教育学では、学会発表をしたり論
文を書いて出版したりすることも(まあ)仕事です。そして、そういう成果をまとめて本
を出版するのも「おまけ的な」仕事です。わたしが属する学校では、研究業績の基本は論
文です。本は「おまけ」です。このあたりは研究領域のお仕事となります。さらに、大学
教員としては、管理運営(委員会出席や各種書類作成など)と社会貢献があります。

教育領域の仕事は自身が直截担当している授業をつつがなくやっていればそれでとりあえ
ずは「合格」です。日本語教育(学)関係の教員の場合はコーディネーションの仕事が大
いに時間と手間がかかりますが、この仕事は(大学の立場からは)あまり評価の対象にな
っていないように思います。教務関係の仕事(授業科目の編成、教師の任用と配置、TAの
募集・配置など)もかなり時間と手間を要する仕事ですが、(同じく大学の立場からは)「雑
用の一種」のように扱われているように思います。一方、研究領域の仕事については、と
にかく具体的な業績を出すことが求められています。研究をしていても、具体的な成果を
出すことができなければ、やっていないことになります。

で、ここからが本論。教育の仕事も研究の仕事も、つつがなく堅実にやっていればそれで
「マル」です。教育の特段に高い質や、コーディネーションをしっかりやってチームの教
育成果を充実させることや、論文が高く評価されることは、特に期待はされていません。
最近は、各大学で、教員の優れた教育実践や研究成果に対して学長賞などを出しています
が、その選考基準は何だかあいまいなようです。(例えば、「学生による授業評価に基づい
て」というのであれば、妥当性は別にして、基準は明確です。アメリカなどではそういう
基準日基づくawardがあります。) また、研究に関しては、教育活動としては主として日
本語を教えるということをしている人でも、文学や宗教や昔の日本語などの研究をしてい
て何の問題もありません。それと同じデンで、純粋に文法や音声や社会言語学的な研究を
していても、やはり何の問題もありません。つまり、日本語教育(学)という看板を掲げ
ていても、研究は「好きなように」やって「差し支え」はありません。一大学教員として
の研究領域のお仕事としては、日本語教育に資するかどうかなんてぜんぜん考える必要は
ないのです。

大学のセンセのお仕事としては、日本語教育(学)の人間であっても、ハッチャキに教育
を革新したり、日本語教育に資する新研究領域を開拓したりするなどは取り立てては期待
されていないということです。例えば教育活動に関していうと、一部の非常勤講師の人た
ちに居心地の悪い思いをさせてしまうかもという危険を冒してまで大胆な教育改革をする
必要はない、ということです。(専任教員という立場を利用して「わがままな」教育改革を
している先生はいらっしゃるようです!) 研究についても、新規の(珍奇な?)研究領域
に大胆に踏み込んでいくよりも、オーソドックスな研究をしたほうが「お友だち」がたく
さんできていいかもしれません。

結論。ぼくは長年、現在と将来のたくさんの学習者のためにと思って教育企画と教材制作
などをしてきました。また、日本語教育(学)に資する研究をしたいと思って、バフチン
の研究をし、現在はバーガーとルックマンの知識社会学やブルーナーのフォークサイコロ
ジーの研究などをしています。コーディネーションの仕事も特に「今は!」というときは
ひじょうに力強くやってきました。でも、「学習者のため」とか「日本語教育(学)に資す
る」というのは、自身の仕事の指針とドライブ(駆動力)として(密かに?)持っていれ
ばいいわけで、人に喧伝したり、その部分で認めてもらって評価してもらおうなどとは思
わないほうがいいのではないかと、この数日に気がつき?ました。つまり、ぼくは、やる
べき仕事をつつがなく堅実にやることと自身が「価値あり」と思うことをうまく結びつけ
ながらやっている、ただそれだけでいいじゃないか、ということです。

ぼくは経済学部出身です。そして、1年生の経済学原論で先生が「経済活動とは価値を産
出することだ!」とおっしゃったのを今でも覚えています。つまり、経済活動は本来「お
金を稼ぐこと」ではなく、「価値を創造することだ」ということです。(ただし、既存の価
値の創造も価値の創造の一種であることに注意!) この一言は、それ以降のぼくの仕事上
の生き方に羅針盤を与えているように思います。ぼくにとって、一つひとつの仕事につい
て「価値」を考えないでそれをすることはできません。ただし、その場合には「何が学習
者のためになるのか」、「何が日本語教育(学)に資するのか」はあらかじめわかっている
わけではなく、この部分自体も根本としての議論の対象になります。いずれにせよ、その
あたりのことも(無意識的にでも、真摯に意識的にでも)考えながら仕事をしている人と
の対話は、基本の部分が共感できて、とても楽しいなあ。皆さんも、そんなこと、せめて
時には、考えてね!

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