2018年4月22日日曜日

羅針盤:課題のある学生への対応から…(201707)

他の学生よりも日本語習得が遅れている学生、読み書きがひじょうに苦手な学生など課題
のある学生はたいていのコースで一人や二人は出てきます。ここでは、休みがちな学生
や、宿題をしない学生や授業に集中できない学生や、学習に積極的に取り組まない学生な
ど「基本的な課題がある学生」は除きます。つまり、やる気がないのではないが課題のあ
る学生に一応限定します。

先生たちが集まる講師室では、しばしばこうした課題のある学生が話題にされます。
「○○さんは、××が身についていない」とか「△△くんは、まだひらがなの読み書きが
できない」など。そして、そうした会話はしばしば大いに「花が咲き」、ときに30分さら
には1時間と続きます。しかし!「何の実も結びません」、つまり、何の対策・対応も提
案されません。こんな様子を見ていて、「この時間の半分でも使って、分担して補習指導
をしてあげればいいのに!」と思ってしまうのはぼくだけでしょうか? これって、先生
のストレス発散?

ぼく自身は、どうも、とても実用的に考える人間のようで、こうした学生への対応は基本
的に以下の3つしかないと思います。この3つのいずれかあるいは組み合わせをしないの
なら、その学生についての議論は無意味です。

(1) 授業計画の修正や変更はしないで、教師集団として当該の学生に特別な注意を払っ
  て、その学生に有益で「遅れ」を巻き返せるような授業方法を工夫する。
(2) 課題のある学生に合わせて、授業に復習を入れたり授業のペースを遅くするなど授業
  計画の修正や変更で対応する。※ただし、これができるのは、その修正や変更が「進
  んだ学生」に大きく「ブレーキ」にならない場合です。「ブレーキ」になってしまう
  場合は、適切ではありません。
(3) 当該の学生個別に授業外で特別な課題を与えるなり、特別指導をするなりする。

で、ぼくとしては、基本的に(1)でいきたいです。(2)は、(2)の※にあるように、なかな
かできません。また、(3)は、「じゃあ、それ、誰がやるの?」という話になります。ただ
し、(1)で対応するという場合は、教師のほうに何か特別な「裏技」がなければならない
でしょう。フツーの方法で授業をしていて、その学生は遅れてきたわけですから。

こんな話をすると、「裏技」の話をしたくなります。ぼくは、日本語を教えるという仕事
を始めて数年後(実は2・3年後)には周りの同僚に「いずれ手品のように学生たちの日
本語が伸びる方法で授業をする!」と宣言していました。←「アホ」ですね! ←という
か、「フツーのやり方」がとてもまどろっこしくてかったるくって、少なくともぼくは、
そんなやり方からはできるだけ早くおさらばしたい!と思っていました。皆さんは、自身
の授業の仕方や、ほかの人の授業の仕方の様子を聞いてそんなふうに思った/感じたこと
はありませんか? ああ、注目しているのは基礎(初級)段階の教育です。

ここに言うフツーの方法というのは、「PPP」のパラダイム、つまり、presentation(導
入)-practice(練習)-production(産出活動)のパラダイムのようです。これは、意
味と形が分かって、意味が分かりながら形が作れるように練習して、そうした上でそのよ
うに身につけた知識と技能を実際に使ってなにかやってみる、ということでしょうか。
「フツー」から離れたいぼくは、どうもそのように発想していないようです。ぼくが、最
も重要と思うのは、いつも身近な仲間には言っていますが、滋養栄養豊富な授業です。そ
して、「滋養栄養豊富」を目指して授業をすると、課題のある学生にも十分に滋養栄養豊
富にできると思います。「PPP」のパラダイムではなく、滋養栄養豊富な授業ってどんな授
業でしょう。でも…、根本の問題は「『フツーの授業』はまどろっこしくてかったるくっ
て、そんな「フツーの授業」からはおさらばしたい」と思うかどうかです。皆さんは、
「フツー」から離脱したい?

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