他の学生よりも日本語習得が遅れている学生、読み書きがひじょうに苦手な学生など課題 のある学生はたいていのコースで一人や二人は出てきます。ここでは、休みがちな学生 や、宿題をしない学生や授業に集中できない学生や、学習に積極的に取り組まない学生な ど「基本的な課題がある学生」は除きます。つまり、やる気がないのではないが課題のあ る学生に一応限定します。 先生たちが集まる講師室では、しばしばこうした課題のある学生が話題にされます。 「○○さんは、××が身についていない」とか「△△くんは、まだひらがなの読み書きが できない」など。そして、そうした会話はしばしば大いに「花が咲き」、ときに30分さら には1時間と続きます。しかし!「何の実も結びません」、つまり、何の対策・対応も提 案されません。こんな様子を見ていて、「この時間の半分でも使って、分担して補習指導 をしてあげればいいのに!」と思ってしまうのはぼくだけでしょうか? これって、先生 のストレス発散? ぼく自身は、どうも、とても実用的に考える人間のようで、こうした学生への対応は基本 的に以下の3つしかないと思います。この3つのいずれかあるいは組み合わせをしないの なら、その学生についての議論は無意味です。 (1) 授業計画の修正や変更はしないで、教師集団として当該の学生に特別な注意を払っ て、その学生に有益で「遅れ」を巻き返せるような授業方法を工夫する。 (2) 課題のある学生に合わせて、授業に復習を入れたり授業のペースを遅くするなど授業 計画の修正や変更で対応する。※ただし、これができるのは、その修正や変更が「進 んだ学生」に大きく「ブレーキ」にならない場合です。「ブレーキ」になってしまう 場合は、適切ではありません。 (3) 当該の学生個別に授業外で特別な課題を与えるなり、特別指導をするなりする。 で、ぼくとしては、基本的に(1)でいきたいです。(2)は、(2)の※にあるように、なかな かできません。また、(3)は、「じゃあ、それ、誰がやるの?」という話になります。ただ し、(1)で対応するという場合は、教師のほうに何か特別な「裏技」がなければならない でしょう。フツーの方法で授業をしていて、その学生は遅れてきたわけですから。 こんな話をすると、「裏技」の話をしたくなります。ぼくは、日本語を教えるという仕事 を始めて数年後(実は2・3年後)には周りの同僚に「いずれ手品のように学生たちの日 本語が伸びる方法で授業をする!」と宣言していました。←「アホ」ですね! ←という か、「フツーのやり方」がとてもまどろっこしくてかったるくって、少なくともぼくは、 そんなやり方からはできるだけ早くおさらばしたい!と思っていました。皆さんは、自身 の授業の仕方や、ほかの人の授業の仕方の様子を聞いてそんなふうに思った/感じたこと はありませんか? ああ、注目しているのは基礎(初級)段階の教育です。 ここに言うフツーの方法というのは、「PPP」のパラダイム、つまり、presentation(導 入)-practice(練習)-production(産出活動)のパラダイムのようです。これは、意 味と形が分かって、意味が分かりながら形が作れるように練習して、そうした上でそのよ うに身につけた知識と技能を実際に使ってなにかやってみる、ということでしょうか。 「フツー」から離れたいぼくは、どうもそのように発想していないようです。ぼくが、最 も重要と思うのは、いつも身近な仲間には言っていますが、滋養栄養豊富な授業です。そ して、「滋養栄養豊富」を目指して授業をすると、課題のある学生にも十分に滋養栄養豊 富にできると思います。「PPP」のパラダイムではなく、滋養栄養豊富な授業ってどんな授 業でしょう。でも…、根本の問題は「『フツーの授業』はまどろっこしくてかったるくっ て、そんな「フツーの授業」からはおさらばしたい」と思うかどうかです。皆さんは、 「フツー」から離脱したい?
日本語教育、日本語教育学、第二言語教育学、言語心理学などについて書いています。 □以下のラベルは連載記事です。→ ・基礎日本語教育の授業実践を考える ・言語についてのオートポイエーシスの視点 ・現象学から人間科学へ ・哲学のタネ明かしと対話原理 ・日本語教育実践の再生 ─ NEJとNIJ
2018年4月22日日曜日
羅針盤:課題のある学生への対応から…(201707)
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