1.言説における典型性
1-1 言説の分類と言説の多面性
(1) 言説の分類
(単なる声)
(オノマトペ)
発話
言説
ディスコース
テクスト
(2) 言説の多面性
(a) 具体的な脈絡における個別的な産物 ─ 具体・個別の側面(Geeのsmall d)
(b) 社会文化史的な沈殿物 ─ 歴史的な側面(GeeのBig D)
(c) 文法的構成体 ─ 構造の側面(ソシュールのラング)
1-2 ことばとしての典型性
─ ことばの実体は、声である。
─ ことばとしての声には、形の典型性と、「意味」(ことばとしての声の意味的な安定的側面、meaning)の典型性がある。
─ ことば(言説)としての声の形は、ことばの姿の記憶である。ことばとしての声の「意味」は、生じた出来事の記憶である。
※後者は、バフチンの言うcongealed old world view(『人文科学方法論ノート』),
sclerotic deposits(『小説の言葉』)
1-3 2種類の記憶と2種類のことばの典型性
(a) スピーチ・コミュニティの社会文化史的な記憶とことばの典型性
─ Geeの言うBig D。つまり、Big Dはことばの典型性。レジスターではない。
※ただし、原始の時代は別として、スピーチ・コミュニティは一元的ではなく、多元的である。そして、中世においては、各サブ・スピーチ・コミュニティは独立的であった。つまり、社会の中でのサブ・スピーチ・コミュニティの併存状態で、一人の人は一つのサブ・スピーチ・コミュニティで生きる。しかし、現代では、「個人」が生まれ、各個人は柔軟に複数のサブ・スピーチ・コミュニティで生きられる複言語・複文化人間になった。つまり、個人の中での「内的サブ・スピーチ・コミュニティ」の併存。そして、各個人は役目(part)によって社会的なシーンに登場する。
※中世における異言語混交性は人々の社会的な分化の反映としての異言語混交性であった。つまり、各個人は自身固有のsub
Big Dで話した。現代における異言語混交性は仮想的な異言語混交性である。各個人はこの仮想的な異言語混交性を内在化しており、実際の行為においては当該のシーンで自身に与えられた役目のsub Big Dで話す。つまり、個人はその時々に社会に配置(distribute)される。しかし、「個別性」や「個性」は発揮することができる。
(b) 個人における個人史的な記憶とことばの典型性
─ 各個人それぞれに、記憶(「わたし」を中心として生きてきた世界と「わたし」の経験の堆積)と「わたし」のことばの典型性(「わたし」の話し方と「わたし」でない話し方)がある。
1-4 ことばの典型性と社会
─ ことばの典型性の背後には行為の典型性があり、行為の典型性の背後には社会文化的に特定可能な特定の活動(一種の典型性)があり、活動は社会的に組織されている。
─ 仮想的な実在としての社会は、仮想的な活動の組織体である。
2.自己とは何か
2-1 生きる経路とナラティブ
─ 個人は必ず社会文化史の中の特定の位置を占める。そして、特定の生きる経路をたどる。
─ 各個人は、その生きる経路の中心である「わたし」の位置から自身の人生と他者の人生と「この世界」を経験する。
─ そして、その時々において自身と他者と世界についてのナラティブを紡ぎ出す。
※ナラティブは近代的な行為である。
─ また、そのようなナラティブの一部は自身の人生における重要な出来事として繰り返し語られ、記憶される。⇒
人生のエピソード
2-2 ライフストーリー
─ 人生のエピソードは、多かれ少なかれ一定の視座から観望されてより大きなストーリーが紡ぎ出される。⇒
ライフストーリー
─ ライフストーリーは人によって、明瞭であったりぼんやりしたものであったり、一部は明瞭で一部はぼんやりとしたままであったり、一貫したものであったり断絶や矛盾をはらんだものであったりする。
─ ライフストーリーを紡ぐということ自体も現代の教養的な行為! ⇒ 自叙伝、伝記
2-3 自己
─ 自己とは「あらかじめそこにある」ものではなく、ライフストーリーの出所の者である。
─ 一貫したライフストーリーをもっている人は、一貫した自己をもっている。その人の立ち位置は一貫しており、その一貫した立ち位置からその人は振るまい、他者と交わり、そして自身を語る(日常的な自己のナラティブ)。
2-4 自己の一貫性・同一性の問題
─ 一貫したライフストーリーは、一貫した人生経路(一定の視座から観望が可能な一連の人生のエピソード)に基づいて可能になる。その中での困難や矛盾は、自身の一定の努力と共に他者からのサポートや運によって切り抜けられてきた。一貫したライフストーリーを有する人は強い自己同一性を有し、一貫した自己を「感じて」いる。
─ 一貫した自己と強い自己は異なる。強い自己は、過去に大きな困難や矛盾を経験しながらも自身の強い意思と能動的な働きかけに基づいて、現在は一定の視座から自己肯定可能な観望に至っている場合である。
─ いずれにせよ、ライフストーリーは、自身の手で自身のために紡ぎ出す自身のストーリーである。それが「穏当」であるかどうかは、その人に関わる他者がその人のことをどのように見ているかによる。
【行為と演技の問題】
─ 一貫した「わたし」の上に、仮想的な異言語混交性が重ねられるのか。どこまでが「わたし」で、どこより向こうは「わたし」でないのか、その境界線がはっきりしない。
─ 自己の一貫性・同一性とは? それはどのように達成・維持されるのか?
⇒ 第5章や第3章
3.自己とライフストーリーと文学
3-1 ライフストーリーに関わる3つの要因
─ ライフストーリーは自身の手で自身のために紡ぎ出す自身のストーリーであるが、3つの要因が関与している。
1.その人の社会文化史的な位置・生きる経路
2.その人に与えられた世界の見方/見え方と自己のストーリーの紡ぎ方
3.その人が「開拓した」世界の見方/見え方と自己のストーリーの紡ぎ方
3-2 人と文学
─ 文学は人々に、世界の見方/見え方と自己のストーリーの紡ぎ方にさまざまな可能性を提供する。
3-3 個人と文学
─ 文学と交わることにより、個人は世界の見方/見え方と自己のストーリーの紡ぎ方のさまざまな可能性を得て、これまで及び今後のライフストーリーを紡ぎ変えることができる。
─ 文学は、人生を「豊か」にする?
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