2018年4月22日日曜日

哲学のタネ明かしと対話原理 3

第3回 ソクラテスのディスコース実践とプラトンのディスコース実践 (2017年4月)

哲学という言語ゲーム

ソクラテスはどうもつかみどころがないなあと考えて、その手がかりを求めていろいろ本
をひっくり返して、竹田青嗣の『プラトン入門』に行きつきました。竹田のディスコースも
おもしろいです。竹田は、木田と同じように哲学を「調伏」しようとしています。そのこ
とを、竹田は「哲学の思考の原型的な本質を再確認すること」と言っています。哲学につ
いて竹田は以下のように言います。

(1) 人間の精神は、自分と世界のあり方を考え尽くそうとする本性をもつ。
(2) 人間が編み出したそのための手段が、宗教と哲学である。
(3) しかし、宗教と哲学には本質的な違いがある。宗教は、「無限なもの」「絶対的なもの」
   を直感的、感覚的、想像的な仕方で求める。あるいは、別の言い方をすると、そのよ
     うな仕方で得たものを物語(=神話)にする。※そのような意味で、ここで言う宗教
     は、最も広い意味での宗教となります。
(4) これに対し、哲学は、物語を用いず抽象概念を用いて世界説明を行おうとする。それ
     が哲学するという言語ゲームである。(言語ゲームは、言うまでもなくウィトゲンシ
     ュタインの哲学という営みを喝破した用語である。『プラトン入門』で竹田もこの用
     語を用いて「哲学の調伏」をしている。)
(5) そして、(宗教の普遍的思考はさまざまな共同体を越えることはそもそもできないが、)
     哲学の普遍的思考は、まさにさまざまな共同体を越えて共通了解を作り出そうとす
     る思考の不断の努力である。

上の議論の結論を言うと、哲学とは、「『無限なもの』『絶対的なもの』について、抽象概念
を駆使して、さまざまな共同体を越えて、共通了解を作り出そうとする、終わりのない言
語ゲームである」となります。「終わりのない」の部分については後に注目して議論したい
ので、覚えておいてください。

ちなみに、捕捉として参考までに、これまでの議論と重複する部分もありますが、竹田が
整理してくれている哲学という方法の基本構図を挙げておきます。

<1> 物語ではなく抽象概念を使用する。
<2> 世界の存在について根本「原理」を設定して、そこから世界全体の説明に至る。
<3> 「構造」と「動因」の相関性の解明
<4> 物理的原理と精神的原理の相関性の解明
<5> 抽象概念の使用による論理的パラドクス(アポリア)を解くこと。

すでにお気づきのように、ウィトゲンシュタインや竹田が言語ゲームと言っているところ
を、筆者はディスコース実践と言っています。それでは、ソクラテスに入ります。

ソクラテスのディスコース実践

ソクラテスの話をするためには、やはりソクラテス以前の「哲学っぽい」ディスコース実
践について話しておかなければなりません。要は、物語を使わないで世界説明をしようと
した人たちの話です。箇条書きにしてしまいます。

1.タレス(BC625頃-547頃) - 万物の原理は水である。
2.アナクシマンドロス(BC610頃-546頃) - 万物の原理は、「無限なるもの」である。
3.アナクシメネス(BC585頃-525頃) - 気息こそ(空気)こそ万物の原理である。
4.ピュタゴラス(BC582頃-493頃) - 世界の原理は数であり、宇宙の本質はハルモニア
  (調和)である。
5.ヘラクレイトス(BC540頃-484頃) - 世界の一切はたえざる変化の相にある。
6.エンペドクレス(BC493頃-443頃) - 4元素(土、水、風、火)と愛と憎
7.アナクサゴラス(BC500 -428) - スペルマタ(種子)とヌゥス(精神・知性)
8.パルメニデス(BC554-501) - あるものはあり、あらぬものはあらぬ。

竹田の議論を少し乱暴にまとめると、これらの思想家は素朴に世界の起源や原因や根源を
追求しようとしました。これに対しソクラテスやプラトンは「そもそも人が事物の『原因・
根拠』を問うのはなぜか」という新しい問いから、もう一度それを照らし直していると竹
田は言います。そのことは、有名な「無知の知」で明らかにされていると竹田は見ている
ようです。その無知の知の件は、ソクラテスの死後にプラトンが書いた『ソクラテスの弁
明』の以下の部分です。これも竹田からの受け売りです。

「私も人々も、善美のことがらについては、何も知らない。だけど私は自分の無知を知っ
ているのに対して、人々は自分たちは何でもよく知っていると思っている。まさしくその
点で自分の法に知恵があると言えるのではないか。…これまで知者たちと言われていた
人々…のいずれも、じつは、善美のことについて何も知らず、しかも自分では多くを知っ
ているつもりでいることがわかったのだ。…人間にとって最も善きこと、大事なことは、
何よりも魂をできるだけ善いものにすること、自己自身の徳を高めること以外にはありえ
ない。私が議論によってさまざまな人々の言説を吟味し批判しようとするのは、まさしく
このことを吟味しつつ確認するためであって、それ以外何事も自分の主張するところでは
ない。」

竹田によると、プラトンが描くソクラテスが探究するのは、「節制」「正義」「勇気」「慎み
深さ」といった人間にとって本質的と言える諸徳の「本質」は何であるか、ということで
す。そして、この「〜とは何か」という問いがきわめて重要な意味をもっていると言いま
す。弱冠20歳だったプラトンに衝撃を与え彼を傾倒させたのは、ソフィストたちを相手に
対話を通して本質を徹底的に洞察しようとする老ソクラテス(そのとき63歳)の鬼気迫る
執拗さだったのだろうと想像されます。木田によると、ソクラテスは、何らかの理由で、
それまでのギリシア人の物の考え方の大前提に大鉈を振るって、それをすべて否定すると
いう役割を自らに課しました。また、竹田は、ソクラテスのことを、伝統的な価値と倫理
のあり方を根本から疑う新しい言葉と信念をもった異貌の哲学者と言っています。ソクラ
テスというのは、いわばギリシア時代の哲学の道場破りの人のようなものです。さまざま
な賢人(剣の達人)と言われる人を訪ねては論戦(闘い)を挑み、それまでのものとは異
なる対話という論法(剣の技)で、相手をなぎ倒していったのです。そして、そのような
老ソクラテスの姿を見て、若きプラトンはソクラテスに心酔したのです。

わたしたちはソクラテスのディスコース実践を直接に知ることはできません。わたしたち
が知りうるのは、プラトンが書き残した数々のソクラテスの対話篇を通してです。そして、
プラトンは、自身の思い出の中の師ソクラテスとソフィストたちとの対話を描くことを通
して自身の哲学的思考を高め、思想を磨き上げたようです。

プラトンのディスコース実践

上に言ったように、ソクラテスは書いた物を残していません。ソクラテスの思想を伝えて
いるのはプラトンです。竹田は、プラトンこそが哲学という独自の思考方法の創始者だと
言っています。プラトンは師ソクラテスの言葉(口頭ディスコース)を書いた物(書記デ
ィスコース)に変換するプロセスを通して、つまり師の言葉と対話しそれを流用してより
高次なディスコースへと編み直すプロセスを通して、その言葉と思考法と思想を自らの言
葉と思想へと熟成させ獲得していった(専有=appropriation)のだと考えられます。その
ようにして形づくられたのがプラトンの思想です。

プラトンは、初期に書かれた先の『ソクラテスの弁明』や数々の対話篇の他にも『パイド
ン』『国家』他膨大な著作を残しています。木田によると、西洋哲学はすべてプラトンのテ
キストへの注釈だという言い方もあるほどだそうです。

ちなみに、書くことのディスコース実践の発達についてここで言及しておきたいと思いま
す。言葉の研究者の間ではクラシックの一つとなっている『声の文化と文字の文化』のオ
ングは、ギリシアの時代でもホメロスの時代にはまだ書くことのディスコース実践は存在
しなかったことを指摘しています。そして、書くことのディスコース実践が普及したのが
まさにプラトンの時代と重なると言っています。そして、これこそオングの本の中心的な
主張ですが、書くことの実践が、それまでの話すことのディスコース実践の下での思考様
式とは別種の思考様式を創り上げました。プラトンを軸として言うと、話すことのディス
コース実践の中で産みの苦しみにもがいていたソクラテスの思考法や思想を、書くことと
いう新たなテクノロジーを手に入れたプラトンがその思考法と思想を書くことを通して誕
生させたと言っていいでしょう。

すでにかなり長くなってしまっているので、今回はここまでにしたいと思います。次回は、
プラトンについてしっかり書きたいと思います。

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