2018年4月22日日曜日

哲学のタネ明かしと対話原理 1

第1回 哲学と思想 (2017年2月)                          


この連続記事は、2017年2月から2018年1月のNJ研究会フォーラム・マンスリー(http://www.mag2.com/m/0001672602.html)に掲載された12回の連続エッセイ「哲学のタネ明かしと対話原理」を再録したものです。


 新しい年を迎えてはや1カ月になります。昔の年賀状では「穏やかで健やかな年でありま
すように」というような言葉が多かったように思います。今の社会では妙な「圧力」が働
いていて、「穏やかで健やかな暮らし」がなかなかしにくくなっているように思います。穏
やかで健やかにいきたいと思います。そして、皆さんにとっても穏やかで健やかな1年に
なることを祈っています。

 哲学の対話論的タネ明かしの中で対話原理は枢要な観点です。もちろんバフチンの対話原理です。が、そして、数回にわたって「穏やかに」話したいと思います。

 まわりの人にはいつも言っているのですが、ぼくは研究者ではありません。「じゃあ、学者
か?」と問われれば、まあ「研究者」よりは「学者」でしょう。でも、やはり真性の学者
でもないですね。今、テレビや本で池上彰さんが大活躍中です。池上さんは、評論家では
ありません。自身の立ち位置を「解説者」としています。「フツーの人にもわかる解説者」
です。ぼくも池上さんのような感じで第二言語教育学及びその周辺についての「フツーの
先生にもわかる解説者」であろうとしているようです。ただ、これも池上さんの場合と同
じく、扱うテーマ及びその中の事情は単純なものではありません。つまり、聞く人・読む
人に「わかろうとするしっかりした姿勢」を求めます。しかし、それは当該のテーマへの
関心という程度で十分だろうと思います。

最近、日本語教育学や英語教育学などの第二言語教育学関係の人たちの間で、質的研究(質
研と略す)の「人気」が高まっています。そして、一定のところまで質研を勉強した人の
中で、「どうも現象学や言語哲学などの哲学に踏み込まないと『重要な何か』が十分にわか
らない!」と考えて、その方面の勉強を始める人が出てきたようです。だいたいのターゲ
ットは、フッサールとウィトゲンシュタインあたりでしょうか。しかし、仮にこの2人に
ターゲットを絞るとして、一体どの本から読めばいいのでしょうか。かれら自身が書いた
本は、もちろん多数あるわけですが、絶対、歯が立ちません。じゃあ、かれらの哲学の解
説本などを読むとして、それも山のようにあって、どれを読むのが一番いいのか門外漢に
はさっぱりわかりません。身近にいる専門家に自身の興味・関心を説明して尋ねれば、ま
あ「まずは、これ(とこれ)!」と1・2冊の本を薦めてくれるかもしれません。しかし、
その本もおそらく難解であろうし、と言うか、たいていのそういう本は一般的な「フッサ
ール入門」や「ウィトゲンシュタイン入門」であって、第二言語教育の内容や方法や研究
に関心をもつわたしたちプロパーに向けて書かれたものではありません。結局「迷宮に迷
い込む」ことになるでしょう。

ぼく自身の「哲学・思想のお勉強」が始まったのはもう20年以上前になるかと思います。
長いです。そして、最近になってようやく「哲学というヤツ(のカラクリ?)」が見えてき
たように思います。その本質や全体の俯瞰も含めて。そんな具合ですので、これから数回
にわたって「第二言語教育学のための哲学のタネ明かし」を書きたいと思います。

今回は、「哲学のタネ明かし」のタネ明かしをします。と言うか、その話だけにとどめたい
と思います。側面の違う2つのタネ明かしです。一つは、ぼくが「わかった」ということ
についてのタネ明かしです。ぼくが哲学・思想の俯瞰を得られたのは、もちろんフッサー
ル以降あたりを中心として哲学・思想をさんざん読み散らしたという背景があるわけです
が、哲学・思想の泰斗木田元先生の水先案内のおかげです。木田先生の研究と発信のスタ
ンスやそれとぼくの勉強法や研究・発信のスタンスとの関係などについてはぼくの
facebook(2017年1月15日)で発信しましたので、そちらをご覧ください。もう一つの
タネ明かし、ここから本当のタネ明かしが始まるのですが、一つ前のパラグラフから、単
に「哲学」ではなく「哲学・思想」に変わったのに気づいたでしょうか。ここが哲学をわ
かるための、最重要のタネです。そう、哲学と思想なのです。実際にその方面の本でも、
しばしば「哲学」と「思想」に分けられています。ざっくり言って、ソクラテス、プラト
ン、アリストテレスなどのギリシア哲学をスタートとしてヘーゲル(『精神現象学』は1807
年)あたりまでが哲学となり、ニーチェ(『ツァラトゥストラはこう語った』は1885年)
以降が思想となります。また、現在の目から見ると、ニーチェと並んでマルクスも思想の
フロントランナーに入れるべきでしょう。「現在の目から見ると」というのは、マルクスの
思想は1800年代半ばに熟して原稿が書かれたのですが、それらの出版は1900年代になっ
てからで、それ以降に『資本論』や『共産党宣言』でない(若き)マルクスの思想の研究
と普及が始まったからです。マルクスの思想ということでは、『経済学・哲学草稿』が1844
年執筆で1932年に出版、『ドイツ・イデオロギー』が1844-46年執筆で1926年に出版とな
っています。ちなみに、現代思想というのもあります。現代思想というのは、20世紀半ば
以降に現れた思想のことを言うようです。思想と現代思想の違いはあまりよく分かりませ
んが、ニーチェやヘーゲルやマルクスなどの思想の流れを引きながらの20世紀半ば以降
に結実し展開した思想のことを現代思想と呼んでいるようです。ハイデガー、サルトル、
メルロ=ポンティ、レヴィ=ストロース、フーコーといったところで、英米系では、クワ
イン、クリプキ、そしてデイヴィッドソンなどです。そして、やがて、ポストモダンやカ
ルチュラル・スタディーズやポスト・コロニアリズムの思想へと発展していきます。でも、
このエッセイでは現代思想は扱いません。フッサールやウィトゲンシュタインといったと
ころまでです。

この第1回では、
 1.哲学 ─ ギリシャ哲学からヘーゲルまで
 2.思想 ─ ニーチェ(19世紀の終わり)以降
ということをしっかり覚えておいてください。第2回は、「哲学と反哲学」というテーマで
書きます。乞うご期待。

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