2018年4月22日日曜日

羅針盤:日本語教育学は独立した研究領域になった!?(201710)

ルビュ言語文化教育の638号に本田広之さん(北陸先端科学技術大学)が「自著を語る」
を書いていらっしゃって、その流れで日本語教育学の現在の状況や本田さんが当該の本を
書いた意図などを語っていらっしゃいます。本田さんの話は2つの意味でぼくには「楽観
的」だと感じました。一つは、日本語教育学はすでに独立した研究領域になっているとい
う認識。もう一つは、本田さん自身が(当該の本を書いたことも含めて)日本語教育学を
実践していらっしゃるという認識です。

個々の認識についての反論はどうもうまくできないので、ぼく自身の認識や考えをつらつ
らと書きたいと思います。根本は「日本語教育学とは何か」の問題です。本田さんの論で
は「日本語教育に関わっている大学のセンセ等が学問をしたらそれが日本語教育学」とな
ります。まあ、そういう見方をすれば、日本語教育に関わっているセンセたちは相応に研
究発表をしたり論文を書いたり本を出したりしているわけで、相応の日本語教育学の隆盛
があることになります。そして、自身の研究が地元のサインシステム制作会社の方や議員
さんの目にとまって相談の申し出があったというエピソードを紹介されています。う…ん、
何だか変! それって、日本語教育学? 日本語教育に関わっているある種の大学のセンセ
たちからは「日本語教育は日本語研究の宝庫です!」という言葉をよく聞きます。これも
ちょっと違う気がする。ぼくとしては、間接にでも日本語教育の実践に資することができ
るものであってこそ、日本語教育学だというイメージが強いです。このイメージで行くと、
ヨソ(日本語研究や効果的なサインの制作など)に貢献する研究はそれはそういう研究で
あって、日本語教育学とは言えないということになります。抽象的に言うと、日本語教育
の実践からアウトバウンドしてヨソに行ってしまう研究は日本語教育学ではない! 一旦、
研究として実践からアウトバウンドしたとしても、日本語教育の実践に戻らないとつまり
インバウンドしないと日本語教育学の研究とは言えないでしょうという気持ちがぼくには
「根のように」あるようです。

「それなら、お前は(間接にでも)日本語教育に資する研究をしているのか」と問われる
と自信を持って「Yes!」と言うつもりはありません。院生の修論や博論の指導のときに世
の「日本語教育学関係のセンセ」たちは「あなたの研究がどのように日本語教育に役に立
つのかを書きなさい!」と指導すると多くの院生から聞きます。ぼくは「斯く斯くのよう
に役に立つというようなことは書くな!」と指導しています。「研究で明らかになったこと
が直截に教育実践に役に立つなどというresearch into practiceの発想はあまりに単純
だと思うからです。

結論に向かう…。日本語教育に関わる大学のセンセは、研究活動をして具体的な「成果」
を出すのがいいと思います。それは、フツーに大学のセンセとしてのお仕事の一部だから
です。そして、それをしていないと、他の部局のセンセたちから「大学のセンセの端くれ」
とも認められません。そして、「立派な大学のセンセ」と見られるためには、その研究と同
分野の研究者や隣接他分野の研究者から十分に評価される研究をしなければなりません。
研究というものは研究なので、研究の発信元も発信先も否応なく研究者とならざるを得な
いと思います。研究を評価するのもやはり研究者です。(日本語教育に関わるセンセ同志だ
けでやり合っている間は、その研究が「本物」かどうかわかりません!)

ぼく自身としては、自身の研究は、外国出身者に対する日本語教育という言葉を扱う仕事
に真剣に従事している者らしい視点や観点や通常の研究者にはない実用志向などが織り込
まれているものでありたいと思っています。そこのところで、日本語教育に従事している
研究者は「おもしろいなあ!」「なかなか鋭いなあ!」と評価されるようになりたいと思っ
ています。もちろん、繰り返しのようになりますが、そのおもしろさや鋭さはプロパーの
研究者にはないものがあるという程度のことです。総合的な研究としてのクオリティは、
プロパーの研究者に敵うわけがありません。年季と「読書量」(学識や博識ぶり)があまり
にも違います! その一方で、facebook記事
(https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=799202946908009&id=100004549
323842)
で書いたような、教育実践者による教育実践を検討するためのニュールック応用言語学の
ような研究もしているし、多くの方々といっしょにそういう研究活動をして一つの研究領
域として確立したいなあと思っています。

結論。「あなたはなぜ研究をしているのですか?」と問われたら、ぼくの答えは「それがお
仕事だから」です。しかし、続いて「単にお仕事だから研究をしているのですか?」と聞
かれたら、「『単にお仕事だから』ではありません。もう一つのぼくのお仕事である日本語
を教えるということとぼくの中でつながっていて、その両方を行ったり来たりするのがお
もしろいからです」と答えます。ですので、ぼくにおいては、お仕事の同僚とはその両方
を行ったり来たりしながら議論するのが楽しい! 7月10日発信のICPLJの記事
(https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=787645494730421&id=100004549
323842)
の中で紹介したサンフランシスコ州立大学の南先生もきっと同じようにおっしゃるだろう
と思います。そんなぼくや南先生などを見て、研究も日本語教育実践も両方する人に、院
生たちや若い実践者の方たちが成長していってくれたらいいなあと思っています。それに
しても、研究というのはやっかいなヤツですが…。

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