第9回 ヨーロッパ世界の始まりとキリスト教とギリシア哲学 (2017年10月) 4世紀後半から6世紀にかけての200数十年間、世界規模で辺境異民族の高度文明社会へ の侵入がありました。いわゆる民族の大移動で、この出来事が古代と中世を分かつことに なります。そして、前回触れたようなゲルマン民族の侵入などの結果、地中海世界を舞台 に展開された古代ギリシア・ローマ文化は西方世界から姿を消します。その後しばらく暗 黒時代が続いた後に、今度は舞台をヨーロッパ日本語教育写して、新たな中世キリスト教 文化が花開きます。そのドラマの担い手は、ヨーロッパ各地に部族国家を作ったゲルマン 諸族です。 カール大帝の戴冠と大フランク王国 ゲルマン諸族は近代的な国民国家の組織を整備するには至っていませんでした。この時期 ヨーロッパでは、前回お話しした東ローマのカトリック教会の教区網だけがヨーロッパを 統合する唯一の組織で、土地をめぐる構想などにも教会が介入せざるを得ませんでした。 しかし、統合といっても形だけのものでした。やがて、800年にフランク王国国王のカー ル大帝(742-814)がローマ教皇によって戴冠され、神聖ローマ帝国皇帝となって、ガリア (フランス)、ゲルマニア(ドイツ)、イタリアを含む大フランク王国を統治するようにな ります。ここに大規模な「聖」と「俗」の合流が起こります。それとともに、この出来事 が、今わたしたちがイメージするヨーロッパ世界の始まりとなります。これは重要! アリストテレス-トマス主義 このようにローマ・カトリック教会が実際に世俗政治に介入するようになると、「神のもの は神に、カエサルのものはカエサルに」という聖書の言葉を拠り所に、神の国と地の国、 教会と国家を截然と区別していたプラトン-アウグスティヌス主義的教義体系では不具合 が生じます。教会はこうした事態への対応を迫られました。そうした必要に応えて構築さ れたのが、13世紀のアリストテレス-トマス主義の教義体系です。 この教義体系の再編成の仕事は、12世紀に教会や修道院附属の学校(schola)の教師たち によって始められたのでスコラ哲学と呼ばれました。その仕事を成し遂げたのはトマス・ アクィナス(1225/26-1274)です。12世紀の末から7期にわたる十字軍の遠征が始まるわ けですが、その結果、ヨーロッパとイスラム圏との交流が始まりました。その交流の結果、 イスラム圏にいわば「埋もれていた」アリストテレスの哲学がヨーロッパに再輸入されま す。トマス・アクィナスは、そのアリストテレス哲学を下敷きにしてプラトン-アウグステ ィヌス主義に代わる新しい教義体系を組織します。木田によるとトマス・アクィナスは信 じられないくらい膨大な量の著書を残しています。その膨大な著作の中心になるのが『神 学大全』です。 アリストテレス-トマス主義教義体系の特徴 すでに論じたように、アリストテレスの哲学はプラトンのイデア論の批判・修正です。プ ラトンの超越的なイデア論に対して、アリストテレスの形相論では、形相を質料そのもの に内在してその生成を内側から導くものと考えました。ですので、アリストテレスにあっ ては、プラトンのイデア界にあたる純粋形相が、この現実界を全く超越した彼岸にあるの ではなく、現実界と一種の連続性を保ったものと考えられていました。したがって、この アリストテレスの哲学を下敷きにして考えれば、神の国と地の国、恩寵の秩序と自然の秩 序、教会と国家とがより連続的なものとして捉えられ、ローマ・カトリック教会が国家な り世俗の政治なりに介入しそれを指導したとしても当然だという帰結になります。ますま す形を整え力を増しつつあった国民国家との関係に苦慮していたローマ教会にとって、こ のアリストテレス哲学を使ったトマス主義的教義体系は、有効な解決法を提供してくれる ものでした。そのような事情で、以後ルネサンス期に至るまで中世を通じて、このアリス トテレス-トマス主義が正統教義として認められることになりました。 プラトン-アウグスティヌス主義の復興 世俗政治に介入するようになった教会や聖職者は腐敗堕落していきました。そこで、14世 紀あたりから再びローマ・カトリック教会に世俗政治から手を引かせて信仰の浄化を図ろ うとするプラトン-アウグスティヌス主義ないしプラトン主義復興の動きが各方面で起こ ってきました。こうした動きは、後の15世紀のルネサンスの時代には、キリスト教とは離 れた人文主義の立場でのプラトン復興の運動からも側面的な協力を受け、やがて16世紀 のルター(1483-1546)の宗教改革運動へとつながっていきます。次回に論じるデカルト (1596-1650)や、パスカル(1623-1662)やマルブランシュ(1638-1715)なども、アウグ スティヌス主義復興の運動と接触しながら自身の思想を深めていきました。 このように、プラトン主義とアリストテレス主義はキリスト教の教義史の中で覇権の交替 を繰り返してきました。かれらの哲学がキリスト教と深く関わりながら、ヨーロッパの文 化形成の根幹の部分に関わってきたということです。だいぶ遠回りをしましたが、次回は ようやくデカルトです。
日本語教育、日本語教育学、第二言語教育学、言語心理学などについて書いています。 □以下のラベルは連載記事です。→ ・基礎日本語教育の授業実践を考える ・言語についてのオートポイエーシスの視点 ・現象学から人間科学へ ・哲学のタネ明かしと対話原理 ・日本語教育実践の再生 ─ NEJとNIJ
2018年4月22日日曜日
哲学のタネ明かしと対話原理 9
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