普段フツーに日本語のセンセをしているわたしは、講師室に集まる先生たちの様子を日常 的に目にし、話を耳にします。そんなときに、「ふむふむなるほど」と合点することもいろ いろあるわけですが、「ええっ? なんか変!」と思うこともあります。 先生たちの間で頻繁に話題になるのが課題を抱えた学生、もっとわかりやすく言うと学習 が遅れている学生です。先生たちは、学生の名前を挙げて、「あれができない」「これがま だ身についていない」「困ったもんですね」「どうすればいいのでしょう」「そうですねえ…」 との会話がしばしば延々と続けられます。このような様子を見、会話を耳にして、わたし はいろいろなことを考えてしまいます。 まず第一に感じるのは「えー、なぜ、先生たちがそんなに大騒ぎしてるの? できなくて困 って大騒ぎするべきは、学生本人でしょう!」との思いです。こういう課題のある学生に かぎって、ご本人はどうかすると「平気の介」で、遅れていることを何とも思っていない し、何とかキャッチアップしようなんてこともちっとも思っていない。「大騒ぎするのは先 生ばかり」です。 次に感じるのは、「大騒ぎする時間があるなら、何とかしてあげたら?」です。ただし、 「何とか」というのは補習授業をしてあげるということではありません。『呼び出し自習と 結果見せ』です。簡単に言うと、呼び出して「赫々然々の課題をここでしなさい。できる ようになったら申し出なさい。そして、結果を見せてください」というものです。例えば、 NEJで言うと「ユニット△のナラティブをすらすら言えるようになるまでオーディオを 聞いて練習しなさい。言えるようになったら申し出なさい。そして、先生の前ですらすら っと朗唱してください」というようなものです。他の例として中級の学生であれば「この 20個の漢字語をすらすら書けるようになるまで練習してください。できるようになったら 申し出なさい。そして、わたしの目の前でそれらを書いてください」です。このように『1 回1課題』というような具合で、自助努力をさせるのがいいと思います。厳しくやるなら 「できるようになるまで帰さない!」「毎日、来て、やれ!」くらいの迫力で迫るとよいと 思います。 さて、最後に感じること。やはり、重要なことは、そのような課題のある学生をつくらな いことです。そのためには、(1)細い道ながらも重要事項をうまく含んでいて大部分の学習 者が着実に達成できる「道」を用意すること、(2)その「道」では明確なステップがあって そのステップで、進捗をよくモニターし、遅れが発生した場合には即座に『呼び出し自習 と結果見せ』などを実施すること。そのような教育の計画と、実施上でのモニターと機動 的な対応が重要であると思います。今学期は、10何年かぶりに日本語研修コースを担当し ていますが、コーディネータとして、この(1)や(2)のことを改めて考えさせられています。 教師ばかりが学生の学習の進捗にやきもきしている状況は、とても「歪んでいる」感じが します。第一の基本は、学習者に「勉強するのはあなたたちだし、その成果を得るのもあ なたたちだ」と十分に伝え理解させることです。こんなことをあれこれ考えていると、第 二言語教育のキモは「第二言語の着実な発達の経路を巧みに企画すること」だと改めて思 います。
日本語教育、日本語教育学、第二言語教育学、言語心理学などについて書いています。 □以下のラベルは連載記事です。→ ・基礎日本語教育の授業実践を考える ・言語についてのオートポイエーシスの視点 ・現象学から人間科学へ ・哲学のタネ明かしと対話原理 ・日本語教育実践の再生 ─ NEJとNIJ
2018年4月22日日曜日
羅針盤:「何とかしなきゃ」と思うべきは学生!(201608)
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