2018年4月22日日曜日

哲学のタネ明かしと対話原理 7

第7回 イデア論を内具したキリスト教神学 (2017年8月)

前々回(第5回)に「プラトンとアリストテレス」、そして前回(第6回)に「アリスト
テレス」を論じて「しまいました」。この連続エッセイでここまで辿りついてわかったの
ですが、このようなプラトン論とアリストテレス論をするから「哲学って、わけわから
ん!」となるのだと思います。(仲間のT先生からそのような「悲鳴」をいただきまし
た。) 理解のための要領を考えると、第5回と第6回はスキップして(あるいはごくざ
っと読んで)、第4回からすぐにこの第7回に入ったほうがいいように思います。そし
て、第8回のときに、第5・6回を適宜に参照していただくのがいいかと思います。で
は、以下、第4回の続きという感じで読んでください。(今回も、相変わらず、木田から
の「受け売り」です。)

プラトンのイデア論

第4回の終わりの部分で、イデア論を核とするプラトニズムの話をしました。以下、少
し、復習から。

イデアというのは、ギリシア語のidein(見る)という動詞から生まれた言葉です。イデ
アとは、「決して変化することのない物事の真の姿」(木田)です。それはいわば「魂の
眼」(木田)です。例えば、紙に書かれた三角形を目にしたとき、わたしたちはそこに
「三角形」を見るわけですが、それは魂の眼によって「『三角形』だ!」と直感している
わけです。誰かの部屋を訪れたときに、部屋の片隅に木でできた大小2つの物体を目にし
たときに、「あっ、『机』と『イス』がある!」と見えるのも、魂の眼のおかげです。

目の前にある物はイスの模像にすぎず、人間が感じ取れる世界は、イデア界の似姿に過ぎ
ない。何が真に存在する本物かという価値判断の基準を、「眼の前に○○がある」という
見方から、「わたしは眼の前に『○○』(イデア)(の似姿)を見ている」というふう
に、プラトンは逆転させたのです。そして、第5回と第6回で論じたように、アリストテ
レスもこの発想を踏襲しています。

アテナイの成り行きまかせの「なる」の論理の政治の中でソクラテスの悲劇の刑死を眼の
前で目撃したプラトンは、イデア論という一般的存在論を展開しないではいられませんで
した。人には「魂の眼」が備わっていて、その眼でしか見えない真の存在の実現をめざし
て生きるという見方をしないではいられなかったのです。

ギリシアとローマ帝国

高校で世界史を勉強するときに最初にギリシアやローマのことを勉強するわけですが、ギ
リシアとローマの関係がイマイチよくわからなかったという人が多いのではないでしょう
か。筆者自身もその一人です。また、ローマとキリスト教の関係も何だかわかりにくいで
す。今回、多少復習してみて、でもやはりあまりよくわからないのですが、わかった範囲
のことを書きます。

地理的にも近いギリシアとローマは、文明的には兄弟のようなものと理解するのがいいと
思います。一方で、両者には違いもあります。ギリシアは帝国を形成せず諸都市国家ある
いは都市国家連合で終わったのですが、ローマは紀元前500年頃(正確には前509年)にロ
ーマを中心として共和政が始まり、前272年にはイタリア半島全域に及ぶ立派な共和国と
なります。その後、ローマはシチリア(前264年)やカルタゴとギリシア(前149年)を取
り込み、さらに勢いを拡大して、北はガリア(現在のフランスとベルギーのエリア)から
ブリタニア(現在のイングランドとウェールズ)、西は沿岸都市カルタゴを中心とするヒ
スパニア(イベリア半島)、東と南はガラティア(現在のトルコ)とシリアから地中海を
ぐるりと回ってカルタゴ(現在のチュニジア)を版図とする巨大な帝国を築きます。古代
のローマの町は繁栄を極め、またローマ帝国下で各地にローマ風の都市が建設されまし
た。

古代ギリシアの発展と繁栄は紀元前6世紀頃から始まります。ギリシアの勢いは盛んで、
地中海北部の沿岸各地に植民市と植民地を作りました。しかし、アテネがアレクサンドロ
ス大王率いるマケドニアに敗れること(前338年)で、ギリシアの繁栄と勢いは終わりを
告げます。

で、ギリシアとローマの関係です。この頃まで、ローマはそれほど勢いが活発ではありま
せんでした。実際のところ、シチリア島の沿岸部やイタリア半島のナポリ以南、そしてベ
ニスはギリシアの勢力下にありました。ローマが勢いを増していくのは、貴族と平民の闘
争に終止符が打たれたホルテンシウス法(前287年)以降です。ですので、形としては、
ローマはギリシアをその内部に吸収して帝国を築いていった観があります。そして、やが
て、ローマ帝国の文明史の中にやがてキリスト教が登場します。

ローマ帝国とキリスト教

もともとキリスト教はユダヤ教から派生したもので、イエスという教祖の奇跡的な言行を
伝える信徒たちの文書を拠りどころに展開された民間信仰のようなものでした。体系的な
教義などはありませんでした。伝道者たちはローマ帝国の各地で布教を行い、やがてキリ
スト教は無視できない勢力となりました。そして、ついに、380年にローマ皇帝テオドシ
ウスによってローマ国教に採用されました。その時点で、ギリシア的な教養を身につけた
ローマ市民に布教をしなければならなくなり、教義体系の整備が迫られました。そこで、
ギリシア哲学を下敷きにして、超自然的原理の部分に「神」を代入して、教義体系を作り
あげたのです。そして、これ以降、キリスト教神学の中で、プラトン主義とアリストテレ
ス主義という2つの思想、2つの世界観が時代によって入れ替わって、西洋の文化形成を
規定することになります。その2つは、プラトン-アウグスティヌス主義とアリストテレ
ス-トマス主義です。

次回は、プラトン-アウグスティヌス主義とアリストテレス-トマス主義の若干の説明と両
者の盛衰を見ていきます。今回のエッセイの注目点は、ローマ帝国以来、ギリシア哲学と
キリスト教が渾然一体となってヨーロッパの文化形成の基盤となってきた、ということで
す。政治、社会、哲学、思想、芸術などどの分野においてもそうです。ここは、重要!!

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