4月からここ(8月)までのぼくの仕事はちょっと「いそがしすぎた」ように思います。 でも、一方で「まあこれもいいか」という感もあります。「いそがしすぎた」のほうは、学 生の指導や助言などが十分に丁寧にできたかとの反省と仕事が多くて心身共にあまり余裕 がなかったこと。「まあこれもいいか」のほうは、ジェットコースターのように仕事をこな しつつもいろんなアイデアや発想は得られたことです。そんなアイデアの一つ…。 これまで自己表現活動中心の基礎日本語教育のためのプラットフォームを開発しその共有 を進めてきました。また、表現活動中心の基礎充実日本語教育もすでにうちのセンターの 各コースで実践し、来年の上梓をめざして現在出版準備中です。そして、6月のサンフラ ンシスコでの講演でも、7月のイギリス・カーディフでの講演でもこれら表現活動中心の 日本語教育のことを話しました。その中でのキーワードは、対話原理ではなく、「プラット フォーム」でした。プラットフォームとは、教育実践を大枠で進路誘導し運営可能なよう に区分けするカリキュラムと、具体的な教育実践を進路誘導し運営可能にする教材のこと です。そして、講演の中では「具体的な教育実践を行う教師には、バフチンの対話原理を 理解し、学習者とそのことばを対話的状況に置いて言語活動従事経験が積み重ねられるよ うに、学習的言語活動を計画し実施することが期待される」と言い添えました。そんな話 をしながら、「大きな気づき」がありました。 ぼくが話したことは、実は、(1)「文型・文法事項積み上げ方式」という「古い船」に代わ って「表現活動中心の日本語教育」という「新しい船」=プラットフォームを作りました からこっちに乗りませんかとの誘い、(2)その「新しい船」は対話原理の発想で造られてい ますとの説明、(3)その船に乗る「乗組員」=授業実践者は対話原理を直感的にでもいいか ら理解してそれに沿った具体的な授業実践をしてほしいとの期待表明、だけです。で、気 がついたことというのは、(a)新しい船=プラットフォームを造ったとしてもそれは教育 改革の重要な部分ではあるが「序章」にすぎない、(b)教育改革として実質的に重要な部分 は「新しい船」の上でその「乗組員」がどのような働きをしてくれるかである。そしてそ のようなことを考えると現在までのところ、(c)授業実践については(3)を見ればわかるよ うに実質のある提言や重要な視点の提示を十分にしていない、そして、(d)その部分こそ教 育改革の「本丸」でありこれまでやってきたことは「基礎工事」にすぎない、ということ です。 もう少し具体的に言うと、これまでのところでは、学習者がかなりの程度自立的・自助的 に学習を進めることができ、授業実践者も「合理的に」授業ができる「舞台」は用意しま した。しかし、「舞台」上での授業実践者の「振る舞い方」や「踊り方」についてはごく概 略しか論じていません。この点については、後でよかったことと、「後はもう授業実践者に 任せてもよいか」という気持ちがあったことで、今まで議論しないで来ました。でも、「基 礎工事」が概ね終わった最近は、やはりこの点についてきちんと議論をしないのは「本意 ではない」と感じ始めました。いや、もっと言うと、これまでの仕事は、この部分の議論 をクリティカルにするための「地ならし」であったような。 次のフェーズ(局面)の重要な仕事として、この部分の議論を、授業実践者の志向 (orientation)の相対化という形で進めたいと思っています。で、で…。本フォーラム掲 載の連続エッセイ1は実はそのような仕事にすでに取りかかっています。連続エッセイは 12回で終わりますが、上のような議論に本格的に入るということで、最後の第11回(本 号)と第12回(次号)がとてもおもしろいです。お楽しみに。
日本語教育、日本語教育学、第二言語教育学、言語心理学などについて書いています。 □以下のラベルは連載記事です。→ ・基礎日本語教育の授業実践を考える ・言語についてのオートポイエーシスの視点 ・現象学から人間科学へ ・哲学のタネ明かしと対話原理 ・日本語教育実践の再生 ─ NEJとNIJ
2018年4月22日日曜日
羅針盤:「新しい船」と「乗組員の働きぶり」─ 次のフェーズへ(201609)
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