今回は、「負けいくさ」がキーワードです。(すみません、たたかいの譬えを出すのは憚ら れますが、ご容赦ください。) 「負けいくさ」の反対は「勝ちいくさ」あるいは単に「勝 利」です。手短に言うと、日本語のせんせいはどうも「負けいくさ」が多いように思いま す。(これって、精神衛生上もよくないですよね!) で、「負けいくさ」が込む原因を考え てみましょう。 (1)具体的な作戦計画に無理がある(授業スケジュールの各ステップ<ユニットの中の 授業計画やカリキュラムの中のユニット計画>の進み具合に無理がある)。 (2)作戦計画そのものに工夫がない(授業の各ステップやユニットの各ステップが巧み に繋がり合って日本語の習得が促進されるようにカリキュラムやユニットの中の授 業が構成されているというふうになっていない)。 (3)(1)と(2)と関連して適切な学習と学習指導のためのリソースがない。 (4)(1)と(2)(と(3))はOKだが授業を実施する教授者がその趣意を理解していない。 (5)(4)にも関連して教授者の資質や技量が「不足」している。 (1)から(3)は、教育の企画・計画や教材の問題です。(4)と(5)は教授者の問題です。((4) はコーディネータと教授者のコミュニケーションの問題とも言えますが) さて、この5つの理由の中で、「負けいくさ」が込む大きな原因となっているのはどれでし ょう。うちの職場に限定しないで日本語教育全般を考えてみると、その原因は間違いなく (1)から(3)だと思います。簡単に言うと、「優れた作戦とそれを実行するための適切なリソ ース」がなければ、いくら「兵隊」ががんばっても「勝つ」ことはできません。日本語の せんせいは、「勝つ見込みのないたたかいを延々と強いられている」というイメージがわた しには浮かんでしまいます。 一方で、(2)と(3)がOK、つまり巧妙に企画されたカリキュラムと学習と教育実践を支える リソースさえあれば「勝てる」かというと、まったくそんなことはありません。実際の教 育実践においては、(1)の良し悪しが大きく物を言います。どんなカリキュラムや教材を採 用するのであれ、コーディネータは(1)の部分をひじょうに熟慮して綿密に行わなければ なりません。(1)がうまくできてさえいれば、どんなに「しょぼい」教材を採用しても、ひ どい「負けいくさ」は回避することができます。逆に、優れた教育企画とそれを支えるリ ソースがあっても、(1)がうまくできていないと、「負けいくさ」になってしまいます。 ところで、ここで言っている「勝つ」というのは、教師と学生が共にいい気分で授業や学 習や学習指導の時間を過ごすことができて、各ステップの所期の目標を達成して、その積 み重ねもうまく行ってコースの目標に達することができる。そして、教師も学生もそれを 実感(取りあえずは「実感」!)することができる、ということです。そして、「負け(い くさ)」というのは、その逆で、学生は所期の目標を達成することができず、教師も学生も 達成できていないことを実感してどちらも「不満足」な気分になることです。 結論です。コーディネータは、学生たちと授業担当教師に「勝たせて」あげないといけな い。「勝たせて」あげて、ハッピーにする責任があると思います。「負けいくさ」の経験は みんなにとってつらいです。日本全国のコーディネータさん、がんばって!!
日本語教育、日本語教育学、第二言語教育学、言語心理学などについて書いています。 □以下のラベルは連載記事です。→ ・基礎日本語教育の授業実践を考える ・言語についてのオートポイエーシスの視点 ・現象学から人間科学へ ・哲学のタネ明かしと対話原理 ・日本語教育実践の再生 ─ NEJとNIJ
2018年4月22日日曜日
羅針盤:負けいくさ?(201712)
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