2017年7月8・9日の両日にわたり国立国語研究所で実用日本語言語学国際会議ICPLJが 開催されました。その報告は、同翌日にfacebookで発信しましたのでそちらをご覧くださ い。(https://www.facebook.com/profile.php?id=100004549323842)この羅針盤では、一 部ICPLJにも触発されたタイトルのようなことを話します。基礎日本語教育の革新につい てです。 もちろん日本語教育というお仕事に関してですが、物事を真摯に考える人であるならば、 「現状」を見て、気にかかることがあれこれあるでしょう。表面的な些細なことではな く、重大な根本に関わることについての気がかりです。ただし、ここに言う「現状」は第 一義的には自身が関わってある種の責任がある目の前の教育現場の「現状」です。ヨソの ことは二義的です。まずは「自身の足許の改革から」です。自身がまさに日本語教育の現 場をもっていながら、「現在の日本語教育は…」と大上段に立ってあれこれ大げさに課題 を並べ立てるのは詮無いこと。大事なのは個々の現場における改革の推進です。そして、 自身の現場の「現状」にあれこれ憂いがあるのであれば、憂えていてもしかたがないの で、改革を考える! 改革は、長期的な展望と、中期的な企画と、短期的な計画と実行、 というふうに「したたかに」やる。目論見を隠して改革をしようとする人もいます。ま あ、それはそれでいいですが、ぼくの場合は、隠し立てはしません。で、ここでは、気が かりと中期的な企画について話します。 基礎日本語教育についての長期的な展望は「優れた教育実践を実現すること」です。それ に向けた第一弾の改革目標の背後にある「気がかり」は、言語事項の呪縛でした。まず は、教師も学習者も言語事項の呪縛から解放しなければ「最初の一歩」を踏み出すことが できない。で、そのためには新たな言語観と言語習得観に基づく基礎日本語教育の企画と それを支える教材を作らなければならない。それが自己表現活動中心の基礎日本語教育の 企画であり、NEJでした。そして、ぼくの所属機関ではすでに十分にこの「最初の一 歩」を踏み出しそれを越えた領域に入っています。同僚の先生方も同じように考えていら っしゃると思います。 で、ぼくとしては、この言語事項の呪縛から解放された領域に入ると、控えさせていた次 の「気がかり」を次の教育改革の課題として前面に出すことになります。それは、「学習 者に注いで吸収させる『栄養』が足りないのではないか」「栄養失調のような授業をして いるのではないか」という気がかりです。そして、その気がかりについて、ぼくは直接的 に何かを改革することはできません。なぜなら、それは個々の授業の問題だからであり、 それゆえ個々の先生の授業の仕方に帰するからです。しかし、直接的には何もできません が、間接的にはあれやこれやできます。こうして「栄養分が足りてないよ」「もっと日本 語的な栄養分をたっぷりと供給する授業をしよう!」と叫ぶこともその一つです。また、 最近「自己表現活動中心の基礎日本語教育の教育企画(教育のマトリクス)」という資料 も作成し先生方とシェアしました。 自己表現活動中心の基礎日本語教育とNEJでわたしたち(わたしの現場)は、言語事項の 課題を包摂する形で言語事項の呪縛からの脱却を果たしました。次に来るのは、「栄養価 の高い授業実践」です。そして、さらに次に控えている第3歩は、「多水準的で多面的で 多事項的な授業実践」です。第一歩ももちろん「問題意識とかなりの経験といい感じの直 感」をもっている優れた教師集団がいなければなかなか実行はむずかしいです。(でも、 実は「いい感じの直感」は掘り起こすことができる!)そして、第二歩と第三歩は、ほん とうはぼくが「出る幕」でもないのですが、わたしたちとしてさらに上をめざすためにや っぱり「しゃしゃり出てしまう」ようです。そして、ぼく自身はヨソのことも引き続きぼ ちぼちやります。でも、やはり、ウチのことが一番大事です。仲間の先生方、これからも 改革をいっしょに楽しんでね!
日本語教育、日本語教育学、第二言語教育学、言語心理学などについて書いています。 □以下のラベルは連載記事です。→ ・基礎日本語教育の授業実践を考える ・言語についてのオートポイエーシスの視点 ・現象学から人間科学へ ・哲学のタネ明かしと対話原理 ・日本語教育実践の再生 ─ NEJとNIJ
2018年4月22日日曜日
羅針盤:気がかりと、長期的な展望と中期的な企画と短期的な計画と実行(201708)
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