細川氏メルマガ(ルビュ言語文化教育)608号(http://archives.mag2.com/79505/)に「大 学における日本語教育を考える ─ エグゾティシズムの言語教育と表現活動主導の言語教 育」とのエッセイを書きました。簡単に紹介すると、エグゾティシズムの方は「日本語は (私たち外国人学習者の言語とは大きく異なる)特殊な言語である。そして、それを話す 日本人も特殊な人々である。なので、日本語に熟達するためには日本文化や日本人の考え 方や振る舞い方なども学ばなければならない」との見方に基づく言語教育です。従来の日 本語を習得することを中心に据えた日本語教育はこのエグゾティシズム言語教育の一種と なります。表現活動主導の言語教育は、それと対照的なスタンスに立つ言語教育です。わ たしたちが実践している(自己)表現活動中心の日本語教育や、細川グループの総合活動 型の教育、さらにはカミンズの変革的マルチリテラシーズ教育やニューロンドングループ のマルチリテラシーズ教育やCanagarajah(Canagarajah, 2013)のトランスリンガリズム なども、この対比では、表現活動主導の教育に入ります。表現活動主導の日本語教育(第 二言語教育)については、現在岡崎さんや細川氏らと制作中の本で詳しく論じられる予定 です。一方で、Web版『リテラシーズ』の20号(2016年12月発行予定)は「コミュニカ ティブ・アプローチを考える」の特集号で、こちらにも投稿しました。こっちは「コミュ ニカティブ・アプローチの超克」とのタイトルで、コミュニカティブ・アプローチの功罪 というような具合で、「その鏑矢となるWilkins(1976)は分析的アプローチという注目す べき新規のアイデアを出している一方で、『誘う』『依頼する』などの機能的な言語行動へ の偏重があった。前者は十分な功を発揮できておらず、後者は悪い遺産を後世に残してい る」との見解を提示しました。そんな関係で自身も第二言語教育の「企画」について考え つつ、他の著者の方々の論考も拝見して、この数カ月、また深く日本語教育のあり方のこ とを考えました。で、思ったこと。 1.アプローチや教育法を一般論として論じても詮無い 「従来の構造中心のアプローチの課題は××で、コミュニカティブ・アプローチは○○で 優れている」とか「しかしながらコミュニカティブ・アプローチには△△との限界がある」 とか「新たな□□教育は凄いぜ!」などとアプローチや教育法を熱く論じてもどうも実り がないと思います。前二者の発言については、学習段階や(言語間距離に基づく)言語学 習困難度などを考慮しないで一般論としてそういう議論をしてもほとんど意味がないと思 います。また最後の発言については、「□□教育は凄いぜ!」と主張する人たちはちょっと 「熱が高く」「盲目に」なっている感じがします。 このメルマガを読んでくれている人はすでにお気づきだと思いますが、ぼくは最近は「企 画」という言葉を好んで使っています。具体の教育実践は、その教育が置かれている特定 の社会的・制度的な文脈で企画!されるわけで、「□□教育」などの新しい教育法も承知し た上で当該の教育が置かれているさまざまな要因も考慮して企画されなければなりません。 具体的に授業担当をしてくださる先生方の志向や教育観なども直接的に考慮しなければな らない要因となります。簡単に「□□教育」に飛びつくのは無分別な感じがしてぼくには できません。また、具体的な授業担当の先生方との「協働」ということを考えても、拙速 な取り入れは決して有効ではないと思います。 2.ソロ・プレーヤーと「標準化」&普及 総合活動型の教育やマルチリテラシーズ教育などを実践している人は、自分で企画して、 自分で実践して、自分で実践報告論文を書いています。ソロ(単独)・プレーヤーです。そ の実践報告が向けられているのは同じようなソロ・プレーヤーです。そして、その多くはだ いたい上級段階の教育実践です。そうしたソロ・プレーヤーたちはかれらの相互に「企画・ 実践・報告」のサイクルを実践して、研究の成果をあげるとともに実践の向上と変革を図 ろうとしているようです。ある意味で、「うまい」ストラテジーです。 それに対し、ぼくの方は明らかに「標準化」と普及を志向しているようです。さまざまな 個性をもったいろんな先生たちがそれぞれの持ち味を発揮しながら協働して教育実践がで き、学習者も各自その人らしさを発揮しシェアしながら日本語の学習と習得ができる、そ んなプラットフォームを作りたいようです。そして、ぼくの場合の研究はそのプラットフ ォームの背景にある言語観や人間観やコミュニケーション観及び言語習得・教育観を広く 共有できるようにすることです。 このようにソロ・プレーヤー志向で企画・実践・研究を回すのと、「標準化」と普及志向で 企画・実践・研究を回すのとは、ひじょうに大きな違いがあります。まあ、ぼくはぼくの スタンスで引き続きぼちぼちやります。
日本語教育、日本語教育学、第二言語教育学、言語心理学などについて書いています。 □以下のラベルは連載記事です。→ ・基礎日本語教育の授業実践を考える ・言語についてのオートポイエーシスの視点 ・現象学から人間科学へ ・哲学のタネ明かしと対話原理 ・日本語教育実践の再生 ─ NEJとNIJ
2018年4月22日日曜日
羅針盤:ソロ・プレーヤー志向とプラットフォームの開発と普及(201701)
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