2018年4月22日日曜日

羅針盤:ぼくがやりたかったエンタープライズ(201709)

2010年以来わたしの所属機関では、自己表現活動中心の基礎日本語教育(SEJと略す)の
実践をしています。そして、2014年から、テーマ中心の中級日本語(TIJと略す)のカリ
キュラムと教材を開発・改良しつつ実践をしています。SEJとTIJは、独自の企画方法に
おいて日本語教育における大きな変革であると思います。SEJやTIJと従来の教育企画と
の大きな違いは、学習者と教授者が学習言語事項や教材に拘束されるのではなく、むしろ
各ユニットでそれを貫くものとしてテーマがあって、すべての学習活動と教授活動はその
テーマの軸に沿ってそしてテーマの言語技量を養成するために実施されるという点です。
SEJにはNEJという教材があり、TIJにはNIJという教材がありますが、これらの教材が
提供する素材もテーマを提示し、テーマの言語活動を例示し、テーマの言語活動を促し支
援するものとして用意されています。

そのような事情について最近おもしろい譬えを見つけました。SEJで言うと、NEJの素材は
教室という空間に、「リさん」や「あきおさん」や「西山先生」を登場させているのです。
つまり、教室には、学生と先生の他にリさん他がそこにいるという譬えです。ユニットの
当初は新しいテーマの始まりなわけで、このリさん他は「学生たちには『わからない』言
葉や言葉遣いをあれこれ使って話す人」として登場します。教科書についている注釈や文
法説明そして教師の理解促進のための授業は、リさん他を「何を言っているのかわかる人」
にするための仲介(者)の役割をします。つまり、学生たちは、教科書の注釈や授業など
を通して、リさん他が何をどのように話しているかを知ります。次は本来的には教師の番
です。教師が、当該のテーマについてリさん他の言葉や言葉遣いにならって自身の話をす
るのがいいでしょう。そして、ようやく第3段階として、リさん他の「何をどのように話
しているか」と、教師の「何をどのように話しているか」を参照しながら、当該テーマに
ついての自身の事情を組み立てて、教室の友人=クラスメートや教師に(そしておそらく
仮想的にそこにいるリさんたちにも)話すわけです。NIJもユニットの基本構造は同じよ
うな原理に基づいています。

この教育方略の利点を2つだけ挙げるなら、(1)あらかじめ学習者にカリキュラム=一連
のテーマを示すことで日本語ができるようになっていく経路がわかり、ユニットのテーマ
を知らせることでユニットの目標がわかり、基本として日本語学習のイニシアティブを学
習者に持たせることができること、そして、(2)リさん他のナラティブを参照先とすること
で言葉遣いをまるごとあるいは部分的に変えて流用して日本語が学習できること、です。

しかし、「実は…」ということで最近強く思うことがあります。ぼくがやりたかったこと
は、この教育変革ではないのです。実は!、この教育変革は、もちろん重要で有効な教育
変革であると思いますが、この教育改革はいわば「手段」で、本当にやりたかったエンタ
ープライズは他にあるのです。それは、学習言語事項や何がどう有益なのかわからない教
科書から学習者や教師を解放して、本当に日本語習得に資する学習や教授実践に従事でき
るようにすることです。そして、教師の立場としては、日本語習得に資するということ
を、ユニットの目標に向けてだけ考えるのではなく、今日の授業や現在のユニットをも超
えたところで全般的な日本語力の養成に資する活動を、ユニットの目標に向けた教授活動
とオーバーラップして実施してほしいのです。そのようにすれば、SEJの実践やTIJの実践
は、3倍・5倍の効果を発揮することができます。それは、日本語発達栄養分が豊富な教
育実践です。

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