2018年4月22日日曜日

哲学のタネ明かしと対話原理 5

第5回 プラトンとアリストテレス (2017年6月)

前回予告した予定を変更して、今回はプラトンからアリストテレスへの「継承」について
話したいと思います。

すでに告白しているようにこのエッセイは木田の哲学の見方に大きく依拠しています。木
田の哲学論は、「なる(生成)」的思考と「つくる(制作)」的思考というコントラストを縦
糸として哲学的思考の俯瞰図を提示しています。木田の議論に沿っていうと、ソクラテス
以前のギリシア本来の自然的思考(第2回と第3回に論じたソクラテス以前の思想家はそ
の伝統にある)の思考法は、典型的な「なる」的思考です。「なる」的思考では、自然も人
間も「自ずから生成し、変化し、消滅していくもの」となります。そこには、絶対的な論
理や理念などはありません。そして、「つくる」的思考の創始者がプラトンとなります。プ
ラトンはイデア論(前回参照)によってそれまでにはなかった「つくる」的思考を高らか
に宣言したわけです。そして、師プラトンの「つくる」的思考を継承しながら、それにギ
リシア伝統の「なる」的思考を編み込んだのがアリストテレスです。今回は、プラトンの
思想の形成の経緯をたどり、その思考法のアリストテレスにおける展開について話します。

プラトン思想形成の経緯

前回のプラトンの来歴のところでお話ししたように、28歳でソクラテスの死を迎えました。
そこでプラトンは政治家の道を断念して、世界漫遊の旅に出かけます。まあ世界漫遊と言
っても、エジプトやアフリカ北岸にあるアテナイの植民都市キュレネ、イタリアのタラン
トなど基本的に地中海を取り巻くエリアです。この頃は、ギリシア及びそのアフリカ北岸
の植民都市とイタリアの各地に町がある程度で、それ以外のヨーロッパ世界はまだ文明以
前の地です。

アフリカの北海岸は、ユダヤ人の居住地でした。モーゼの出エジプトの地もそのあたりで
す。ユダヤ教はこの地で誕生した一神教です。プラトンの自然を超越した原理であるイデ
ア、諸々のイデアのイデアである善のイデアというような考え方や、世界は作られたもの
だという考え方は、ユダヤ人の信仰である一神教との接触によって生まれたのではないか
と木田は推測しています。ソクラテスの死後、人生をどう生きるか暗中模索していたプラ
トンには、ユダヤ人の信仰する唯一神、その神によって創造された世界という発想は大き
なヒントになったはずだと木田は言います。また、プラトンは南イタリアのタラントにも
行き、当時そこに拠点があったピュタゴラス教団にも立ち寄って、数年間数学を学びまし
た。ピュタゴラス教団の信奉する「数」もプラトンの思想形成に影響していたのではない
かと木田は見ています。

このようにプラトンはアテナイ出身の人ですが、28歳からの諸国漫遊の経験を通してイデ
アに基づく世界の成り立ちという思想を形成していきました。そして、41歳のときにアテ
ナイにアカデミアを設立します。そのような物の見方は、ギリシア伝来の自然主義的な「な
る」的思考に慣れ親しんでいたアカデミアに集う弟子たちには大いに異質だったようです。
実際に、アリストテレスは、プラトンの思想を「異国風(エクトポーテロス)」と言ってい
るそうです。つまり、プラトンのイデア論は、ソクラテス以前からのギリシア伝来の自然
的思考とは大きく趣を異にするものでした。

アリストテレス

アリストテレスは、紀元前384年にギリシア北方のマケドニアの都市スタゲイラの医師の
家に生まれました。17歳のときにアテナイに行き、プラトンのアカデミアに入学し、プラ
トンの死まで20年近くそこで学びました。アリストテレスは後の紀元前335年に、ギリ
シアを版図に収めたマケドニア勢力の支援を得てアテナイにリュケイオンを開き、アカデ
ミアと対抗しながら活動を続けました。アリストテレスが育ったスタゲイラは、イオニア
的と呼ばれる古いギリシアの伝統の影響が色濃くのこっていたところだったので、プラト
ンのイデア論にはアリストテレスはかなり違和感をもっていたのではないかというのが木
田の見立てです。いずれにせよアリストテレスの課題は、プラトンの行き過ぎた異国風の
イデア論を批判し、これを巻き戻すこと、あるいはイオニア的伝統である自然的存在論つ
まり「なる」的思考と折衷するところにありました。これも木田の見解です。

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