ものを書くということでは、興ということが重要です。「興に乗る」の興です。興に乗れば、 1000字や2000字のエッセイはすらすら書けます。で、この羅針盤、その「興に乗る」の タイミングに合えばいいのですが、合わないこともあります。そんなときは「何を書こう かなあ」と考えなければならないことになります。 本メルマガの読者の大部分はご存知だろうと思いますが、ぼくは自身のfacebookで仕事 (日本語教育や日本語教育学・第二言語教育学)に関わるエッセイを割合頻繁に発信して います。それは端的に「興に乗った」ときにさっと書いているわけです。そして、「興に乗 っている」分、おもしろい内容になっていると思います。ですので、これからは、時々は、 facebookの記事を紹介するような形でこの羅針盤を書こうと思います。 1月21日発信のfacebookでは、「ディスコースの大洪水と研究者 ─ 新領域開拓のため の『魔物』調伏の旅」というのを書きました。学問や研究というのは、具体的にはたかが ディスコースの実践である。学問や研究の重要部分は、文献つまりディスコースに接しそ れと対話することであり、学問や研究の発信は、過去のディスコースとの対話に基づいて、 時にデータというものも持ち出してそれと照合しながら、新たなディスコースを組織化し てパブリッシュすることです。ただそれだけのことです。しかし、自身の研究に関連する ディスコースは山のように大海のようにあります。その大海あるいは大洪水に飛び込むと 溺れてしまうかもしれません。しかし、研究に従事する者は飛び込まなければなりません。 そして、その大洪水と対峙し、何とかそれと「折り合い」をつけなければならない、そう しないと真の意味で学術的な研究とは言えない、という話です。 これからの研究者が大海の大洪水で溺れないように、針路を示し、荒波の中で溺れない泳 ぎ方を教えてくれるのが先生です。しかしながら、日本語教育学や第二言語教育学は、ま だそれ自身としての海域を持っていないように思います。
日本語教育、日本語教育学、第二言語教育学、言語心理学などについて書いています。 □以下のラベルは連載記事です。→ ・基礎日本語教育の授業実践を考える ・言語についてのオートポイエーシスの視点 ・現象学から人間科学へ ・哲学のタネ明かしと対話原理 ・日本語教育実践の再生 ─ NEJとNIJ
2018年4月22日日曜日
羅針盤:羅針盤とfacebook(201702)
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