新しい年度を迎えて、この春に大学院の修士や博士に入った方を少し意識して、この羅針 盤を書きたいと思います。日本語教育と関連領域とはどのような関係にあるかというテー マです。 ご存じのようにぼくは、バフチンやヴィゴツキーやバーガーとルックマンなどをお勉強し ていて、最近はますます関心が拡がりつつあります。そして、日本語教育と関係がありそ うにも思えない、そんな研究者たちを採り上げてものを書くというようなことをしていま す。しかし、そんなときでも、(1)日本語教育の企画と実践の創造のためという観点から、 (2)かれらの論のキモをつかみ取った上で、(3)日本語教育の企画と実践の創造のためにそ れを再編成する、というようなしかたでやっています。 これまでぼく自身は自分のことを応用言語学者とは思っていませんでした。「○○学者」と うまい名前をつけることができないと思っていました。これまでのぼくは応用言語学とい う研究分野を、「個別言語を研究する」言語学にとどまらず、言語のその他の側面を扱う分 野、つまり社会言語学や機能文法や言語行為論などの知見も「応用」して言語教育を考え る研究分野というふうに狭く規定していました。しかし、英国カーディフ大の百済さんと いっしょに仕事をしていてわかったのですが、どんな分野に「はるばると遠征して行って」 も、その「遠征」の目的が言語教育の改善に資することで、どんなに「遠くに行っても」 やがては言語教育のところに舞い戻ってくるなら、それは応用言語学と言うらしいです。 そんな意味でいうなら、ぼくは応用言語学者でしょう。そして、応用言語学者であるなら、 (a)(言語教育政策や、さらに広くは言語政策なども含めて)言語教育に関心を置くこと、 (b)一人の研究者でもいろいろな方面に「遠征」して行くという「マルチ性」を持っている こと、(c)「遠征」先の分野をただ紹介するのではなくクリティカルに検討してそこから言 語教育に関連する洞察を引き出すこと、そして(d)言語教育に舞い戻ってくること、という 要件が必要です。 日本語教育学の関連領域は、言語学や日本語学さらには言語社会学などにとどまらず、心 理学系、社会学系、人類学系などさまざまな分野にますます!?拡がりつつあります。今、 日本語教育学の人はそれぞれいろいろな方面に「遠征」に出かけて行っています。しかし、 日本語教育学の人(「日本語教育学」という看板を上げている限り、これは本来日本語応用 言語学者なのだろうと思います)は、「遠征先」の分野をクリティカルに検討しているでし ょうか。そこから深い洞察を引き出しているでしょうか。またマルチになっているでしょ うか。そして、最も重要なことは、日本語教育に関心を置き、日本語教育に舞い戻ってき ているでしょうか。日本語教育に比較的近い関連分野に「遠征」する人は、あまりにも直 截に(短絡的に?)知見の応用をしようとする傾向があるように思います。その一方で、 新しい関連分野に「遠征」する人は、あまりに遠くに行ってしまって、「迷走して」しまっ たり、うまく日本語教育に戻れなくなったりする傾向があるように思います。 これから大学院で勉学する人たちは、先生たちや先輩たちから「研究! 研究!」、「論文! 論文!」と責め立てられるでしょう。「そんな教育にベタなテーマではだめ! もっともっ とテーマを局所的に絞らないとだめ!」とも厳しく言われるでしょう。「研究(らしい?)」 プロダクトを出すためには、そんな先生や先輩たちの言葉に耳を傾けるのが、当面は必要 だと思います。しかし、日本語教育への関心は捨てないでほしい。そして、(当面は)自身 の研究分野を極めて、そこから日本語教育のための洞察を引き出して、それを携えて舞い 戻ってきてほしいと思います。
日本語教育、日本語教育学、第二言語教育学、言語心理学などについて書いています。 □以下のラベルは連載記事です。→ ・基礎日本語教育の授業実践を考える ・言語についてのオートポイエーシスの視点 ・現象学から人間科学へ ・哲学のタネ明かしと対話原理 ・日本語教育実践の再生 ─ NEJとNIJ
2018年4月22日日曜日
羅針盤:日本語教育と関連領域(201804)
羅針盤:虚心坦懐・融通無碍(201803)
2月某日。外は寒いながら、南向きの研究室は日差しがたっぷりと入って、うららかな陽 気です。お弁当を食べながら思いついたことをつらつら書いてみたいと思います。教育実 践の創造と研究ということについてです。(いつもは、書きたいモチーフがあって書き始め るのですが、今回はどういう結論になるかわかりません。) たぶん前にもこの羅針盤で書いたことがあると思いますが、ぼく自身は自分自身が優れた 授業をすることには関心を置いていません。そんなのはあまりにも当たり前のことでとっ くに「解決」しています。そんなところで「うろうろしている」なんてありえません。で、 ぼくの関心は自身の実践の創造ではなく、むしろ、最も身近では、(1)自身がコーディネー タをしているコースで優れた実践が行われること、そしてもう一歩広くは、(2)ぼくが属し ている機関の多くのコースで優れた実践が行われること、さらに広くは、(3)ぼくが考案し た教育企画とそれを支える教材を活用していろいろなところで優れた教育実践が行われる こと、です。(そして、その付随として、日本語教育者の「意識」を変革することです。) こんなふうに大それたことを考えるのは、実は多くの日本語教育者はalternativeな教育 企画と教材を求めているとの認識?感覚?がぼくにあるからです。つまり、期待され求め られているのは具体的な(包括的な)alternativeな提案であって、(a)教え方のアイデア や、(b)習得や習得支援に関する理論的な「能書き」ではないし、(c)特定の文法現象につ いての日本語学的な研究や、(d)第二言語習得の原理に関連する実証的な研究の知見でも ない、と思います。世間的には(a)から(d)のようなものが求められているようにも見えま すが、実際に「心の底から」求められているのは、具体的な(包括的な)alternativeな提 案だと思います。しかし、多くの日本語教育者は「基礎段階の教育で文型・文法事項を柱 とした教育以外に、組織的な教育(つまり重要な諸事項・諸内容を相当程度に網羅してい る教育)はできない、つまり「画期的な」alternativeな教育企画や教材は考えられない と思っているフシがあります。もしalternativeが不可能であるなら、基礎から中級にか けての日本語教育の「停滞」は今後も続くことになります。そして、そんな「従来通り」 の枠組みの中では、教授者が(a)から(d)のようなことを勉強して身につけたとしても、「焼 け石に水」です。…というような認識でぼくはalternativeを提案し続けています。 次に、ぼくが提案するalternativeの発想やアイデアの源はなにか! ヴィゴツキー? バ フチン? バーガーとルックマン? ブルーナー? そうではありません。じゃあ、クラシェ ン? それもちがいます。もちろんかれらのおかげでぼく自身の考えがより洗練されてく るわけですが、そこが源ではありません。源は、明らかに「ぼくが学習者だったら、こん な教育企画をしてほしい、こんな教材がほしい、こんな授業をしてほしい!」です。この 源から虚心坦懐(←この使い方、少し変かも)、融通無碍に考えて発想やアイデアを創出す れば、大きく間違うことはないと思っています。(←ほんまかいな!<桂文枝さん風に>) 「間違うことはない」の根拠は? 何か「物事を見る目」のようなものがあるのでしょうか? 虚心坦懐・融通無碍に考えれ ば誰でも物の道理はわかるはず!と思っているフシがあります。
羅針盤:仕事と価値(201802)
昨日(1月30日)は、早稲田で竹田青嗣氏の講演があり、細川さんといっしょにディスカ ッサントとして参加しました。会場は40人くらい参加の満員御礼でなかなかおもしろい 議論ができました。で、この機会をきっかけに考えたこと。 わたしたちは、日本語教育(学)の仕事をしています。わたしたちの「お客さん」あるい は受益者は、日本語教育の場合は日本語科目を履修してくれている学生、日本語教育学の 場合は、学部や大学院の授業を履修してくれている学生及び研究指導学生です。このあた りは、教育領域のお仕事となります。この上に、日本語教育学では、学会発表をしたり論 文を書いて出版したりすることも(まあ)仕事です。そして、そういう成果をまとめて本 を出版するのも「おまけ的な」仕事です。わたしが属する学校では、研究業績の基本は論 文です。本は「おまけ」です。このあたりは研究領域のお仕事となります。さらに、大学 教員としては、管理運営(委員会出席や各種書類作成など)と社会貢献があります。 教育領域の仕事は自身が直截担当している授業をつつがなくやっていればそれでとりあえ ずは「合格」です。日本語教育(学)関係の教員の場合はコーディネーションの仕事が大 いに時間と手間がかかりますが、この仕事は(大学の立場からは)あまり評価の対象にな っていないように思います。教務関係の仕事(授業科目の編成、教師の任用と配置、TAの 募集・配置など)もかなり時間と手間を要する仕事ですが、(同じく大学の立場からは)「雑 用の一種」のように扱われているように思います。一方、研究領域の仕事については、と にかく具体的な業績を出すことが求められています。研究をしていても、具体的な成果を 出すことができなければ、やっていないことになります。 で、ここからが本論。教育の仕事も研究の仕事も、つつがなく堅実にやっていればそれで 「マル」です。教育の特段に高い質や、コーディネーションをしっかりやってチームの教 育成果を充実させることや、論文が高く評価されることは、特に期待はされていません。 最近は、各大学で、教員の優れた教育実践や研究成果に対して学長賞などを出しています が、その選考基準は何だかあいまいなようです。(例えば、「学生による授業評価に基づい て」というのであれば、妥当性は別にして、基準は明確です。アメリカなどではそういう 基準日基づくawardがあります。) また、研究に関しては、教育活動としては主として日 本語を教えるということをしている人でも、文学や宗教や昔の日本語などの研究をしてい て何の問題もありません。それと同じデンで、純粋に文法や音声や社会言語学的な研究を していても、やはり何の問題もありません。つまり、日本語教育(学)という看板を掲げ ていても、研究は「好きなように」やって「差し支え」はありません。一大学教員として の研究領域のお仕事としては、日本語教育に資するかどうかなんてぜんぜん考える必要は ないのです。 大学のセンセのお仕事としては、日本語教育(学)の人間であっても、ハッチャキに教育 を革新したり、日本語教育に資する新研究領域を開拓したりするなどは取り立てては期待 されていないということです。例えば教育活動に関していうと、一部の非常勤講師の人た ちに居心地の悪い思いをさせてしまうかもという危険を冒してまで大胆な教育改革をする 必要はない、ということです。(専任教員という立場を利用して「わがままな」教育改革を している先生はいらっしゃるようです!) 研究についても、新規の(珍奇な?)研究領域 に大胆に踏み込んでいくよりも、オーソドックスな研究をしたほうが「お友だち」がたく さんできていいかもしれません。 結論。ぼくは長年、現在と将来のたくさんの学習者のためにと思って教育企画と教材制作 などをしてきました。また、日本語教育(学)に資する研究をしたいと思って、バフチン の研究をし、現在はバーガーとルックマンの知識社会学やブルーナーのフォークサイコロ ジーの研究などをしています。コーディネーションの仕事も特に「今は!」というときは ひじょうに力強くやってきました。でも、「学習者のため」とか「日本語教育(学)に資す る」というのは、自身の仕事の指針とドライブ(駆動力)として(密かに?)持っていれ ばいいわけで、人に喧伝したり、その部分で認めてもらって評価してもらおうなどとは思 わないほうがいいのではないかと、この数日に気がつき?ました。つまり、ぼくは、やる べき仕事をつつがなく堅実にやることと自身が「価値あり」と思うことをうまく結びつけ ながらやっている、ただそれだけでいいじゃないか、ということです。 ぼくは経済学部出身です。そして、1年生の経済学原論で先生が「経済活動とは価値を産 出することだ!」とおっしゃったのを今でも覚えています。つまり、経済活動は本来「お 金を稼ぐこと」ではなく、「価値を創造することだ」ということです。(ただし、既存の価 値の創造も価値の創造の一種であることに注意!) この一言は、それ以降のぼくの仕事上 の生き方に羅針盤を与えているように思います。ぼくにとって、一つひとつの仕事につい て「価値」を考えないでそれをすることはできません。ただし、その場合には「何が学習 者のためになるのか」、「何が日本語教育(学)に資するのか」はあらかじめわかっている わけではなく、この部分自体も根本としての議論の対象になります。いずれにせよ、その あたりのことも(無意識的にでも、真摯に意識的にでも)考えながら仕事をしている人と の対話は、基本の部分が共感できて、とても楽しいなあ。皆さんも、そんなこと、せめて 時には、考えてね!
羅針盤:たかが言語教育、されど言語教育(210801)
新年あけましておめでとうございます。本メルマガ、お友だちにもぜひご紹介いただきた くお願いします。 ぼくはたぶん誰よりも日本語教育と日本語教育学のことを考えていると思います。四六時 中? それはちょっと言い過ぎですが、「ON」の時間が多いです。そんな事情もあって、「OFF」 のときでもいろんなことや言葉が浮かんできます。浮かんだ言葉 ─ 「たかが言語教育、 されど言語教育」です。 前者の「たかが…」のほうは、わたしたちがやっていることは言葉を教えるという「ちっ ぽけな」仕事です、というような意味になるでしょうか。言語教育を卑下しているわけで す。そして、後者の「されど…」のほうは、言葉を教えるという「ちっぽけな」仕事なん だけど、(a)実はそれは学習者一人ひとりが自身の声を獲得することや新たに「豊かな」ア イデンティティを形成することに関わる重要で重大な仕事だし、また、(b)うかつにその仕 事をやっていると、すごーく学習者を非人間的にあつかってしまうよとの「警鐘」です。 で、ここからが、「おもしろい話」なのですが、大学のせんせたちは、「されど…」のほう に関してあれやこれやたくさん「発信」(シンポジウムなどで話をしたり、論考や記事で書 いたり)していらっしゃいます。それは、多くの「フツーの」日本語教育従事者は「たか が…」で仕事をしてしまっているという認識に基づいているのでしょう。まあ、それはそ れでいいのですが、どうもぼくはそういう趣味ではありません。 けっこういろんなテーマについてそうなのですが、ぼくと大学のせんせたちの認識はまあ 一致しています。しかし、行動=actionが違うようです。「たかが言語教育、されど言語 教育」なんて、ちょっと考えれば当たり前のことで、そんなことは声を大にして喧伝する ほどのことでもない、と思ってしまいます。 ぼくの場合は、「たかが言語教育、されど言 語教育」という認識の下に、もう一度前者に立ち返って、言語教育の実際の姿を「たかが 言語教育、されど言語教育」を体現するものに作り替えたいと思って仕事をしているよう に思います。 このあたりは、役割分担ということかもしれません。つまり、「されど言語教育」と喧伝し てくれる人も必要だと思います。しかし、「たかが言語教育、されど言語教育」を体現する ように作り替える方向で行動=actionをする人も必要だと思います。そういう人が、ちょ っと少ないかなあ。 すみません。今年も早々に「ええカッコ」言うてしまいました。本年もよろしくお願いし ます。
羅針盤:負けいくさ?(201712)
今回は、「負けいくさ」がキーワードです。(すみません、たたかいの譬えを出すのは憚ら れますが、ご容赦ください。) 「負けいくさ」の反対は「勝ちいくさ」あるいは単に「勝 利」です。手短に言うと、日本語のせんせいはどうも「負けいくさ」が多いように思いま す。(これって、精神衛生上もよくないですよね!) で、「負けいくさ」が込む原因を考え てみましょう。 (1)具体的な作戦計画に無理がある(授業スケジュールの各ステップ<ユニットの中の 授業計画やカリキュラムの中のユニット計画>の進み具合に無理がある)。 (2)作戦計画そのものに工夫がない(授業の各ステップやユニットの各ステップが巧み に繋がり合って日本語の習得が促進されるようにカリキュラムやユニットの中の授 業が構成されているというふうになっていない)。 (3)(1)と(2)と関連して適切な学習と学習指導のためのリソースがない。 (4)(1)と(2)(と(3))はOKだが授業を実施する教授者がその趣意を理解していない。 (5)(4)にも関連して教授者の資質や技量が「不足」している。 (1)から(3)は、教育の企画・計画や教材の問題です。(4)と(5)は教授者の問題です。((4) はコーディネータと教授者のコミュニケーションの問題とも言えますが) さて、この5つの理由の中で、「負けいくさ」が込む大きな原因となっているのはどれでし ょう。うちの職場に限定しないで日本語教育全般を考えてみると、その原因は間違いなく (1)から(3)だと思います。簡単に言うと、「優れた作戦とそれを実行するための適切なリソ ース」がなければ、いくら「兵隊」ががんばっても「勝つ」ことはできません。日本語の せんせいは、「勝つ見込みのないたたかいを延々と強いられている」というイメージがわた しには浮かんでしまいます。 一方で、(2)と(3)がOK、つまり巧妙に企画されたカリキュラムと学習と教育実践を支える リソースさえあれば「勝てる」かというと、まったくそんなことはありません。実際の教 育実践においては、(1)の良し悪しが大きく物を言います。どんなカリキュラムや教材を採 用するのであれ、コーディネータは(1)の部分をひじょうに熟慮して綿密に行わなければ なりません。(1)がうまくできてさえいれば、どんなに「しょぼい」教材を採用しても、ひ どい「負けいくさ」は回避することができます。逆に、優れた教育企画とそれを支えるリ ソースがあっても、(1)がうまくできていないと、「負けいくさ」になってしまいます。 ところで、ここで言っている「勝つ」というのは、教師と学生が共にいい気分で授業や学 習や学習指導の時間を過ごすことができて、各ステップの所期の目標を達成して、その積 み重ねもうまく行ってコースの目標に達することができる。そして、教師も学生もそれを 実感(取りあえずは「実感」!)することができる、ということです。そして、「負け(い くさ)」というのは、その逆で、学生は所期の目標を達成することができず、教師も学生も 達成できていないことを実感してどちらも「不満足」な気分になることです。 結論です。コーディネータは、学生たちと授業担当教師に「勝たせて」あげないといけな い。「勝たせて」あげて、ハッピーにする責任があると思います。「負けいくさ」の経験は みんなにとってつらいです。日本全国のコーディネータさん、がんばって!!
ラベル:
仕事の仕方,
第二言語教育について,
羅針盤
羅針盤:ぐずってぐずぐずしている場合じゃない!(201711)
羅針盤にはあまりふさわしい話ではないかもしれませんが…。このフォーラムを購読して くださっている皆さんはすでにご承知のように、ぼく自身は明らかに日本語教育の革新、 日本語教育学の革新をめざして日々仕事をしています。フォーラムを読んでいる皆さんも 同じようなスタンスだと思います。その一方で、日本語教育の世界には、(1)はっきりと した主義主張がある場合であれ、(2)「何となく」であれ、あるいは(3)単に今やっている ことを変えたくないという理由であれ、(4)現状ではいけないと思うが変えるのがこわい ということであれ、現状を変えようとしない・変えたがらない人がいます。以下、それぞ れの人たちについて論評します。 (1)の人たち (1)の人たちは自身がやっている教育実践を肯定している人、あるいはそれに満足してい る人です。この人たちについては、まずは、それ以外の教育実践の方法を知っているかど うかが問題になります。それ以外を知らないのであれば、単に「おめでたい人」です。そ れ以外を知っているが現在自身がやっているアプローチや方法がいいと思っている場合 は、まずは「本当に『知っている』と言えるほど知ってるの?」と聞きたくなります。 「それ以外を一応知っているが詳しくは知らない」というのは、専門職の場合の「知って いる」にはなりません。結論として、この種の人たちは、「それ以外を知らない人」(純朴 な?人)、「それ以外を知ろうとしない人」(専門職とも認められない、お勉強が嫌いな 人・できない人)となります。ただし、ご自身の研究方面のお勉強は抜け目なく?して ことはよくあります。 (2)の人たち まあ、このタイプの人たちは、ご自身でもご自身のことを「専門職」とは見ていらっしゃ らないでしょう。「何となく」であまり深く考えていらっしゃらないわけですから。「専門 職になろう!」とお決めになってから話をしたいです。 (3)の人たち 自身のことを専門職と思っている人でこういう態度の人は、専門職と思うのをやめてほし いと言いたい。この種の人は、今やっていることを変えたくないので、別の教育実践の方 法を知ろうともしません。まあ、言ってみれば消極的な「保守」ですね。今はどんな領域 でも専門性は日進月歩です。30年前、40年前と何の変わりもない「(日本語を教える)専 門技量」(←専門技量と言えるほどのものとも思えませんが)を身につけて、その技量で 職業的な生涯を過ごせるなんて思うことが、そもそも専門職失格です。まあ、この人たち も、(2)と同様に「出直してきて!」ですねえ。 (4)の人たち (4)の人たちは、端的に現状では「日本語教育者はいい仕事ができていない」と認識して いるが、「現在」を捨てて「新しい船」に乗ることをためらっている人です。この種の人 たちは、現状ではだめ、現在の船はポンコツで今にも沈みそう(もう沈んでる?)と思っ ていて、船を乗り換えなければ!と思っている。そして、そこに「新しい船」が助けに来 てくれた。しかし、その新しい船が「古い型の船の新造船」ではなく、形状も動力も操船 方法もこれまでのものとは異なる。それで、「わたしが乗組員の一人になって操船できる だろうか」そして「(実験室から出てきたばかりの?)新型船だからまだいろいろと問題 があるのでは?」とビクビクしているわけです。この人には、「今乗っている船が今にも 沈もうとしているのに、『操船できるかしら』なんて言ってる場合ですか! 早く、あなた もあなたのお客さん(学習者)といっしょに乗り換えなきゃ! そうしないと、あなたも あなたのお客さんも、溺れてしまうよ!」と言いたい。表題の「ぐずってぐずぐずしてい る場合じゃない!」はこの人たちへの言葉です。 (4)のところで「あなたとあなたのお客さん(学習者)ということを書きました。ぼくが 日本語教育の改革をしたいのは、別にせんせいたちのためではありません。「お客さん」 である学習者のためです。他の職種で新しい知識や技能を身につけないのは、それはご本 人の自由です。ご本人だけがそのことの結果を引き受ければいいのですから。しかし、教 えるという仕事をしている場合は、その向こうに学習者がいます。せんせいが新たな知識 や技能や方法を知って身につけないと、学習者の「不利益」が続きます。つまり、革新の 利益が得られない。このように、教育のアプローチや、教科書や、授業がポンコツのまま だと、いちばん「デメリット」を被るのは学習者です。上の(1)から(4)の人たちは、自分 たちの仕事をそのように見ているでしょうか。古いカリキュラム、教科書、教授方法で仕 事をしていらっしゃるのを見ると、エンジンは旧式で馬力がなく老朽化して調子も悪く船 底は穴だらけで海水がジャンジャン入ってくるポンコツ船(カリキュラムと教科書)を、 何とか沈まないようにしながら動かしているというふうに見えます。そして、そんなふう に手も顔も油で真っ黒になって汗だくで働いている自身を見て「いい仕事してる!」と思 っている人も多いように思います。確かに「奮闘」しています。でも、…。 「いい仕事してますねえ」というのは、「なんでも鑑定団」という番組で鑑定に出された骨 董を見て鑑定者中島誠之助が思わず口にした言葉から流行したものです。そのように「い い仕事をする」というのは、(作品として優れた産物や)結果を出すことです。仕事に「奮 闘」することではありません。中島誠之助さんは、泥だらけで汗ずくになって仕事をして いる陶工を見て「いい仕事してますねえ」とは決して言わないでしょう。「いい仕事」とい うのは優れた結果を出す仕事です。ポンコツ船の乗組員はやめて、新型船の乗員になれば いいのにねえ。
羅針盤:日本語教育学は独立した研究領域になった!?(201710)
ルビュ言語文化教育の638号に本田広之さん(北陸先端科学技術大学)が「自著を語る」 を書いていらっしゃって、その流れで日本語教育学の現在の状況や本田さんが当該の本を 書いた意図などを語っていらっしゃいます。本田さんの話は2つの意味でぼくには「楽観 的」だと感じました。一つは、日本語教育学はすでに独立した研究領域になっているとい う認識。もう一つは、本田さん自身が(当該の本を書いたことも含めて)日本語教育学を 実践していらっしゃるという認識です。 個々の認識についての反論はどうもうまくできないので、ぼく自身の認識や考えをつらつ らと書きたいと思います。根本は「日本語教育学とは何か」の問題です。本田さんの論で は「日本語教育に関わっている大学のセンセ等が学問をしたらそれが日本語教育学」とな ります。まあ、そういう見方をすれば、日本語教育に関わっているセンセたちは相応に研 究発表をしたり論文を書いたり本を出したりしているわけで、相応の日本語教育学の隆盛 があることになります。そして、自身の研究が地元のサインシステム制作会社の方や議員 さんの目にとまって相談の申し出があったというエピソードを紹介されています。う…ん、 何だか変! それって、日本語教育学? 日本語教育に関わっているある種の大学のセンセ たちからは「日本語教育は日本語研究の宝庫です!」という言葉をよく聞きます。これも ちょっと違う気がする。ぼくとしては、間接にでも日本語教育の実践に資することができ るものであってこそ、日本語教育学だというイメージが強いです。このイメージで行くと、 ヨソ(日本語研究や効果的なサインの制作など)に貢献する研究はそれはそういう研究で あって、日本語教育学とは言えないということになります。抽象的に言うと、日本語教育 の実践からアウトバウンドしてヨソに行ってしまう研究は日本語教育学ではない! 一旦、 研究として実践からアウトバウンドしたとしても、日本語教育の実践に戻らないとつまり インバウンドしないと日本語教育学の研究とは言えないでしょうという気持ちがぼくには 「根のように」あるようです。 「それなら、お前は(間接にでも)日本語教育に資する研究をしているのか」と問われる と自信を持って「Yes!」と言うつもりはありません。院生の修論や博論の指導のときに世 の「日本語教育学関係のセンセ」たちは「あなたの研究がどのように日本語教育に役に立 つのかを書きなさい!」と指導すると多くの院生から聞きます。ぼくは「斯く斯くのよう に役に立つというようなことは書くな!」と指導しています。「研究で明らかになったこと が直截に教育実践に役に立つなどというresearch into practiceの発想はあまりに単純 だと思うからです。 結論に向かう…。日本語教育に関わる大学のセンセは、研究活動をして具体的な「成果」 を出すのがいいと思います。それは、フツーに大学のセンセとしてのお仕事の一部だから です。そして、それをしていないと、他の部局のセンセたちから「大学のセンセの端くれ」 とも認められません。そして、「立派な大学のセンセ」と見られるためには、その研究と同 分野の研究者や隣接他分野の研究者から十分に評価される研究をしなければなりません。 研究というものは研究なので、研究の発信元も発信先も否応なく研究者とならざるを得な いと思います。研究を評価するのもやはり研究者です。(日本語教育に関わるセンセ同志だ けでやり合っている間は、その研究が「本物」かどうかわかりません!) ぼく自身としては、自身の研究は、外国出身者に対する日本語教育という言葉を扱う仕事 に真剣に従事している者らしい視点や観点や通常の研究者にはない実用志向などが織り込 まれているものでありたいと思っています。そこのところで、日本語教育に従事している 研究者は「おもしろいなあ!」「なかなか鋭いなあ!」と評価されるようになりたいと思っ ています。もちろん、繰り返しのようになりますが、そのおもしろさや鋭さはプロパーの 研究者にはないものがあるという程度のことです。総合的な研究としてのクオリティは、 プロパーの研究者に敵うわけがありません。年季と「読書量」(学識や博識ぶり)があまり にも違います! その一方で、facebook記事 (https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=799202946908009&id=100004549 323842) で書いたような、教育実践者による教育実践を検討するためのニュールック応用言語学の ような研究もしているし、多くの方々といっしょにそういう研究活動をして一つの研究領 域として確立したいなあと思っています。 結論。「あなたはなぜ研究をしているのですか?」と問われたら、ぼくの答えは「それがお 仕事だから」です。しかし、続いて「単にお仕事だから研究をしているのですか?」と聞 かれたら、「『単にお仕事だから』ではありません。もう一つのぼくのお仕事である日本語 を教えるということとぼくの中でつながっていて、その両方を行ったり来たりするのがお もしろいからです」と答えます。ですので、ぼくにおいては、お仕事の同僚とはその両方 を行ったり来たりしながら議論するのが楽しい! 7月10日発信のICPLJの記事 (https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=787645494730421&id=100004549 323842) の中で紹介したサンフランシスコ州立大学の南先生もきっと同じようにおっしゃるだろう と思います。そんなぼくや南先生などを見て、研究も日本語教育実践も両方する人に、院 生たちや若い実践者の方たちが成長していってくれたらいいなあと思っています。それに しても、研究というのはやっかいなヤツですが…。
羅針盤:ぼくがやりたかったエンタープライズ(201709)
2010年以来わたしの所属機関では、自己表現活動中心の基礎日本語教育(SEJと略す)の 実践をしています。そして、2014年から、テーマ中心の中級日本語(TIJと略す)のカリ キュラムと教材を開発・改良しつつ実践をしています。SEJとTIJは、独自の企画方法に おいて日本語教育における大きな変革であると思います。SEJやTIJと従来の教育企画と の大きな違いは、学習者と教授者が学習言語事項や教材に拘束されるのではなく、むしろ 各ユニットでそれを貫くものとしてテーマがあって、すべての学習活動と教授活動はその テーマの軸に沿ってそしてテーマの言語技量を養成するために実施されるという点です。 SEJにはNEJという教材があり、TIJにはNIJという教材がありますが、これらの教材が 提供する素材もテーマを提示し、テーマの言語活動を例示し、テーマの言語活動を促し支 援するものとして用意されています。 そのような事情について最近おもしろい譬えを見つけました。SEJで言うと、NEJの素材は 教室という空間に、「リさん」や「あきおさん」や「西山先生」を登場させているのです。 つまり、教室には、学生と先生の他にリさん他がそこにいるという譬えです。ユニットの 当初は新しいテーマの始まりなわけで、このリさん他は「学生たちには『わからない』言 葉や言葉遣いをあれこれ使って話す人」として登場します。教科書についている注釈や文 法説明そして教師の理解促進のための授業は、リさん他を「何を言っているのかわかる人」 にするための仲介(者)の役割をします。つまり、学生たちは、教科書の注釈や授業など を通して、リさん他が何をどのように話しているかを知ります。次は本来的には教師の番 です。教師が、当該のテーマについてリさん他の言葉や言葉遣いにならって自身の話をす るのがいいでしょう。そして、ようやく第3段階として、リさん他の「何をどのように話 しているか」と、教師の「何をどのように話しているか」を参照しながら、当該テーマに ついての自身の事情を組み立てて、教室の友人=クラスメートや教師に(そしておそらく 仮想的にそこにいるリさんたちにも)話すわけです。NIJもユニットの基本構造は同じよ うな原理に基づいています。 この教育方略の利点を2つだけ挙げるなら、(1)あらかじめ学習者にカリキュラム=一連 のテーマを示すことで日本語ができるようになっていく経路がわかり、ユニットのテーマ を知らせることでユニットの目標がわかり、基本として日本語学習のイニシアティブを学 習者に持たせることができること、そして、(2)リさん他のナラティブを参照先とすること で言葉遣いをまるごとあるいは部分的に変えて流用して日本語が学習できること、です。 しかし、「実は…」ということで最近強く思うことがあります。ぼくがやりたかったこと は、この教育変革ではないのです。実は!、この教育変革は、もちろん重要で有効な教育 変革であると思いますが、この教育改革はいわば「手段」で、本当にやりたかったエンタ ープライズは他にあるのです。それは、学習言語事項や何がどう有益なのかわからない教 科書から学習者や教師を解放して、本当に日本語習得に資する学習や教授実践に従事でき るようにすることです。そして、教師の立場としては、日本語習得に資するということ を、ユニットの目標に向けてだけ考えるのではなく、今日の授業や現在のユニットをも超 えたところで全般的な日本語力の養成に資する活動を、ユニットの目標に向けた教授活動 とオーバーラップして実施してほしいのです。そのようにすれば、SEJの実践やTIJの実践 は、3倍・5倍の効果を発揮することができます。それは、日本語発達栄養分が豊富な教 育実践です。
羅針盤:気がかりと、長期的な展望と中期的な企画と短期的な計画と実行(201708)
2017年7月8・9日の両日にわたり国立国語研究所で実用日本語言語学国際会議ICPLJが 開催されました。その報告は、同翌日にfacebookで発信しましたのでそちらをご覧くださ い。(https://www.facebook.com/profile.php?id=100004549323842)この羅針盤では、一 部ICPLJにも触発されたタイトルのようなことを話します。基礎日本語教育の革新につい てです。 もちろん日本語教育というお仕事に関してですが、物事を真摯に考える人であるならば、 「現状」を見て、気にかかることがあれこれあるでしょう。表面的な些細なことではな く、重大な根本に関わることについての気がかりです。ただし、ここに言う「現状」は第 一義的には自身が関わってある種の責任がある目の前の教育現場の「現状」です。ヨソの ことは二義的です。まずは「自身の足許の改革から」です。自身がまさに日本語教育の現 場をもっていながら、「現在の日本語教育は…」と大上段に立ってあれこれ大げさに課題 を並べ立てるのは詮無いこと。大事なのは個々の現場における改革の推進です。そして、 自身の現場の「現状」にあれこれ憂いがあるのであれば、憂えていてもしかたがないの で、改革を考える! 改革は、長期的な展望と、中期的な企画と、短期的な計画と実行、 というふうに「したたかに」やる。目論見を隠して改革をしようとする人もいます。ま あ、それはそれでいいですが、ぼくの場合は、隠し立てはしません。で、ここでは、気が かりと中期的な企画について話します。 基礎日本語教育についての長期的な展望は「優れた教育実践を実現すること」です。それ に向けた第一弾の改革目標の背後にある「気がかり」は、言語事項の呪縛でした。まず は、教師も学習者も言語事項の呪縛から解放しなければ「最初の一歩」を踏み出すことが できない。で、そのためには新たな言語観と言語習得観に基づく基礎日本語教育の企画と それを支える教材を作らなければならない。それが自己表現活動中心の基礎日本語教育の 企画であり、NEJでした。そして、ぼくの所属機関ではすでに十分にこの「最初の一 歩」を踏み出しそれを越えた領域に入っています。同僚の先生方も同じように考えていら っしゃると思います。 で、ぼくとしては、この言語事項の呪縛から解放された領域に入ると、控えさせていた次 の「気がかり」を次の教育改革の課題として前面に出すことになります。それは、「学習 者に注いで吸収させる『栄養』が足りないのではないか」「栄養失調のような授業をして いるのではないか」という気がかりです。そして、その気がかりについて、ぼくは直接的 に何かを改革することはできません。なぜなら、それは個々の授業の問題だからであり、 それゆえ個々の先生の授業の仕方に帰するからです。しかし、直接的には何もできません が、間接的にはあれやこれやできます。こうして「栄養分が足りてないよ」「もっと日本 語的な栄養分をたっぷりと供給する授業をしよう!」と叫ぶこともその一つです。また、 最近「自己表現活動中心の基礎日本語教育の教育企画(教育のマトリクス)」という資料 も作成し先生方とシェアしました。 自己表現活動中心の基礎日本語教育とNEJでわたしたち(わたしの現場)は、言語事項の 課題を包摂する形で言語事項の呪縛からの脱却を果たしました。次に来るのは、「栄養価 の高い授業実践」です。そして、さらに次に控えている第3歩は、「多水準的で多面的で 多事項的な授業実践」です。第一歩ももちろん「問題意識とかなりの経験といい感じの直 感」をもっている優れた教師集団がいなければなかなか実行はむずかしいです。(でも、 実は「いい感じの直感」は掘り起こすことができる!)そして、第二歩と第三歩は、ほん とうはぼくが「出る幕」でもないのですが、わたしたちとしてさらに上をめざすためにや っぱり「しゃしゃり出てしまう」ようです。そして、ぼく自身はヨソのことも引き続きぼ ちぼちやります。でも、やはり、ウチのことが一番大事です。仲間の先生方、これからも 改革をいっしょに楽しんでね!
ラベル:
研究と実践,
表現活動中心の日本語教育,
羅針盤
羅針盤:課題のある学生への対応から…(201707)
他の学生よりも日本語習得が遅れている学生、読み書きがひじょうに苦手な学生など課題 のある学生はたいていのコースで一人や二人は出てきます。ここでは、休みがちな学生 や、宿題をしない学生や授業に集中できない学生や、学習に積極的に取り組まない学生な ど「基本的な課題がある学生」は除きます。つまり、やる気がないのではないが課題のあ る学生に一応限定します。 先生たちが集まる講師室では、しばしばこうした課題のある学生が話題にされます。 「○○さんは、××が身についていない」とか「△△くんは、まだひらがなの読み書きが できない」など。そして、そうした会話はしばしば大いに「花が咲き」、ときに30分さら には1時間と続きます。しかし!「何の実も結びません」、つまり、何の対策・対応も提 案されません。こんな様子を見ていて、「この時間の半分でも使って、分担して補習指導 をしてあげればいいのに!」と思ってしまうのはぼくだけでしょうか? これって、先生 のストレス発散? ぼく自身は、どうも、とても実用的に考える人間のようで、こうした学生への対応は基本 的に以下の3つしかないと思います。この3つのいずれかあるいは組み合わせをしないの なら、その学生についての議論は無意味です。 (1) 授業計画の修正や変更はしないで、教師集団として当該の学生に特別な注意を払っ て、その学生に有益で「遅れ」を巻き返せるような授業方法を工夫する。 (2) 課題のある学生に合わせて、授業に復習を入れたり授業のペースを遅くするなど授業 計画の修正や変更で対応する。※ただし、これができるのは、その修正や変更が「進 んだ学生」に大きく「ブレーキ」にならない場合です。「ブレーキ」になってしまう 場合は、適切ではありません。 (3) 当該の学生個別に授業外で特別な課題を与えるなり、特別指導をするなりする。 で、ぼくとしては、基本的に(1)でいきたいです。(2)は、(2)の※にあるように、なかな かできません。また、(3)は、「じゃあ、それ、誰がやるの?」という話になります。ただ し、(1)で対応するという場合は、教師のほうに何か特別な「裏技」がなければならない でしょう。フツーの方法で授業をしていて、その学生は遅れてきたわけですから。 こんな話をすると、「裏技」の話をしたくなります。ぼくは、日本語を教えるという仕事 を始めて数年後(実は2・3年後)には周りの同僚に「いずれ手品のように学生たちの日 本語が伸びる方法で授業をする!」と宣言していました。←「アホ」ですね! ←という か、「フツーのやり方」がとてもまどろっこしくてかったるくって、少なくともぼくは、 そんなやり方からはできるだけ早くおさらばしたい!と思っていました。皆さんは、自身 の授業の仕方や、ほかの人の授業の仕方の様子を聞いてそんなふうに思った/感じたこと はありませんか? ああ、注目しているのは基礎(初級)段階の教育です。 ここに言うフツーの方法というのは、「PPP」のパラダイム、つまり、presentation(導 入)-practice(練習)-production(産出活動)のパラダイムのようです。これは、意 味と形が分かって、意味が分かりながら形が作れるように練習して、そうした上でそのよ うに身につけた知識と技能を実際に使ってなにかやってみる、ということでしょうか。 「フツー」から離れたいぼくは、どうもそのように発想していないようです。ぼくが、最 も重要と思うのは、いつも身近な仲間には言っていますが、滋養栄養豊富な授業です。そ して、「滋養栄養豊富」を目指して授業をすると、課題のある学生にも十分に滋養栄養豊 富にできると思います。「PPP」のパラダイムではなく、滋養栄養豊富な授業ってどんな授 業でしょう。でも…、根本の問題は「『フツーの授業』はまどろっこしくてかったるくっ て、そんな「フツーの授業」からはおさらばしたい」と思うかどうかです。皆さんは、 「フツー」から離脱したい?
羅針盤:日本語教育の対話的実践研究者(201706)
大学の先生、特に人文系の先生というのはどっぷりと研究的なディスコース実践に浸って いる人です。人文系の先生とお近づきになると分かりますが、先生たちにおいては研究活 動とジャーナリストの活動と作家の活動は近似していて、「大学生時代はジャーナリスト になりたかった」や「いずれは小説を書きたい」というような言葉をしばしば聞きます。 この3つの活動の共通点は、宏大で膨大なディスコースの海に飛び込んで自身もそのディ スコースの海にディスコースを投げ返すということです。大学の先生になっている人たち は「偉大な『ディスコースの海』のスイマー(swimmer)」です。そのディスコース能力は たいへんなものです。 そして、もう一つの共通点は、これはディスコース実践として避けがたいことですが、こ の3者はいずれも「世界」に観察者(傍観者)としての目を向けて、同じく「世界」をそ のように見つめている人に向けてそれについて語る(ディスコース実践をする)というこ とです。(作家の場合は少し事情が「ズレる」気がしますが。)バフチンの言葉で言うと、 いずれもイデオロギー的活動となります。 バフチンは初期の短いエッセイ「芸術と責任」(1919)の中でイデオロギー的活動について 「芸術と生活は同一のものではないが、私のなか、私の責任という統一性のなかで、一つ にならねばならない」と言っています。つまり、高次のディスコース実践である研究やジ ャーナリズム等と、それとは別の次元にある生活でのディスコース実践は、ディスコース 実践としての次元は異なるが、「私の責任という統一性」において一つにならなければなら ない、というわけです。このエッセイを7・8年前に始めて読んだとき、ぼくは、「芸術を 研究に、そして生活を教育実践に置き換えると、事情は同じだ!」つまり「『研究』と『教 育実践』は同一のものではないが、私のなか、私の責任という統一性のなかで、一つにな らねばならない」と思いました。この言葉との出会い以来、ぼく自身はますます「研究」 と「教育実践」における「私の責任という統一性」において合一するようになりました。 その一方で、そんな人のことを何と呼ぶのがいいかについてはなかなかいい答えが浮かび ませんでした。で、今回、対話的実践研究者、という言葉が浮かびました。ここに言う「実 践研究者」は、「実践をしながら実践についての研究もする」という意味で、です。「『実践』 を研究する」人ではありません。ここは「要注意」。そして、「対話的」というのは、2つ 側面があって、(1)積極的にそして能動的に対話をするのであるが、(2)他の同種の人とだ けでなく同時代の人のあるいは先人が残している理論や叡智とも対話をする、という意味 です。そして、いつも思うのですが、(2)の後半(「先人が…」)がなければ、教育実践に関 心を置くディスコース実践は相互作用を起こして上向することはできない、でしょう。 フツーの大学の先生は、基本的に「研究」という世界だけに住んでいます。かれらは研究 という世界の住人です。そして、そのような種類の人が、実践に関心を寄せたとしても、 それはやはり実践の当事者としての関心ではなく、研究者らしい観察者・傍観者としての 目です。そして、それに基づくディスコース実践をした場合には、そのディスコースの向 け先は同じような視線の研究者です。かれらは決して「実践の世界に関わっている当事者」 の立場にはなりません。わたしたちは、かれらから同時代の理論や叡智や過去の理論や叡 智を教わることができます。しかし、わたしたちが「問うた」ときの応答としてのかれら のディスコース実践は、かれらはさすがに「偉大な『ディスコースの海』のスイマー」な のでひじょうに豊かに応えてくれるのですが、わたしたちの「問い」にピッタリとかみ合 うものにはなかなかなりません。なぜなら、かれらとわたしたちは根本的な興味や関心や 志向が異なる「異なる世界の住人」だからです。しかし、わたしたちは「多弁なかれら」 との対話を粘り強くつづけたほうがいいでしょう。かれらのディスコースを通して「先人」 に至ることもしばしばできるからです。 日本語教育学という学問領域があるかどうかについては日本語教育学をどう捉えるかによ って答えが異なりますが、日本語教育学を「日本語教育についての対話的実践研究者のデ ィスコース実践の蓄積」と考えるなら、日本語教育学はまだ緒についたばかりだと言わな ければならないでしょう。
羅針盤:分析的に考えることと見解を明らかにすることと個の確立(201705)
ぼくの限られた経験の範囲での「見え方」ですが、西洋的な教育ある人たちは物事を分析 的に考える習慣が身についているように思います。この場合の「西洋的な」というのは、 端的に言うと、論理主義の伝統、あるいは、物事を言葉や記号や図などにして明瞭に説明 しようとする精神の伝統というようなものです。そして、西洋の大学やそれ以外の地域で も西洋式の教育をやっている大学などで教育を受けた人は、先に言ったように、物事を分 析的に考える習慣が身についているように思います。 そんなことを強く感じたのは、短期留学生のための講義(英語で行いました)を担当した 経験からです。授業中に発言を求めるとかれらの多くは、少し考えた後に、内容の巧拙に かかわらず、たいてい理路整然と弁舌爽やかに話します。学生たちは、大学3年次以上で、 院生も一人いました。そして、こんなことを考えていると、キーコンピテンシーの「自律 的に活動する力」というのが思い出されます。ご存じのようにキーコンピテンシーは、3 領域9コンピテンシーの形で示されていて、「自律的に活動する力」は、以下のように第3 領域として出されています。 3.自律的に活動する力 A. 大きな展望の中で活動する力。 B. 人生計画や個人的活動を設計し実行する力。 C. 自らの権利、利害、限界やニーズを表明する力。 AやBは次のステップのこととして、この3のCの「自らの権利、利害、限界やニーズを 表明する力」がしっかりと特定されているのは注目するべきだと思います。そして、その 上で、3のBやAがあって、さらに、下のように領域1と領域2があるのだと思います。 1.相互作用的に道具を用いる力 A. 言語、記号、テクストを相互作用的に用いる力。 B. 知識や情報を相互作用的に用いる力。 C. 技術を相互作用的に用いる力。 2.異質な集団で交流する力 A. 他者と良好な関係を作る力。 B. 協力する力。 C. 争いを処理し、解決する力。 日本の人や教育の傾向性を見ると、3Cをすっ飛ばして、2のAやBなどをいの一番に強調 し、1の「言語、記号、技術、情報、技術」などの習得を重視して「相互作用的に用いる」 を忘れていると思います。と言うか、実は3Cの自身の利害やニーズや権利をきちんと表 明するということがまずあった上で、他者のそれらもよく聞き取って共通の利害などを見 出しその追求のために、協力し相互作用的に言語や知識や技能を用いるということなのだ と思います。もっと分かりやすく言うと、個の確立が第一の課題で、その上でのコンピテ ンシーだということです。3のAやBも個の確立と自覚の上で始まる話です。 このあたりは、「キーコンピテンシーの概念自体がすでに西洋的だ!」というふうに非難す ることもできると思いますが、キーコンピテンシーを論じたどの本を見てもそのような論 は出てきません。ぼくが見ている本は一般的なものに限られていますが。 個を確立していない個体の集団でボスの短い指示の下にボスの一挙手一投足と顔色をうか がいながら一つの群れとして動く人間集団というのも一定のポテンシャルがあるでしょう。 今はやりの「忖度」に基づく集団です。そして、そういう人間集団のメンバーは、群れが うまくいっているかぎりはハッピーなのだろうと思います。しかし、その一方で、そのよ うな人間集団のメンバーにとっては、所属している集団こそが唯一の世界(home universe) となり、他の集団ではぜんぜんやっていけない人になってしまうだろうと予想されます。 日本では「多文化共生」がはやりですが、それが、日本を旗印としてまずは「わたしたち 日本人」対「非日本人」の線を引いた上で「わたしたち(日本人)も、他の文化の人たち とうまく付き合うようにしていきましょう」という構図になっていることにどれほどの人 が気づいているでしょうか。そんなことをしている間は、多面性を備えた多様な個人がそ れぞれの個性を発揮し称え合いながら生き生きと生きられる社会にはなりません。日本の 中の多様性の称揚、個人の多様性と個人の中の多面性の称揚、まずはこのあたりにもっと 注目し光を当てる必要があると思います。「個の確立が第一」という論に即座に与するもの ではありませんが、何だかこの国は窮屈な感じがします。
羅針盤:学術論文? 研究論文? 研究ノート?(201704)
この羅針盤の記事は、いつも「季節感」がありません。例えば、年末に考えたことを何気 にアップしてしまうので、「新年号」にふさわしくも何ともない記事になっていました。い つも、出てから「ああ、新年号だった!」と気がつくしだいです。今回は、ちょっとだけ? 新学期らしく? 数年前に出てけっこう評判になった山城むつみ氏の『ドストエフスキー』によると、どう もドストエフスキーの頃のロシア文学は小説の新しいジャンルを形成したorしつつあっ たようで、ドストエフスキーはそれを成し遂げたようです。ドストエフスキーの作品は、 それまでの小説というジャンルを超えた新しい小説のジャンルの高みに至ったということ です。詳細は同書の序章をご覧ください。 この「新しいジャンル」というところに、ぼく自身は「反応」してしまいました。ヴィゴ ツキーやバフチンを研究し始めた頃からぼくは研究ノートをよく書いています。ぼくが「開 拓中」の分野はまだぼく自身にとっても「開拓途上」なので、研究論文とするのは「無理」 だし、適当ではないと思いました。また、ぼくがヴィゴツキー/バフチン研究としてやって きたことは特段の「新発見」はないので、そもそも「研究(論文)ではないなあ」と自覚 していました。その一方で、「誰かがこれをやらないと埒があかないよなあ」と考え、また、 「これはいずれ研究書として出すぜ!」と決めていました。その結果、バフチン本1(西 口, 2013)を出すまでの10年余りの「潜伏期間」、ぼくは研究論文をほとんど書いていま せん。でも、研究ノートで「発信」は続けていました。「構想10余年」ということでしょ うか? この10余年の間に、いろいろなことを考えました。その中の重要なことは、(1)日本語教 育学や(日本の)英語教育学に「言語文化心理学」(study of language, culture and psychology)の歴史や積み重ねがないなあ、だから、(2)そういうテーマで発表する場所 もないし議論できる人もいないなあ、(3)このテーマって学術研究になる?学術研究とし て書いて「発信」するべきもの? でした。で、このエッセイのテーマとして重要なのは、 (3)です。 端的に言って、学術研究の「発信先」つまり読者は同じような研究をしている他の研究者 です。(「実践に役に立つ研究」ということの根本の矛盾はここにあります!) いつも言う ようにぼくは単に「先行の関連の文献に広く通じている教育実践者」でしかありません。 ですので、ぼくの「研究のような活動」の発信先は同じように「先行の関連の文献に広く 通じている教育実践者」です。でも…、そんな人、なかなかいないみたい! そして、(3) に関連してぼくがずっと思っていたのは、「先行の関連の文献に広く通じている教育実践 者同士で議論し合う新しいジャンルが必要なのではないか」ということです。残念ながら、 そのようなジャンルは今でもないかなあと思います。 このエッセイ、「新学期らしい」でしょうか? 新たに研究者や研究的実践者になろうとし ている新院生や、これから積極的に「研究らしきもの」に取り組もうと思っている研究志 向のある教育実践者に向けて書いたつもりなのですが…。どんなメッセージが伝わったで しょう?
羅針盤:日本語教育学は隆盛?(201703)
ここでは、日本語教育に従事し日本語教育に関わる研究にも従事している人を日本語教育 (学)従事者と呼ぶことにします。 文化というのは本来、「必要」に応じて組織的に発展・展開していくものではありません。 無造作に蔓延る(はびこる)ものです。また、研究というのは本来、特定の問題を解決す るために行われるものではなく、純粋な興味や関心に基づいて自発的に行われ展開するも のです。そのような意味で、研究は「実用」に従属するものではなく、むしろ文化の一領 域です。ですので、研究というのは、元来「蔓延る」ものです。 日本語教育学を含めて実践に関心をおく研究分野は、広く実践上の課題を明らかにしそれ を解決したりベターな方向に改善したりするという実用的なモチベーションに基づいて行 われるものです。しかしながら、日本語教育学の現状はそのようにはなっておらず、むし ろ日本語教育に関わる諸事象・諸現象に関するいろいろな研究の単なる寄せ集めになって いるようです。つまり、日本語教育学はいろいろな立場から日本語教育に関心を持ってい る人によるさまざまな観点や「目のつけどころ」に基づく社会的実践(営み)になってい ます。それには、日本語教育という実践に関心をおいたものから、日本語教育という社会 的事象に関心をおいたものまでさまざまあります。後者については、例えば、日本語教育 政策の研究や日本語教育のイデオロギー性を暴くというような研究や日本語教育史研究で す。そして、広義に「実際の教育の内容や方法に関わる」研究が日本語教育学の中心であ る(べきだ!?)と仮定するなら、現在の日本語教育学の状況はそれを中心とした「学の 体系化」がなされていないのだと思います。学の体系化があってこそ、日本語教育学全体 を俯瞰することができて、自身の研究がその全体のどこにあって、何と関わり、どのよう に実践に貢献できるのか(できないのか)などを知って、安心して研究に発展的に従事す ることができます。従来から日本語教育学の状況はいびつだと思っていましたが、昨今は 別の要素も入り込んでますますいびつになっているように思います。紙幅の関係で、詳し い指摘は省略しますが、皆さんはその辺どう思っていますか。「安心して」「発展的に」 研究活動ができているでしょうか。「No!」であれば、やはりいびつで体系がないというこ とです。 一方で、蔓延ることは本来そんなに悪いことではありません。蔓延る中から純粋な「生成 のエネルギー」を背景としてすばらしいものが産み出されることはフツーにあります。し かし、日本語教育学の現状は、純粋な生成のエネルギーではなく、むしろ「業績をあげな ければ!」という圧力(とそれに押された「不純な動機」?)に基づいて日本語教育学が 蔓延っている気がします。これが上で言った「別の要素」です。そして、「業績をあげな ければ」とばかり考えて、もともと教育の実践に関心を持っていた人でも、(a)本当にその 人自身が関心があって問題意識を持っているテーマに、(b)じっくりと時間とエネルギー をかけて取り組む、ということをしない風潮があるように思います。これでは、日本語教 育学は変に蔓延るばかりで、本当の意味での日本語教育学はいつまでたっても確立されな いでしょう。現在行われている日本語教育に関わるさまざまな研究は、日本語教育(学) 従事者の文化の維持と更新には貢献しています。しかし、現在の動きを「発展」と言える かどうかは微妙です。「いやいや、それでいいんだ!」という意見もあるでしょう。しか し、広義の日本語習得の支援の仕方の改善に、間接にでも、貢献しない日本語教育学はそ の名に値しないのではないでしょうか。日本語教育学者・日本語教育研究者と名乗るので あれば、業績をあげることに精を出すのではなく、何をどのように研究するべきかを真摯 に考えて研究活動を進めるべきなのでは? そうでないと、お為ごかしに引っ張り出され た「学習者」が取り残されるばかりでかわいそう! 業績と「真摯さ」のバランスがむず かしいことはわかりますが、長い目で「真摯さ」を忘れないでほしい!
羅針盤:羅針盤とfacebook(201702)
ものを書くということでは、興ということが重要です。「興に乗る」の興です。興に乗れば、 1000字や2000字のエッセイはすらすら書けます。で、この羅針盤、その「興に乗る」の タイミングに合えばいいのですが、合わないこともあります。そんなときは「何を書こう かなあ」と考えなければならないことになります。 本メルマガの読者の大部分はご存知だろうと思いますが、ぼくは自身のfacebookで仕事 (日本語教育や日本語教育学・第二言語教育学)に関わるエッセイを割合頻繁に発信して います。それは端的に「興に乗った」ときにさっと書いているわけです。そして、「興に乗 っている」分、おもしろい内容になっていると思います。ですので、これからは、時々は、 facebookの記事を紹介するような形でこの羅針盤を書こうと思います。 1月21日発信のfacebookでは、「ディスコースの大洪水と研究者 ─ 新領域開拓のため の『魔物』調伏の旅」というのを書きました。学問や研究というのは、具体的にはたかが ディスコースの実践である。学問や研究の重要部分は、文献つまりディスコースに接しそ れと対話することであり、学問や研究の発信は、過去のディスコースとの対話に基づいて、 時にデータというものも持ち出してそれと照合しながら、新たなディスコースを組織化し てパブリッシュすることです。ただそれだけのことです。しかし、自身の研究に関連する ディスコースは山のように大海のようにあります。その大海あるいは大洪水に飛び込むと 溺れてしまうかもしれません。しかし、研究に従事する者は飛び込まなければなりません。 そして、その大洪水と対峙し、何とかそれと「折り合い」をつけなければならない、そう しないと真の意味で学術的な研究とは言えない、という話です。 これからの研究者が大海の大洪水で溺れないように、針路を示し、荒波の中で溺れない泳 ぎ方を教えてくれるのが先生です。しかしながら、日本語教育学や第二言語教育学は、ま だそれ自身としての海域を持っていないように思います。
羅針盤:ソロ・プレーヤー志向とプラットフォームの開発と普及(201701)
細川氏メルマガ(ルビュ言語文化教育)608号(http://archives.mag2.com/79505/)に「大 学における日本語教育を考える ─ エグゾティシズムの言語教育と表現活動主導の言語教 育」とのエッセイを書きました。簡単に紹介すると、エグゾティシズムの方は「日本語は (私たち外国人学習者の言語とは大きく異なる)特殊な言語である。そして、それを話す 日本人も特殊な人々である。なので、日本語に熟達するためには日本文化や日本人の考え 方や振る舞い方なども学ばなければならない」との見方に基づく言語教育です。従来の日 本語を習得することを中心に据えた日本語教育はこのエグゾティシズム言語教育の一種と なります。表現活動主導の言語教育は、それと対照的なスタンスに立つ言語教育です。わ たしたちが実践している(自己)表現活動中心の日本語教育や、細川グループの総合活動 型の教育、さらにはカミンズの変革的マルチリテラシーズ教育やニューロンドングループ のマルチリテラシーズ教育やCanagarajah(Canagarajah, 2013)のトランスリンガリズム なども、この対比では、表現活動主導の教育に入ります。表現活動主導の日本語教育(第 二言語教育)については、現在岡崎さんや細川氏らと制作中の本で詳しく論じられる予定 です。一方で、Web版『リテラシーズ』の20号(2016年12月発行予定)は「コミュニカ ティブ・アプローチを考える」の特集号で、こちらにも投稿しました。こっちは「コミュ ニカティブ・アプローチの超克」とのタイトルで、コミュニカティブ・アプローチの功罪 というような具合で、「その鏑矢となるWilkins(1976)は分析的アプローチという注目す べき新規のアイデアを出している一方で、『誘う』『依頼する』などの機能的な言語行動へ の偏重があった。前者は十分な功を発揮できておらず、後者は悪い遺産を後世に残してい る」との見解を提示しました。そんな関係で自身も第二言語教育の「企画」について考え つつ、他の著者の方々の論考も拝見して、この数カ月、また深く日本語教育のあり方のこ とを考えました。で、思ったこと。 1.アプローチや教育法を一般論として論じても詮無い 「従来の構造中心のアプローチの課題は××で、コミュニカティブ・アプローチは○○で 優れている」とか「しかしながらコミュニカティブ・アプローチには△△との限界がある」 とか「新たな□□教育は凄いぜ!」などとアプローチや教育法を熱く論じてもどうも実り がないと思います。前二者の発言については、学習段階や(言語間距離に基づく)言語学 習困難度などを考慮しないで一般論としてそういう議論をしてもほとんど意味がないと思 います。また最後の発言については、「□□教育は凄いぜ!」と主張する人たちはちょっと 「熱が高く」「盲目に」なっている感じがします。 このメルマガを読んでくれている人はすでにお気づきだと思いますが、ぼくは最近は「企 画」という言葉を好んで使っています。具体の教育実践は、その教育が置かれている特定 の社会的・制度的な文脈で企画!されるわけで、「□□教育」などの新しい教育法も承知し た上で当該の教育が置かれているさまざまな要因も考慮して企画されなければなりません。 具体的に授業担当をしてくださる先生方の志向や教育観なども直接的に考慮しなければな らない要因となります。簡単に「□□教育」に飛びつくのは無分別な感じがしてぼくには できません。また、具体的な授業担当の先生方との「協働」ということを考えても、拙速 な取り入れは決して有効ではないと思います。 2.ソロ・プレーヤーと「標準化」&普及 総合活動型の教育やマルチリテラシーズ教育などを実践している人は、自分で企画して、 自分で実践して、自分で実践報告論文を書いています。ソロ(単独)・プレーヤーです。そ の実践報告が向けられているのは同じようなソロ・プレーヤーです。そして、その多くはだ いたい上級段階の教育実践です。そうしたソロ・プレーヤーたちはかれらの相互に「企画・ 実践・報告」のサイクルを実践して、研究の成果をあげるとともに実践の向上と変革を図 ろうとしているようです。ある意味で、「うまい」ストラテジーです。 それに対し、ぼくの方は明らかに「標準化」と普及を志向しているようです。さまざまな 個性をもったいろんな先生たちがそれぞれの持ち味を発揮しながら協働して教育実践がで き、学習者も各自その人らしさを発揮しシェアしながら日本語の学習と習得ができる、そ んなプラットフォームを作りたいようです。そして、ぼくの場合の研究はそのプラットフ ォームの背景にある言語観や人間観やコミュニケーション観及び言語習得・教育観を広く 共有できるようにすることです。 このようにソロ・プレーヤー志向で企画・実践・研究を回すのと、「標準化」と普及志向で 企画・実践・研究を回すのとは、ひじょうに大きな違いがあります。まあ、ぼくはぼくの スタンスで引き続きぼちぼちやります。
羅針盤:母語話者言語教育者の強み(201612)
日本の英語教育者は典型的な非母語言語教育者で、日本語教育者は典型的な母語話者教育 者です。(この指摘の詳細な内容は省略。読者のほうであれこれ思いをめぐらせていただけ れば。) 日本語教育者は母語話者言語教育者であるがゆえに、「日本語話者ならだれでも 日本語を教えることができるんじゃないの!?」という何とも「失礼な言葉」をしばしば あびせられます。また、「先生は、英語や中国語ができるんですか。授業は英語や中国語で するんですか?」というような、日本語教育の先生大部分が「とんちんかんな質問」とす る質問を受けます。(本来の直接法で教えているというならいざしらず、現在の日本語教育 の方法の状況ではぼくは「とんちんかんな質問」とは思いませんが。) こうした「失礼な 言葉」」や「とんちんかんな質問」を多くの日本語教育者はにべもなく否定します。たぶん 「またそんな『思慮のない』質問を!」という気持ちがあるので、にべもなく否定するこ とになるのでしょうが、この質問をきっかけとして自己反省するのも一定の価値があると 思います。 前者の「失礼な言葉」については、わたしたちが行っている「教える行為」の中のどの部 分/どのくらいが「母語話者であればできる」ことであり、どの部分/どのくらいが「専門 的な教育者でないとできないか」ということを振り返ってみるとおもしろいと思います。 後者の「とんちんかんな質問」については、「現在の日本語教育の方法の建前としては」と いうことで「日本語の先生はできるだけ日本語だけで日本語を教えます」と多くの先生は なぜか誇らしげに?応えます。この応えはけっこう「まゆつば物」であるかと思います。 もともとの質問にもう少し親切に応えるならば、「語彙や文法説明については、英語や中国 語での解説書などが用意されています。学習者はそれらを参照して予習や復習ができるの で、授業については主として日本語でやっています。しかし、質問があったときなどは、 媒介語も使いながら対応することもあります」となるでしょう。 さて、このエッセイの主張です。日本語教育者は、「母語話者」言語教育者としての強みを 十二分に発揮しているか、です。日本語教育者は、授業実践において母語話者教育者の強 みや持ち味を十分に発揮しているでしょうか。日本語教育者は、教材作成や教材開発にお いて母語話者教育者の強みを十分に発揮しているでしょうか。そもそも、母語話者言語教 育者としての自覚があってその強みを発揮してこそ母語話者教育者の値打ちだというふう に考えているでしょうか。そのあたり、「自覚」あたりからあやしいように思います。 母語話者言語教師としての強みの中心は、いろいろな「芸」ができることだと思います。 いろんな特徴のある人物を登場させて一人芝居ができる、おなじディスコースをキャラを 幾種類にも変化させて演じることができる、学習者にわかりやすい話ができる/文章が書 ける、などなど母語話者教師としての有利さがいろいろあります。こういうことを生かし て教育実践してこそ、母語話者言語教育者として胸を張って誇れるのではないでしょうか。 「失礼な言葉」や「とんちんかんな質問」を否定しているだけというのは、何ともさびし い。
羅針盤:言語活動従事とラングの知識 - コアな知識とペリフェラルな知識(201611)
以下、主として入門・基礎の習得と教育をイメージして話します。 第二言語による言語技量は、言語事項や文の作り方などのラングの知識を蓄積することで はなく、現在の自身の言語技量を少し上回る発達的言語活動従事を通して涵養されます。 発達的言語活動従事や第二言語の習得に関連してラングの知識について改めて考えてみる と、ラングの知識にはコアな知識とペリフェラルな知識(peripheral knowledge)があるよ うに思います。とりあえず入門基礎の段階で考えると、新しい言語としてコアな知識を形 成するのは、端的に、名詞でしょう。そして、入門期でそうしたコアな知識の形成として 扱うべき名詞は、学習者が入りやすいカタカナ語です。ただし、カタカナ語を表記も含め て教えるということではありません。カタカナ語をオーラルの語として教えるのです。そ れに適当な語としては、(1)外国の国名・地名、(2)名の通っている日本の地名、(3)外来語 で言われる食べ物・飲み物、(4)スポーツや音楽、(5)衣服や装飾品、(6)家電製品・電子機 器及びその周辺機器、などです。なぜ、それらが入門期に適当なコアな知識なのでしょう。 それは、それらの言葉をアンカーとして思考が拡がって、その延長にペリフェラルな語を 載せることができるからです。例えば、NEJのユニット3のUseful Expressions(p.41) を見てください。1では食べ物、2では飲み物、6ではスポーツ、7では音楽関係の語が それぞれであげられています。例えば、1の食べ物をイラストを示しながら言う練習をし ます。「パン! サラダ! フルーツ! ヨーグルト! トースト! ベーグル! クロワッサ ン! サンドイッチ!」となります。これで日本語の語彙を8つ知ったことになります。こ れらの言葉を言っていると、自ずと「パン!<(を)たべます>」「サラダ!<(を)たべ ます>」、「フルーツ!<(を)たべます、(が)すきです!>などと思考が拡がるでしょう。 そうなると、これらの名詞の概念の延長として、多少のジェスチャーも交えながら、「パン (を)たべます」「サラダ(を)たべます」「フルーツ(を)たべます」「フルーツ(が)す きです」のようにペリフェラルな語を載せて指導を展開することができます。そして、教 師が「フルーツがすきですか?」と尋ねると、短いながら発達的言語活動従事に入ること になります。このようにコアな知識を橋頭堡として、そこから発達的言語活動従事を滋養 的に展開するというのは、入門基礎段階で重要な学習活動であると思います。 で、媒介語の使用について。これらの広義の外来語を教える場合は、もともとの語を素直 に提示するとよいと思います。例えば、「サラダは、salad、フルーツはfruits、ヨーグル トはyogurt、サンドイッチはsandwich」となります。そのように対比的に示すことで、日 本語の音節構造を身につける重要な機会になります。 入門の学習者というのは、いわば日本語の言葉を何も知らないわけです。入門学習者が早 い時期に日本語の言葉を一定量知ることは、日本語学習を容易にするためにとても重要で す。入門期を担当する教師は、シラバスやスケジュールに関わらず?、上の(1)から(6)の ような語に注目して、学習者に日本語の言葉を教えて、さらにペリフェラルな言葉も増や していくというような日本語滋養的な活動を積極的にするべきでしょう。
羅針盤:シコウ(嗜好、志向、思考)の問題について(201610)
本号に後藤多恵さんが投稿をしてくれました。後藤さんとは、20年来の友人?(間がすご くあいてますけど)で、自分で考えて自分で実践し、そして妙な遠慮やこだわりなく対話 に参加できる希有な人の一人です。学術的な背景が人類学ということで、ふところが深い ということでしょうか。また、先日会ったときにうかがうと「大学時代の先生が『探究す ること』(とその楽しさ)を教えてくれた」とおっしゃっていました。それもあると思いま すが、後藤さんはもともとそのような志向があった人なのだろうと思います。で、投稿の 中で「シコウ(嗜好、志向、思考)」という言葉を使っていらっしゃいます。シコウ(嗜好、 志向、思考)とは実に言い得て妙だと思います。ちなみに、志向という言葉は本フォーラ ム9月号のわたしの連続エッセイ第11回でも使っていますね。 日本語教育の実践者において、嗜好、志向、思考とは何でしょう。まずは、嗜好から。 実践者において「嗜好」と言えば、教えることが好きな人と(学習者と)交わることが好 きな人がいるかと思います。また、大きく言語教育嗜好と人間教育嗜好というのもあるか もしれません。さらに、内容としては、文法嗜好、日本語嗜好、言語(学)嗜好、社会言 語学嗜好、文化嗜好などが挙げられるでしょうか。 次に志向については、上の内容とも一部対応して、文法教育志向、日本語教育志向、コミ ュニケーション教育志向、社会言語能力教育志向、表現教育志向、対話力教育志向、市民 性教育志向などいろいろありそうです。 そして、そのような嗜好と志向で各実践者の大枠のマインドセットができていて、そのマ インドセットの上に各実践者はそれぞれ独自の思考法を持ちます。そして、日本語教育に 関わる何かのテーマが提示されたときや、何かのテーマの対話に参加したとき、各実践者 は、テーマに関わるディスコースやその中の用語に対してそのマインドセットに端を発す る独自の思考を生じさせてそれに反応するわけです。そして、ある反応は応答として対話 の現場に投げかけられさらなる応答を得て「一応」対話を活性化し、別の反応は外に出る ことを抑制されて主体内に留まって「聞き取られない」内的なつぶやきとなります。(多く の日本の人は、対話的な働きかけに対して自身の反応を応答として直截に出すことは、「は したない」「品がない」と思っているようです。しかし、「一考の後に応答する」くらいで よいのではないでしょうか。「一考もせずに応答する」のは、確かに問題ありだとは思いま すので。) さて、上で「一応」と言ったのは、大きな意味が2つあります。一つは、基本にあるマイ ンドセットやさらにその基盤となっている嗜好や志向が違っていると、「一応」つまり表面 的なやり取りという意味での対話ができたとしても、本当の意味での対話にはなかなかな りません。専門的な対話はスケジュール調整のような表面上の調整だけの対話ではないの で、ちょっとやそっとでは思考を重ね合わせることはできないということです。人格の違 いの場合に「水と油」とか「あの人とはchemistryが違う」などと言いますが、マインド セットの異なる日本語教育者の間では、それと同じくらいの違いがあると思います。 もう一つの意味は、本当の意味での対話が成立するためには、比較的広くひじょうに深い 教養が必要だということです。広い教養があれば、思考を重ね合わせる糸口を見つけ出す ことができます。そして、深い教養があれば、その糸口を足がかりとしてさらに対話を進 めて、一定の思考の共振・共鳴に至ることができます。そして、端的に言うと、教養(本 エッセイ関連では第二言語の習得や教育に関する専門教養となります)がなければ、思考 の共振・共鳴に至る糸口さえ見つけることができません。 第2のポイントに関する当面の「対策」としては、日本語教育者の専門教養領域を社会文 化的な研究分野及び社会認知的な研究分野へと拡げるということになるかと思います。ぼ くがバフチンやヴィゴツキーやBerger and Luckmannなどを「売り出して」いるのは、そ のためでしょう。 その一方で、もう一つの「対策」は、日本語教育の実践や日本語教育者のアイデンティテ ィの見方・見え方を変えることです。ぼくが、従来から「日本語の教え方」とか「日本語 教師」とは言わないで「日本語教育の実践」とか「日本語教育者」と呼んでいるのは、そ のような方向に行くための重要な第一歩です。見方・見え方の変更ということで言うと、 前者の教育実践については、拙著(2015)のエピローグでも言及したBrownの学習者コミ ュニティの育成(fostering community of learners、略してFCL)という見方がぼく自身 は気に入っています。そして、その見方で行くと、日本語教育者は、育成的教育者(fostering educator)となります。 育成的教育者は、まず第一に、学習者集団の目的などの方向づけを含めた学習者コミュニ ティの育成者であり、次に、学習と教育全般のコーディネータやアドバイザーであり、動 機ややる気などもサポートするし人生の先輩として生きる一つの姿を見せるメンターで、 そして最後にさまざまな側面にわたって日本語学習を支援する日本語コーチです。 そのような教育者は、育成志向の日本語教育者となるでしょうか。そして、育成志向の教 育者においては、広くて深い専門的教養とメンタリングの資質と共にロールモデルとして の素敵さが求められるのではないかと思います。さらに、学校の先生というのは、それぞ れの素敵さと共に、「あのとても個性的な先生たちがあんなふうにそれぞれの持ち味を発 揮しながらわたしたちのケアをしてくれている」という先生集団の素敵さも求められるの ではないかと思います。先生たちの集団も一つの社会であり、学生たち特に大学生や大学 院生たちは、先生たちの社会とその中の各先生というような目でも先生を見ていると思い ます。あなたは、どんな嗜好と志向をもってどんな思考をする人? また、学生たちにど んな姿を見せていますか? 先生は、ナルシスト?
羅針盤:「新しい船」と「乗組員の働きぶり」─ 次のフェーズへ(201609)
4月からここ(8月)までのぼくの仕事はちょっと「いそがしすぎた」ように思います。 でも、一方で「まあこれもいいか」という感もあります。「いそがしすぎた」のほうは、学 生の指導や助言などが十分に丁寧にできたかとの反省と仕事が多くて心身共にあまり余裕 がなかったこと。「まあこれもいいか」のほうは、ジェットコースターのように仕事をこな しつつもいろんなアイデアや発想は得られたことです。そんなアイデアの一つ…。 これまで自己表現活動中心の基礎日本語教育のためのプラットフォームを開発しその共有 を進めてきました。また、表現活動中心の基礎充実日本語教育もすでにうちのセンターの 各コースで実践し、来年の上梓をめざして現在出版準備中です。そして、6月のサンフラ ンシスコでの講演でも、7月のイギリス・カーディフでの講演でもこれら表現活動中心の 日本語教育のことを話しました。その中でのキーワードは、対話原理ではなく、「プラット フォーム」でした。プラットフォームとは、教育実践を大枠で進路誘導し運営可能なよう に区分けするカリキュラムと、具体的な教育実践を進路誘導し運営可能にする教材のこと です。そして、講演の中では「具体的な教育実践を行う教師には、バフチンの対話原理を 理解し、学習者とそのことばを対話的状況に置いて言語活動従事経験が積み重ねられるよ うに、学習的言語活動を計画し実施することが期待される」と言い添えました。そんな話 をしながら、「大きな気づき」がありました。 ぼくが話したことは、実は、(1)「文型・文法事項積み上げ方式」という「古い船」に代わ って「表現活動中心の日本語教育」という「新しい船」=プラットフォームを作りました からこっちに乗りませんかとの誘い、(2)その「新しい船」は対話原理の発想で造られてい ますとの説明、(3)その船に乗る「乗組員」=授業実践者は対話原理を直感的にでもいいか ら理解してそれに沿った具体的な授業実践をしてほしいとの期待表明、だけです。で、気 がついたことというのは、(a)新しい船=プラットフォームを造ったとしてもそれは教育 改革の重要な部分ではあるが「序章」にすぎない、(b)教育改革として実質的に重要な部分 は「新しい船」の上でその「乗組員」がどのような働きをしてくれるかである。そしてそ のようなことを考えると現在までのところ、(c)授業実践については(3)を見ればわかるよ うに実質のある提言や重要な視点の提示を十分にしていない、そして、(d)その部分こそ教 育改革の「本丸」でありこれまでやってきたことは「基礎工事」にすぎない、ということ です。 もう少し具体的に言うと、これまでのところでは、学習者がかなりの程度自立的・自助的 に学習を進めることができ、授業実践者も「合理的に」授業ができる「舞台」は用意しま した。しかし、「舞台」上での授業実践者の「振る舞い方」や「踊り方」についてはごく概 略しか論じていません。この点については、後でよかったことと、「後はもう授業実践者に 任せてもよいか」という気持ちがあったことで、今まで議論しないで来ました。でも、「基 礎工事」が概ね終わった最近は、やはりこの点についてきちんと議論をしないのは「本意 ではない」と感じ始めました。いや、もっと言うと、これまでの仕事は、この部分の議論 をクリティカルにするための「地ならし」であったような。 次のフェーズ(局面)の重要な仕事として、この部分の議論を、授業実践者の志向 (orientation)の相対化という形で進めたいと思っています。で、で…。本フォーラム掲 載の連続エッセイ1は実はそのような仕事にすでに取りかかっています。連続エッセイは 12回で終わりますが、上のような議論に本格的に入るということで、最後の第11回(本 号)と第12回(次号)がとてもおもしろいです。お楽しみに。
ラベル:
研究と実践,
自己表現の日本語教育,
羅針盤
羅針盤:「何とかしなきゃ」と思うべきは学生!(201608)
普段フツーに日本語のセンセをしているわたしは、講師室に集まる先生たちの様子を日常 的に目にし、話を耳にします。そんなときに、「ふむふむなるほど」と合点することもいろ いろあるわけですが、「ええっ? なんか変!」と思うこともあります。 先生たちの間で頻繁に話題になるのが課題を抱えた学生、もっとわかりやすく言うと学習 が遅れている学生です。先生たちは、学生の名前を挙げて、「あれができない」「これがま だ身についていない」「困ったもんですね」「どうすればいいのでしょう」「そうですねえ…」 との会話がしばしば延々と続けられます。このような様子を見、会話を耳にして、わたし はいろいろなことを考えてしまいます。 まず第一に感じるのは「えー、なぜ、先生たちがそんなに大騒ぎしてるの? できなくて困 って大騒ぎするべきは、学生本人でしょう!」との思いです。こういう課題のある学生に かぎって、ご本人はどうかすると「平気の介」で、遅れていることを何とも思っていない し、何とかキャッチアップしようなんてこともちっとも思っていない。「大騒ぎするのは先 生ばかり」です。 次に感じるのは、「大騒ぎする時間があるなら、何とかしてあげたら?」です。ただし、 「何とか」というのは補習授業をしてあげるということではありません。『呼び出し自習と 結果見せ』です。簡単に言うと、呼び出して「赫々然々の課題をここでしなさい。できる ようになったら申し出なさい。そして、結果を見せてください」というものです。例えば、 NEJで言うと「ユニット△のナラティブをすらすら言えるようになるまでオーディオを 聞いて練習しなさい。言えるようになったら申し出なさい。そして、先生の前ですらすら っと朗唱してください」というようなものです。他の例として中級の学生であれば「この 20個の漢字語をすらすら書けるようになるまで練習してください。できるようになったら 申し出なさい。そして、わたしの目の前でそれらを書いてください」です。このように『1 回1課題』というような具合で、自助努力をさせるのがいいと思います。厳しくやるなら 「できるようになるまで帰さない!」「毎日、来て、やれ!」くらいの迫力で迫るとよいと 思います。 さて、最後に感じること。やはり、重要なことは、そのような課題のある学生をつくらな いことです。そのためには、(1)細い道ながらも重要事項をうまく含んでいて大部分の学習 者が着実に達成できる「道」を用意すること、(2)その「道」では明確なステップがあって そのステップで、進捗をよくモニターし、遅れが発生した場合には即座に『呼び出し自習 と結果見せ』などを実施すること。そのような教育の計画と、実施上でのモニターと機動 的な対応が重要であると思います。今学期は、10何年かぶりに日本語研修コースを担当し ていますが、コーディネータとして、この(1)や(2)のことを改めて考えさせられています。 教師ばかりが学生の学習の進捗にやきもきしている状況は、とても「歪んでいる」感じが します。第一の基本は、学習者に「勉強するのはあなたたちだし、その成果を得るのもあ なたたちだ」と十分に伝え理解させることです。こんなことをあれこれ考えていると、第 二言語教育のキモは「第二言語の着実な発達の経路を巧みに企画すること」だと改めて思 います。
羅針盤:「研究(実践)実施者としてのわたし」と「研究報告者としてのわたし」(201607)
NJ研究会フォーラム第14号に「何てゆるい!」というタイトルで、教育研究の方法につ いての「留意点」を書きました (https://groups.google.com/forum/#!topic/njkenkyukai/ijeT67gLl7Q)。6月4日・5 日の2日間にわたり、サンフランシスコでICPLJ(日本語実用言語学国際大会)が開催さ れ、基調講演とワークショップをし、そしてもちろん、研究発表も聞いてきました。研究 発表は、ハワイ大学のVera Hanaokaさんの日本語授業におけるco-regulationの研究な ど興味深いものもある一方で、教育実践関係の研究では「内容や具体的な教育実践はとて も興味深いけど、発表の仕方がどうも…」というものが多かったです。その「発表の仕方 がどうも」というところについて書きます。 端的に言って、教育実践関係の研究はどれも「自慢」になってしまっているように思いま す。確かに、興味深い企画や授業設計や教材開発などを行い、一定の有効で有益な教育が 実践されたであろうことはわかります。しかし、研究発表として実践について報告するの であれば、「一生懸命考え工夫して実践したわたし」つまり「研究(実践)実施者としての わたし」と、「その実践について研究としてクリティカルに吟味して報告するわたし」つま り「研究報告者としてのわたし」という2種類の「わたし」が登場しなければなりません。 そして前者の「わたし」は相応の満足をし一定の充実感を持っていていいのです。しかし、 後者の「わたし」は、いわばもう一つの目として、前者が計画し実施した実践や研究活動 を厳しく見つめなければなりません。そして、研究発表は、後者の「研究報告者としての わたし」がまとめあげ、報告しなければなりません。そうでないと、前者による自慢話に なってしまいます。 別の言い方をすると、一つの教育実践は、研究の対象となった瞬間に「公共的な」ものと なり、それは「研究報告者としてのわたし」によって正確に衆目に晒されなければならな いし、またその実践は「研究者としてのわたし」による厳しい批判に晒された上で報告さ れなければなりません。そして、研究報告者と聴衆は、当該の教育実践に対する批判の criticalityにおいて議論を展開するべきなのです。 研究発表を行う個々の日本語教育者がそのように二重の「わたし」を持って、後者の厳し いわたしにおいて報告を行い、そして聴衆といっしょにクリティカルに実践を検討してこ そ、教育実践に関する議論が深まり、そこから深い洞察が得られるのです。 実践の自慢とそれに対する「やんわりした」批判、そしてその批判に対する「自己防衛」。 そんな構図で教育実践研究をしていては、「深まる」ことはあまり期待できないだろうと思 います。
羅針盤:教えることと育むこと(201606)
前回の羅針盤でもお話ししたように、アラサー(around 30 years old)の完全ビギナーの 学生を対象に実践をしています。4月11日に授業が始まったのでちょうど1カ月です。5 月の連休を挟んでいますが。 昨日、ユニット7に入ったところでビジターセッションをしました。学生3人にビジター 1・2人で話をするという機会です。学生たちは片手に自ら書いたエッセイを持っていま したが、それを見ることもなく、フツーに自身のこと(どこから?専門は?など)や家族 のこと、そして好きなものや好きなこと(ユニット3)やわたしの一日(ユニット4)に ついて伸び伸びと話していました。ここまでの学生たちの伸びは、学生各自の着実な努力 と先生たちのプロフェッショナルな支援の甲斐あって、「すばらしい!」と思いました。た だ、その一方で、先生方からは「ナラティブが読めない。ナラティブのQ&Aができない。 自分が書いたエッセイが読めない。まだひらがなが読めない学生がいる。形容詞の過去形 が定着していない。」などの課題が提起されています。課題があれば、その課題をよく検討・ 研究して、必要であれば何らかの措置をしなければならないわけですが、そうした議論で 「あれ??」と思うことがときにorしばしばあります。 「教えることと育むこと」については、コースのスタート前の教師相互学習会で「滋養豊 富な活動をたくさんしてください」とわたしは話しました。ことばと思考の発達途上にあ る乳幼児や幼児と接する場合に、わたしたちは決して「教える」とは言いません。「ことば や思考や情緒を育むように接する・交わる」ということになります。それは子どもにおけ る発生(genesis、それまで「なかった」ものが生じる)に関わることです。育むとはそう いうことです。 さて、学生たちの日本語学習上の課題に対してどのような措置をしようかと先生方と議論 しているときに、わたしはときにorしばしば違和感を感じます。それは、それまでけっこ う「育む」でいっていた先生たちも、学習上の課題への措置となると、どうも発想が「教 える」系に行ってしまうようなのです。つまり、「分からないから、知識がないから、かれ らはできないのだ。だから、改めて分かるように指導する、知識を確認する、必要がある」 というふうになってしまうのです。これって、何だか(悪い)「先祖帰り」のような! 課題というのは「○○が課題だ!」というふうに認識されます。そのときに課題がどうし ても「○○」として対象として認識されます。ですので、その流れで「○○を指導する/練 習する必要がある」となってしまいます。これが落とし穴です。そのアプローチは、言っ てみれば西洋医学的なアプローチです。わたしの感覚は、東洋医学的、医食同源的、漢方 的です。何らかの症状があったとしてもそれに直接働きかけようとするのではなく、身体 や食事を整えてまた若干の漢方薬を服用して、身体を整えつつその症状も治すという方法 です。そんなふうに対応できたら、すてきだと思いませんか。
羅針盤:アラサーの学習者を対象としたカテゴリー4言語の教育(201605)
4月から日本語研修コースが始まりました。国費留学生を中心とす る大学院進学予備日本語教育です。わたしは、日本語学習経験まっ たくなしのコンプリート・ビギナーのクラスの担当です。このクラ スのコーディネータを担当するにあたってわたしとしてはめずらし く「悩みました」、というかけっこう考えて頭を労しました。今回は、 そのときに考えたことの主要点を話します。 痛切に感じたのは、タイトルにあるように、(1)学習者は20代後半 以降であること、(2)学習者は全員非漢字系でその意味でほぼ間違い なくかれらにとって日本語はカテゴリー4の外国語であること、で す。 まずは、(1)について。高卒すぐの若い留学生はよく日本語が習得で きる。20歳前後の短期留学生も日本人学生との交流もわりあい活発 に行って習得が進む。しかし、20歳を超えると日本語習得能力が 徐々に減退していき、25歳くらいを境にぐっと落ちる気がします。 これは、実証的な研究に基づく見解ではなく、あくまで経験に基づ く感覚です。研修コースの学生たちは20代後半から30歳前後つま りアラサーで、かつ理系の学生が多いせいか、外国語の流れに素直 に身を委ねるよりも、システムを理解したい、システムを理解する ことが外国語習得の近道だと考えている学生が多いようです。この 状況はかなりの「不利」です。 次に、(2)について、少し情報も交えながら。アメリカの国務省語学 研修所は興味深い調査結果を公表しています。英語を母語とする者 の場合に、仕事ができる水準まで各言語を習得するのにどれほど時 間がかかるかという調査です。同調査によると、スペイン語、ポル トガル語、イタリア語、フランス語、オランダ語、スウェーデン語、 ノルウェー語、デンマーク語などが最もやさしいカテゴリー1に分 類され、23から24週間の集中教育が必要とされているのに対し、 最もむずかしいカテゴリー4に分類される日本語、中国語、韓国語、 アラビア語はその3倍以上の88週間となっています。この習得困 難度の差は何を意味するのでしょう。それは、さまざまな側面があ ろうとは推測されますが、常識的に考えられる大きな要因は、カテ ゴリー1の場合は英語と各学習言語の間で大ざっぱな言い方だが 「重なり」が多く、カテゴリー4の場合は「重なり」が少ないとい うことでしょう。そして、英語とカテゴリー1の諸言語の間で言う と、「重なり」の重要な部分は語彙の「重なり」と表記システムの重 なり、つまり類似した音声形態を有する同義あるいは類義の語がた くさんあること、及びその事情とアルファベットという文字の共通 性から書記言語の場合でも多くの「親しみのある語」が見つけられ るということです。例えば、現代英語の語彙の75%はフランス語あ るいはラテン語から来ていると言われ、その一方で頻用語彙の80% はゲルマン語系のものだと言われています。前者はカテゴリー1の ロマンス系の諸言語語との語彙の重なりの傾向を、そして後者はカ テゴリー1のゲルマン系の諸言語との語彙の重なりの傾向を示すと 言っていいでしょう。このような重なりに対し、英語と日本語の間 ではどれほどの語彙の「重なり」があるでしょう。仮に外来語を日 英語間の語彙の「重なり」と見るならば、概略5%から10%程度の 重なりがあることになります。しかし、その外来語も書記言語にな ると、アルファベットではなくカタカナで表記されます。そして、 書記日本語は、アルファベットを主要な文字として使用せず、漢字 仮名交じりという欧米語使用者にとってはまったく新規で異質なも のとなっています。その重要部を占める漢字は、形態が複雑で数も 多く巨大な学習の障壁となります。 研修コースの国費留学生はアフリカや南太平洋やアジアの国々から の学生、そして一部南米の学生となります。現在のクラスは15名で す。かれらにとっての日本語は、英語話者にとっての日本語と同じ ようにカテゴリー4に分類できると思われます。20代後半以降のか れらにとってそのようなカテゴリー4の外国語を学ぶことはたいへ んなチャレンジだと思います。 端的に、フツーの方法だけでやっていてはまともに困難にぶつかる と思われました。そこでわたしが提唱し先生方にお願いした重要な 工夫を2つお話しします。一つは、外国の国名でも町の名前でも人 の名前でもいいし、日本の有名な会社の名前でもいいし、さらには 外来語でいいので、とにかく「ああ、それは日本語でそのように言 えばいけるのか!」という安心の経験をたくさん与え、日本語の語 彙を蓄えさせることです。どんなものがあるかいろいろ考えてみて ください。もう一つは、「滋養豊富な活動」をたくさんすることです。 「滋養豊富」というのはいかにも抽象的ですが、あえて説明すると、 日本語のイントネーションやリズムに体を慣らすこと、また知って いることばの組み合わせの日本語の言葉遣いを「文節」や「内容語 と付属語」の構造を手で示しながら、日本語の切れ目のある流れや、 要素の構造的な流れを体に染みこませることです。 今日、うちのワンちゃんと散歩しているときに、おもしろい言い方 が思い浮かびました。「日本語が体に染みこむのに身を任せる」です。 外国語の習得がうまい人は、理解をそこそこ確保しながらこの「日 本語が体に染みこむのに身を任せる」ということをするがうまいの だと思います。そして、フツー以上にうまい教師は、本来の授業内 容を適切にこなしながら、その隙間で、学習者に「日本語が体に染 みこむのに身を任せ」させる機会を豊かに提供する教師なのだろう と思います。みんながそんな教師になったら、さぞかしすばらしい 教育実践が実現できると思います。めざすは、「手品のような授業」 です。
羅針盤:コーディネータは厄介な稼業です!(201604)
4月から、日本語研修コース(大学院進学予備教育)の初習者クラスのコーディネータを務めることになりました。取りあえずは、NEJとい う「強い味方」があるので、大きな心配はないのですが、コースのスケジュール作りにはやはり大いに気を遣います。バフチン本2のエピロー グで次のように書きました。NEJという有力なリソースがあるのに教育の実践がうまくいかないのはどんな場合?という問題意識での文脈です。 教育プランが所期のように実現されない場合の第3の要因は、これはコーディネータの仕事となりますが、授業内容の調整、より具 体的に言うと授業スケジュールの調整です。コーディネータの基本的で最も重要な仕事は、各授業がその時点での学習者に有益に実施 されるように授業を調整することです。そのためにコーディネータは学期やコースの開始時に学習者の日本語力や期間中の学習環境 などを考慮してコースのスケジュールを作成するわけですが、コースが始まった後も…習得の進捗状況を把握して、以降のいずれの授 業も学習者の現在の日本語力の水準にちょうどいい活動となるように授業内容やスケジュールを調整しなければなりません。(バフ チン本2のpp.151-152) この前にある第1の要因は、企画された教育の背後にある言語観や言語習得・教育観と実際に授業をする教師のそれらに齟齬がある場合、第 2の要因は、カリキュラムとして提示されているねらいや教育内容が授業をする教師に然るべく理解されない場合となっています。要因の3→ 2→1と遡って言うと、(1)コーディネータは緻密に授業スケジュールを作成しなければならない、しかし、(2)いかに綿密にスケジュールを作っ てもそのスケジュールのねらいや「教育内容」が教師に「理解」してもらえなかったらだめ、で、(3)スケジュールを「理解」してもらうために は根本の言語観と言語習得・教育観に「相応の重なり」がなければならない、となります。4月からの研修コースのスケジュールを作っていて、 改めてこの問題はむずかしいなあと感じました。 それがむずかしいのは、「教育内容」を意識的あるいは無意識的(半意識的?)を含めて学習者が習得する内容とするなら、「教育内容」はパシ ッと「これ!」とは言えないからです。また、どの授業でも「教育内容」は一つではなく、主要なもののようなものがあるとしても常に錯綜して います。つまり、「教育内容」は豆腐を切り分けるようには分割することはできません。そして、そういう曖昧で錯綜したものを「理解」しても らおうとするわけですから、「理解」というのも当然ファジーなものとなります。「理解」してもらえているかどうかも雰囲気で知るしかありませ ん。そして、「理解」してもらうためには「理解」の基盤として、カリキュラムの企画者やコーディネータと「同じような目線」の言語観と言語 習得・教育観が要るだろう、となります。ただし、最後のポイントは、言語観と言語習得・教育観の一致ではなく、「相応の重なり」や「同じよ うな目線」で十分だと思います。(このあたり、文型・文法積上方式では「一致」を要求しているように思います。バフチニアン・アプローチで はひじょうに大きなレベルでの「相応の重なり」や「同じような目線」だけが必要で、その上でのディテールの違いはあってよいように思います。) 授業に仮に配当した内容をながめて「こんな感じで学習者はどんな学習ができるかなあ」と想像して、また授業の配当・配分を考えるという ことを繰り返します。厄介なのは、上のパラグラフの冒頭でも言ったように、配当・配分を「物理的に調整すればよい」というものではないこ とです。言語の学習あるいは言語学習経験の蓄積というのは、意識レベルと無意識レベル(そしてその中間域)で、また注視された言語事項と してや生きた言語活動の中の言葉遣いとしてなど、さまざまな種類の対象においてさまざまな心理・記憶水準で進行します。そして、比喩的に 言うと、無意識レベル(半意識レベル?)での言語活動の中の言葉遣いの経験の蓄積は言語能力の養分となります。これがないと「不健康な」 言語能力になってしまうでしょう。その一方で、言語事項に相応に注視した意識レベルの学習ということもなければ、具体的なブツとしての言 語事項の知識を仕入れることがむずかしいかと思います。 もう一つ厄介な問題は、これは明らかに意識レベルの学習になるのですが、言語のシステムの理解や知識がどれほど必要で、その必要な部分 をどのように習得させるかです。成人の学習者で特に理知的な人たちはシステムの理解や知識を要求する傾向があります。「そうしたニーズにき ちんと応えるべきだ」と言う先生がいますが、そのお言葉には、(1)それはニーズじゃなくてウォンツ(wants)でしょう、(2)言語習得のために 何が重要かを最終的に判断するのは言語教育の専門家である教師であって「学習者が○○をほしがっているから、○○を与えましょう」では専 門家ではない、(3)しかしながら学習者のウォンツに対しては「一定の尊重」が必要である。そうしないと学習者は教師から「離れる」、と言いた いです。NEJの試みは「日本語のシステムについての教室での指導は一旦ゼロにしてみましょう。そして、マスターテクスト・アプローチで学 習を進めて、教科書にある説明と学習者の類推力でどこまでいけるかやってみましょう。その上で、本当に必要なシステムについての指導内容 を検討して、適正な指導方法を企画して、実践しましょう」というものです。筆者自身はこれを今学期や来学期の「研究課題」の一つにしたい と思っています。 他に音声言語の習得と文字及び書記言語の習得のうまい取り込みと調整も考えなければなりません。アルファベットで表記しないで、ひらが な、カタカナ、漢字という3種類の超奇怪な文字を使う日本語は、漢字系でない学習者にとっては、とんでもない!言語です。このこと、一般 的に十分には意識と配慮と卓越した工夫がされていないと思います。 で、結論。カリキュラム・教材の企画・開発者やスケジュールを作るコーディネータがいくらがんばってもひじょうに限界がある。そして、 結局、教育実践をする仲間の先生方といっしょに考えながら実践を創造していくしかないということになります。ただし、「生ぬるく」いっしょ に考えていては、厄介な仕事のたいへんさを舐め合うだけです。優れた実践を創造するためには、「ガチでクリティカルに」やらなければなりま せん。そして、そのような協働的な教育実践を通してこそみんながより高度な専門的職業人として成長していけると思います。チームで教育実 践にあたるというのは、わたしたち一人ひとりが高度な専門的職業人であるがゆえに、「ガチのたたかいの場」にならざるを得ないのかもしれま せん。でも、それこそが、専門家集団によるチームティーチングの醍醐味だと思います。 もちろん、(大阪らしく!?)友好的で笑いに包みながら。
哲学のタネ明かしと対話原理 1
第1回 哲学と思想 (2017年2月)この連続記事は、2017年2月から2018年1月のNJ研究会フォーラム・マンスリー(http://www.mag2.com/m/0001672602.html)に掲載された12回の連続エッセイ「哲学のタネ明かしと対話原理」を再録したものです。
新しい年を迎えてはや1カ月になります。昔の年賀状では「穏やかで健やかな年でありま すように」というような言葉が多かったように思います。今の社会では妙な「圧力」が働 いていて、「穏やかで健やかな暮らし」がなかなかしにくくなっているように思います。穏 やかで健やかにいきたいと思います。そして、皆さんにとっても穏やかで健やかな1年に なることを祈っています。 哲学の対話論的タネ明かしの中で対話原理は枢要な観点です。もちろんバフチンの対話原理です。が、そして、数回にわたって「穏やかに」話したいと思います。 まわりの人にはいつも言っているのですが、ぼくは研究者ではありません。「じゃあ、学者 か?」と問われれば、まあ「研究者」よりは「学者」でしょう。でも、やはり真性の学者 でもないですね。今、テレビや本で池上彰さんが大活躍中です。池上さんは、評論家では ありません。自身の立ち位置を「解説者」としています。「フツーの人にもわかる解説者」 です。ぼくも池上さんのような感じで第二言語教育学及びその周辺についての「フツーの 先生にもわかる解説者」であろうとしているようです。ただ、これも池上さんの場合と同 じく、扱うテーマ及びその中の事情は単純なものではありません。つまり、聞く人・読む 人に「わかろうとするしっかりした姿勢」を求めます。しかし、それは当該のテーマへの 関心という程度で十分だろうと思います。 最近、日本語教育学や英語教育学などの第二言語教育学関係の人たちの間で、質的研究(質 研と略す)の「人気」が高まっています。そして、一定のところまで質研を勉強した人の 中で、「どうも現象学や言語哲学などの哲学に踏み込まないと『重要な何か』が十分にわか らない!」と考えて、その方面の勉強を始める人が出てきたようです。だいたいのターゲ ットは、フッサールとウィトゲンシュタインあたりでしょうか。しかし、仮にこの2人に ターゲットを絞るとして、一体どの本から読めばいいのでしょうか。かれら自身が書いた 本は、もちろん多数あるわけですが、絶対、歯が立ちません。じゃあ、かれらの哲学の解 説本などを読むとして、それも山のようにあって、どれを読むのが一番いいのか門外漢に はさっぱりわかりません。身近にいる専門家に自身の興味・関心を説明して尋ねれば、ま あ「まずは、これ(とこれ)!」と1・2冊の本を薦めてくれるかもしれません。しかし、 その本もおそらく難解であろうし、と言うか、たいていのそういう本は一般的な「フッサ ール入門」や「ウィトゲンシュタイン入門」であって、第二言語教育の内容や方法や研究 に関心をもつわたしたちプロパーに向けて書かれたものではありません。結局「迷宮に迷 い込む」ことになるでしょう。 ぼく自身の「哲学・思想のお勉強」が始まったのはもう20年以上前になるかと思います。 長いです。そして、最近になってようやく「哲学というヤツ(のカラクリ?)」が見えてき たように思います。その本質や全体の俯瞰も含めて。そんな具合ですので、これから数回 にわたって「第二言語教育学のための哲学のタネ明かし」を書きたいと思います。 今回は、「哲学のタネ明かし」のタネ明かしをします。と言うか、その話だけにとどめたい と思います。側面の違う2つのタネ明かしです。一つは、ぼくが「わかった」ということ についてのタネ明かしです。ぼくが哲学・思想の俯瞰を得られたのは、もちろんフッサー ル以降あたりを中心として哲学・思想をさんざん読み散らしたという背景があるわけです が、哲学・思想の泰斗木田元先生の水先案内のおかげです。木田先生の研究と発信のスタ ンスやそれとぼくの勉強法や研究・発信のスタンスとの関係などについてはぼくの facebook(2017年1月15日)で発信しましたので、そちらをご覧ください。もう一つの タネ明かし、ここから本当のタネ明かしが始まるのですが、一つ前のパラグラフから、単 に「哲学」ではなく「哲学・思想」に変わったのに気づいたでしょうか。ここが哲学をわ かるための、最重要のタネです。そう、哲学と思想なのです。実際にその方面の本でも、 しばしば「哲学」と「思想」に分けられています。ざっくり言って、ソクラテス、プラト ン、アリストテレスなどのギリシア哲学をスタートとしてヘーゲル(『精神現象学』は1807 年)あたりまでが哲学となり、ニーチェ(『ツァラトゥストラはこう語った』は1885年) 以降が思想となります。また、現在の目から見ると、ニーチェと並んでマルクスも思想の フロントランナーに入れるべきでしょう。「現在の目から見ると」というのは、マルクスの 思想は1800年代半ばに熟して原稿が書かれたのですが、それらの出版は1900年代になっ てからで、それ以降に『資本論』や『共産党宣言』でない(若き)マルクスの思想の研究 と普及が始まったからです。マルクスの思想ということでは、『経済学・哲学草稿』が1844 年執筆で1932年に出版、『ドイツ・イデオロギー』が1844-46年執筆で1926年に出版とな っています。ちなみに、現代思想というのもあります。現代思想というのは、20世紀半ば 以降に現れた思想のことを言うようです。思想と現代思想の違いはあまりよく分かりませ んが、ニーチェやヘーゲルやマルクスなどの思想の流れを引きながらの20世紀半ば以降 に結実し展開した思想のことを現代思想と呼んでいるようです。ハイデガー、サルトル、 メルロ=ポンティ、レヴィ=ストロース、フーコーといったところで、英米系では、クワ イン、クリプキ、そしてデイヴィッドソンなどです。そして、やがて、ポストモダンやカ ルチュラル・スタディーズやポスト・コロニアリズムの思想へと発展していきます。でも、 このエッセイでは現代思想は扱いません。フッサールやウィトゲンシュタインといったと ころまでです。 この第1回では、 1.哲学 ─ ギリシャ哲学からヘーゲルまで 2.思想 ─ ニーチェ(19世紀の終わり)以降 ということをしっかり覚えておいてください。第2回は、「哲学と反哲学」というテーマで 書きます。乞うご期待。
哲学のタネ明かしと対話原理 2
第2回 哲学を見る視点-哲学と反哲学 (2017年3月)
連続エッセイのタイトルを少し修正しました。考えてみると、ぼくがこの連続エッセイで やりたいことは、「哲学のタネ明かし」そのものではなく、タネ明かしをした文脈にバフチ ンを位置づけて論じることです。ですので、今回のタイトルのように「哲学のタネ明かし と対話原理」が適切です。 第1回では、哲学というのはギリシャ哲学からヘーゲルくらいまでで、その後のニーチェ 以降は思想というふうに捉えましょうという話をしました。今回は、その趣意をもう少し 膨らませて、再度、もう少しだけ細かく哲学・思想の時代区分をします。時代区分は最後 に出てきます。とっかかりは、哲学(上の哲学と思想の両方を含む)を見る視点です。 ※以下で( )は補いで、〔 〕は茶々入れです。そして、文献で「木田」とあるのは、木 田元著『反哲学入門』(新潮文庫)です。 まくらとして、視点ということについて話します。視点には、2つの意味があります。「視 る」という行為の基点という意味と、「その基点から見える景色・眺望・様子など」という 意味です。前者の基点の意味の視点が実はとても重要です! 簡単にいうと、視点(基点) を同じくしている人の話は分かりやすく、視点を同じくしていない人の話は分かりにくく 難解です。視点を同じくする人というのは、「わたしのことをよく知っていて、わたしと同 じ立場に立って、むずかしいことでもわたしの関心に沿ってこのわたしに分かるように話 してくれる人」です。もっと分かりやすく言うと、グル(いっしょに謀り事をする仲間) です。グルであり、そして相互に「わたしたちはグルだ」と認識し信頼し合ってこそ、勘 ぐったりすることなく素直に相手の話に聞き入ることができます。信頼し合うグルでない 場合は、多かれ少なかれ「この人はこのように話をしてわたしを何かの企みにはめようと しているのではないか」というような心理が微妙に働いてしまいます。ぼくはこのメルマ ガを読んでくれている人はグルだと思っています。皆さんのほうは、ぼくをグルと思って くれているかな? では、始めます。 2-1 哲学という対話的ディスコース実践 哲学を見る視点、ここでは哲学に飲み込まれないで、それをわたしたちの立場から「つか まえる」視点ということですが、それはきわめて端的に、哲学もある種類の人間による対 話的なディスコース実践に過ぎないと見ることです。対話的なというのは、それまでの哲 学の伝統を踏まえて、そして何らかの時代的な背景や状況があって、それらに対する自分 独自の応答を創作し発信するということです。 言うまでもなく、対話的ディスコース実践には、興味・関心があります。〔興味・関心であ って、目的ではない! 純粋な興味・関心ではなく何らかの目的のために行われる「哲学の ような」ディスコース実践は「動機が不純」ということになります。このことは後の回で 触れます。〕哲学をする人たちの興味・関心は、「ありとしあらゆるもの(あるとされるあ らゆるもの、存在するものの全体)がなんであり、どういうあり方をしているのか」(木田 p.23)という問いに答えることです。あるいは、短く言うと、「『ある』ということがどう いうことか」(木田p.23)を突き詰めることです。ですので、哲学する人を突き動かして いるのは、「存在者全体についての何らかの統一的認識」(木田元著『哲学と反哲学』p.iii) に至ろうとする野心だということになります。〔木田先生は「哲学なんかと関係のない、健 康な人生がいいですね」と警告!していますが。ちなみに、わたしたち第二言語教育(学) の人間にはこんなテーマの興味・関心はありませんよね。〔巻き込まれないようにご用心!〕 以下、議論を進めますが、その内容は大きく木田の研究に依拠しています。〔木田先生の論 の妥当性はおおむね了解していますが、「地道な」確認作業は後回しにします。一気に書い てしまいたいので。〕ただし、対話的ディスコース実践(以降では、略して単にディスコー ス実践と呼びます。「対話的」の部分は後の回で重要になります。)という観点は木田には なく、本エッセイ独自のものです。 木田によると、こういうディスコース実践は、西洋以外の文化圏には生まれなかった。そ して、そのようなディスコース実践をするためには、自分たちが存在するものの全体の内 にいながら、その全体を見渡すことができる特別な位置に立つことができると思わなけれ ばならない。「存在するものの全体」を仮に「自然」と呼ぶなら、自身が自然を超えた存在 つまり超自然的な存在と思うか、少なくとも「超自然的存在」と関わりを持つことができ る存在だと思わないと〔これが後に哲学とキリスト教神学の融合へとつながる!〕、「存在 するものの全体は何であるか」というような大それた問いは立てられない。自分が自然に 抱かれて生きていると何の疑問もなく信じて生きてきた日本人には、とてもそんな問いは 立てられないし、したがってそんなディスコース実践にあくせくする必要もなかった、と 木田は言います。〔木田先生は、「あくせく」は言ってません。〕西洋という文化圏だけが、 そのような哲学というディスコース実践をあくことなく行い、そこで産み出されたものの 見方や考え方〔次のパラグラフで言う超自然的原理〕を参照点として自然(存在するもの の全体)を見ようとしたのです。そのような関心とそれに基づく思考が、哲学というディ スコース実践です。 2-2 超自然的原理 そのような哲学というディスコース実践が始まる「転換点」がソクラテスです。哲学とい うディスコース実践での思考法では、超自然的原理というものが立てられます。そして、 自然はその超自然的原理によって形を与えられ制作される単なる材料となります。自然は それ自体で生きるものではなく、制作のための材料に過ぎない物、つまり物質になるわけ です。哲学における超自然的原理の設定と、物質的自然観の成立は連動しています。〔哲学 のこのような性質を考えると、哲学を温床として科学が西洋で発展したこともうなづけま す。〕 そして、哲学の歴史においてはその超自然的原理が変遷していきます。プラトンではイデ ア、アリストテレスでは純粋形相、キリスト教神学では神、デカルトでは理性というふう に。そして、「存在するものの全体」がそれぞれに応じて、イデアの模造(プラトン)、純 粋形相をめざして運動しつつあるもの(アリストテレス)、理性によって認識されるもの (デカルト)というふうに捉え直されるわけです。それぞれの論についての詳しい紹介は このエッセイの目的ではないのでしませんが、後の回でディスコース実践としての歴史的 な展開の様子だけは見たいと思っています。 2-3 哲学の時代区分 もう一つの哲学を見る視点は、上のポイントと直接に関連しますが、哲学を鳥瞰する視点 です。これも木田に依拠しています。哲学を鳥瞰するために木田が注目するのは、「ソクラ テス以前の思想家」です。「ソクラテス以前」と言っても、ソクラテスがやっつけたソフィ ストのことではありません。それよりも以前の思想家です。具体的には、ヘラクレイトス やパルメニデスやアナクシマンドロスなどの紀元前6世紀から5世紀にギリシアで活躍し た思想家たちです。かれらはソクラテス、プラトン、アリストテレスのように哲学者とは 呼ばれません。両者の根本的な違いは、超自然的原理を追究したか否かです。ソクラテス 以前の思想家は概して超自然的原理を追究していないのです。このことが、木田が提示す る俯瞰図の枢要点になります。〔ただし、このことに気づいたのは木田本人ではありません。 ニーチェや木田が専門としているハイデガーです。〕 こうした視点に基づいて木田が描く時代的な俯瞰図は次のようです。ざっくりと3つです。 1.「ソクラテス以前の思想家」 2. 約2000年の哲学の伝統 ソクラテスを転換点として、プラトンから始まった、超自然的原理を設定して存在する ものの全体を理解しようとする哲学の伝統。概ねヘーゲル(その主著の『精神現象学』は 1807年)あたりまで続く。この約2000年の間、哲学者たちは、そのような思考法の中で 「七転八倒」していた! 3.反哲学 ─ 「ソクラテス以前の思想家」発見後の思想 19世紀の終わり頃のニーチェ、20世紀になってのハイデガーが「ソクラテス以前の思想 家」の存在を発見し、「超自然的原理の呪縛」にようやく気づいた。ニーチェやハイデガー 以降を木田は反哲学と呼んでいる。 そして、西洋では、概ね3と時を同じくして、自然科学的な視線のみに基づく世界観への 危機感を訴えたフッサール、別の意味で「哲学のカラクリ」に気づいたウィトゲンシュタ イン(『論理哲学論考』の前期ウィトゲンシュタイン)、弁証法的唯物論あるいは唯物史観 を提示したマルクス(20世紀になって明らかになってきた初期マルクス)が現れました。 そして、かれらの思想は、3とも合流しながら、現代思想へとつながります。このあたり の事情は複雑で簡単に論じることはできませんので、本エッセイでは扱いません。 次回から2・3回にわたって、このうちの2について、どのような哲学者等がどのような ディスコース実践をしたかについて話します。しかし、それは「参考までに!」であって、 重要なのは上の俯瞰図をしっかりと認識しておくことであり、3及びそれ以降、及びそれ らとバフチン対話原理の関係です。
哲学のタネ明かしと対話原理 3
第3回 ソクラテスのディスコース実践とプラトンのディスコース実践 (2017年4月) 哲学という言語ゲーム ソクラテスはどうもつかみどころがないなあと考えて、その手がかりを求めていろいろ本 をひっくり返して、竹田青嗣の『プラトン入門』に行きつきました。竹田のディスコースも おもしろいです。竹田は、木田と同じように哲学を「調伏」しようとしています。そのこ とを、竹田は「哲学の思考の原型的な本質を再確認すること」と言っています。哲学につ いて竹田は以下のように言います。 (1) 人間の精神は、自分と世界のあり方を考え尽くそうとする本性をもつ。 (2) 人間が編み出したそのための手段が、宗教と哲学である。 (3) しかし、宗教と哲学には本質的な違いがある。宗教は、「無限なもの」「絶対的なもの」 を直感的、感覚的、想像的な仕方で求める。あるいは、別の言い方をすると、そのよ うな仕方で得たものを物語(=神話)にする。※そのような意味で、ここで言う宗教 は、最も広い意味での宗教となります。 (4) これに対し、哲学は、物語を用いず抽象概念を用いて世界説明を行おうとする。それ が哲学するという言語ゲームである。(言語ゲームは、言うまでもなくウィトゲンシ ュタインの哲学という営みを喝破した用語である。『プラトン入門』で竹田もこの用 語を用いて「哲学の調伏」をしている。) (5) そして、(宗教の普遍的思考はさまざまな共同体を越えることはそもそもできないが、) 哲学の普遍的思考は、まさにさまざまな共同体を越えて共通了解を作り出そうとす る思考の不断の努力である。 上の議論の結論を言うと、哲学とは、「『無限なもの』『絶対的なもの』について、抽象概念 を駆使して、さまざまな共同体を越えて、共通了解を作り出そうとする、終わりのない言 語ゲームである」となります。「終わりのない」の部分については後に注目して議論したい ので、覚えておいてください。 ちなみに、捕捉として参考までに、これまでの議論と重複する部分もありますが、竹田が 整理してくれている哲学という方法の基本構図を挙げておきます。 <1> 物語ではなく抽象概念を使用する。 <2> 世界の存在について根本「原理」を設定して、そこから世界全体の説明に至る。 <3> 「構造」と「動因」の相関性の解明 <4> 物理的原理と精神的原理の相関性の解明 <5> 抽象概念の使用による論理的パラドクス(アポリア)を解くこと。 すでにお気づきのように、ウィトゲンシュタインや竹田が言語ゲームと言っているところ を、筆者はディスコース実践と言っています。それでは、ソクラテスに入ります。 ソクラテスのディスコース実践 ソクラテスの話をするためには、やはりソクラテス以前の「哲学っぽい」ディスコース実 践について話しておかなければなりません。要は、物語を使わないで世界説明をしようと した人たちの話です。箇条書きにしてしまいます。 1.タレス(BC625頃-547頃) - 万物の原理は水である。 2.アナクシマンドロス(BC610頃-546頃) - 万物の原理は、「無限なるもの」である。 3.アナクシメネス(BC585頃-525頃) - 気息こそ(空気)こそ万物の原理である。 4.ピュタゴラス(BC582頃-493頃) - 世界の原理は数であり、宇宙の本質はハルモニア (調和)である。 5.ヘラクレイトス(BC540頃-484頃) - 世界の一切はたえざる変化の相にある。 6.エンペドクレス(BC493頃-443頃) - 4元素(土、水、風、火)と愛と憎 7.アナクサゴラス(BC500 -428) - スペルマタ(種子)とヌゥス(精神・知性) 8.パルメニデス(BC554-501) - あるものはあり、あらぬものはあらぬ。 竹田の議論を少し乱暴にまとめると、これらの思想家は素朴に世界の起源や原因や根源を 追求しようとしました。これに対しソクラテスやプラトンは「そもそも人が事物の『原因・ 根拠』を問うのはなぜか」という新しい問いから、もう一度それを照らし直していると竹 田は言います。そのことは、有名な「無知の知」で明らかにされていると竹田は見ている ようです。その無知の知の件は、ソクラテスの死後にプラトンが書いた『ソクラテスの弁 明』の以下の部分です。これも竹田からの受け売りです。 「私も人々も、善美のことがらについては、何も知らない。だけど私は自分の無知を知っ ているのに対して、人々は自分たちは何でもよく知っていると思っている。まさしくその 点で自分の法に知恵があると言えるのではないか。…これまで知者たちと言われていた 人々…のいずれも、じつは、善美のことについて何も知らず、しかも自分では多くを知っ ているつもりでいることがわかったのだ。…人間にとって最も善きこと、大事なことは、 何よりも魂をできるだけ善いものにすること、自己自身の徳を高めること以外にはありえ ない。私が議論によってさまざまな人々の言説を吟味し批判しようとするのは、まさしく このことを吟味しつつ確認するためであって、それ以外何事も自分の主張するところでは ない。」 竹田によると、プラトンが描くソクラテスが探究するのは、「節制」「正義」「勇気」「慎み 深さ」といった人間にとって本質的と言える諸徳の「本質」は何であるか、ということで す。そして、この「〜とは何か」という問いがきわめて重要な意味をもっていると言いま す。弱冠20歳だったプラトンに衝撃を与え彼を傾倒させたのは、ソフィストたちを相手に 対話を通して本質を徹底的に洞察しようとする老ソクラテス(そのとき63歳)の鬼気迫る 執拗さだったのだろうと想像されます。木田によると、ソクラテスは、何らかの理由で、 それまでのギリシア人の物の考え方の大前提に大鉈を振るって、それをすべて否定すると いう役割を自らに課しました。また、竹田は、ソクラテスのことを、伝統的な価値と倫理 のあり方を根本から疑う新しい言葉と信念をもった異貌の哲学者と言っています。ソクラ テスというのは、いわばギリシア時代の哲学の道場破りの人のようなものです。さまざま な賢人(剣の達人)と言われる人を訪ねては論戦(闘い)を挑み、それまでのものとは異 なる対話という論法(剣の技)で、相手をなぎ倒していったのです。そして、そのような 老ソクラテスの姿を見て、若きプラトンはソクラテスに心酔したのです。 わたしたちはソクラテスのディスコース実践を直接に知ることはできません。わたしたち が知りうるのは、プラトンが書き残した数々のソクラテスの対話篇を通してです。そして、 プラトンは、自身の思い出の中の師ソクラテスとソフィストたちとの対話を描くことを通 して自身の哲学的思考を高め、思想を磨き上げたようです。 プラトンのディスコース実践 上に言ったように、ソクラテスは書いた物を残していません。ソクラテスの思想を伝えて いるのはプラトンです。竹田は、プラトンこそが哲学という独自の思考方法の創始者だと 言っています。プラトンは師ソクラテスの言葉(口頭ディスコース)を書いた物(書記デ ィスコース)に変換するプロセスを通して、つまり師の言葉と対話しそれを流用してより 高次なディスコースへと編み直すプロセスを通して、その言葉と思考法と思想を自らの言 葉と思想へと熟成させ獲得していった(専有=appropriation)のだと考えられます。その ようにして形づくられたのがプラトンの思想です。 プラトンは、初期に書かれた先の『ソクラテスの弁明』や数々の対話篇の他にも『パイド ン』『国家』他膨大な著作を残しています。木田によると、西洋哲学はすべてプラトンのテ キストへの注釈だという言い方もあるほどだそうです。 ちなみに、書くことのディスコース実践の発達についてここで言及しておきたいと思いま す。言葉の研究者の間ではクラシックの一つとなっている『声の文化と文字の文化』のオ ングは、ギリシアの時代でもホメロスの時代にはまだ書くことのディスコース実践は存在 しなかったことを指摘しています。そして、書くことのディスコース実践が普及したのが まさにプラトンの時代と重なると言っています。そして、これこそオングの本の中心的な 主張ですが、書くことの実践が、それまでの話すことのディスコース実践の下での思考様 式とは別種の思考様式を創り上げました。プラトンを軸として言うと、話すことのディス コース実践の中で産みの苦しみにもがいていたソクラテスの思考法や思想を、書くことと いう新たなテクノロジーを手に入れたプラトンがその思考法と思想を書くことを通して誕 生させたと言っていいでしょう。 すでにかなり長くなってしまっているので、今回はここまでにしたいと思います。次回は、 プラトンについてしっかり書きたいと思います。
哲学のタネ明かしと対話原理 4
第4回 西洋の文化形成の伝統プラトニズムの誕生 (2017年5月) 哲学を勉強しようとする人が、いきなり躓いてしまうのが、ソクラテス、プラトン、アリ ストテレスという「有名人」が登場する古代ギリシア哲学です。神がかっているソクラテ スの奇行と、事情がよく分からないソクラテス裁判のこと、膨大で広範にわたるプラトン とアリストテレスの思想など「躓きどころ満載」です。プラトンについて論じる今回は、 まずはじめに、師ソクラテスと弟子プラトンの時代背景を概観した上で、プラトン(BC427- 347、なんと80歳まで生きた!)の来歴をざっと見ます。そして、最後に、プラトン哲学 のプラトニズムたる所以を論じます。引き続き、主として木田と竹田の本を参考にして論 じることになります。 ソクラテスとプラトンの時代 ギリシアを中心に紀元前5世紀あたりからの歴史をざっと概観します。古代ギリシアは、 ペロポネソス半島とクレタ島を含む現在のギリシアの地域と概ね重なります。紀元前8世 紀頃からこの地域のあちこちに都市国家ポリスが発達し、ギリシア文明が急速に開花しま した。ご存じのように、ポリスは、市民と奴隷で構成されており(実際にはペリオイコイ という在留外国人もかなり多数住んでいた)、市民の生活は奴隷労働によって支えられて いました。そして、紀元前5世紀までに、ホメロスの叙事詩やソフォクレスの悲劇が生ま れ、前回紹介したタレスやピタゴラスやヘラクレイトスなどの(自然)哲学者が登場しま した。ここまでは背景です。 しかし、紀元前500年に、エーゲ海の東にあった大国ペルシアに侵攻にさらされます。ペ ルシア戦争です。ギリシアのポリスは連合してこの敵と戦いました。そのときに、二大ポ リスであるアテナイとスパルタはどちらがその連合の盟主になるかで競い合っていました。 ペルシア戦争は、マラトンの戦いに代表される第一次ペルシア戦争と、サラミスの海戦と プラタイアの戦いの第二次ペルシア戦争を含めて紀元前500年から449年までの約50年 続いたとされています。そして、第二次ペルシア戦争(紀元前480年-479年)の後に、ペ ルシアの脅威を背景としてアテナイを中心にデロス同盟(都市国家同盟)が組織されます。 これにより、アテナイは都市国家群の盟主となり、大いに繁栄することになります。ソク ラテス(紀元前470/469ー399)がアテナイに生まれたのはちょうどそんな時期です。アテ ナイは、交易や商業が栄えるだけでなく、ギリシア全土からさまざまな人々が訪れ、新し い知識が流れ込みました。そういう時代の雰囲気の中で職業的教育者たち、いわゆるソフ ィストたちがアテナイの町で活躍するようになりました。紀元前5世紀の半ばつまり紀元 前450年くらいからです。そして、ソクラテスは時を同じくして、ソフィストたちの辛辣 な批判者として登場します。このあたりが、アテナイの黄金時代です。 アテナイの繁栄は長く続かず、やがてギリシアは、アテナイ・グループとスパルタ・グル ープに分かれて、内戦に入ります。紀元前431年から404年までの30年間にわたるペロ ポネソス戦争です。そして、この戦争に敗北したアテナイは、以降、徐々に衰退の道をた どります。 プラトンの来歴 プラトンが生まれたのは、ペロポネソス戦争の最中の紀元前427年です。名門の貴族の家 出身です。ソクラテスに出会ったのも、同戦争の最中の紀元前407年20歳のときです。そ して、師ソクラテスは、ペロポネソス戦争終結間もない紀元前399年に最後の弁明を残し て刑死します。プラトンの生涯は大きく次の4期に分けることができます。 1.哲学修業時代(紀元前407年〜) 20歳のときにソクラテスと出会って傾倒。ソクラテスの刑死によって政治への道を断念 するまで。 2.世界漫遊旅行と哲学探究時代(紀元前399年〜) ソクラテスの死後、メガラ、キュレネ、エジプト、フェニキアなど地中海の諸国を旅しつ つ、ソクラテス対話篇を書き続ける。 3.アカデミアの時代(紀元前386年〜) 紀元前386年41歳のときに、アテナイに戻って、アカデミアを設立して、その後の約 20年。『饗宴』『パイドン』『国家』などの中期以降の著作。 4.後半生の時代(紀元前367年〜347年死去) シュラクサイ(シチリア島の一都市)のディオニュシオス一世の義弟ディオンとの政治 的、哲学的交流。そして、後のディオニュシオス二世の時代にディオンとディオニュシ オス二世との間の確執に自身も多少とも巻き込まれる(紀元前367年から365年)。『ソ ピステス』『政治家』『書簡集』などの後期の著作。 本エッセイのテーマとの関係では4はあまり重要ではないので、これ以上論じません。こ の時代背景とプラトンの来歴で言いたいのは、プラトンはアテナイが繁栄していた時期に 円熟期のソクラテスに出会って、以降の師との濃密な交流を通して師のすべてを吸収しよ うとしたこと、そして、師の死後には師の思想を熟成させそれを基盤としてプラトン独自 の哲学を発達させたということです。そして、名門というプラトンの出身もプラトンがそ うした仕事を達成するのに有利に働いたと想像されます。 プラトニズムの誕生 ここでは、本エッセイの重要地点となる哲学の絞り込み作業をします。つまり、古代ギリ シアから連綿と続く人類の膨大な営みである哲学のどのような面に関心をおき注目するべ きかを論じます。(逆に言うと、それ以外の面は関心も注目も不要ですよということになり ます。) 本エッセイの関心は、第二言語教育を考えるための基盤と第二言語教育学のための基盤を 得ることです。そのような基盤を得る上で重要なのは、認識論への関心です。認識論とは、 わたしたちはどのように世界を知ることができるのか、またその「知る」という作用が向 けられる方の世界はどのような構造になっているのか、を解明しようとする試みあるいは それについての見解です。ゆえに、認識論は、自然科学であろうと人文学であろうと、「知 る」という科学的営みの基礎となるものです。前回言ったように、ソクラテスとプラトン は「そもそもわたしたちが世界を知るとはどういうことか」という根本的な問いを人類史 上で始めて徹底的に探究した人たちです。では、その問いに対して得たプラトンの見解は どのようなものでしょうか。それが、イデア論です。イデア論については、わたしが説明 するより木田の説明を直接に引用するほうが後の議論のために有用ですので、かなり長く なりますが、木田の説明を引用します。 「イデアという言葉は、idein(見る)という動詞から生まれた言葉ですが、プラトンは『魂 の目』でしか見ることができない、けっして変化することのない物事の真の姿を指します。 たとえば、三角形のイデアがあるとしたら、純粋な二次元の平面に、幅のない直線で描か れた三角形でなくてはならないわけです。それは、普通の目で見ることはできませんが、 魂の目によって直感できるはずだとプラトンは言うのです。いわば、目の前にある物はイ デアの模像にすぎず、人間が感じ取れる世界は、イデア界の似姿に過ぎない。なにが真に 存在する本物かという価値判断の基準をまったく逆転させたところに、プラトンの独創が あるわけです。…いずれにせよ、「魂の目」が人に備わっていて、その目でしか見えない真 の存在の実現を目指して生きるというのが、プラトンにとっては、どうしても必要な考え 方でした。」(木田、『反哲学入門p.73) ここからは木田の推測になりますが、プラトンは、(1) 師のソクラテスを断罪したアテナ イの「なりゆきまかせ」、「なる」にまかせる政治哲学さらにそれを支えている「なる」の 論理を否定したかった。そして、(2) ポリスというものは一つの理想、つまり正義の理念 をめざして「つくられる」べきものだという新しい政治哲学を構想しようとした。しかし、 (3) そうした政治哲学を説得的に主張するには、ポリスに限らずすべてのものが「つくら れたもの」「つくられるべきもの」だとする一般的存在論によって基礎づけられる必要があ った。(4) そうした一般的存在論としてイデア論が構想された、と木田は論じています。 そして、プラトンが生成しなければ消滅もしない「イデア」という超自然的な原理を設定 してから後は、「自然」はそうした原理にのっとって形成される単なる材料・質料であり、 単なる物質つまり単なる質料としての物に過ぎないという考え方が成立した、と木田はプ ラトンの飛躍を評価しています。これが西洋の文化形成の基礎となるプラトニズムです。 次回は、プラトンのアカデミアで学び、プラトンとならぶ哲学者として評価されているア リストテレスについてできるだけ完結に話したいと思います。しかし、注目点はやはりプ ラトニズムです。そして、わたしたちが注目すべきは、そのような物の見方です。
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第5回 プラトンとアリストテレス (2017年6月) 前回予告した予定を変更して、今回はプラトンからアリストテレスへの「継承」について 話したいと思います。 すでに告白しているようにこのエッセイは木田の哲学の見方に大きく依拠しています。木 田の哲学論は、「なる(生成)」的思考と「つくる(制作)」的思考というコントラストを縦 糸として哲学的思考の俯瞰図を提示しています。木田の議論に沿っていうと、ソクラテス 以前のギリシア本来の自然的思考(第2回と第3回に論じたソクラテス以前の思想家はそ の伝統にある)の思考法は、典型的な「なる」的思考です。「なる」的思考では、自然も人 間も「自ずから生成し、変化し、消滅していくもの」となります。そこには、絶対的な論 理や理念などはありません。そして、「つくる」的思考の創始者がプラトンとなります。プ ラトンはイデア論(前回参照)によってそれまでにはなかった「つくる」的思考を高らか に宣言したわけです。そして、師プラトンの「つくる」的思考を継承しながら、それにギ リシア伝統の「なる」的思考を編み込んだのがアリストテレスです。今回は、プラトンの 思想の形成の経緯をたどり、その思考法のアリストテレスにおける展開について話します。 プラトン思想形成の経緯 前回のプラトンの来歴のところでお話ししたように、28歳でソクラテスの死を迎えました。 そこでプラトンは政治家の道を断念して、世界漫遊の旅に出かけます。まあ世界漫遊と言 っても、エジプトやアフリカ北岸にあるアテナイの植民都市キュレネ、イタリアのタラン トなど基本的に地中海を取り巻くエリアです。この頃は、ギリシア及びそのアフリカ北岸 の植民都市とイタリアの各地に町がある程度で、それ以外のヨーロッパ世界はまだ文明以 前の地です。 アフリカの北海岸は、ユダヤ人の居住地でした。モーゼの出エジプトの地もそのあたりで す。ユダヤ教はこの地で誕生した一神教です。プラトンの自然を超越した原理であるイデ ア、諸々のイデアのイデアである善のイデアというような考え方や、世界は作られたもの だという考え方は、ユダヤ人の信仰である一神教との接触によって生まれたのではないか と木田は推測しています。ソクラテスの死後、人生をどう生きるか暗中模索していたプラ トンには、ユダヤ人の信仰する唯一神、その神によって創造された世界という発想は大き なヒントになったはずだと木田は言います。また、プラトンは南イタリアのタラントにも 行き、当時そこに拠点があったピュタゴラス教団にも立ち寄って、数年間数学を学びまし た。ピュタゴラス教団の信奉する「数」もプラトンの思想形成に影響していたのではない かと木田は見ています。 このようにプラトンはアテナイ出身の人ですが、28歳からの諸国漫遊の経験を通してイデ アに基づく世界の成り立ちという思想を形成していきました。そして、41歳のときにアテ ナイにアカデミアを設立します。そのような物の見方は、ギリシア伝来の自然主義的な「な る」的思考に慣れ親しんでいたアカデミアに集う弟子たちには大いに異質だったようです。 実際に、アリストテレスは、プラトンの思想を「異国風(エクトポーテロス)」と言ってい るそうです。つまり、プラトンのイデア論は、ソクラテス以前からのギリシア伝来の自然 的思考とは大きく趣を異にするものでした。 アリストテレス アリストテレスは、紀元前384年にギリシア北方のマケドニアの都市スタゲイラの医師の 家に生まれました。17歳のときにアテナイに行き、プラトンのアカデミアに入学し、プラ トンの死まで20年近くそこで学びました。アリストテレスは後の紀元前335年に、ギリ シアを版図に収めたマケドニア勢力の支援を得てアテナイにリュケイオンを開き、アカデ ミアと対抗しながら活動を続けました。アリストテレスが育ったスタゲイラは、イオニア 的と呼ばれる古いギリシアの伝統の影響が色濃くのこっていたところだったので、プラト ンのイデア論にはアリストテレスはかなり違和感をもっていたのではないかというのが木 田の見立てです。いずれにせよアリストテレスの課題は、プラトンの行き過ぎた異国風の イデア論を批判し、これを巻き戻すこと、あるいはイオニア的伝統である自然的存在論つ まり「なる」的思考と折衷するところにありました。これも木田の見解です。
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第6回 アリストテレス (2017年7月) 木田の俯瞰点(木田元 2007 『反哲学入門』※2010年に新潮文庫でも出ています。) 木田は、哲学とは、「ありとしあらゆるものが何であり、どういうあり方をしているの か」について突き詰める営みであると言っています(木田p.19)。それは、「人間を含む生 き物やモノなど、地球上にあるありとしあらゆるものが『ある』というのはどういうこと か、それをあくまで全体として研究しようとする学問だ」と言っています(p.40)。(これ に対し、科学というのは、存在者全体のうちからある特定の領域、つまり物理現象とか経 済現象と言って、領域を切り取ってきて、そこにある法則を見出そうとするものです。) こうした哲学の営みから出てきた見解を木田は大きく、「なりいでてある」という見方 (前回の「なる」的思考)と、「つくられてある」という見方(前回の「つくる」的思 考)に分類しています。 このような「哲学をする」ことについて、木田は、西洋以外の他の文化圏には生まれなか った営みだと言っています。というのは、そんなことを考えるためには、自分たちが存在 するものの全体の内にいながら、その全体を見渡すことができる特別な位置に立つことが できると思わなければいけないわけで、そのような立ち位置・目線をもったのは西洋だけ だと言うのです。存在するものの全体を「自然」と呼ぶなら、自分たちがそうした「自 然」を超えた「超自然的な存在」だと思うか、少なくともそうした「超自然的存在」と関 わりをもちうる特別な存在だと思わなければ、そんな思考はできません。自分が自然の中 にすっぽり包まれて生きていると思っている人々には、そんな立ち位置や目線をそもそも 採ることができません。西洋という文化圏だけが超自然的な原理を立てて、それを参照し ながら自然を見るという特別な見方・考え方をしたのであり、その思考法が哲学です。 哲学は、それ以前の「なりいでてある」という見方から「つくられてある」という見方へ の転換です。その転換を強力に牽引したのがソクラテスです。そして、ソクラテスの弟子 のプラトンがイデア論によって、哲学の第一歩を踏み出しました。それ以降の哲学発展の 経路は、この「つくられてある」の見方の発展の経路となります。 形相(エイドス)-質料から可能態-現実態へ プラトンのイデア論については、第4回の「プラトニズムの誕生」の部分で論じました。 イデア論は、すべてのものは「つくられたもの」であり、さらに「つくられるべきもの」 であるという制作的存在論を説くためには有効であると思います。そんなふうに考える と、プラトンは、「つくる」論理に特別な権利を与えて「自然」を包括して規定しようと していたことが分かります。しかし、自然的な存在物、つまり植物や動物などの場合はど うなるのでしょう。その場合でも、「つくる」論理があてはまるでしょうか。 アリストテレスは、言ってみれば、プラトンの極端な「つくる」論理と、ギリシア古来の 「なる」論理を仲裁して組み替えようとしました。アリストテレスは、まずは、「自然に よって存在するもの」と「技術によって存在するもの」を区別します。前者は、例えば樫 の木、後者は、ヴィーナスの像です。そして、樫の木の種子が樫の巨木に成長する運動 と、大理石の塊がヴィーナス像になる運動とを対比して、それぞれの運動の原因を見定め ようとします。アリストテレスの考えでは、「自然によって存在するもの」、例えば樫の木 では、運動の原因である「自然」が運動体である樫の木に内蔵されている。それに対し、 「技術によって存在するもの」では、運動の原因が彫刻家の「技術」で、それが運動体で ある大理石の塊の外にあると考えます。 アリストテレスによると、プラトンには2つの原理しかありません。第4回の最後の部分 で論じた、イデアに由来する形相(エイドス)と材料・素材としての質料(ヒューレー) です。端的に言うと、アリストテレスは、この「形相-質料」という図式を「可能態-現 実態」という図式に組み替えました。つまり、プラトンの言う質料(ヒューレー)は単に 質料なのではなく、何らかの形相(エイドス)の可能性を含んでいるもの、つまり可能態 の状態にあるものと考え、その可能態が「原因」によって現実化された状態を「現実態」 と呼びました。例えば、樫の木の種子は、樫の木になる「可能態」で、自然の力で成長し た樫の木は、樫の木の形相を具現化した現実態となります。しかし、その樫の木は、材木 になる「可能態」で、木を切り倒し切り分けて製材するという「技術」の働きを受けて材 木の「現実態」となります。さらに、その材木は、机になる「可能態」で、机の形相に基 づく「技術」の働きを受けて机の形相を具現化した現実態である机になります。 アリストテレスの純粋形相論 このように考えると、可能態-現実態という関係はどこまでも相対化されます。というこ とはつまり、すべての存在者はその内に潜在している可能性を次々に現実化していく目的 論的運動の内にあるということになります。 こうして見ると、アリストテレスの描く世界像は、動的で、広い意味で生物学的だという ことになります。これに対し、プラトンの場合では、現実の世界は永遠に不変のイデア界 の模像なので、原理的に不変となります。そのような事情で、プラトンの世界像は数学的 で、アリストテレスの世界像は生物学的と呼ばれるようになりました。 アリストテレスは、絶対的に超越したプラトン流のイデアは否定しましたが、かれ自身が 考えた目的論的運動がめざしている最終目的地(telos)をかれは「純粋形相」と呼びま す。アリストテレスの言う純粋形相とは、自身を含んでいる可能性をすべて具現化し、も はや現実化されていない可能性のまったく残されていない存在者、したがってそれ以上動 くことのない存在者のことです。もはや自らは変化することなく、他のすべての存在者を 己に引き寄せようと動かすこの存在者つまり「不動の動者」こそが世界のすべての目的論 的運動の究極の目的(telos)だということになります。この純粋形相は一切の生成消滅 を免れているわけですから、超自然的な存在者と見なすしかありません。その意味では、 プラトンのイデアと同質です。このように、アリストテレスはプラトンの超自然的思考様 式を批判し否定しようとしたのですが、結局はそれを修正しながら受け継いだということ になります。 そして、ここに至ってギリシア発祥の哲学はキリスト教神学と接近することとなります。 その話は、次回に。
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第7回 イデア論を内具したキリスト教神学 (2017年8月)
前々回(第5回)に「プラトンとアリストテレス」、そして前回(第6回)に「アリスト テレス」を論じて「しまいました」。この連続エッセイでここまで辿りついてわかったの ですが、このようなプラトン論とアリストテレス論をするから「哲学って、わけわから ん!」となるのだと思います。(仲間のT先生からそのような「悲鳴」をいただきまし た。) 理解のための要領を考えると、第5回と第6回はスキップして(あるいはごくざ っと読んで)、第4回からすぐにこの第7回に入ったほうがいいように思います。そし て、第8回のときに、第5・6回を適宜に参照していただくのがいいかと思います。で は、以下、第4回の続きという感じで読んでください。(今回も、相変わらず、木田から の「受け売り」です。) プラトンのイデア論 第4回の終わりの部分で、イデア論を核とするプラトニズムの話をしました。以下、少 し、復習から。 イデアというのは、ギリシア語のidein(見る)という動詞から生まれた言葉です。イデ アとは、「決して変化することのない物事の真の姿」(木田)です。それはいわば「魂の 眼」(木田)です。例えば、紙に書かれた三角形を目にしたとき、わたしたちはそこに 「三角形」を見るわけですが、それは魂の眼によって「『三角形』だ!」と直感している わけです。誰かの部屋を訪れたときに、部屋の片隅に木でできた大小2つの物体を目にし たときに、「あっ、『机』と『イス』がある!」と見えるのも、魂の眼のおかげです。 目の前にある物はイスの模像にすぎず、人間が感じ取れる世界は、イデア界の似姿に過ぎ ない。何が真に存在する本物かという価値判断の基準を、「眼の前に○○がある」という 見方から、「わたしは眼の前に『○○』(イデア)(の似姿)を見ている」というふう に、プラトンは逆転させたのです。そして、第5回と第6回で論じたように、アリストテ レスもこの発想を踏襲しています。 アテナイの成り行きまかせの「なる」の論理の政治の中でソクラテスの悲劇の刑死を眼の 前で目撃したプラトンは、イデア論という一般的存在論を展開しないではいられませんで した。人には「魂の眼」が備わっていて、その眼でしか見えない真の存在の実現をめざし て生きるという見方をしないではいられなかったのです。 ギリシアとローマ帝国 高校で世界史を勉強するときに最初にギリシアやローマのことを勉強するわけですが、ギ リシアとローマの関係がイマイチよくわからなかったという人が多いのではないでしょう か。筆者自身もその一人です。また、ローマとキリスト教の関係も何だかわかりにくいで す。今回、多少復習してみて、でもやはりあまりよくわからないのですが、わかった範囲 のことを書きます。 地理的にも近いギリシアとローマは、文明的には兄弟のようなものと理解するのがいいと 思います。一方で、両者には違いもあります。ギリシアは帝国を形成せず諸都市国家ある いは都市国家連合で終わったのですが、ローマは紀元前500年頃(正確には前509年)にロ ーマを中心として共和政が始まり、前272年にはイタリア半島全域に及ぶ立派な共和国と なります。その後、ローマはシチリア(前264年)やカルタゴとギリシア(前149年)を取 り込み、さらに勢いを拡大して、北はガリア(現在のフランスとベルギーのエリア)から ブリタニア(現在のイングランドとウェールズ)、西は沿岸都市カルタゴを中心とするヒ スパニア(イベリア半島)、東と南はガラティア(現在のトルコ)とシリアから地中海を ぐるりと回ってカルタゴ(現在のチュニジア)を版図とする巨大な帝国を築きます。古代 のローマの町は繁栄を極め、またローマ帝国下で各地にローマ風の都市が建設されまし た。 古代ギリシアの発展と繁栄は紀元前6世紀頃から始まります。ギリシアの勢いは盛んで、 地中海北部の沿岸各地に植民市と植民地を作りました。しかし、アテネがアレクサンドロ ス大王率いるマケドニアに敗れること(前338年)で、ギリシアの繁栄と勢いは終わりを 告げます。 で、ギリシアとローマの関係です。この頃まで、ローマはそれほど勢いが活発ではありま せんでした。実際のところ、シチリア島の沿岸部やイタリア半島のナポリ以南、そしてベ ニスはギリシアの勢力下にありました。ローマが勢いを増していくのは、貴族と平民の闘 争に終止符が打たれたホルテンシウス法(前287年)以降です。ですので、形としては、 ローマはギリシアをその内部に吸収して帝国を築いていった観があります。そして、やが て、ローマ帝国の文明史の中にやがてキリスト教が登場します。 ローマ帝国とキリスト教 もともとキリスト教はユダヤ教から派生したもので、イエスという教祖の奇跡的な言行を 伝える信徒たちの文書を拠りどころに展開された民間信仰のようなものでした。体系的な 教義などはありませんでした。伝道者たちはローマ帝国の各地で布教を行い、やがてキリ スト教は無視できない勢力となりました。そして、ついに、380年にローマ皇帝テオドシ ウスによってローマ国教に採用されました。その時点で、ギリシア的な教養を身につけた ローマ市民に布教をしなければならなくなり、教義体系の整備が迫られました。そこで、 ギリシア哲学を下敷きにして、超自然的原理の部分に「神」を代入して、教義体系を作り あげたのです。そして、これ以降、キリスト教神学の中で、プラトン主義とアリストテレ ス主義という2つの思想、2つの世界観が時代によって入れ替わって、西洋の文化形成を 規定することになります。その2つは、プラトン-アウグスティヌス主義とアリストテレ ス-トマス主義です。 次回は、プラトン-アウグスティヌス主義とアリストテレス-トマス主義の若干の説明と両 者の盛衰を見ていきます。今回のエッセイの注目点は、ローマ帝国以来、ギリシア哲学と キリスト教が渾然一体となってヨーロッパの文化形成の基盤となってきた、ということで す。政治、社会、哲学、思想、芸術などどの分野においてもそうです。ここは、重要!!
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第8回 プラトン-アウグスティヌス主義とアリストテレス-トマス主義 (2017年9月) ローマ帝国以来、ギリシア哲学とキリスト教は渾然一体となってヨーロッパ文化形成の基 盤となってきた、と前回述べました。そして、プラトン-アウグスティヌス主義とアリス トテレス-トマス主義は、この古代末期以来代わるがわる西洋の文化形成を規定すること になります。 アウグスティヌスとプラトン-アウグスティヌス主義 キリスト教は、380年にローマの国教となりました。しかし、当初は整備された教義体系 はありませんでした。最初の教義体系を組織したのは、アウグスティヌス(354-430年) です。 アウグスティヌスは、当時ローマ領だった北アフリカのカルタゴ近郊のタガステに、異教 徒のパトリキウスと敬虔なキリスト教徒である母モニカの間に生まれました。20代のアウ グスティヌスはマニ教に引きつけられて、ゾロアスター教の流れを汲み光と闇などの二元 論的教義を有するマニ教の聴聞者として10年近くを過ごします。383年にアウグスティヌ スは、ミラノに修辞学の教師として招かれます。そこで、キリスト教の有名な司祭アンプ ロシウスの説教を聞いて心を引かれましたが入信はしませんでした。しかし、このころ に、たまたまラテン語訳でプロティノスの『エンネアデス』の一部分を読んでマニ教の考 え方から解放されます。また、当時ローマに伝わっていたパウロの手紙を読んでカトリッ クの教えに引かれます。ちなみに、プロティノスはオリエントやエジプトの神秘主義思想 プラトン哲学を神秘主義的色彩の濃い新プラトン主義に改造しています。 その後、アウグスティヌスは、32歳の386年の夏の終わりに奇跡的な回心を経験し、ミラ ノ郊外の友人の山荘で母のモニカや友人たちと聖書に親しみ哲学的談義を続けた後、ミラ ノに帰って、ついにアンプロシウスの手で洗礼を受けます。その後、388年に故郷のタガ ステに帰り、友人たちと共に清貧と祈りの生活を続けたアウグスティヌスは、391年の 春、37歳のときに、カルタゴの西の港町ヒッポの友人に招かれてその地の司祭になりま す。以後、その地に終生留まり、自伝風の本『告白』(397-401年)を著し、またキリス ト教の護教論と教義論からなる大著『神の国』全22巻(413-426年)などの著作をしま す。そして、『神の国』で展開された教義はやがてローマ・カトリックの正統教義と認め られます。 アウグスティヌスとローマ帝国の運命 アフリカの片田舎の司祭が書いたものがと思われますが、カルタゴを中心とする北アフリ カ地域にはローマの貴族たちが昔から広大な土地や別荘をもっており、またもともとアフ リカはローマの穀倉地帯でした。そして、この頃のローマはすでに衰退の一途を辿ってお り、410年8月の西ゴート族(ゲルマン諸族の一族)によるローマ略奪で、再度の侵入を恐 れたローマの貴族たちが次々と海を越えてカルタゴに逃れていました。この貴族たちに伴 われてきた知識人たちが、当時すでに西方教会の中心人物になっていたアウグスティヌス に、この危機に対処する術を尋ねるのは当然であり、アウグスティヌスの周りで宗教論争 が展開されるのも何の不思議もありません。そして、アウグスティヌスが没する430年に はかれが住んだヒッポの町もヴァンダル族(ゲルマン諸族の一族)に包囲されて陥落寸前 になります。ローマは395年にすでに東西に分裂しており、ローマを中心としていた西ロ ーマ帝国は476年についに滅亡します。地中海世界と西ヨーロッパを含む西方世界は、以 降、未開のゲルマン民族に蹂躙され、暗黒時代に入ります。そして、以後、キリスト教文 化は東ローマ帝国に引き継がれていきます。 プラトン、新プラトン主義、そしてプラトン-アウグスティヌス主義へ プラトンには、イデアの世界と、その模倣であるこの現実の世界つまり個物の世界という 2つの世界を考える独特な二世界説がありました。プロティノスの新プラトン主義経由で プラトン哲学を学んだアウグスティヌスは、プラトンのこの二世界説を「神の国」と「地 の国」の厳然たる区別という形で受け継ぎ、あの「つくる」論理に基づく制作(ポイエー シス)的存在論によって世界創造論を基礎づけ、イデアに代えてキリスト教的な人格心を 形而上学的原理として立てます。イデアは世界創造に先立って神の理性に内在していた観 念と考えられるようになります。ここから、idea(イデア、ギリシア語)を観念(例えば 英語のidea=アイデア)と見る考え方が生まれてきます。 このように神の恩寵の秩序である「神の国」と、世俗の秩序である「地の国」、ローマ教 会と皇帝の支配する世俗国家、信仰と知識、精神と肉体とを截然と区別するプラトン-ア ウグスティヌス主義的教義体系がローマ・カトリック教会の正統教義として承認されま す。ただし、それはアウグスティヌスの没後1世紀近くたった529年のオランジュ公会議 においてでした。背景にある事情を木田は次のように推測しています。「一方では、世俗 の秩序であるローマ帝国によって国教にされ、国家との共存をはかりながらも、他方では すでに崩壊してしまった西ローマ帝国と運命を共にすることを避けようとするカトリック 教会の政治的意志が働いたように思われます。」と。 こうしてプラトンの超自然的思考様式は、プラトン-アウグスティヌス主義的教義体系に 受け継がれ、キリスト教の信仰と結びついて現実的有効性を発揮しながら展開されていき ました。このプラトン-アウグスティヌス主義的教義体系は、古代末期から13世紀までカ トリック教会の正統教義として機能し続けます。一方で、オランジュ公会議と同じ529年 にユスティニアヌス大帝(東ローマ帝国第2代皇帝、東ローマ帝国はビザンツ帝国とも呼 ばれる)の命令で哲学は禁止され、プラトン以来900年に及ぶ伝統をもつアテナイのアカ デミアも閉鎖されました。ちなみに、木田は、ニーチェ(1844-1900)の言葉を引用して 「キリスト教は民衆のためのプラトン主義にほかならない」と指摘しています。 次回は、ゲルマン諸族によるヨーロッパの形成と新たな中世キリスト教文化の開花の話と なります。
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第9回 ヨーロッパ世界の始まりとキリスト教とギリシア哲学 (2017年10月) 4世紀後半から6世紀にかけての200数十年間、世界規模で辺境異民族の高度文明社会へ の侵入がありました。いわゆる民族の大移動で、この出来事が古代と中世を分かつことに なります。そして、前回触れたようなゲルマン民族の侵入などの結果、地中海世界を舞台 に展開された古代ギリシア・ローマ文化は西方世界から姿を消します。その後しばらく暗 黒時代が続いた後に、今度は舞台をヨーロッパ日本語教育写して、新たな中世キリスト教 文化が花開きます。そのドラマの担い手は、ヨーロッパ各地に部族国家を作ったゲルマン 諸族です。 カール大帝の戴冠と大フランク王国 ゲルマン諸族は近代的な国民国家の組織を整備するには至っていませんでした。この時期 ヨーロッパでは、前回お話しした東ローマのカトリック教会の教区網だけがヨーロッパを 統合する唯一の組織で、土地をめぐる構想などにも教会が介入せざるを得ませんでした。 しかし、統合といっても形だけのものでした。やがて、800年にフランク王国国王のカー ル大帝(742-814)がローマ教皇によって戴冠され、神聖ローマ帝国皇帝となって、ガリア (フランス)、ゲルマニア(ドイツ)、イタリアを含む大フランク王国を統治するようにな ります。ここに大規模な「聖」と「俗」の合流が起こります。それとともに、この出来事 が、今わたしたちがイメージするヨーロッパ世界の始まりとなります。これは重要! アリストテレス-トマス主義 このようにローマ・カトリック教会が実際に世俗政治に介入するようになると、「神のもの は神に、カエサルのものはカエサルに」という聖書の言葉を拠り所に、神の国と地の国、 教会と国家を截然と区別していたプラトン-アウグスティヌス主義的教義体系では不具合 が生じます。教会はこうした事態への対応を迫られました。そうした必要に応えて構築さ れたのが、13世紀のアリストテレス-トマス主義の教義体系です。 この教義体系の再編成の仕事は、12世紀に教会や修道院附属の学校(schola)の教師たち によって始められたのでスコラ哲学と呼ばれました。その仕事を成し遂げたのはトマス・ アクィナス(1225/26-1274)です。12世紀の末から7期にわたる十字軍の遠征が始まるわ けですが、その結果、ヨーロッパとイスラム圏との交流が始まりました。その交流の結果、 イスラム圏にいわば「埋もれていた」アリストテレスの哲学がヨーロッパに再輸入されま す。トマス・アクィナスは、そのアリストテレス哲学を下敷きにしてプラトン-アウグステ ィヌス主義に代わる新しい教義体系を組織します。木田によるとトマス・アクィナスは信 じられないくらい膨大な量の著書を残しています。その膨大な著作の中心になるのが『神 学大全』です。 アリストテレス-トマス主義教義体系の特徴 すでに論じたように、アリストテレスの哲学はプラトンのイデア論の批判・修正です。プ ラトンの超越的なイデア論に対して、アリストテレスの形相論では、形相を質料そのもの に内在してその生成を内側から導くものと考えました。ですので、アリストテレスにあっ ては、プラトンのイデア界にあたる純粋形相が、この現実界を全く超越した彼岸にあるの ではなく、現実界と一種の連続性を保ったものと考えられていました。したがって、この アリストテレスの哲学を下敷きにして考えれば、神の国と地の国、恩寵の秩序と自然の秩 序、教会と国家とがより連続的なものとして捉えられ、ローマ・カトリック教会が国家な り世俗の政治なりに介入しそれを指導したとしても当然だという帰結になります。ますま す形を整え力を増しつつあった国民国家との関係に苦慮していたローマ教会にとって、こ のアリストテレス哲学を使ったトマス主義的教義体系は、有効な解決法を提供してくれる ものでした。そのような事情で、以後ルネサンス期に至るまで中世を通じて、このアリス トテレス-トマス主義が正統教義として認められることになりました。 プラトン-アウグスティヌス主義の復興 世俗政治に介入するようになった教会や聖職者は腐敗堕落していきました。そこで、14世 紀あたりから再びローマ・カトリック教会に世俗政治から手を引かせて信仰の浄化を図ろ うとするプラトン-アウグスティヌス主義ないしプラトン主義復興の動きが各方面で起こ ってきました。こうした動きは、後の15世紀のルネサンスの時代には、キリスト教とは離 れた人文主義の立場でのプラトン復興の運動からも側面的な協力を受け、やがて16世紀 のルター(1483-1546)の宗教改革運動へとつながっていきます。次回に論じるデカルト (1596-1650)や、パスカル(1623-1662)やマルブランシュ(1638-1715)なども、アウグ スティヌス主義復興の運動と接触しながら自身の思想を深めていきました。 このように、プラトン主義とアリストテレス主義はキリスト教の教義史の中で覇権の交替 を繰り返してきました。かれらの哲学がキリスト教と深く関わりながら、ヨーロッパの文 化形成の根幹の部分に関わってきたということです。だいぶ遠回りをしましたが、次回は ようやくデカルトです。
哲学のタネ明かしと対話原理 10
第10回 近代へのとびらを押し開けたデカルト (2017年11月) 有名な「私は考える、それゆえ私は存在する」というテーゼによってデカルトは近代的自 我の自覚を達成し、そういう意味で近代哲学の創建者だと言われてきました。しかし、以 下に論じるように、実は、デカルトは近代へのとびらを押し開けただけです。 デカルトは本当に近代的自我を自覚したか いつものように木田に依拠しながら話をします。木田は『反哲学入門』の中でデカルトの 本に言及しながら次のように言っています。 「(『方法序説』の)第一部の冒頭でこう言います。「良識はこの世でもっとも公平に分け 与えられているものである」。この「良識(ボン・サンス)」は数行後に、「正しく判断し、 真と偽を区別する能力、これこそ、ほんらい良識(ボン・サンス)とか理性(レゾン)と 呼ばれているものだ」と解説され、さらに「自然の光(リュミエール・ナチュレル)」と 言いかえられています。そして、この「自然の光」は『哲学原理』(1の30)で「神から われわれに与えられた認識能力」と定義されています。」(上掲書pp.108-109) このようにデカルトの言う「理性」は、神によってわれわれに分かち与えられたものであ り、それはわれわれ人間のうちにありながらもわれわれの自然的な能力ではなく、神の理 性の派出所や出張所のようなものなのです。そして、この「理性」を正しく使いさえすれ ばわれわれは普遍的な認識ができるのであり、世界の奥の奥の存在構造を捉えることがで きる、となります。一般に「近代的自我」といえば、神的なものから解放され自立した自 我ということですが、デカルトの言う自我はそのようなものではありませんでした。プラ トンの言うイデアや、アリストテレスの純粋形相や、キリスト教神学の「神」というよう な超自然的原理の「出張所」のようなものが人間のうちに設定されただけと言ってもよい かもしれません。 「私は考える、ゆえに私は存在する」再考 デカルトの主著の一つである『省察』(1641年)の書名は、正式には『神の存在、および人 間の精神(アニマ)の身体からの区別を論証する、第一哲学についての省察』です。デカ ルトは、『方法序説』でも『省察』でも、方法的懐疑という手続きを展開しています。「私 は考える、ゆえに…」はその方法的懐疑の終着点として出てくる言葉です。方法的懐疑の 手続きを木田は以下のように説明しています。 「デカルトは、私たちの外的感覚器官の教えてくれること、つまり外的世界が存在する ことを疑い、次に私たちの内的感覚器官の教えてくれること、つまり自分の肉体が存在 することを疑います。これらは疑えばいくらでも疑えます。さらに彼は、数学的認識の ような理性の教えてくれることも疑っていき、いっさいを懐疑の坩堝に投げこみます。 こうして「どんな身体も無く、どんな世界も、自分のいるどんな場所もない」と仮想し、 いわば絶望の淵に立たされますが、そのとき一条の光が射してきます。というのも、デ カルトは、そんなふうにどれほどいっさいを疑い、「すべてを偽と考えようと」、そうし て疑いつつある「私」、「そんなふうに考えているこの私」は「必然的に何ものかでなけ ればならない」ということに気づいたからです。この「私」の存在を疑えば疑うほど、 その「疑っている当の私」の存在、広い意味での「考えている私」の存在はいっそう確 実になります。『そして、<私は考える、ゆえに私は存在する>というこの真理は、懐疑 論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、 この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と 判断した』とデカルトは結論しています。」 これが、“Cogito ergo sum.”です。 「私」とは何か さてこのような理路から「私」というものはどのようなものになるでしょうか。以下も、 木田が引用しているデカルトからの一節です。 「これらのことから私は、次のことを知った。私は一つの実体あり、その本質ないし本 章は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物 質的なものにも依存しない、と。したがって、この私、すなわち、私をいま存在するも のにしている魂は、身体〔物体〕からまったく区別され、しかも身体〔物質〕より認識 しやすく、たとえ身体〔物質〕が無かったとしても、完全に今あるがままのものである ことに変わりはない、と。」 この引用からは、「私は考える、…」の「私」とは、「考えるもの」たるかぎりでの「私」、 つまり「心もしくは精神」、「悟性」、「理性」たるかぎりでの「私」だということになりま す。身体から実在的に無別され、それが存在するために身体のようなものはいっさい必要 としない「精神」としての、あるいは「理性」としての「私」の存在がこので確認された わけです。『省察』の表題にあった「人間の精神の身体からの区別を論証する」というのが まさにこうした結論なのです。 結論 結局デカルトは、私たち人間にあって実体をなしているのはあくまで精神であり、精神は 身体と区別されうるし、身体がなくても精神はそれだけで存在しうる、と言いたいのです。 なぜなら、この精神、つまり理性は神の創造した実体であり、私たち人間のうちにあって も、いわば神の理性の出張所のようなものだからです。デカルトの主張したいのは次のこ とです。つまり、上のような事情なので、肉体的感覚に与えられる感覚的諸性質は物体の、 つまり自然の実在的構成要素ではなく、単に私たち人間にとって偶有的なものである身体 への現れにすぎないのであり、物体、つまり自然を真に構成しているのは、私たちの精神 が洞察する(ダ・ヴィンチやガリレオがすでに科学において実践していた!)数学的な量的 諸関係だけなのだと。 神は誠実なのだから、その神が真の観念として私たちの精神に植え付けた観念には客観的 実在性がある。つまり、その観念に対応する客観は実在せざるをえない、というわけです。 そして、これは何もデカルトが初めて言い出したことではなく、すでに科学的な営みが始 まっていた当時のヨーロッパを中心としたキリスト教の世界創造論ではそのように考えら れていたのです。「神は、世界創造の仕上げとして、みずからに似せて人間を創造し、それ に理性(ラティオ)を与えた」と。デカルトは、人間理性の実在性を論証によって基礎づ けようとしたということになります。 次回はデカルト後の展開です。
哲学のタネ明かしと対話原理 11
第11回 啓蒙主義の父 カント (2017年12月) 理性を重視したという意味では、デカルトの哲学は間違いなく理性主義の哲学でした。理 性主義のrationalismの語幹になっているのは、ラテン語のratioです。木田によると、 ratioは人間の認識能力だけでなく、世界創造の設計図になった神の理性=Ratioも、その 設計図に従って世界に仕込まれた摂理、つまり理性的法則としてのratioも指します。神 のRatioを中心にして、一方に世界を貫く理性法則としてのratioがあって、もう一方に、 神によって神の理性の似姿として植え付けられた人間のratioがあって、この3つの理性 が織り上げる秩序を重視するのが17世紀前半のデカルトを中心とした理性主義です。古 典的理性主義とも呼ばれるそうです。そして、そこでは、神の理性を論じる「神学」と、 世界の理性法則を論じる「科学」と、人間理性を論じる「哲学」とが互いに調和しつつあ る種の統一を保っていました。ですので、調和の時代とも呼ばれるそうです。しかし、注 意してください。この古典的理性主義においては、統一も調和も、すべて神の理性の後見 の下に成り立っていたのです。 しかし、18世紀に入ると、事情は一変します。18世紀は啓蒙の時代になります。啓蒙= enlightenmentというのは「照らし出す」という意味です。つまり、理性の光によって「照 らし出す」ということです。しかも、ここでの理性は、17世紀の神の後見を受けた理性で はなく、啓蒙的あるいは批判的理性なのです。以下、カントの言葉。「啓蒙とはなにか。そ れは人間が自ら招いた未成年状態を抜け出すことである。未成年とは、他人の指導がなけ れば自分の理性を使うことができない状態である。」(木田からの二次引用)。ここに言う 「他人」というのは、つまりは神や宗教です。カントが言っているのは、神の理性の後見 を廃して、自立した人間理性が、これまで自分を支えてくれると思っていた宗教や形而上 学なども迷蒙と断じて、その蒙(もう)を啓(ひら)き、それを批判する理性になるとい うことです。 ところで、神の理性の後見を脱すると、重大な困難が生じます。つまり、これまでは神の 理性に保証されているからこそ、人間理性は自分が明晰に見て取ることができる生得観念 の客観的妥当性、つまりその観念の対象が真に存在することを信じ、それを頼りにして世 界の存在構造についての確実な認識を手に入れることができたのですが、神の理性のそう した媒介がなければ、人間の理性的認識と世界の合理的存在構造との一致は簡単には成り 立たないことになります。そのような困難を背景として、ロック、バークリー、ヒューム などのイギリスの啓蒙家たちは、生得観念やそれを使った理性的認識の効力をも否定して、 われわれの認識はすべて感覚経験に基づく経験的認識だと主張しました。イギリスの経験 主義です。しかし、こうすると、彼らは数学や物理学の認識の確実性をも否定することに なってしまうのです。 イギリス経験主義に対する反省を踏まえて、カントが登場します。カントは、ある範囲内 でのわれわれの理性的認識の効力を認めること、つまり神の理性の媒介なしにもある範囲 内ではわれわれの理性的認識と世界の理性的存在構造とは一致しうることを主張しようと しました。具体的な内容は省略しますが、カントは、われわれの純粋な理性的認識の有効 範囲を理性そのものの自己批判によって明らかにしようとし、その課題に見事に応えるこ とができた、と言われています。 カントはこの問題を解決するのに12年かかりました。その解決に達して書いたのが『純 粋理性批判』です。同書の中で、カントは「理論的認識の問題を考える場面に神や神の理 性を持ち出すのはおかしい」と主張したので、「カントは神様の首を切り落とした」(ハイ ネ)と言われています。 前回のデカルトの話や今回のカントの話をこのようにたどってみると、西洋においては、 キリスト教が人々の心にひじょうに深く根付いており、神の恩寵から離脱すること、ある いは哲学者が神の恩寵からの離脱を宣言することがひじょうにむずかしいことだったとい う様子が見えてきます。実際、デカルトの沈潜な反省から出た「我思う、ゆえに我あり」 からカントの『純粋理性批判』に至るのに、約150年かかっています。 次回は、本連続エッセイの最後として、カントから一足飛びにフッサールに行く予定です。
哲学のタネ明かしと対話原理 12
第12回(最終回) 哲学のタネ明かしと対話原理-フッサールへ (2018年1月) 今回がこの連続エッセイの最終回となります。考えてみると、何とも無謀な企てをしたも のです。でも、何とか「収拾」をつけなければなりません。しかし、ほぼ予定通り、フッ サールで「収拾」をつけることができそうです。この連続エッセイの第1回から前回まで は実は、この最終回の内容を言いたいがための布石のようなものでした。本エッセイでは、 哲学のタネ明かしのタネ明かしとフッサールへのつなぎをします。 哲学のタネ明かし デカルトからカントに至る経緯は、ごくわかりやすく言うと、理性の神から人間への「引 っ越し」です。その裏事情をはじめに話したいと思います。いつも「あんちょこ」(若い人 にはこの言葉わからないでしょうね…)にしている木田はカントを論じる部分で、「近代哲 学はなぜ文体が変化したか?」という一節を設けています。その部分の話によると、以下 のような理路になります。 (1)カントあたりまでの大学の哲学の先生は中世以来のスコラ系の哲学者だった。 (2)スコラ系の哲学者とは言わば「教会御用哲学者」である。 (3)ですから、彼らは神に疑義を挟むような議論はできない。 (4)そのような事情なので、近代を開く新しい哲学の担い手は在野の人たちだった。 (5)たとえば、デカルト、マルブランシュ、スピノザ、ライプニッツといった17世紀の 大陸系哲学者も、ルソー、ヴォルテール、ディドロなどの18世紀フランスの啓蒙哲 学者も、ロック、バークリ、ヒュームなどのイギリス系の哲学者も、みんな在野の知 識人、政治家、外交官などでした。 (6)そして、かれらが本を書くときは一般の知識人を読者に想定し、平明な文章で書くの が常だった。 (7)そして、だんだんラテン語ではなく、それぞれの国語で書かれるようになった。 このように近代哲学のトビラは、大学の御用哲学者ではなく、在野の人たちによって、在 野の知識人の間から開かれていったのです。御用哲学者さんたちが近代哲学のトビラを開 けられないのは当然ですよね。かれらは神に「仕えている」わけですから。 で、カントの前後から近代哲学の担い手たちが大学の先生になるようになりました。カン ト哲学を引き継ぎ展開したフィヒテ(1762-1814)、シェリング(1774-1854)、ヘーゲル(1770- 1831)などはみんな大学の先生でした。かれらは、日頃かなり高度な専門知識をもった学 生たちを相手にしているし、近代哲学は何しろしっかりと理屈を展開しないといけません ので、かれらの文章もどんどんむずかしく難解になっていきました。 カントからヘーゲルに至る哲学は、いわゆるドイツ観念論です。それは、ソクラテス、プ ラトン、アリストテレスのギリシア哲学に匹敵する哲学のもう一つの黄金時代と見られて います。さて、1781年のカントの『純粋理性批判』から1831年のヘーゲルの没年までの ちょうど半世紀にわたって展開されたドイツ観念論哲学の課題は何だったのでしょう。カ ントの下で神的理性の後見を退けた上で「超越論的主観性」としての自覚に達した人間理 性は当初は自身の有限性の中にあったわけです。ドイツ観念論哲学の課題は、その限界を 打ち破って無条件な「絶対精神」に高まっていこうとするところにあった、と木田は言っ ています。それがドイツ観念論の到達点である、ヘーゲルの『精神現象学』での論となり ます。 本連続エッセイで試みたようにギリシア哲学からカントまでをひじょうに大きく俯瞰して みると、哲学の歩みは、(1)イデアなどの超自然的原理の「発明」(第3回から第6回)、(2) スコラ哲学を代表とするそうした超自然的原理とキリスト教との合流(第7回から第9回)、 (3)キリスト教神学からの解放と人間による人間理性の自覚(第10回から第12回今回の 最終回)、という流れとなるようです。わたしたち哲学の素人としては、カントまでの哲学 の「大饗宴」というのはそのようなものだったのだという程度に考えておいたらどうでし ょう、というのが哲学のタネ明かしのタネ明かしです。そして、現代の人文社会科学の研 究者として重要なのはフッサールです。 フッサールの現象学 わたしたちの経験あるいはわたしたちの現実というものの本当の姿を捉えるために、フッ サールは、エポケー(判断停止)ということで、わたしたちが日常生活の中で普通にやっ ている自然的態度を一端やめる必要があると言いました。自然的態度というのは、「世界」 がわたしたちの外(out there)にあって、わたしたちは感覚器官を通して「それ」を経験 して、そうすることを通して「この世界」を他者と共に生きることであり、そのように自 然にやり、それが自然だと思うことです。フッサールが第一に主張したいのは、「世界」や 「それ」や「この世界」などは、わたしたちの外(out there)にあらかじめあるものでは ない、ということです。確かにわたしたちは感覚器官を通して世界と交わるわけですが、 世界というのはわたしたちが経験するものであって、あらかじめ「経験」として与えられ るものではないということです。そして、フッサールは、そのようなわたしたちの世界の 経験の仕方を、志向性(intentionality)と、ノエシスとノエマという概念によって説明 しようとしました。 ノエシスとは経験される仕方で、ノエマとは経験されるものです。ノエシスとノエマの説 明としては、よくリンゴの例があげられます。机の上にあるリンゴを目にしたとき、わた したちは「あっ、リンゴがある!」や「あっ、リンゴだ!」とそれを経験するわけです。 つまり、リンゴだというわたしたちの認識とその認識が関係している当該の対象との関係 がわたしたちの経験となるわけです。この関係のことを志向性と言うわけです。世界や経 験があらかじめそこにあるのではなく、わたしたちは認識との相関の中で世界や対象を経 験するのだということです。また、経験というのが物理的な世界との関連でのみ生じるの ではなく、思考や意思などの形で生じることもフッサールは論じています。このような見 方に基づく認識論と存在論を現象学と言います。まあ、こんなに単純な話ではないのです が。 フッサールの現象学は、後にシュッツの現象学的社会学に継承され、それがさらに、シュ ッツの弟子であるバーガーやルックマンによって展開されて知識社会学へと結実します。 また、シュッツの研究はガーフィンケルにも影響を与えエスノメソドロジーの誕生へと繋 がりました。 フッサールと対話原理 フッサールの現象学とバフチンの対話原理を照らし合わせるといろいろとおもしろいこと が見えてきます。まずは、フッサールの議論ではノエシスとノエマの相関関係が最重要部 となるわけですが、ノエシスを結ぶことがいかに可能になるのかや、ノエシスの素材は何 なのかについてフッサールは十分に議論していないように思われます。ノエシスの素材は、 おそらくバフチンに言わせると言語でないはずがない、となります。そして、素材が言語 であるとして、体系としての言語なのか、発話やディスコースとしての言語(ことば)な のかも、議論されなければなりません。また、対話原理の観点から言うと、フッサールの 議論は個体主義的でモノローグ的だと言わざるを得ません。 結論 現在、社会学でも心理学でも質的研究というものが注目されています。興味深い研究方法 だと思います。そして、質的研究を行うためには、それと量的研究との対比を知ると共に、 その哲学的基礎である現象学及びその系譜を知っていなければなりません。日本語教育や 第二言語教育一般で質的研究をしようという場合にはややもすると研究の具体的な方法ば かりに注目が集中してしまいがちです。質的研究の核心をよく理解してそれを行わないと、 研究者自身による薄っぺらい個別ケースの記述あるいは独善的な記述に終わってしまいま す。そのような意味で、フッサール現象学からリクールのナラティブ論までの系譜をたど っているラングドリッジの『現象学的心理学への招待』はとても参考になると思います。 結論として、現代的な人間科学的な研究に従事するためには、フッサールをしっかり勉強 し、それ以降の系譜も承知しておくというのがいいのではないかと思います。 以上でこの連続エッセイを終わります。長い間、お付き合いありがとうございました。次 の連続エッセイ、やるかどうか、いつから始めるか、現在、思案中です。
2018年4月21日土曜日
基礎日本語教育の授業実践を考える ─ 自然習得系のアプローチの系譜
この記事は2015年11月から2016年10月のNJ研究会フォーラム・マンスリー(まぐまぐ!、http://www.mag2.com/m/0001672602.html#detailbox)に掲載された連続エッセイを転載したものです。
第1回 イントロダクション
○ 応用言語学の時代
わたしは、教材の開発や教員研修なども含めて外国人に日本語を教えるという仕事にずっと携わってきました。しかしながら、専門は、日本語学や社会言語学などではありません。第二言語習得研究でもありません。自分の専門は、第二言語の習得と教育の内容と方法を考究するという意味でこれまでは第二言語教育学と呼んできました。その行き着いたところが、バフチン(Mikhail Bakhtin, 1885-1975)の対話原理の研究とその第二言語教育への応用でした。
応用言語学というのは、狭義には、第二言語の習得と教育の方法を考究する学問分野となります。そして、その考究においては、言語学や社会言語学や語用論や談話分析などの言語関連の研究分野の成果が参照されます。著名な応用言語学者としては、古くは20 世紀最大の応用言語学者と言われるPalmerがおり、比較的最近では、といっても70年代から80年代初頭にかけて、一世を風靡したStevickがいます。そして、その後は広い意味でコミュニカティブ・アプローチの時代となります。まず最初にWilkinsの『Notional Syllabus』(1976)が刊行されてコミュニカティブ・アプローチの鏑矢となります。その後に、70年代後半から80年代前半にかけて、Widdowson、Strevens、Brumfitなど多数の主としてイギリス系の応用言語学者が現れ、興味深い論考を多数世に出しました。一方で、80年代の初頭には北米からKrashenが登場し、その入力仮説は第二言語教育者の間にセンセーションを巻き起こしました。Krashenは、それまでの第二言語教育の常識に大きく反旗を翻しました。当時は、第二言語教育を考究する者として「胸躍る」時代で、筆者も書店でかれらの新刊本を見つけては即入手し、むさぼるように読みました。筆者の第二言語教育探究はその後も続いたわけですが、広い意味での応用言語学はKrashenを境として潮目が変わったように思います。ごくわかりやすく言うと、時代は応用言語学から第二言語習得研究へと大きく移行したようです。
ここに名前を挙げた応用言語学者たちを中心にその他の応用言語学者たちも含めて、かれらの著作は、第二言語の習得やその促進や支援についての筆者の考えを豊かにしてくれました。第二言語教育学を志す人はぜひかれらの論に触れてほしいと思います。ただ、その一方で、かれらの論を読んでいて筆者は何となく十分には満足できない感じをもっていました。それは、言語や心理や人間存在やコミュニケーションなどのテーマについての根源的な議論が欠けているという感覚でした。かれらの議論にはそれがなく、それがないと第二言語教育の考究としてもう一歩先に進めないのではないかと思いました。ある意味でそれはしかたないことでした。なぜなら、かれらはそれまでの既存の言語関係の研究の応用として第二言語の習得や教育を考究していたからです。かれらの視野には上のようなテーマについての哲学的な考究は入っていませんでした。
「根源的な議論が欠けている」という感覚は、筆者を、当初は認知心理学や第二言語習得研究、そしてやがて言語哲学や学習研究や発達心理学などの分野を彷徨わせました。そして、そうした彷徨の行き着いた先がバフチンでした。バフチンの言語論はそれまで欠けていた根源的な議論をまさに展開していると感じました。バフチンは読めば読むほどに魅力的でした。しかし、魅力的で魅惑的である分、その正体や全体像をやすやすとは見せてくれませんでした。第二言語教育学を前に進めるための筆者とバフチンの長い対話が続きました。その長い対話の成果が、西口(2013)であり、西口(2015)です。
西口(2103)では、バフチンの初期の著作である『マルクス主義と言語哲学』(バフチン, 1928/1980、邦訳のタイトルは『言語と文化の記号論』で新時代社刊)での議論をスタートとしてバフチン言語哲学について第二言語教育の関心から解釈を試みました。西口(2015)では、対話原理の究明を研究的な主要テーマとして、そこからの基礎日本語教育の企画への展開を論じ、また接触場面相互行為研究への道筋を明らかにしました。一方で、教材作成者としては、上記企画の教育実践をサポートする教材として『NEJ─テーマで学ぶ基礎日本語』(くろしお出版)を世に出しました。
○ 教育実践のプラットフォームの開発から具体的な授業実践へ
上述の2冊の本では、企画された自己表現活動中心の基礎日本語教育のカリキュラム編成の原理と指針や教材開発の要領、さらに一つのユニットの授業の流れなどが論じられています。それとともに授業方法の基本原理や学習者の役割と教師の役割などについても論じされましたが、それはごく概略にすぎませんでした。また、そこでは、広い意味での応用言語学でのさまざまな議論はほとんど反映されていませんでした。本エッセイの主要な目的は広い意味での応用言語学での注目すべき議論を参照しまたバフチンの対話原理とも関連づけて、自己表現活動中心の日本語教育における具体的な授業実践の方法を検討することです。
文献情報 ※名前を挙げた応用言語学者の主要な文献を一つだけ挙げます。できるだけ入手可能なものを選びました。
Brumfit, C. (1984) Communicative
Methodology in Language Teaching. Cambridge University Press.
Krashen, S. (1983) Principles
and Practice in Second Language Acquisition. Pergamon Press.
Palmer, H. E. (1968) The Scientific Study and Teaching of Languages. Oxford University
Press. 現在はScholar’s Choiceという出版社から新版(2015)が出ている。
Scarcella, R. C. and Oxford, R.L. (1992) The Tapestry of Language Learning.
Heinle and Heinle. 牧野髙𠮷訳・監修(1997)『第2言語習得の理論と実践』松柏社
Stevick, E.(1976)Memory, Meaning and Method. Newbury House.
Strevens, P.(1980)Teaching English as an
International Language. Pergamon Press.
Widdowson, H. G.(1984)Explorations in Applied
Linguistics 2. Oxford University Press.
Wilkins, D. A. (1976) Notional Syllabuses. Oxford University Press. 島岡丘訳(1984)『ノーショナル・シラバス』桐原書店/オックスフォード
第2回 Krashenの衝撃
○ Krashen、東京に現る!
1984年、東京。JALT(全国語学教育学会)コンファレンスの特別講演の会場を埋める数百人の聴衆は、講演者のよどみのない話に聞き入った。彼の名前は、Stephen Krashen。カリフォルニアからやってきたこの精力と自信にあふれる研究者は、第二言語習得についての自身の仮説であるインプット仮説を提示し、次から次へとたたみかけるようにそれを支持する証拠を挙げてその仮説の正しさを滔々と主張した。そして、彼の推奨する教育方法の根幹となる「comprehensible input!(理解可能なインプット)」という言葉をほとんどお題目のように何度も何度も唱えた。
聴衆の反応の実際のところはわからない。しかし、Krashenのよどみない話術と2時間ほどの講演の間に100回近く(?)繰り返された「comprehensible
input!」という言葉に魅せられた聴衆がかなり多いことは講演中の雰囲気と講演終了時の万雷の拍手とで想像できた。彼の話し方は聞く者に「これは反論の余地のない科学的な事実だ」という印象を与えた。Krashenの仮説は、第二言語教育に革命を起こすのではないか? そうとさえ思わせた。と同時に、Krashenはこのような講演を全米各地は言うまでもなく、世界各地で重ねているのだろうと想像された。「Krashen教」を布教するように。
以上は、実際にコンファレンスに参加しKrashenの講演を聞いた筆者の当時の印象を再現したものです。そして、2015年11月に筆者は米国サンディエゴで開催されたACTFLで再びKrashenの講演を聞くこととなりました。Krashenの醸し出すムードとその話しぶりは30年前とほとんど変わりありませんでした。今回は、Krashenのインプット仮説とKrashenとTerrellのナチュラル・アプローチを紹介します。
○ インプット仮説とナチュラル・アプローチ
Krashenの理論は包括してインプット仮説と呼ばれています。インプット仮説は以下の5つの仮説からなります。
仮説1 習得—学習仮説(the acquisition-learning hypothesis)
成人の第二言語能力の発達には、習得と学習というまったく別個の独立した過程がある。習得は、子どもが第一言語の能力を発達させるのと類似した過程で、意識下で起こる過程である。これに対し、学習は、言語の規則を知ること、つまり、文法についての知識を意識的に学ぶことである。
仮説2 自然順序仮説(the natural order hypothesis)
文法構造はおおむね予測される順序で習得される。すなわち、ある言語を習得する者は、年齢や母語に関わりなく、ある文法構造を早く他の文法構造をより遅く習得する。個々の学習者が全く同じように習得するわけではないが、その習得順序には明らかな類似性が見られる。
仮説3 モニター仮説(the monitor hypothesis)
習得された能力と学習された能力にはそれぞれ特別な役割がある。通常習得された能力は第二言語の発話を発起(initiate)し、話し方を流暢にする。これに対し、学習された能力は、習得システムによって発話が発起された後に、発話の形式に修正を加えるときにのみ働く。学習システムのこの働きをモニターと呼ぶ。モニターは言語運用上そのような限られた役割しか果たさず、それゆえ、第二言語の発達では学習よりも習得のほうが重要である。
仮説4 入力仮説(the input hypothesis)
入力仮説は以下の4つの下位仮説からなる。
(1)
入力仮説は、学習ではなく、習得に関係する。
(2)
人は現在のレベルiより少し上の構造i+1を含む言語を理解することにより言語を習得する。理解はコンテクストや言語外の情報を活用することにより達成される。
(3)
コミュニケーションが成功し、入力言語が理解され、さらにそのような理解できる言語が大量に与えられれば、i+1は自然に提供される。
(4)
産出能力は自然に現れてくる。産出能力を教えることはできない。
仮説5 情意フィルター仮説(the affective filter hypothesis)
言語習得には、モチベーション、自信、不安などが関与する。このような情意的要因が好ましくない状態、例えば、自信がない、不安を感じているなどのときは、情意フィルターが高く、入力言語が言語習得装置に届きにくくなり、逆にいい状態のときは、大量の言語入力が習得装置に届いて習得が促進される。
この5つの仮説を言語習得を引き起こす要因という観点からまとめると以下のようになります。
(a)
習得は学習より重要である。
(b)
習得を引き起こすためには、2つの条件を整えればよい。1つは、i+1の構造を含む理解できる言語を大量に与えること。いま1つは、その言語入力が言語習得装置に届くように情意フィルターを低く保つこと、である。
そして、煎じ詰めて言うと、リラックスした状態で学習者に理解でき(て集中でき)る話をたくさん聞かせたり、そうした読み物をたくさん読ませたりしさえすれば、言語習得は順調に進行する、となります。そして、そのような原理に基づいて企画され実施される教育方法がKrashenとTerrellのナチュラル・アプローチです。
○ ナチュラル・アプローチについての一般の評価
Krashenのインプット仮説とそれが推奨する教育方法は、従来の第二言語教育の方法に「物足りなさ」を感じ、自然習得の場合のように大量に目標言語に晒されなければ習得は進まないだろうと感じていた(が公然とはそのように主張できなかった)教師たちを中心に一時期熱烈に支持されました。しかし、いかんせん、現場で教えている教師の大部分はむしろこうした学会に参加するわけでもなく、専門の本を読むわけでもありません。また、Krashenの説を聞いて一定の理解を示したとしても、やはり現実的には従来の文法等をきちんと理解させ、その上で形の練習をしたり話す練習をしたりするという方法のほうが堅実であるとしてそちらを続ける教師が多かったです。そのような事情で、「Krashen教徒」が過去にも現在もかなりの数いるにもかかわらず、Krashenの説やその推奨する教育方法は一般に広く普及することにはなりませんでした。
参考文献
Krashen, S. and Terrell, T.(1983)The Natural Approach: Language Acquisition in the Classroom. Oxford: Pergamon. 藤森和子訳(1986)『ナチュラル・アプローチのすすめ』大修館書店
第3回 Krashenとコンプリヘンション・アプローチ
○ コンプリヘンション・アプローチ
それまでの第二言語教育においては話したり書いたりする産出活動こそが第二言語の習得を強力に促進すると考えられていました。教師も学習者も、真剣に外国語を勉強するのであればそれは当然のことだと考え、疑義が挟まれることはありませんでした。Krashenは「話す(書く)ことは習得の結果であり、習得の促進要因にはならない。受容活動こそが習得を促進する」と言って、そのような従来の考え方に反旗を翻したのです。
受容活動を中心とした言語教育法を提唱したのは、実はKrashenが初めてではありませんでした。Krashenの南カリフォルニア大学と同じカリフォルニアにある米国国防総省語学研修所(Defense Language Institute)のPostovskyは1970年代前半にすでにロシア語教育において受容活動中心の方法を実践していました。Postovskyの方法はDelayed Oral
Approachとも言われます。つまり、話すことを要求するのを遅らせる方法です。一方で、Asherは、サンフランシスコ郊外のサンノゼでTPRを実践し、世界に普及しようとしていました。また、カンザス州では、WinitzとReedsがコンプリヘンション・トレーニングを中心としたドイツ語学習のプログラムを開発しその効果を検証していました。PostovskyやAsherらの教授法やコンプリヘンション・アプローチの理論や原理やその効果については、Winitz(ed.)(1981) 掲載のさまざまな論文で論じられていますので、そちらを参照してください。
こうした受容活動中心の教育方法の共通の考え方は以下のようにまとめられています。原文の要点のみを訳します。
1. 言語のルールは、推論によって最も容易にそして正確に習得される。言語習得のための基本的な資料は目標言語の文である。
2. 言語習得は、基本的に明示化されないプロセスである。なぜなら、言語知識の習得のほとんどの部分は、学習者が明示的に操作したりはっきりと意識化したりしてできるものではない。
3. 言語のルールは相互に複雑に関連していてひじょうに詳細にわたるので、目標言語の文法の大部分に晒されないで間違いなく習得することは不可能である。そのような意味で、言語習得は、一事項ずつ直線的に進むものではない。
4. 理解活動が学習指導の基本となる。学習者は、理解活動を通して目標言語のさまざまな文に晒される。
5. 話すことは、十分なコンプリヘンション・トレーニングが与えられて初めて身につく。
(Winitz(ed.), 1981, pp.xvii-xviii)
○ コンプリヘンション・アプローチとKrashenの対比
Krashenのインプット仮説やナチュラル・アプローチは、コンプリヘンション・アプローチの系譜に属するといっていいのですが、Krashenの提唱するアプローチとコンプリヘンション・アプローチの間にはいくつかの違いがあります。以下に説明します。
(1) コンプリヘンション・アプローチにおける文法偏重
コンプリヘンション・アプローチは、文の作り方という意味での文法知識の習得に大きな関心を寄せています。これに対し、Krashenは、研究としては文法知識の習得を言語習得の証拠としていますが、KrashenとTerrellのナチュラル・アプローチでは、いわゆる言語の流暢な運用能力を教育の目標としています。
(2) Krashenの言う習得は無意識的な過程
コンプリヘンション・アプローチとKrashenとでは、言語習得過程の意識性について違いがあります。コンプリヘンション・アプローチでは、言語習得過程は明示化されないプロセス(implicit process)という言い方をしています。これは、分かりやすくいうと、「言葉遣いの具体的なルールをきちんと説明しながら言語を教えるなんてできやしない」ということです。そして、学習者が行う言語習得の心理的過程については特段論じていません。これに対し、Krashenは、言語を身につけることに関しては意識的に行われる学習(learning)と無意識的に行われる習得(acquisition)という2つの過程が関わるが、言語の流暢な行使に関与する知識・能力を促進するのは習得のほうであると言っています。そして、その習得の過程は無意識的(subconscious)で、また、学習された知識・能力と習得された知識・能力は別のもので、練習や言語活動経験によって前者が後者に編入されることもない(non-interface positionと言う)と言います。
(3) Krashenのアプローチでは理解可能なインプットを大量に与えることこそが重要
(2)とも関連することだが、Krashenのアプローチでは、理解可能なインプットを大量に与えて、言語習得装置を作動させて、無意識的な過程を通して言語についての暗黙の言語知(tacit knowledge of language)を習得させることを主眼としています。これに対し、コンプリヘンション・アプローチの方法を見てみると、インプットを大量に与えて暗黙の知識を習得させるというよりも、受容活動に従事する中で目標言語の音声的な実現体に習熟するとともに、意識的であろうかと思われる推論の心理過程によって目標言語の構造を知ることが重視されているように見受けられます。
以上、前回と今回の2回にわたって、Krashenとコンプリヘンション・アプローチについて見てきました。現在、これらのアプローチは第二言語教育の世界ではほとんど注目されていません。しかしながら、言語習得において受容活動に重きを置くこれらのアプローチの観点はないがしろにはできない重要性があると筆者は思います。
Winitz, H.(1981)The Comprehension Approach
to Foreign Language Instruction. Rowley, MA:
Newburry House.
西口光一(1995)『日本語教授法を理解する本 ―
歴史と理論編』バベルプレス
第4回 コンプリヘンション・アプローチの「先行ランナー」
受容活動を中心とした教育方法は、文脈としては,プロフェッショナルな外国語教育法となっていたオーディオリンガル法に対する「反論」として出てきたものです。そして、そのような「反論」は60年代にはすでに芽生えていました。オーディオリンガル法への「反論」の「先行ランナー」は、NewmarkとReibelです。Newmark(1966)は、それまでほとんど疑義を挟まれなかったオーディオリンガル法の考え方に最初に異を唱えました。しかし、Newmarkの論考は、主として、構造言語学から導き出された構文を行動心理学の習慣形成理論に基づいて「一度に一つの構文」という形で積み上げ式に強制的に文の作り方を身につけさせようとするオーディオリンガル法を批判することが中心になっていました。その2年後に出たNewmark and Reibel(1968)の“Necessity and sufficiency in language learning”は、そのタイトルの通り、オーディオリンガル法に対して明確に「反旗を翻し」、代替案を提示しました。彼らは次のように論じています。
人が言語を習得するための必要条件と十分条件はすでに分かっているものとわれわれは考える。具体的な実際の言語の使用例が学習者に提示されて学習者が実際に言語を使用しようとする行為が選択的に強化されさえすれば、言語は習得される。ここで重要な点は、(1)学習者が実際の言語の使用例(instances
of language in use)を学ぶのでなければ、それはその言語を学んだことにならないのであり、(2)学習者がそうした実際の言語の使用例を十分に身につけてしまえば、すでに実際の形になっているそれらについての分析や一般化は不要なのである。…
学習する教材に関して教師が主としてコントロールしなければならないのは、教材で提示される材料が学習者が使おうとするために十分に理解できること、だけである。後は、学習者の言語学習能力が発揮されてうまく進行する。(筆者訳、強調は原著、括弧番号は筆者)
かれらの見解の中心にあるのは、実際の言語の使用例(instances of language in use)です。つまり、理解できる形で実際の言語の使用例が十分に与えられて、一方でそれを使って言語活動に従事しようとする学習活動を行えば、言語習得能力(かれらの用語では、language acquisition deviceではなく、language
learning capability)が発揮されて言語習得が首尾よく進行するというわけです。
○ NewmarkとReibelとコンプリヘンション・アプローチとKrashenの評価
筆者自身は、NewmarkとReibelの言う「言語習得の必要でありかつ十分な条件」はその通りだと思います。現在のCEFR関係の教育改革へとつながるヨーロッパ評議会の外国語教育革新の指針を示したWilkinsが “Notional
Syllabus”(Wilkins, 1976)で論じている分析的アプローチ(analytic approach)もNewmarkらと同様の発想だと言っていいでしょう。実際に、Wilkinsはその本の中でReibelのオーディオリンガル法批判に言及しています。しかしながら、Newmarkらが提案している方法では、実際の言語の使用例というのが、いきなりドラマあるいはダイアローグに化けてしまっています。そして、それらを無理なく段階的に提示し模倣させることによって第二言語能力を伸ばそうという教育ストラテジーを提案しています。かれらが提案している方法は、言ってみれば「計画的なフレーズブック・アプローチ」です。ですので、旅行者のための英語や生活のための基礎日本語などのフレーズブック・アプローチに共通する問題をかれらのアプローチも抱えることになります。それは、(1)現実の「実際の言語の使用例」はしばしば構造的に複雑なものとなる、また、(2)相手への配慮の表現などもしばしば伴うので一つの発話が長くなる、(3)一つのダイアローグの中に多様な構造が現れる、などです。これらの問題を克服して「無理なく段階的に」ダイアローグを提示するのは相当の至難の業だと思います。また、第二言語習得の段階性ということを考えた場合に、学習初期という基礎力養成期の教育内容あるいは教育目標としてダイアローグというのがそもそも適切であるのかという点についても疑問があります。この点については、第7回で論じます。
一方で、コンプリヘンション・アプローチのほうは、無理矢理に話させることを通して言語習得を促進しようとするのではなく、穏やかに受容活動に従事させることによって第二言語の習得を促進しようという根本的なアプローチの転換はひじょうに注目されるのですが、コンプリヘンション・アプローチの文法偏重の側面は再考する必要があると思われます。コンプリヘンション・アプローチの主要な教育ストラテジーは、提示された文に対応する絵を選ぶという課題の連続であったり(例えば、Winitz and Reeds)、系統立てられた教師が出すさまざな指示に適切に身体で反応するというものであったり(AsherのTPR)、でした。そして、そうした課題や活動の趣旨は目標言語の文型や文法を着実に習得させるというものでした。
最後に、Krashenの主張やアプローチについて言うと、(1)無意識的な過程により暗黙の言語知識が「習得」される、(2)意識的な「学習」と無意識的な「習得」はまったく異なる2つのプロセスである、(3)明示的な知識として「学習」した知識と「習得」により獲得した暗黙の言語知識は融合することはない、というKrashenの主張の重要部はどうも受け入れがたいです。というか、この習得理論の部分は妙に理論言語学、具体的にはチョムスキー流の言語理論に依拠していて、筆者のような社会認知主義の人間には「そういう言語能力観に基づくのですか?」という違和感があります。また、インプット仮説を支持するとしてKrashenが提示する証拠もひじょうにマクロ的な因果関係のみとなっています。
○ 実際の言語の使用例と理解可能なインプット
第二言語の習得が首尾よく進行するためには、NewmarkとReibelの言う実際の言語の使用例に大量に接する必要があると思います。この部分については、多くの第二言語教育者はその重要性を低く見積もっていると思います。理解可能なインプットを大量に与えるというKrashenの方法は、そのような必要性を強く感じている筆者のような第二言語教育者の直感には大いに響きます。また、受容活動の重要性の指摘も十分に納得できます。しかしながら、「そこで起こっているのはすべて無意識的な過程だ」とか「そこで習得されるのはすべて暗黙の言語知識だ」と言われると、そうした主張にわかに賛同することはできません。ただ、そのことは研究や理論的には重要な問題であって、ナチュラル・アプローチあるいはナチュラル・アプローチ的な方法を教育に適用するにあたっては、ある意味でどちらでもいいことです。また、多くのKrashen批判者が指摘しているように、Krashenは、理解とはどういうことか、その際にことばはどのような役割を果たすのか、そして理解の言語経験がどのように後の言語活動従事に関与するのか、などについて十分に見解を提示していません。そのあたりについては、バフチンが「得意」であると思います。この点については第11回で議論をします。
参考文献
Newmark, L.(1966)How not to interfere with language learning. International journal of American Linguistics, vol.32, No.1, PartⅡ: 77-83.
Newmark, L.
and Reibel, D. A.(1968)Necessity and sufficiency in language learning. International
Review of Applied Linguistics 6: 146-164. ※Google Scholarで入手可能。
Wilkins, D. A. (1976) Notional Syllabuses. Oxford:
Oxford University Press. 島岡丘訳注(1984)『ノーショナル・シラバス』桐原書店/オックスフォード
第5回 Wilkinsの”Notional Syllabus”
○ “Notional Syllabus”とは何か
現在、第二言語教育に関わる専門家の間ではヨーロッパ評議会(Council of
Europe、以下COEとする)のCEFR(Common European Framework of Reference for
Languages、Council of
Europe, 2001)は、第二言語教育の学習と教育の評価のための共通の参照資料として、ヨーロッパだけでなく、広く世界の第二言語教育で活用されるようになっています。同資料の冒頭に書かれているように、COEによるヨーロッパにおける言語教育革新運動は1971年から始まって現在に至っています。筆者の印象では、CEFRの資料の出版を契機とした革新運動の盛り上がりは第二次の盛り上がりです。そして、第一次の盛り上がりは、いわばCEFRの前身となるThreshold LevelやWaystageなどが出版され、ユニット・クレジット・システムが開発された1990年前後です。いわゆるコミュニカティブ・アプローチもこの80年代から90年代にかけて喧伝され普及したものです。北米におけるコンプリヘンション系の革新的な教育方法の後を受けて、COE及びその周辺の研究者たちは70年代の後半から現在までの40年間近くにわたり第二言語教育の発展を牽引してきたと言っていいでしょう。そして、Threshold LevelやWaystageが作成される際の指針となったのがWilkinsの”Notional Syllabus”なのです。
○ 綜合的アプローチと分析的アプローチ
“Notional
Syllabus”は名著とされています。しかし、それはThreshold LevelやWaystageなどの参照枠の指針となる第2章以降の内容の故ではありません。むしろ、わずか20ページほどの第1章の内容が意味深いとして評価されているのです。そして、その中で中心的な議論となっているのが綜合的アプローチ(synthetic approach)と分析的アプローチ(analytic approach)の対比です。Wilkinsの議論を味わっていただくために、冒頭の部分をつまみ食い的に抜粋します。まずは、綜合的アプローチです。
A synthetic language teaching strategy is one
in which the different parts of language are taught separately and step-by-step
so that acquisition is a process of gradual accumulation of the parts until the
whole structure of the language has been built up. In planning the syllabus for
such teaching the global language has been broken down probably into an
inventory of grammatical structures and into a limited list of lexical items.
These are ordered according to criteria which is discussed in the next section.
At any one time the learner is being exposed to a deliberately limited sample
of language. The language that is mastered in one unit of learning is added to
that which has been acquired in the preceding units. The learner's task is to
re-synthesize the language that has been broken down into a large number of
smaller pieces with the aim of making his learning easier. It is only in the
final stage of learning that the global language is re-established in all its
structural diversity.
ご覧のようにこれはまさに構造中心のアプローチあるいは日本語教育の文型・文法積み上げ方式です。では、次は分析的アプローチです。
In analytic approaches there is no attempt at
this careful linguistic control of the learning environment. Components of
language are not seen as building blocks which have to be progressively
accumulated. Much greater variety of linguistic structure is permitted from the
beginning and the learner's task is to approximate his own linguistic behaviour
more and more closely to the global language. Significant linguistic forms can
be isolated from the structurally heterogeneous context in which they occur, so
that learning can be focused on important aspects of the language structure. It
is this process which is referred to as analytic.
この部分の主張をかいつまんでまとめると以下のようになります。
(1) 言語構造をレゴのブロックのように一つずつ積み上げていくように学ぶべきものとは見ない。
(2) 「一度に一構造」とはしないで、最初からある幅の複数の構造を盛り込む。
(3) 学習者の仕事は、それらを一つひとつ習得することではなく、自身の言葉の使い方を全体として適正なものに近づけていくことである。
(4) さまざまな構造が混在するコンテクストの中で重要な言語形式は注目することができるし、学習者は言語構造の重要な側面に焦点化することができる。
Wilkinsは、これは学習者の分析能力(learner’s analytic capacity)に依拠した方法であるともいっています。それが、分析的アプローチと呼ばれるゆえんです。
分析的アプローチと、言語事項積み上げ方式などの綜合的アプローチとは相当趣がちがいます。しかしながら、分析的アプローチは、言語事項のコントロールにほとんど意を払わない「強い」コミュニカティブ・アプローチとも異なります。適度に言語事項をコントロールした環境を提供してその中で学習者が言葉遣いを習得し、また自身の話し方(書き方)を適正な言葉遣いに近づけるのが穏当であるとWilkinsは主張しています。
ところが、Wilkinsの本は第2章以降に進むと、第1章とは打って変わってひどく実用的な議論になり、概念(notion)や機能(function)のリストと各々の事項に対応する表現のカタログのようになってしまっています。そして、Wilkinsの提唱するノーショナル・シラバス(notional syllabus)が分析的アプローチをめざすものなのかさえ結局はあいまいになってしまっています。筆者自身は、Wilkinsが本当にCOEの言語教育の専門家に伝えたかったのは、第1章の内容なのではないかと思っています。そして、文法シラバスに代わる新たな視点によるシラバスを提示するという実用的な必要のために第2章以降を発表したのだと思います。このあたり、Wilkinsも、理念や理論と実用と実際の間の溝に悩んだのではないかと想像します。
筆者自身は以前から、コミュニカティブ・アプローチには、教育内容の革新と教育方法の革新という2つの側面があると論じてきました(西口, 1995)。Wilkinsの本の第1章は、その両方を含めた議論になっています。そして、第2章以降の内容は、ESP(特殊目的のための英語)を代表とする、機能と概念に基づく新たなコースのデザインへと発展していきます。しかし、その概念-機能シラバス(notional-functional syllabus)はやがては新たな言語事項シラバスを産み出すことになってしまい、それは、後にWiddowsonに批判されるところとなりました(Widdowson,
1983)。Wilkinsは、言語発達のために健全で学習に有益なコース計画を実現したかったのだと思います。しかし、その夢は容易に果たせるものではありませんでした。
参考文献
Widdowson, H. G.(1983)Learning Purpose and
Language Use. Oxford:
Oxford University Press.
第6回 第二言語教育の教育方略と心理言語過程
北米発のKrashenのナチュラル・アプローチをはじめとするコンプリヘンション系の教育方法が登場し、その一方でペア・ワーク、タスク練習、さらにはシミュレーションやプロジェクト・ワークなどの活動方法を提唱したコミュニカティブ・アプローチがヨーロッパから発信され普及した1980年代の終わりに、第二言語教育方法について包括的に論じた本が出ました。Martonの“Methods in
English Language Teaching”です。Martonの本はわずか100ページ余りのコンパクトな本ですが、第二言語教育のインストラクショナル・デザイン(instructional design、教育設計)をしようとする実践的な教育者にとってはすばらしくわかりやすく説得力のある有用な資料となっています。この本の中で、Martonは、第二言語教育の方略を、(1)受容中心の方略(receptive strategy)、(2)コミュニカティブな方略(communicative strategy)、(3)再構成的方略(reconstructive strategy)、(4)折衷的方略(eclectic strategy)の4つにまとめています。そして、それぞれの教育方略についてどのようなタイプの学習者にそしてどのような学習状況や学習段階に適合するかを検討し、最終的に諸要因全体について「成績表」のようものを提示しています。もちろん、(1)がコンプリヘンション系のアプローチ、(2)がコミュニカティブ・アプローチで、(4)は(1)から(3)のミックスです。では、(3)の再構成的方略というのは何でしょう。
再構成的方略については、著名な提唱者はいません。そして、筆者自身は、この再構成的方略を知って「目から鱗」の思いがしました。Martonの説明を引用します。
The reconstructive strategy is one that imposes a distinct strategy
of learning consisting of a very controlled and gradual development of
competence in the target language through the learner’s prolonged participation
in reconstructive activities. Reconstructive activities are always based on a
text, spoken or written, in the target language. This source text provides the
learner with linguistic means in the form of syntactic structures, lexical
items, phrases, collocations, etc. needed for the successful and accurate
execution of a productive task assigned to him by the teacher. The task itself
has to be related to the source text, therefore, and may involve re-narrating
the text, summarizing it, re-telling it from a different point of view,
adapting it to the learner’s personal situations and experiences, etc.
(Marton, 1988, p.57)
読んでいただければすぐにわかるように、再構成的方略はまさにNEJが採用しているマスターテクスト・アプローチです。そのことは、自己表現活動中心のカリキュラムと教材の作成について最初に論じた西口(2010)で言及されています。
議論の対象となった4つの教育方略の中で、Martonはこの再構成的方略を最も有力な教育方略として提唱しています。そして、Martonはこの要因については論じていませんが、言語的に距離のある第二言語を学習する場合にも、従来的な言語事項中心の方法に代わると同時にコミュニカティブ・アプローチとも異なるこの再構成的方略が最も有効であると思われます。
○ MartonとScarcella and Oxford
Martonのこの本及びそこでの主張は、その後の教育方法の本で、例えば次に論じるScarcella and Oxford(1992)などで、取り上げられているのを見たことがありません。なぜでしょうか。それは、おそらくMartonがそうした第二言語教育法の研究者のコミュニティに入っていないからでしょう。学問の世界もある種人間くさいもので、各研究者の研究純粋にそれとして評価されて諸研究が展開しているわけではなく、研究者コミュニティのメンバーになっていたり、そこに適度に顔を出していたり、権威者のサポートを得たりといった要因で展開されている部分がかなりあるように思います。実際にそういうのがなければ本を出版することもできません。
さて、第二言語教育の教育方略を論じる際に、外的要因に注目した議論と内的要因に注目した議論という2つのタイプの論じ方があります。前者は、端的に学習者に何を提供するのが言語習得に有益かという観点での議論。後者は、学習者の中で赫々然々の言語心理的な処理が生じるような活動に学習者を従事させなければならないという「学習者の中」に注目した議論です。Martonの議論は、どちらかというと前者に属する議論となります。そして、後者の議論としてScarcella and Oxford(1992)があります。
Scarcella and Oxfordは、Martonと似たような具合で、それまでの第二言語習得の仮説(Martonの教育方略に相当)として、(1)入力仮説、(2)産出仮説、(3)相互行為仮説の3つを挙げています。そして、かれらの主張は、入力の受容処理そのものや、産出や相互行為の活動従事そのものが言語習得を有効に促進するのではない。そうではなくて、援助のある言語活動従事が最も言語習得を促進するのだと主張します。
According to this view, what most facilitates second language
instruction is neither providing learners with input (the language that learners read and hear) nor encouraging
learner output (the spoken and
written language that learners produce). Rather, what best aids language instruction
is a combination of various types of language
assistance. This assistance encourages learners to stretch their linguistic
abilities just when they need to do so. It occurs in the context of language-promoting interaction, which we
define as interaction that facilitates language development. If immediate
linguistic context is facilitative, we conclude, it is so not because it
encourages a particular type of English input or output, but rather because it
assists students precisely when they require this assistance.
Scarcella and Oxfordは、かれらの言語促進相互行為仮説(language-promoting interaction hypothesis)は、ヴィゴツキーのZPDのアイデアに準じたものであると主張しています。しかし、その議論は表面的な類似性の指摘に終わっていると思います。この点については西口(2015)のpp.141-147をご参照ください。とはいえ、ZPDのアイデアと第二言語の習得を明瞭に結びつけて議論したのはかれらの貢献です。筆者としては、Martonの再構成的方略に注目し、バフチンの対話原理やヴィゴツキーのZPDも絡めながらこの後の議論を展開していきたいと思います。
参考文献
西口光一(2010)「自己表現活動中心の基礎日本語教育 ─ カリキュラム、教材、授業
─ 」『多文化社会と留学生交流』第14号pp.7-20.
Marton, W. (1988) Methods in English Language Teaching. Prentice Hall.
Scarcella, R. C. and Oxford, R. L. (1992) The Tapestry of Language Learning: The
Individuals in the Communicative Classroom. Heinle and Heinle. 牧野高吉訳・監修、菅原永一他訳(1997)『第2言語習得の理論と実践 ― タペストリー・アプローチ』松柏社
第7回 第二言語の習得と教育についてのいくつかの脱却点
第二言語の習得と教育に関してこれまでとは異なる発想でそれを企画するにあたってはいくつかの脱却点があるように思います。今回はそれらについて論じたいと思います。
○ 個体主義的学習観あるいは貯蓄型学習観からの脱却
従来学習というのは、言語や識字の学習も含めて、個人が知識を身につけて蓄えることと見られてきました。パウロ・フレイレはこれを「銀行型教育」と呼んで批判しました。そして、自分たちが置かれている社会的状況に目覚めるような課題提起型学習を提唱しました。また、後の状況的学習論の文脈では、個人が知識を身につけるという見方は個体主義的学習観と呼ばれ、同文脈では、協働と対話のプロセスを通した知識の共生成と共有ということが強調されました。第二言語の習得と教育では、所定のコンピテンスを各学習者が着実に身につけるという見方一般がそうした個体主義的学習観にあたります。
筆者は、このような個体主義的学習観や銀行型学習観への批判については共感しつつ、時に言われる「だから学ぶのは個人ではない」という言い方については賛同できません。なぜなら、とやかく言ってもやはり「できるようになる」(あるいは「できるようにならない」)のは個人だし、「できるようになる」にあたってはやはり何らかの経験等の蓄積がなければならないと思うからです。
人間の言語活動について、talk in interaction=相互行為で話すことという見方があります。会話分析や北欧のLinellのグループなどの見方です。人間においては具体的な脈絡で他の人との社会的交通(interaction、バフチンの用語)が起こり、その社会的交通の中でその交通の具体的な進展として発話の交換つまりtalkが交わされるという見方です。人間の言語活動あるいは言語現象をこのように見るならば、言語習得というのは、talk in
interactionに従事できるようになることと見ることができ、そのように見るならば言語を習得するということにおける重要な要因は、特定の種類のtalk in
interactionに従事して、それを経験しつつ同時にそこで交わされることばやことばづかいを身につけることと見ることができます。第二言語状況においてtalk in interactionに従事しそれを経験しつつことばやことばづかいを身につけるということには、2種類のしかし連続的な心理過程が関与します。ことばやことばづかいを意識して意図的に学習する過程つまり意識的学習(conscious learning)と、ことばやことばづかいを意識しないであるいは半意識で意図なく学習する過程つまり半意識的学習(subconscious learning)です。そして、ここで重要なことは、特定の種類のtalk in interactionに従事できるようになることやさまざまな種類のtalk in interactionに従事できるようになるというのは、ことばやことばづかいだけを習得することではなく、当該のスピーチコミュニティでの相互行為の仕方やそれを運営するためのことばやことばづかいを我が物にして(appropriate)そのスピーチコミュニティの一つの主体になる道程を前進させることだということです。それは、当該の学習者にとっては新たな「人格としての声、意識としての声」(Holquist, 1981)の獲得であり、現象として見れば「イデオロギー記号という社会的建造物を栖とする住人」(バフチン, 1988)になる歩を進めることとなります。そして、そうした経験の蓄積は、単なる知識の蓄積ではなくそのスピーチコミュニティでの言語的な主体性の獲得過程として捉えられるということです。
○ 文の作り方や言語知識の取り立て指導からの脱却
コミュニカティブ・アプローチの一つの貢献は、文の作り方やそれに関与する言語知識を取り立てて指導することは必ずしも有効ではないという見方を普及させたことです。これは大きな既成概念からの脱却であると思います。なぜなら、文の作り方や言語知識は取り立てて指導する必要があると考えている限り、構造中心あるいは言語(知識)中心のアプローチから逃れることができないからです。初級段階の日本語教育で「コミュニカティブ・アプローチで教えている」と言う人がいますが、教科書のシラバスは文型・文法事項積み上げ方式になっているのですから、それは「ロールプレイやペアワークなどのコミュニカティブな活動も取り入れて授業をしている」くらいの意味でしょう。
第二言語の習得や教育で文の作り方や言語知識を取り立てて指導することは必ずしも有効ではないということを最初に高らかに宣言したのは、第5回で論じたWilkinsです。ただし、Wilkinsは文の作り方や言語知識が不要であるとは言っていません。文型・文法事項の積み上げではなく、比較的多様な構造が混在した言語活動の仕方のサンプルを提示されれば、学習者は分析的能力を発揮してその中で重要な構造を見つけてその構造に一定の注目をして、自身の言語活動従事の仕方を目標言語の言語活動従事の仕方に近づけることができる、というのがWilkinsの分析的アプローチの主張でした。
○ 「教師が教える」ということからの脱却
コミュニカティブ・アプローチのもう一つの貢献は、それまでの「教師は教えるものだ」との考え方からの脱却を促したことです。コミュニカティブ・アプローチでは、教師には、従来の教える者の側面もありながら、学習支援者、ファシリテーター(学習環境・条件整備者)、学習アドバイザーなどの役割を担うことを要請しました。また、コミュニカティブ・アプローチの流れから派生した自律学習の考え方は、教師には学習カウンセラーやメンターの役割もあることを知らせました。
このような従来の物の見方からの脱却は、それらの普及とともに、さまざまな革新的な試みを産み出しました。ただ、その一方で、コミュニカティブ・アプローチの教育革新運動以来、第二言語の習得と教育は、理論も原理も指針もない根無し草になってしまった観があります。そのような状況を、拙著(2015)では、第二言語教育の20世紀末的状況と呼んでいます。この世紀末的状況を超えるためにはもう一つの重要な脱却が必要です。それが以下です。
○ 実用的コミュニケーションからの脱却
実用的コミュニケーションからの脱却は比較的最近の傾向だと思われます。コミュニカティブ・アプローチでは、「誘う」「誘いを断る」「ものを頼む」「謝る」などの実用的なコミュニケーションが重要な教育内容として扱われました。しかし、CEFRの能力記述からはそのような実用的コミュニケーション偏重の傾向は消えています。それに代わって、実質のある言語活動に従事する能力や、一人の人格として振る舞える言語能力が重視されるようになっているように見られます。そして、21世紀の教育改革の枠組みで論じられるキー・コンピテンシーや21世紀型スキルの中の「さまざまな道具を駆使して相互行為する能力」などがそうした傾向を一層後押ししていると思われます。
これまでの議論を踏まえて、次回以降では、コミュニカティブ・アプローチを超える基礎日本語教育のカリキュラム開発と教材開発の話をし、その上で最後に実際の授業実践の方法について論じます。そのような作業を進めるための重要な道標として、次回では、社会文化論的な観点から第二言語学習者とはどのような存在かという議論をします。
参考文献
ミハイル・バフチン、佐々木寛訳(1952-53/1988)「ことばのジャンル」『ことば 対話 テキスト』ミハイル・バフチン著、新谷敬三郎他訳 新時代社
Holquist, M.(1981) Glossary. In Holquist, M.(ed.), Emerson, C. and
Holquist, M. (trans.)(1981) The Dialogic Imagination. Austin Texas: University
of Texas Press.
第8回 第二言語学習者とはどのような存在か
Homo loquens(ことばを使う人間)というのは人間の存立についてのヘルダー(Herder、ドイツの哲学者、1744-1803)のアイデアです。ヘルダーのhomo loquensというアイデアは人間における教養というところまで行っていますので、ヴィゴツキーやバフチンのアイデアにつながっていると言えます。2回にわたる「第二言語学習者とはどのような存在か」というエッセイの第1回として、今回は、homo loquensとはどのような存在で、かれらにとっての現実とはどのようなものかについて検討します。
○ 系統発生と社会文化史
人類という類は、長い系統発生の結果、この地球上に現れました。それまでの動物の類は、類ごとに棲息環境(ニッチ)というものがあって、与えられた身体機能と生理機能と本能でその棲息環境で生命を維持し、連綿と類の命を引き継いできました。しかし、人類という類は、これまでの類とは異なる特殊な類でした。この類は、類内で進化と遂げるという独自の類なのです。マルクス曰く「これらの諸個人が自らを動物から区別することになる第一の歴史的行為は、彼らが思考するということではなく、彼らが自らの生活手段を生産し始めるという、ことである。…人間は自らの生活手段を生産することによって、間接的に自らの物質的な生そのものを生産する」(『ドイツ・イデオロギー』pp.25-26、西口, 2015, p.2)。
そのような存在になった時点で、人間は自然的な存在ではなくなりました。社会文化的な存在となったのです。社会文化的な存在とは、物理的道具と心理的道具を媒介としながら、自身の手で自身のために独自の生産・生活様式を創造し、その中で生きる存在です。そして、人間は、自身の生産・生活様式を累進的に発展させていくとともに、自身の道具的技能や言語心理機構も累進的に改変していきました。これが人間の社会文化史であり人類の進化史です。その頂点にいるのが現代人です。
○ 個体発生
以下では、物理的道具やそれを媒介とした行為や活動の技能や技量ではなく、記号と心理の発達に焦点化して、また現代社会の人間に注目して、議論します。
個々の人間は特定の社会文化的環境(sociocultural
milleu)で成長し、教育を受け、記号的に成長した社会文化的存在つまり社会文化的主体となります。ことばと心理に関していうと、さまざまな種類の言語活動に従事することができ、さまざまな種類の言語心理機能を働かせることができるようになる、ということになります。個体発生(ontogenesis)です。つまり、かれが身につけるさまざまな心理機能は自然に発生するものではなく、社会文化的に発生するものです。
社会文化史の場合と同様、個体発生には累進性があります。つまり、前の発達のステージが土台となって、次の発達が起こります。例えば、ヴィゴツキーは、子どもにおける言語的思考の発達を、生活的概念の発達と科学的概念の発達という大きく2つの段階で補足しています。そして、生活的概念を土台として、その上に科学的概念発達の経路が開けると論じています。
○ 社会文化的主体
社会文化的環境で生きる社会文化的主体はみんな、「わたし」や「あなた」や「かれ(ら)」をも含む「せかい」を記号的に形象化(Lave,
1988、Holland et al. 1990)しながら、そして他者と協働する場面では協働行為の局面を記号的に形象化しながら、「わたし」と「あなた」と「かれ(ら)」が生きる形象世界(Holland
et al., 1990)に自らを立ち現せて他者とともに生きています。言語は、そうした生き方の肝要な部分に関わっています(Berger and Luckmann, 1966)。そして、社会文化的主体においては、覚醒して活動しているかぎり、形象化という言語心理的な心の作用がきわめて活発に働いています。
○ 対話とことば
わたしたちは社会文化的環境に生きて、他者とともに現実を構成し再生産し更新していきます。「わたし」は特定の「じくうかん」で「たしゃ」と出会います。出会いの場所は特定の社会文化的時空間となります。そして、出会った「たしゃ」は特定の何者かである「他者」となり、その瞬間に「わたし」もその他者から見た「私」となります。もちろん、出会った瞬間に「たしゃ」においても同様のことが起こります。
「私」と「他者」はそのような社会文化的空間で何らかの社会的交通に従事します。そして、その際に、「私」も「他者」も一つの社会文化的主体として、社会的交通に従事しそれを生産するために、ことば=発話を発します。そのようなことばのやり取りとそれに伴う諸価値(Jacoby and Ochs, 1995, p.71、西口, 2015, pp.91-92)が言語的交通です。また、言語的交通に従事する「私」や「他者」は、社会文化的空間や社会的交通も進展に伴って一定のままではなく多様に変幻していき、当然社会的交通もさまざまに展開していきます。
このような形での、社会文化的空間での具体的な人と人との接触・交流が、バフチンの言う対話的交流あるいは対話です。バフチンは、言語活動(英語ではlanguage-speech)の真の現実は発話によって行われる言語による相互行為という社会的出来事(バフチン, 1928/1980, p.208)で、「言語が生息するのは、言語を用いた対話的交流の場をおいて他にはない。対話的交流こそ、言語の真の生活圏なのだ」(バフチン,
1963/1995, p.370、西口, 2015, p.94)と言い、社会的出来事の中の言語つまりことば=発話は話し手と聞き手が共有する共通の領域だ(バフチン, 1928/1980, p.188)と論じています。発話が話し手と聞き手の共有する共通の領域であるからこそ、言語的交通という出来事は維持され、話し手と聞き手は次に進むことができるのです。このように、発話の共通領域性と言語的交通という社会的出来事の成り立ちとは弁証法的な関係にあります。つまり、どちらかが先に成立するとは言えず、その一方で、一方が成立するときは他方も同時に成立するという関係にあります。
○ 人格
わたしたちは他者とともに言語的交通に従事しながら日々の生産活動や生活活動を営んでいます。そして、そのような世界に対して示される(represent)、世界での主体の持続的な存在的特性が主体の人格となります。ただし、人格は一定程度持続的ではあるが、同時に多面性を有し、また常に緩やかに変容しています。ずっと同じ一つの人格のままの人はいません。
参考文献
Jacoby, S. and Ochs, E.(1995)Co-consrtuction:
an introduction. Research on Language and Social Interaction 28:
171-183.
第9回 カリキュラム策定のスタンスと方略
前回の社会文化的主体の部分を少しレビューして話を進めます。
○ 第二言語学習者とことば
社会文化的環境で生きる社会文化的主体はみんな、「わたし」や「あなた」や「かれ(ら)」や「あれ」や「これ」を含む「せかい」を記号的に形象化(Lave, 1988、Holland et al. 1990)しながら、そして他者と協働する場面では協働行為の局面を記号的に形象化しながら、「わたし」と「あなた」と「かれ(ら)」が生きる形象世界(Holland et al., 1990)に自らを立ち現せて他者とともに生きています。言語は、そうした生き方の肝要な部分に関わっています(Berger and Luckmann, 1966)。そして、社会文化的主体においては、覚醒して活動しているかぎり、形象化という言語心理的な心の作用がきわめて活発に働いています。
成人の第二言語学習者は、言うまでもなく、自身の第一言語においては、自在にそうした形象化を行って、世界を識り、世界に自らを立ち現せ、世界の中で「同種の」他者と共に活動に従事することができます。しかし、第二言語になると、同じ人が、そうしたことが一挙にできなくなります。第二言語学習者は、その人の外見(服装、持ち物、髪型、身だしなみなど)や振る舞い方、及びその人を取り巻いている特定の制度に基づいて特定の主体として尊重はされます。しかし、ことばによって自身の存在や自身が属する世界を示すことができなくなるのです。これは、「声の喪失」とも言うべき深刻な状況です。
○ 声の獲得・回復
筆者は、これまで、「言語事項か実用的なコミュニケーションか」という二項対立を超える第二言語教育のカリキュラム開発の新たなスタンスとして、自己表現活動を内容とする社交的なコミュニケーションを提案してきました(西口, 2013;
2015)。自己表現活動中心の基礎日本語教育の提案です。自己表現活動中心の日本語教育の妥当性は、上のような論理でも正当化されます。つまり、コミュニカティブ・アプローチで提唱されているように相手への働きかけを中心とした言語活動(ものを頼む、誘う、誘いを断る、許可を求める、など)ができるようになることをめざす前に、自身の存在と自身が属する形象世界を回復することこそ第二言語教育の基礎的な教育内容とするべきだと考えられるのです。それは、「あなたは、何者?」や、「あなたにおいてこのことはどのような事情になっている?」(ご家族は?、好きな食べ物や飲み物は?、どんなスポーツをする?、どんな音楽が好き?、今はどんな仕事を?、など)というような他者からの呼びかけに応えることができる基本的な対話能力です(バフチン, 1980;
1988; 1995、西口, 2015)。自己表現活動中心の教育でいう自己表現活動とは、そのような自身の存在の基本のことです。
第二言語教育をそのような観点を基本として構想するならば、その教育は、人格としての声や意識としての声(Holquist,
1981、西口, 2015)の獲得と回復としての言語教育となります。そのような声の獲得・回復という最も基本的な課題を放置して、従来通りの文法や語彙などの言語事項中心の教育を提供したり、実用的なコミュニケーション力に焦点化した教育を企画し実施したりするのは、学習者各々の自己の存在の基盤に根付くことのない片々たる、言語事項や実用的なフレーズをただ覚えるだけの語学教育となってしまいます。
○ 教養ある社会文化的主体と言語活動従事
教養ある社会文化的主体は、テクスト的な思考(text-formed
thought、Ong, 1982)をします。あるいは、教養ある社会文化的主体は、短い発話を一つひとつ発出しているような場合でもさまざまな内的なことばが交錯するテクスト的思考を基盤として他者と言語活動に従事している場合が多いです。このあたりは、バフチンの言う意識の対話的存在圏(バフチン,
1963/1995, p.565)という議論とも関連しています。日常的な生活を運営する会話では環境内の偶発的な刺激に基づく直観的な言語的思考に制御されて他者と移ろいやすい言語活動に従事するわけですが、教養在る社会文化的主体にとってはそのような様態の言語活動従事はむしろ周辺的です。
○ 教養ある社会文化的主体の場合に適正な学習的言語活動従事
わたしたちが学習者として出会う人たちも、第一言語を基礎とするなら、そのように言語的に思考し、そのように言語活動に従事する主体です。そして、第二言語学習の状況になったときに、かれらは一旦声を失ってしまうのです。そうした主体においては、第二言語習得のための学習的言語活動従事=エンゲージメントも、第一言語の言語的心理と第二言語の言語的心理が混在する複言語的なテクスト的思考空間を基本スペースとしてそれを第二言語的に豊富化するエンゲージメントとするのがよいだろうと思われます。
そのようなエンゲージメントを保障するためには、第二言語的な豊富化の培養環境となる適切なテーマスペースを用意するのが有効でしょう。そして、そのテーマスペースの系列がそのままカリキュラムとなります。そのようなカリキュラムの下での各スペースの中で、声の獲得・回復、ことばの豊富化、言語技量の養成を図るわけです。
このような構想に基づいて開発された第二言語習得の学習と教育のためのプラットフォームが自己表現活動中心の基礎日本語教育のカリキュラムと教材です。同カリキュラムの具体的な内容についてはhttp://nej.9640.jp/sample/contents
を参照してください。
○ マスターテクスト・アプローチ
自己表現活動中心の基礎日本語教育ではその教育を支える中核的な教材として各ユニットでマスターテクストというものを用意しています。マスターテクストとは、ユニットで目標とされている言語パフォーマンスの事例であり、同時に、学習を進めるにあたり学習者が最も頼りにするリソースとなります。つまり、マスターテクストは、学習者にとっては当該ユニットの目標を知るための資料となり、また、自身が目標のパフォーマンスを行うにあたってそれを参照してディスコースのマクロ構造やその中の言葉遣いを流用するリソースとなります。そのようにマスターテクストを活用して日本語を学習する方略をマスターテクスト・アプローチと呼んでいます。すでに第6回で論じたように、これはMartonの言う再構成的方略です。つまり、用意された自己表現活動中心の日本語教育のカリキュラムと教材は、学習者の立場からは再構成的方略による学習を可能にするプラットフォームとなるということです。
以上で、コミュニカティブ・アプローチを超えるカリキュラム開発と教材開発の話は終わりとなります。次回からは、いよいよ授業実践の方法についての議論に進みます。
第10回 授業実践方法の革新 ① ─ 純朴な見方の落とし穴とコンプリヘンション・アプローチの洗礼
前回、自己表現活動中心の基礎日本語教育のプラットフォームは学習者に再構成的方略による学習を可能にすると言いました。それは、同プラットフォームの一つの重要な側面です。しかし、専門職(professional)である授業実践者には単に再構成的方略に沿った指導にとどまるのではなく、実際に学習者の前に立って生で授業をする者だからこそできる高度で有益な授業を実践することが期待されます。そのような方向をめざして、今回と次回の2回にわたっては、教師による実際の授業実践の方法についてクリティカルに議論したいと思います。
○ プラットフォームから授業実践へ
教えるという面について言うと、プラットフォームの開発の後は、コーディネータと授業実践者=教師の世界となります。コーディネータは、実際のプログラムの諸条件や学習者の諸要因などを考慮して、宿題や小テストの計画なども含めて具体的なコーススケジュールを作成します。コーススケジュールは、実際の学習者たちが無理なく着実に日本語技量を形成していけるように、また、そのような趣旨に沿って授業実践者が各授業の目標が何であるかを適切に把握して授業実践ができるように、立案されなければなりません。その際は、当該のカリキュラムのアプローチを理解している授業実践者であれば、端的に作成されたスケジュールを示されただけですむこともあるでしょうが、そうでない場合は各授業で達成してほしいことや、場合によってはより具体的な授業内容や授業方法例などをコーディネータが助言しなければならないこともあります。後者のようなことがないように、自己表現活動中心の基礎日本語教育では、『NEJ指導参考書』を用意しています。コーディネータの立場としては、「『NEJ』の趣旨や各ユニットの構成や、各授業の位置づけや各授業で達成することが期待されていることなどについては『指導参考書』を参照してください」とだけ言えば、あとは専門的な授業実践者であれば自身で考えて工夫して授業を計画し実践すべきでしょう。
このような状況で、一定の合理性とある程度の一貫性をもって個々の授業実践がスタートラインに立ちます。そこから先は、一人ひとりの授業実践者の世界となります。そして、その世界にはコーディネータを含め他の誰も踏み込むことはできません。ここから先を中心として本エッセイ全体は、カリキュラム・教材開発者でありつつ同時に一人の授業実践者でもある筆者からの、自己表現活動中心の基礎日本語教育の授業を担当する専門職である授業実践者=教師に対するアイデア提供あるいは提案となります。
○ 漢字を書く練習=書字の訓練?
まずは、漢字を書く練習を例として話をします。漢字を書く練習の目的は漢字が書けるようになることでしょうか。例えば、漢字学習の初期に「学」「生」「先」「校」を習います。漢字の指導では、以下のようなことを教えるでしょう。
(1) 導入
例)「がくせー(学生)」「せんせー(先生)」「がっこー(学校)」などで使われている漢字である。
(2) 各漢字の意味
例)「学」は“learn”。「生」は“produce”、“be born”、“student or disciple”、など
(3) 漢字の読み方
※ ただし、漢字の読みを教えるのではなく、漢字語の読み方を教えるだろう。例えば、「学生(がくせい)」「先生(せんせい)」「学校(がっこう)など。発音するときとは異なる表記になることにも注意。
(4) 漢字の書き方
例)各漢字の字素とその構成、各字素の書き順と全体の書き順、など。
そして、このような指導の上でようやく漢字を書く練習に入ります。漢字を書く練習では、学習者は先生の指導・助言の下に確かに「漢字を書く」という作業をしています。「漢字を書いているのだから、漢字が書けるようになるためだ!
つまり、漢字を書く練習は書字の訓練である」と純朴に言われると「それでよく日本語教育の専門家を名乗って仕事をしているねえ!」と言いたくなります。重要なのは、表面的に見えている作業とその作業の従事を通して学習者において生じている経験や学習とは別途に考えなければならない、ということです。学習者において生じている経験を、ざっと列挙してみましょう。「─」の後ろが学習者の経験。
・ 「学」を書いているとき
─
わたしは今「がくせー(学生)」の「学」を書いている。「がくせー」は知っている。「わたしは、がくせーです!」。「学」は「がくせー」の「がく(学)」で「がっこー」の「学」。「学」は“learning”。「がっ(学)こーにいきます」。
・ 「生」を書いているとき
─
わたしは今「がくせー(学生)の「生」を書いている。「がくせー」は知っている。「わたしは、がくせー」。「生」は「がくせー」の「せー/せい(生)で「せんせー」の「せー/せい(生)」。「生」は“student or disciple”。
・ 「先」を書いているとき
─
わたしは今「せんせー(先生)」の「先」を書いている。「せんせー」は知っている。「にしぐちせんせー」「おかざきせんせー」「わたしはせんせーではありません。がくせーです」。「先」は“previously”。最初の2画は「生」と同じだ!
このような経験の蓄積を通して学習者は何を学ぶのでしょうか。
・ 今後出会う個々の「学生」「先生」「学校」などの字形認識力
・ 字形を認識してそれらを語と結びつける書記言語能力
・ 「学生」「先生」「学校」などの語彙記憶の強化
・ 各漢字や漢字語とすでに身についている発話例との連合
・ 「ッ」「子」「儿」「木」「交」など要素となっている字素の一般的な認識及び書字能力。
・ 各漢字の書字能力
つまり、単純に「漢字を書く練習=書字の訓練」ではないということです。
○ ナチュラル・アプローチの学習活動は聴解練習?
これと同じような純朴な見方がその他の学習活動についてもしばしば行われています。その代表的な例が、第2回から第4回で論じたKrashenのナチュラル・アプローチ、広くはコンプリヘンション・アプローチに関してです。Krashenのナチュラル・アプローチでは、端的に教師は話し続け、学習者はそれを聞きます。Krashenはこれを「教師は理解可能なインプット(comprehensible
input)を学習者に提供している。学習者はそれを実物やイラストや教師の動作や顔の表情などをも手がかりとして半意識的に理解する。そして、そうした理解活動に従事することを通して学習者は、言語活動従事の基盤となる潜在的な言語知識であるコンピテンスを形成することができる」と説明しています。
このようなナチュラル・アプローチの話を聞いてあるいはその(模擬)授業などを見て、「ああ、これは聴解練習だ」、「たしかに、このような学習活動を大量に行えば聞いて理解する能力は身につくだろう」というような反応をする先生がいます。このように純朴に言われると、Krashenも返す言葉がないでしょう。そして、それに加えて「でも、やはり、話せるようになるためには、励まして話させる練習をしなければ!」と言い添えられます。これで、Krashenは「お手上げ」です。
○ 専門職らしくない「でも、やはり…」
そもそもTPRやナチュラル・アプローチの発想及びそれらに関する研究は、「文法構造などの言語知識を身につけても言語活動に従事することはできない」という見解や、「学習者に強制的に話させることは言語習得に結びつかないのではないか」という疑問からスタートしています。そのような発想の下に、PostovskyやAsherやTerrellらの教育実践があり、Krashenの研究があるのです。そして、Postovskyらは大きな成功を収めており、Krashenはかれの仮説を支持する膨大な研究結果を出しています。専門職というのを「自身の仕事に関連するさまざまな知識や知見や見解をよく知った上で、さまざまな判断をし、実践を遂行する人」と定義するなら、PostovskyやKrashenらの報告をほとんど読まないで知らずに、自身の素朴な理解だけで「でも、やはり…」と言ってしまうのはあまりにも専門職らしくないでしょう。
○ コンプリヘンション・アプローチの洗礼
現在、日本語教育や英語教育で活躍している中堅よりも若い教育者は、Krashenやコンプリヘンション・アプローチをほとんど知らないでしょう。筆者自身は、第2回で書いたようにそれを「生々しく」経験し、一時は「はまって」いました。ただ、筆者の場合は、第1回で書いたように、同じように応用言語学にもはまっていました。また、この連続エッセイでは書きませんでしたが、認知心理学や言語行為論や語用論や言語哲学にはまった時期もあり、一時は廣松のマルクス論にもディープにはまっていました。比較的最近ではヴィゴツキーや状況的学習論にも割合長くはまっていました。そして、そのような長い彷徨の後に、現在のバフチンの対話原理に至っています。拙著を読んでいただいた方はすでにご存じのように、対話原理は、人間の言語活動や心理過程等に関する一面の理論ではなく、言語と文化と心理と人とコミュニケーションと現実などに関する包括的な視座です。ですので、筆者がこれまでさまざまな学問領域で学んできた言語や文化や心理等に関する重要な見解や知見は対話原理の下に包括的に包摂できると見ています。
そのような第二言語教育学探究の遍歴を経た筆者からすると、ナチュラル・アプローチやコンプリヘンション・アプローチは歴史に埋没させるにはあまりに惜しい気がします。少なくとも、ナチュラル・アプローチ等の教授方略を十分に知り検討した上で、自身の授業実践の方法を考えてほしいと思います。現状は、おそらくすべての日本語の教師は、自身の授業実践の方法がコンプリヘンション・アプローチが批判したプロダクション・アプローチであるとも自覚しないでプロダクション・アプローチをやっています。それが単に自身にも染みついたオーソドックスだからです。オーソドックスに無自覚に順応するというのは真の専門職のすることではないでしょう。
一方で、ここでの提案は、ナチュラル・アプローチやコンプリヘンション・アプローチを復活させようということではありません。それを改めて再概念化して、自己表現活動中心の基礎日本語教育に適合するように修正して適用しようという提案です。
第11回 授業実践方法の革新 ② ─自己表現活動中心の基礎日本語教育とナチュラル・アプローチの融合
○ 4技能という誤った見方
言語に熟達している人とはどのような人でしょうか。従来の見方では「自身に向けられた発話を理解し、それに応える自身の思考を言葉に変換して応答できる人」となります。この見方では、(1)理解の契機と産出の契機が截然と二分され、(2)それぞれの契機は「言語形態→意味/思考」「意味/思考→言語形態」というような形態と意味の変換操作となります。そしてそのような見方では必然的に、(3)そこには「意味」や「思考」などの契機が介在することになり、(4)人間の言語機構はいわば符号化器(下の送信機)と符号解読器(下の受信機)となります。このような見方は、Shannon and Weaverのコミュニケーションのコードモデルにピッタリ対応します。
図1 Shannon and Weaver(1949) のコミュニケーションのコードモデル
第二言語教育では、昔から現在でも4つの技能ということがしばしば言われます。話すこと、聞くこと、書くこと、読むこと、です。しかし、言語活動従事能力をそのように4技能としてとらえることで上のようなコミュニケーション観に発想を縛られてしまうこと、そして、上のようなコミュニケーション観では言語活動従事能力は避けがたく言語記号と意味(思考、メッセージなど)との間の変換能力に収束してしまうこと、をどれほどの人が認識しているでしょうか。そして、そのような物の見方が、前回紹介したナチュラル・アプローチの授業を見ての「これは聴解練習で、このような活動を大量に行えば聴解力は身につくだろう」「でも、やはり、話せるようになるためには、話させる練習をしなければ!」との純朴な見方の源泉となっていることにどれほどの人が気づいているでしょうか。
○ ナチュラル・アプローチ再論
Krashenの言う潜在的な言語知識(implicit knowledge of language)とは何でしょう。残念ながら、Krashenは自発的な言語産出を可能にする暗黙の知識(tacit knowledge)としか言ってくれません。また、Krashenのナチュラル・アプローチの説明の仕方は、「i
+1」の構造を含む理解可能なインプットを受容的に処理することで「話す」という産出を可能にするコンピテンスが形成されるということで、受容活動がコンピテンス形成の手段で「話せるようになる」ことが目的であるというような印象を与えています。そして、それはおそらく、Krashenの本意ではないでしょう。
基礎段階の教育を考えるとして、「日本語を教える」授業とはどういうものでしょうか。
(1) 適宜に媒介語も使いながら、目標言語の語彙や文法構造などを理解させ、その知識を駆使して、文が作れるように、また文が理解できるように指導する。
(2) イラストやレアリアなども活用して、正確な語彙の知識や文法構造の形式と用法の知識を習得させる。
(3) 教室の中に特定の状況を設定して学習者の発話を促し、表現意図に対応した文を正しく作れるように指導する。
(4) 話す機会を豊かに提供することで、さまざまな事柄が自然に話せるように指導する。
これらの見解はいずれも先に批判したコード的なコミュニケーション観に基づく指導原理と指導方法だと言わざるを得ません。教師が懸命になって学習者に話させようとする様子、そして、学習者がなかなかうまく話せないで停滞している様子が目に浮かぶようです。Krashenがナチュラル・アプローチを提唱して言っている重要なポイントは「そんなことをもたもたやっているのは時間の無駄で、重要なコンピテンスを形成するのに有益でもない」ということです。そして「教師がもっぱら話し学習者が関心をもってそれを聞いて理解するということを大量に行うことを通してこそ、言語活動従事を可能にする暗黙の知識を学習者に涵養することができる。そのような授業実践をすることこそが重要である」とKrashenは言いたいのです。そして、この2つの見解に共通するKrashenの見方は「あなたが今指導している学習者には言語活動従事経験という養分がぜんぜん足りていない。話させるなんてまったく時期尚早で、今十分にするべきことは、学習者にたっぷりと言語活動に従事する経験をさせて、意識的知識にであれ半意識的知識にであれ十分に養分を蓄えさせることである」という見方です。そして、学習者にたっぷりと言語活動に従事する経験をさせるための簡単ながら最も有効な方法が理解可能なインプットを与えるという方法だと言うのです。
○ 対話原理に基づく理解可能なインプットの再概念化
「理解可能なインプットを与える」というのはどうも教師の側の一方的な感じがします。また、「i+1」という言い方も「i+1」の文法知識や能力を習得することが関心であるように思わせます。いずれもKrashenの本意ではないでしょう。重要なのは、学習者にたっぷりと言語活動に従事する経験をさせることができるように注意深く理解可能なインプットを編成して、言語活動従事を可能にする暗黙のコンピテンスを涵養する、ということです。
ここでバフチンの再登場です。バフチンは、言語活動(英語ではlanguage-speech)の真の現実は発話によって行われる言語による相互行為という社会的な出来事である、と言っています(バフチン, 1928/1980, p.208)。そして、出来事の中の発話は話し手と聞き手が共有する共通の領域です(バフチン, 1928/1980, p.188)。発話が話し手と聞き手の共有する共通の領域であるからこそ、言語的交通(言語による相互行為)という出来事は維持され、話し手と聞き手は次に進むことができるのです。このように、発話の共通領域性と言語的交通という社会的出来事の成り立ちとは弁証法的な関係にあります。つまり、どちらかが先に成立するとは言えず、その一方で、一方が成立するときは他方も同時に成立するという関係にあります。
教室あるいは授業という対面状況は潜在的な(社会的)出来事発生時空間です。つまり、教室あるいは授業という状況のそこかしこには出来事が発生する潜在性がきわめて豊かにあるのです。当該の言語に熟達している教師はそのような潜在性を見つけ出して、それをつなぎ合わせたり一つの潜在性を取り上げてそれを発展させたりして、教室にさまざまな出来事を発生させる潜在力をもっています。そして、発生させる出来事は、新たな言語を習得するという教室という時空間の制度的な特性と、学習者が出来事に関心や興味をもって注目し従事することができるという参加促進的な特性の両方を兼ね備えていなければなりません。そして、重要なことは、教師はさまざまな出来事を発生させる潜在力を有しているわけですが、実際に出来事を成功裏に発生させるためには自由自在に話せるわけではないということです。つまり、教室というのは一方の参加者である学習者の日本語力が限られている状況なので、教師は教室という時空間の中での学習者の「ことばを伴った出来事従事力」を十分に「計測」しながら出来事を発生させたり進展させたりするほかありません。教師は潜在力としては自由自在に話す力をもっていますが、実際には学習者の「ことばを伴った出来事従事力」に従属しそれに適合して話す=言語活動に従事するほかないわけです。先に「理解可能なインプットを与える」というのは一方的な感じがすると言いましたが、このように実際には全く一方的ではありません。ナチュラル・アプローチの授業は教師が一方的に話し続け学習者はそれを聞くという形態になるわけですが、実は、教師は自由に話しているのではなく、むしろ対話相手である学習者のほうに従属してことばを紡ぎ出し続けているのです。そのような状況は、理解可能なインプットを与えると言うよりも、少し比喩的に滋養豊富な言語従事経験を提供すると言ったほうがいいでしょう。そして、教育経験が豊富で学習者に寄り添う気持ちが強い教師こそそのような授業実践を繊細に行うことができるのです。表面的には教師主導でありながら実際には学習者中心のそのような活動こそが、言語活動従事を可能にする暗黙のコンピテンスを着実に涵養することができるとKrashenは主張しているのです。
○ 自己表現活動中心の基礎日本語教育へのナーチャリング・アプローチ
自己表現活動中心の基礎日本語教育の質を飛躍的に高度化するための方策として、ナーチャリング・アプローチ(nurturing approach、ことばの技量を育成するようなアプローチ、原理はナチュラル・アプローチに類似)を同教育の授業実践に適用することを提案します。以下では、NEJのナラティブが配当された授業を例として話をします。
同教育では90分2コマセットの授業に端的にNEJのナラティブが一つ配当されることがあります。そのような場合に、授業終了時に期待される教育成果は概ね以下のようになります。
(1) 教師のモデルに従ってナラティブを適正な発音で再生することができる。
(2) ナラティブのセグメントのオーディオ提示後のその内容についての質問に適正に応えることができる。
(3) ナラティブと同等の内容についての問いかけに概ね適正に応えることができる。
(4) ナラティブと同等の内容の「別バージョン」の話を聞いて理解を示すことができる。
つまり、(実際にそういうことはありませんが)授業を終えて教室を出た教師はコースコーディネータから「学生たちは(1)から(4)ができるようになりましたか」と問われるわけです。その問いかけに対して教師は、授業中に何をどのようにしようと、「はい、できるようになっています!」と答えることができればいいわけです。
そのようなことを言うと、授業時間を4つに分けて(1)から(4)のような練習をベタにする先生がいますが、それは専門職のすることではないでしょう。専門職というのは「髪振り乱して一生懸命仕事をする人」ではありません。むしろ、「与えられた仕事にクールに対応して結果を出す人」です。専門職は「結果を出す」ために知恵と工夫とアイデアを尽くします。やみくもに仕事をして「わたしは一生懸命やりました!」と言うのは専門職の仕事の仕方ではありません。真の専門職の仕事ぶりは、素人にはまるで手品のように結果を出すように見えるでしょう。そうあるべきだと思います。筆者のここでの提案は、所期の授業目標を有効に達成するために、またコース全体の教育の質を飛躍的に高度化するために、上で論じたようなナチュラル・アプローチ的な教育方法を採用しませんかということです。手品師のように仕事をしてみませんかというお誘いです。
ここで提案している方法は、各授業単位で一定の産出的なターゲットパフォーマンスを要求するという点で本当の意味でのナチュラル・アプローチとは言えません。各授業でターゲットパフォーマンスを設定しているという意味でT-ナチュラル・アプローチ(target performance-oriented natural approach)とでも呼ぶのが適当でしょう。そして、ことばの技量を仕込むあるいは養うという意味で、ここではそれをナーチャリング・アプローチと呼んでいます。
○ 教育の質の高度化をめざすナーチャリング・アプローチの実践
前の節で突然、教育の質の高度化ということを言い始めました。それは、ナチュラル・アプローチ的な方法は、これまでのプロダクション-オリエンティッドな方法(第11回ではプロダクション・アプローチと呼んでいます)とは質的に異なる能力が涵養され、それがこれまでの方法によっては決して得ることができなかった教育効果につながると感じるからです。このことは、言語活動従事能力とその発達を氷山に譬えて説明できるのではないかと思います。
話すことであれ聞いて理解することであれ実際の言語的なパフォーマンスは、すべて氷山の海面上にある部分での現象です。これまでのプロダクション-オリエンティッドな方法は、海面上部分の能力を海面上部分をいじって伸ばそうとしているように見えます。Krashenが習得(acquisition)と対比して批判している、明示的な言語知識を身につけさせる学習(learning)も同様です。それに対し、ナチュラル・アプローチ的な方法は、氷山の海面下部分に働きかけて、海面下部分をより大きく豊かに形成することで海面上部分として現れる実際の技量をより大きくしようとしているように思います。Krashenが言っている言語活動従事を可能にする暗黙のコンピテンスを涵養するというのは、この海面下部分に働きかけて海面下部分を大きく豊かにするということなのだろうと思います。
そのようにして涵養されるコンピテンスは、個々の発話の行為と直截に結びついているというよりも、話すときの間や言いよどみや息づかいや言い直しや言い換えなどを含めた実際の話し方と関連しているように思います。また、そのコンピテンスは、個々の言語活動従事を超えた超領域的なコンピテンスとして成長し豊富化していくものと思われます。これが、教育の質の高度化です。「プロダクション-オリエンティッドな方法にしても学習にしても氷山の海面上部分に働きかける教育方法は役に立たない。氷山の海面下部分に働きかけてこそ真に第二言語の習得は進行するのだ」とKrashenは主張しているのです。
○ おわりに
世の中には大勢(たいせい)というものがあります。日本語教育について言うと、現在の日本語の教師の大部分は残念ながら第二言語教育法の専門家ではありません。つまり、第二言語習得の原理を勉強してさまざまな教育方法を熟知しているわけではありません。端的に、日本語教育には、第二言語教育法を学ぶ伝統が十分にありません。日本語教育は、これまでの応用「日本語」学の歴史を今でも引き継いでいると言っていいでしょう。
コミュニカティブ・アプローチは、一定程度「新たな大勢」になることができました。それは、コミュニカティブ・アプローチが「見たことがある」「多かれ少なかれ経験したことがある」「想像できる」「常識的な感覚に合致する」「自分でもそれなりにできそう」というような多くの人が受け入れることができる条件を一定程度満たしているからです。多くの人に受け入れられ普及するものは、大部分の人にとって、想像可能で、常識的で、マネできそうなことだということです。
逆説のようですが、この普及ということを考えると、「大勢」となっている教育方法はむしろ真に有効な方法ではない可能性が高いということになります。「みんなの素朴な常識に合致し、みんなにとってできそう」という基準はそれ自体で「普通の人の常識に合致しない奇抜な教育方法」を排除だろうと思われるからです。本当に有効な教育方法は、ごく限られた者だけが知ることができ、洞察力のある者だけがその真価を認めることができ、勇気のある者だけが(周囲の直接間接の反対を押し切って)実行できる「特別な教育方法」なのかもしれません。
自己表現活動中心の基礎日本語教育は、カリキュラムと教材のレベルで「特別な教育方法」を実現しました。同教育でナーチャリング・アプローチを実践することで授業実践レベルで「特別な教育方法」を実現できるかもしれません。手品のような日本語教育を実現することができるかもしれません。
第12回 Research into practiceというパラダイムの幻想
本連続エッセイの最後として、research
into practice(以下、RIPと略す)という発想の問題について論じたいと思います。
そもそもカリキュラム開発者や教材作成者や授業実践者などの教育実践者はそれ自体高度な専門職(professional)です。つまり、関連領域の研究成果などを参考にしながらも、自身の言語活動者としての直感や第二言語使用者としての直感や、第二言語学習の経験からの洞察や言語的なセンスや、知的能力や企画力など自身が有する資質・能力を総動員してそれぞれの実践を企画し実行します。このように教育実践者にとって関連領域の研究成果は重要なものではありながらどこまでも参考でしかありません。つまり、現実の実践を有効に行うという観点でさまざまな判断や内容や方法の選択を行う規準の一つに過ぎないわけです。妙な喩えですが、教育実践というのは総合格闘技のようなものです。優れた総合格闘家は、柔道、空手、ボクシング、キックボクシング、レスリングなどの原理や技術を自分なりに体得し複合して自身の格闘技法を仕立て上げます。もちろん、身体作りや体力作りが基本にあります。教育実践者もさまざまな関連領域の研究に通じていなければなりません。また、直感やセンスや企画力なども基礎力として重要です。そのようであってこそ、真に高度専門職としての第二言語教育者と言えるでしょう。もちろん、心理学、第二言語習得研究、応用言語学、社会言語学、日本語学など特定の関連領域に強いということがあっていいのですが、高度な専門職というのであれば自身の得意分野以外についてもある程度万遍なく通じている必要があるでしょう。「わたしは日本語学だけ知っている」「わたしは社会言語学を背景とした日本語教育者だ」というふうに特定領域のみに偏っている人は、真の意味で高度な専門職とは言えないでしょう。それで、RIPについての議論です。
○ Reserch into practiceというパラダイム
RIPというパラダイムは、研究から実践へということで、「実践に役に立つ研究をしてほしい/したい」、「研究(成果)を教育に生かす」、「実践に役に立つ研究とは何か」などの言葉で示されています。また、日本語教育学の論文や口頭発表では「その研究がどのように実践に役に立つか」について論じることが常道になっているようですし、日本語教育学関係の修士論文や博士論文でも「実践への応用」についての論述を含めることが院生に求められるようです。これらも、RIPのパラダイムだということになります。
このような方面の日本語教育関係の「風景」を見てみると、日本語学の人たちは引き続き精力的に教育に役に立つ研究をめざして自らの道を切り拓こうとしています。待遇表現などを中心とした社会言語学の研究や最近のコーパスを使った日本語研究も広くはそのような流れに位置づけられます。また、過去30年くらいの関連領域の動きを見ると、語用論や中間言語語用論の研究が進むと語用論的なコンピテンスを養成しなければならないと研究者は言い、コミュニケーション・ストラテジーや学習ストラテジーの研究が進むと研究者はそれらのストラテジーの教育をカリキュラムに含めなければならないと叫び、フィラーやあいづちや終助詞などを研究する人はそれらに関する技能が重要であり指導するべき内容の一つであると声を上げます。
このように、RIPのパラダイムは、第二言語教育における「常識」、あるいは教育への関心から出発した真摯な研究者であれば「当然めざすべき方向」になっているようです。しかし、筆者自身は従来からRIPのパラダイムに大いに疑問を持っています。もちろん、研究と実践は繋がらなくてもいい、研究から実践への貢献など期待しない、と主張するものではありません。以下、議論を続けます。
○ Researchとはどのような営みか
Researchとはどのような営みでしょうか。人間の知的営み全般の観点から言うと、researchというのは、明らかにknowledge
producing enterprise=知識生産活動です。つまり、人間が世界を知ることを拡大したり拡充したりそれを再編成したりする営みです。第二言語教育関係で言うと、関連領域が拡がり各々の領域で研究が展開されるというのは、関連するであろうと思われる知識がどんどん生産されて増え続けるということです。そして、関連するであろう知識の拡大は、それを取り入れて教育実践が一層有効で有益で豊かになる可能性がある半面で、関連するであろうと思われるものが多すぎて「制御不能」に陥るおそれがあります。現在はすでに「制御不能」になっているのかもしれません。そして、「制御不能」にならずにうまく関連領域との繋がりを保つためには、さまざまな関連領域のどの知識が重要でどの知識が重要でないかを判断すること、また、どの知識とどの知識をどのように活用して実践を編成していくか工夫することなどが必要です。
○ 「大学のセンセのリサーチャー」と「日本語学校の先生の実践者」という非対称的な関係
日本語教育関係に限らず第二言語教育関係の世界を見てみると、「大学のセンセであるリサーチャー」と「日本語学校の先生である実践者」という非対称的な関係つまり妙な力関係のある図式が浮かんでくるように思います。「大学のセンセ」になった人は、多かれ少なかれ自身の専門研究分野を持っています。そして、「大学のセンセ」になった人は、自身が元々日本語学校の先生であっても、また現在も一部日本語を教える仕事をしていても、その人は「○○学のリサーチャーです」あるいは「専門は○○学です」と名乗ります。そして、そんな人が日本語教育について議論するときは「○○学のリサーチャーの立場から日本語の先生に向けて話す」傾向があります。つまり、自身について「リサーチャー」つまり「○○学の大学のセンセ」というアイデンティティを持っていて、そのアイデンティティや立場から話をする傾向があります。そして、そういう立場から話をされると、「日本語学校の先生」は位負けしてしまって、「ご高説を賜る」しかないことになってしまいます。また、「日本語学校の先生」の一部には、「大学のセンセから日本語教育の方法について『名案』を教えてもらいたい」と期待している人もいる(多い?)ようです。
元々日本語教育に従事していたあるいは現在も日本語教育に従事している大学のセンセが日本語教育について議論をするとき、なぜ日本語教育学の専門家として、つまり「○○学を背景にもつ日本語教育の専門家」として議論をしないのか筆者にはわかりません。いやむしろ、○○学の研究者として大学教員になった人は、そもそも日本語教育について真剣に議論しなくなり、また、自身の研究と日本語教育の企画や実践などとの関連も真剣に考えなくなるように思います。
○ さまざまな背景をもつ日本語教育者間の対話
日本語教育学が発展するためには、「○○学を背景にもつ日本語教育の専門家」が出てこなければならないと思います。そして、さまざまな研究背景をもつそうした専門家が日本語教育の内容や方法や第二言語習得の原理や指導原理について真剣に対話するべきだろうと思います。この場合の対話というのは、お互いに背景が異なるわけですから、その背景の違いに基づく見解の相違というものがあるだろうと思います。そうした見解の相違をきっかけとして相互の見解の根拠を相手にわかるように示しそのことを通して自らも自身の見解の根拠を自覚し、そして相互に見解をすり合わせることで、合意に達しないまでも、より広く深い相互理解や相互承認に達するということです。そして、その場合に重要な点は、それぞれに研究の背景は異なっても日本語教育者として同じ土俵に立って、共通の関心として日本語教育のことを真摯に考えるということです。そして、そのような立場で対話をするならば、大学のセンセではないが一定の考えをもっている日本語の先生も一人の日本語教育者としてその対話に参加することができると思います。研究領域や立場を超えてそのような日本語教育についての真摯な対話が展開されることでこそ、日本語教育学は発展の土壌を得られるのだと思います。筆者自身は、今後も一方でバフチンなどの研究を進めながらもう一方でカリキュラムの開発や教材作成などもしつつ、引き続きそのような対話を促進し、自身も積極的な参加者としてさまざまな日本語教育者と対話を続けたいと思っています。
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